XXXXX ニセ本尊を糾弾する7 XXXXX

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304ミ,,゚Д゚ノ,っ━~~
>>302
無量義経の解釈だからね。人革で描かれている物と事実は、もちろん違うが、
期する物があった事は戸田の手記に書かれていたな。

田中智学の三男、里見岸雄だよ。古本屋で探してみれば。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:17:19 ID:???
ttp://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/Siten/Syuukyou-Bunka/index.html

当時の国柱会の出版物や機関誌『毒鼓』などに、生命哲学、価値論、夏季講習会、科学と宗教、政治と宗教、
王仏冥合、国立戒壇などの言葉であふれていますし、田中智学の三男里見岸雄著『法華経の研究』(平楽寺書店)
を紐解くと、「日蓮上人においては、本尊は………価値創造である」というのが見つかります。つまり創価学会は、
田中智学の国柱会を中心とする日蓮国家主義の系譜にあり、その意味では孫文のアジア主義とは正反対なのです。
石原莞爾と同じ系譜ということでわかるでしょう。

ところで創価学会の精神が孫文と通じ合うというのは、頭山らを裏切って、最後にソ連に近寄って革命の遣り方を
変えた精神のことを指すのでしょうか?
306名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:20:12 ID:???
ttp://www4.diary.ne.jp/user/485270/

創価学会公式HP「SOKAnet」の「教学研さん室」より

  粗末な食事による栄養失調と不自由な獄中生活にあっても、牛乳ビンのふたを
  集めて数珠をつくり、毎日、唱題を重ねていきました。そして44年(昭和19年)
  元日からは、法華経二十八品を読み進めていったのです。そうした中で、3月
  のある日、「仏とは生命なり」と、さらに11月中旬には「我、地涌の菩薩なり」
  との偉大な悟達を得たのです。(新会員のために/獄中の悟達)

明治17年、日蓮宗僧侶である田中智学が国柱会を設立したが、
その息子の里見岸雄(立命館大学法学部教授)が、
昭和6年、「吼えろ日蓮」という本を書いている。
(宮沢賢治は、里見岸雄の本を読んだことがキッカケになり、法華信仰に目覚めた)
この本の中に、以下の記述がある。

  本佛とは生命体系なりと喝破してこそ、これが草になろうと、木になろうと、
  すこしも不思議がなくなるのである。

  本尊は生命体系の図表だ。

  かくて本門本尊とは、自然的生命体系を人格的に把握し目的化した社会生活の
  体系を表象したものである。

「吼えろ日蓮」は、当時、多くの人に読まれた本であり、
おそらく、戸田城聖も、留置所に取り寄せて読んだのではないか。
そして、これを自己の「悟り」として、自分の権威付けにしたのではないか。
307つづき:2007/08/04(土) 23:20:54 ID:???
生命うんぬん以外にも、この本を読むと、創価学会の教学に重なる部分が多々ある。
つまり、創価学会教学は、全体的に、田中智学や里見岸雄の影響を受け、
成立している可能性がある。

「吼えろ日蓮」は、古書で入手できるので、ネットで調べて御一読願いたい。
緻密でセンスある教理展開に驚嘆するはずだ。
オリジナルとコピーの差と言うところだろうか。

ハッキリ言おう。
「獄中の悟達」はインチキだった。
308eco ◆Smw69BiSBo :2007/08/04(土) 23:24:34 ID:???
今、検索してみた 「吼えろ日蓮」と言う本ですよね
確かにその事が書かれている
どうやら宮沢賢治も影響を受けている感じだし 
最近の池田氏の指導や戸田城聖氏の生命論の中にも
高山肇牛先生の話が盛り込まれていたり これは詳しく対比する必要性が出てきたな

また 看守の記録も必要になって来るよね
それで曼荼羅を書写しなかったのかな・・・ 大きな謎です
309eco ◆Smw69BiSBo :2007/08/04(土) 23:26:54 ID:6J4h6ZbZ
>>306-307
うわ 調べた香具師がいるんだな 出されちゃった
310名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:32:30 ID:???
1916
 『牧口常三郎は、1916(大正5)年ごろ、田中智学の講演会に何度か出席している。』(1998年『仏教と出会った日本』P186)
1924/08/25
 平楽寺書店、里見岸雄著『法華経の研究』発行。
 P101に『日蓮上人においては、本尊は………価値創造である。』
 P570に『かの曼茶羅は……価値創造』
 等とあり、日蓮の信仰が価値創造、絶対的価値の発現であることが縷々論じられている。