【仏罰】本尊焼いてうpしました 44【落ちない】

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672 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 14:15:21 ID:pA5V4vvM
>>660 ヌルポンゲさん

>徳は体系の整った学問にされてるけど、徳そのものが曖昧で、現在にはイイコト、ワルイコトの区別に
>大きく影響を与えたよね。

上記が「念」と関係してどうだというのでしょうか?
673 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 14:20:56 ID:pA5V4vvM
>>663 ヌルポンゲさん

>どの宗教か忘れたがヒーラーて呼ばれる人がいる。 手をかざすだけで傷や病気が治る。
>これは念じゃない。

そのヒーラーと呼ばれる人の行為(?)や思想(?)が「念」ではないということはわかり
ますが、そもそも「念」とはどういったものなのですかw

何かそういった概念が使用されている具体的な例を提示してみてください。

>では、東洋哲学の立場から、「理」が伴わないから「念から脱却できていない」儒教は宗教
>であるというヌルポンゲさんの論自体に「理」がないというなんともおかしなことになりますね。

>他には、「念を理にするのはムリがあるからまず術にしてみなよ。何故か分からんが厳然する
>程度でいいんだ。(>>520)」「仏罰って念じゃないのかって言いたいの。(>>632)」という
>ような論も、「理」が伴わない「念から脱却できていない」ヌルポンゲさんの「念」ということ
>になるのでしょうか?

上記に関してはどうなのですか?
674名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:27:50 ID:T84Jba1a
うんこ
675名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:28:56 ID:???
本尊のことで、お聞きしたいのですが、昭和38年くらいに貰っている本尊は、
すでに創価学会員になっていると思うのですが、貰うのは寺からだったのだと
思うのです。それなのに返却は創価学会にしなさいというのは何故ですか?
どう処分しても何か言われるのが寺、大石寺?ならわかるのですが。
676654:2006/11/19(日) 14:34:52 ID:???
書いてる途中に消えちゃってちょっとショックを受けてますw

◆Bwr5tJDUMcさん。回答ありがとうございます

基本的に◆Bwr5tJDUMcさんとヌルポンゲさんの議論は必要な議論だと考えています
>教義内容を否定・批判するのもおかしいのですか?
板的には全然おかしくないです。むしろ基本的な部分だと考えます

ただここは「本尊焼いてうp」であり、閲覧者はどういう人か考えるべきではないでしょうか?
本尊焼くという発想ができる時点で、すでに教義には否定的な人が対象ですよね
ただ学会員生活の中で刷り込まれた「仏罰」というものに漠然とした不安を持っている
そういう人が、経験者の意見を見て最後の勇気を得られる場所にするべきではないでしょうか?

先ほども書きましたが脱会の意思がない学会員が「仏罰あたるよー」というのは当然のことだと考えます。
それに対して仏罰というのは実体が無い(具体的な仏罰が提示されていない)以上、
仏罰なんてwww って提示しなきゃいけないと思うんですよね

もちろんここまでの議論も仏罰の考察に含まれると思います。
ただここではもっと具体的な話の方が適切だと考えます。
教義内容が派的に出てくるのは当然ですが、教義内容についての考察・議論をするなら専用スレでやるべきではないでしょうか?

また「言葉遊び」というのは表現が悪かったかもしれません。申し訳ないです。
ただ外から議論を見ていると、
言葉を定義するために他の言葉を持ってくる→その言葉を定義するために他の言葉を持ってくる
繰り返しになっているように思います。
正直、今の会話の流れでは先に「宗教」という言葉の定義をしなきゃいけない感じですよね




ヌルポンゲ
677名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:42:16 ID:T84Jba1a
だれか本尊にウンコ塗りたくってみない?
678654:2006/11/19(日) 14:44:58 ID:???
で皆さんに質問というか考えてほしいのです。
このスレに何を目的として書き込むのか?

私は学会との決別を決意した人に、「君は間違ってないよ^^」と言えたらいいなーと思っています。
学会員の方は「君は間違ってるよ。仏罰当たるよ。考え直せ。」って言いたいわけですよね

仏罰の実体がどうであれ、立証できてないことは指摘できるわけです。悪魔の証明でね
学会サイドは立証なんてできないんだから、難癖つけるしかないんじゃないですかね?

