675 :
◆Bwr5tJDUMc :
>>668 法悟空
アンカーをつけるようにしてくれ。半角「>>」の後ろに半角でレス番号を打ち込めば、どの
レスを示しているのか明確になるのに加え、その表記に、指し示しているレスがリンクされる。
「>>レス番号」というのがアンカーだ。
>その通りだ、だが、お前たちは、そのシステム(理論)についての因果関係までも要求している。
>だから「因果関係を問うことには意味がない」と言っているのだ。
オマエの「問うことに意味がない」という表現はおかしいのだよ。
676 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:47:55 ID:Vn51qeM9
(
>>675の続き)
薬の事例では、統計的に因果関係を問うことはできるわけだが、統計的な因果関係を問う
だけでは、薬効が発現する具体的な理論を問うことにはならない。
だからといって、その理論を「問うことに意味がない」ことにはならない。確固たる理論的な
裏付けを問うことによって(研究することによって)理論を確立することができるし、未確認の
理論を発見するという意味がある。その理論を「問うことに意味はある」のだよ。
(質疑1)「因果関係を問うことに意味がない」というのは、「統計的に因果関係を問うだけ
では、具体的なシステム(理論)を問うことにはならない。」の間違いであり、「因果関係を
問うことに意味はある」のではないか?「意味がある」と訂正するとこを提案しておくよ。
677 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:48:48 ID:Vn51qeM9
(
>>675の続き)
「そのシステム(理論)についての因果関係までも要求」というのは、
「その因果関係についての具体的なシステム(理論)までも要求」という意味だろうな。
上記を要求するのは、当然のことだ。何故、当然のことであるかの理由は、既に
>>575 >>577で
提示したとおりだ。
既に何度も指摘しているように、創価学会は、確固たる理論に該当する「理証」という概念を
掲げている。創価学会の論によれば、過去の文献に理論が掲載されているわけだ。その文献が
書かれた時代には、現代の様な科学体系が確立されていたわけではないが、現代の目で、その
過去の文献に書かれた内容を考察し直してみると、その内容は科学的であるから、自身を
科学的宗教と主張することになるわけだぞ。創価学会が、既にあると主張している理論(理証)
を要求しているにすぎない。
678 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:49:59 ID:Vn51qeM9
(
>>675の続き)
補足として、以前から何度も提示していることを再提示しておく。
創価学会は、文献・文章として、過去から一貫した教義を有しているという証拠(文証)と、
確固たる理論(理証)と、それを裏付けることになる、現実の生活上に証拠・証明として
現れた現象(現証)という三つの証拠・証明が「三証」であり、この「三証」という概念を
根拠・理由の一つとして自身を科学的であると述べているわけだ。(創価学会がそういう
趣旨の主張をしているということだぞ。)
上記に関してのソースは本スレにて何度も提示されている。以前にも示したが、パート30で
法律ヲタさんが創価学会の文献を引用しておられるレスがわかりやすいだろう。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1133316973/668-671 上記のソースは焼却しますたさんのサイトの過去ログ倉庫でも確認することができる。
679 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:50:55 ID:Vn51qeM9
(
>>675の続き)
>因果関係の証明が困難な事例を扱う場合に、この統計の有意差を計る方法をとるわけだ。(この場合、薬)
>同じことを仏罰にも適用しなければ、科学的な証明はてきないと主張した。
証明が困難であるから、同じことを適用しないと証明できないと主張しているのは、
「オマエ」なのであって、「創価学会」ではない。
因果関係の証明が困難であるのか簡単であるのかという問題とは別に、重要なのは、創価学会は
理論(理証)を掲げ、その理論が正しいことを現実の証拠・証明として「現証」によって確認・
判断しているということだ。仮に、今まで創価学会が「現証(仏罰現象や功徳現象等)」
として確認・判断してきた事象が、現実の証拠・証明でないならば、創価学会の主張する
「現証」という概念はデタラメであったということになる。そもそも、理論(理証)と、
それが掲載されている文献からの引用(文証)を提示できないならば、文証・理証も
デタラメであるということにもなってくるわけだ。
680 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:52:16 ID:WXii96Nf
(
>>675の続き)
オマエは、上記の文証・理証を提示することなく、統計的に因果関係を問わなければ、因果
関係を確認することはできないという趣旨の主張をしているわけだが、
(質疑2)現状では、理論的な裏付けがないから統計的に因果関係を確認するしかないし、
統計的な確認をもって現実の証拠・証明である「現証」とすると創価学会は主張しているのか?