でも難癖つける立場も理解してあげなきゃいけないと思うわけです
だって思いっきり信じてる人をここでマインドコントロールから解き放つのは厳しいですよw

難癖を難癖と批判しつつ、余裕を持って「別に教義批判しようが本尊焼こうが大丈夫」ってやらなきゃいかんのじゃないですかね

最後に、、議論自体は非常に興味深いです。是非専用スレで続けていただきたく
679654:2006/11/19(日) 14:48:50 ID:???
ヌルポンゲ様>
コピペ用に置いていたお名前をそのままにしてしまいました。
申し訳ありません。
680 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 14:59:58 ID:pA5V4vvM
>>676 654さん

>ただここではもっと具体的な話の方が適切だと考えます。

そうですね。そういう意味でも科学的に考察するということは重要であると私は考えるの
ですが、信者(又は信者らしき人)からは、そもそも科学とは?とか宗教は科学であるとか
意味不明な論が展開されると、具体的な内容からはずれてしまう場合もありますね。

話を戻すにしても・・・。難癖の対処は私には難しいです。

>言葉を定義するために他の言葉を持ってくる→その言葉を定義するために他の言葉を持ってくる
>繰り返しになっているように思います。

これは、相手によりけりというか、「念」とは明確な定義ができるような概念ではなく、
曖昧な内容の概念として使用されることが多いが、東洋哲学の中でも、特に、○○の分野
では、これこれこのような概念として使用されている。その一例として、○○という文献の
中で、同様の解説がなされている。等々、客観性や合理性のある説明がなされれば、
それは、こういう意味ですか?という内容でこちらが聞く必要もなくなりますよね。
681 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 15:01:08 ID:EnshwVj7
>>680の続き)

なんとも論理破綻した内容での返答がなされれば、こちらとしては相手の見解にできるだけ
整合性を持たすようにする為に、それは、こういう趣旨なのでは?と違う表現で聞き返すこと
にもなってきます。まぁ、相手があまりにも難癖をつけるような人の場合は、はぁ?意味不明だ!
と切って捨てる場合もありますが、ヌルポンゲさんは本スレに難癖をつけたり非難することが
目的というわけではないですからね。

こういった遣り取りがしばらく続くと、確かに、はたから見ると、何の話をしてるんだ?
ということにもなってくるかもしれません。

私のレスは長いので、読み返してみてくださいというのも気がひけますが、内容としては
同じことの繰り返しばかりですよ。質問の趣旨にそった回答がなされないので、同様の質問
を繰り返し聞いてみるということです。こちらが最初に指摘した論理破綻したことになるのでは?
ということが確認され続けているという、なんとも残念な流れです。

>正直、今の会話の流れでは先に「宗教」という言葉の定義をしなきゃいけない感じですよね

そうですねぇ、これは儒教は宗教か?という論点に関してならば、「宗教」の定義をして
もらいたいところですが、私としては、「念」という概念の解説を求めたいところです。

理由は、既に示したように、創価学会が説く仏罰という概念を考察・批判する際に、
ヌルポンゲさんが使用される概念だからです。
682ヌルポンゲ:2006/11/19(日) 15:05:47 ID:dFKhpfoF
>>678さん

>>673さんのおっしゃるとおり私の論に理がないでFAにします。宗教の起源て本が一番念について分かりやすかったかな。 今手元にないから出版社はワカランけど。

>>673さん 術が分からないて言ったから催眠術を例題にしたの。 念とは別よ。
信仰を念とするのか聞いてきたから念じゃない信仰もあるって答えたの。

念をうまく説明出来なくてごめんね。
683ヌルポンゲ:2006/11/19(日) 15:12:32 ID:dFKhpfoF
>>678さん

スレに書き込む目的か。
仏罰あるなら見せてみろ。 罰の因果を研究出来ないじゃないか。
ホントは無いんじゃないかって信者も気づいてんじゃないっすか?

これ 目的。
脱線したのは宗教の見解の違いね。
684654:2006/11/19(日) 15:14:17 ID:???
えっと基本的に
◆Bwr5tJDUMcさんの主張の論点がぶれてないのはわかっているつもりです。
またヌルポンゲさんの主張も理解できる(している気になっている)部分が多々あります。

それを踏まえ私がここで主張したいのは
・(ここのスレでは)必ずしも意見の一致を見る必要は無い
・いろいろな立場からの意見が併記されていても良い
なぜなら最終的に意見の取捨選択をするのは、実際に本尊を焼こうとしている人な訳ですから
繰り返しになりますが >>119 で法律ヲタさんが書いているように裁判官は“読み手”ですよね
本尊焼こうってスレに来る時点で、的確な取捨選択をすると思いますよ^^

もちろんある程度の議論は必要だと思います
ただスレの主題とあまりにも離れてしまう時は矛を収める余裕があってもいいのでは?
もちろん専用スレへの移動し、話を続けるのは大賛成です

685654:2006/11/19(日) 15:25:15 ID:???
>ヌルポンゲさん
そんなのが正直な意見ですよねー
ただ現学会員がそれを認めず、難癖つけざるを得ない気持ちも微妙に理解できません?
もちろん難癖や矛盾は指摘しますけど、それを現学会員は認めることはできないわけですよ
だって認めたら自分の信仰の危機な訳で
そこが創価学会(カルトといってもいいのかな?)の怖いとこですよね

ここで教義を否定する議論を展開するのって、現学会員のマインドコントロールを解くって目的に見えることがあるんですよ
むしろ、「本尊?焼いちゃえ!焼いちゃえ!」って感じの方が素敵かなと
どちらかというと現学会員の方々に余裕がないように見えるので
否定派が余裕を見せて最後の後押しをしてあげられるといいなーなんて

もちろんこれは私の個人的な願望なので、否定意見多数の場合は私がどっかへ旅に出ますw


686法孫悟空:2006/11/19(日) 15:39:38 ID:GE0X4OCA
>何をもって宗教とするのか?何
をもって科学とするのか?何をもって哲学とするのか?厳密に定義できない難しい問題も
多分に含まれますが、相手を批判する為には、それなりに一貫した判断基準や姿勢という
ものを示す必要がありますし

明確な定義がない以上、明確な定義っていうのは、先に説明したとおりだ。
「仏教は科学そのものではないと言ったところで、その科学の部分を取り除いて、その仏教が存在するかと言えば、それは否だ。

もし、それをするのであれば、人文科学とは、とか、宗教とは、の定義を明確に、
例えばポパーの反証主義のように論ずる必要がある。
そして、その科学的な部分の割合と、宗教の部分の割合がどの位が科学とするのか、
どの位が宗教なのかを統計的な優位性として考察する必要がある。
・・・それができても人文科学の側面と仏教を切り離すことはできないだろう。
ちょうど、バッハの音楽と対位法を切り離して考察することが不可能であるのと同様だ。
バッハの音楽を科学的であると表現したとしても「よい」だろう。 」
ってな、ポパーの反証主義に匹敵する宗教とは、のお前の科学理論を構築してみろよ。
それが無いのだから、科学が仏教を科学的に考察をしている以上、科学であると言ったとして何が問題なのだ。
687法孫悟空:2006/11/19(日) 15:45:15 ID:GE0X4OCA
>>685
あのなー、難癖っていうのはソース基地外のような野郎のことなんだよ。何が難癖なのかを説明できずに、勝手なことを言うな。
・・・ところでだ、短期記憶や虚偽記憶 というのは、意識下の記憶だろ、虚偽記憶に至ってはその人間の感情が影響しているってことは、
天才バカボンがご丁寧にカプグラ妄想、相貌失認で説明してるじゃん。
とこがだ、サヴァンな人の研究によれば、右脳は感情とは関係なしに、そのまま記憶しているメカニズムが存在することがわかって来た、
その記憶は、内容に意味を見出さない、意味付けは左脳が司っているってことらしい。
無意識下における記憶が短期記憶で、なくなってしまうっていう論文があんのかよ。それを出せって言っているんだよ。
ある事故をきっかけに特殊な能力を持ち、それ以降の行為・天候・感情などを記憶している人がいるが、それら実際の出来事を考えて、
人の脳は全ての事を記憶をしているのでは、と考える俺の主張を否定する科学的論証を出せって言っている。それが無い以上否定も肯定もできないってことだ、いいかアホ、お前が否定されていると言ったから、だったら証拠を出せと言ったんだぞ。
疲れる野郎だ。
>それでサヴァン症候群のソースはどうしたのだ?
は〜?それは論外の問題だってことが理解できないのかね、この馬鹿は。
示す必要がないってことだ。ほんと論外な野郎だ。