仮に主張しているというならば、ソースを提示しろ。
681 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:53:25 ID:WXii96Nf
(
>>675の続き)
オマエが質疑2のソースを提示できたとしても、既にアンチ側から提示されているソースの
内容との間に、大きな矛盾が生じてしまうことになる。ダブルスタンダードということに
なってくるわけだ。まぁ、この問題は、オマエがソースを提示できたら検討することにしよう。
また、(質疑2)には後に示す大きな問題が含まれている。
682 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:54:04 ID:WXii96Nf
(
>>675の続き)
>それを初めに言ったのは、この俺だ。ようやく理解してきたようだな・・・
>そして、そのシステム(理論)について科学的に証明できなくても、統計的有意差が認められれば、
>因果関係を推定でき「因果関係があると認める」と、お前たちもそのように納得するのだな。
何らかの適切な実験による統計的データが提示されれば「因果関係を認める(納得する)」と
私が述べているのは、「統計的に因果関係(呪文等の宗教的な事象と何らかの事象との、
原因と結果という関係)がある」ことを認めるということだ。(
>>577を参照のこと)
創価学会が主張する「仏罰」という概念が統計的に正しいと認めることができるという意味
ではないのだよ。
683 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:54:46 ID:WXii96Nf
(
>>675の続き)
例えば、呪文に何らかの効力があると統計的に確認することができたとして、それは創価
学会が主張するような効力なのか?という問題が生じるわけだ。何故なら、(質疑2)の
ところで述べたように、オマエは統計的な実験をする為の、具体的な内容を提示していない
からだ。「ナムナム、ムニャムニャ・・・」と呪文を唱えると偏平足が改善されるという効果が統計的に
確認できたからといって、それが創価学会の主張する功徳なのかどうかは、また別の話だと
いうことになる。文証に「呪文を唱えると、偏平足が改善されるという功徳がある」と記載
されているかどうかが重要な問題になってくるわけだ。
仮に、創価学会の主張とは無関係に、呪文によって偏平足が改善されるということが統計的に
確認されたとして、創価学会の主張が正しいことにはならないが、それは驚くべきことだよな。
684 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:57:24 ID:WXii96Nf
訂正
×文証に「呪文を唱えると、偏平足が改善されるという功徳がある」と記載されているかどうか
○文証として「呪文を唱えると、偏平足が改善されるという功徳がある」と記載されていることが
確認できるかどうか
(
>>675の続き)
だから私は
>>577で以下のように述べているのだよ。
>しかし、上記のデータのみでは、文証・理証に関してはデタラメであるということに変わりは
>ないし、たまたまテキトウに「効果があるんだよ〜」とデタラメをほざいていたら、偶然、
>何らかの効果があった、というようなことになるだけだろうがな。
>それでも、効果・効力が統計的に確認できているだけでも、えらいことだよな。
685 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 19:59:13 ID:x7nHAl9r
(
>>675の続き)
こちらは
>>577で、オマエが想定している実験内容を具体的に提示しろという趣旨の指摘を
している。それに加えて、現実の証拠・証明である「現証」を創価学会は確認・判断して
いるからこそ「厳然と」「必ず」「例外なく」その現象が現れると主張できるのだろうから、
当然、創価学会によって、オマエが主張するような統計的な実験に該当するような研究が
既になされているのだろうな。(これは、
>>670で名無しに指摘した内容と同様の問題である
ともいえるだろう。
>>670を参照のこと)
上記で述べた
>>577の内容を、質疑3として再提示しておく。
(質疑3)どういう実験内容なのか、たいへん興味深いことでもあるし、適切な実験方法と、
その実験から得られた統計的なデータを提示してくれ。
686 :
◆Bwr5tJDUMc :2006/12/06(水) 20:00:09 ID:x7nHAl9r
(
>>675の続き)
>ところでだ、その統計による証明だが、それをやるのは誰でもない、お前自身だ。
荒唐無稽な内容の現象が「ある」と主張する側に立証責任がある。科学的宗教というならば、
尚更、立証責任を転嫁するべきではないだろう。
補足として、テレンス・ハインズが著書『ハインズ博士「超科学」をきる』の中で、疑似科学の
傾向の一つとして、「立証責任の転嫁」を掲げていることを提示しておく。
また、「統計による証明」というのはオマエが言い出したことなのであり(別の形で以前に
私から触れたこともあるがね)質疑2や質疑3で触れたように、「それをやる」以前に、
こちらはオマエが主張する統計による証明が、具体的にどういった内容の実験であるのか
わからないのだぞ。「それ」とは具体的にどういった内容なのだ?
つまり(質疑3)に応答しろということになる。