それよっかさー、「不思議なパワー」の適切な理由・根拠があるなんて誰が言ったんだ?
誰も言ってねーのに言うなよ嘘付き君。やく、ソース出せや。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:58:22 ID:lnzKmCjH
隣席にいた4名の30歳前後の男性から声をかけられた。
「お姉さんたちは何をしているんですか」
どうやら職業を尋ねているようだ。

会社経営者と、医者と、私。
なぜ職業を尋ねたんだろうと逆質問してみると、応えて。
「僕たち、4人ともトヨタの『キカン』なんです」

へえ。そうですか。(彼らは「トヨタ」を漢字で書くことができるのだろうか、と、ふと思いつつ)
まあ、適当に話を合わせながら(私たちはオトナだから)、「若いんだからがんばって
ね」とか、「トヨタは日本を代表する企業だから大丈夫だよ」とか、「働いているのは偉
いね」とか。

すると、調子にのった彼らは口々にこんなことを言う。
「医者なんて、いいですよね。給料高そう」
調子にのって、甘えはじめたのだろう彼らの言葉は続く。
彼らに年間300万円以上も払っているトヨタは偉い。

ブログ
http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/
記事キャッシュ
http://72.14.253.104/search?q=cache:MRrLmBpShR0J:ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/2006/10/post_f20d.html+lr=lang_ja
【斡旋売春】評論家の池内ひろ美さん、期間工はトヨタを漢字で書けるのかと侮辱→記事削除4
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1163906477/
689 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 16:06:45 ID:EnshwVj7
>>682 ヌルポンゲさん

>念をうまく説明出来なくてごめんね。

いえいえ、こちらこそ指摘したい内容がうまく伝わらなかったようで申し訳ありません。
もうレスをすることはないと思いますので、ご安心くださいw
690 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 16:07:25 ID:EnshwVj7
>>684 654さん

>またヌルポンゲさんの主張も理解できる(している気になっている)部分が多々あります。

私もそれなりにヌルポンゲさんの主張内容を理解できているはずの部分は多々あると思われます。
今回話題にした「念」という概念が関係していないであろう主張に関しては同意することも
多いですしね。

ただ、私が問題としたのは

>・(ここのスレでは)必ずしも意見の一致を見る必要は無い
>・いろいろな立場からの意見が併記されていても良い

この部分に関係してくることなのですよ。必ずしも意見の一致を見る必要が無いとはいえ、
論理破綻した見解を主張し続けるのは問題ですよね。

べつに一般論から外れて独自の論を展開していもいいでしょうし、そういった意見や、また
個人的な感想等の主観的内容が併記されることも否定するつもりもありませんし、内容にも
よりますが、大いに意義のあることであると考えます。

それに、既に意見の一致が見られることなく、いろいろな立場からの見解が併記されて
いますよ。
691 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 16:08:47 ID:EnshwVj7
>>690の続き)

>ただスレの主題とあまりにも離れてしまう時は矛を収める余裕があってもいいのでは?

スレの主題に関係して使用している概念が論理破綻したものであるならば、それを指摘する
ことは必要でしょう。一般論としての上記の見解は同意ですし、大いに自省したいところでは
ありますが、今回の話題に関して私は何か感情的にどうこうと矛を収めたくない(?)という
ことではなかったのですけれどね。

例えば、今回の例でいくならば、話題の当初に明確に論理破綻したものであり不適切な内容
が伴っているので訂正なり調べなおすなりしたほうがいいでしょう、と明確に論じることも
できたわけですが、それだと少し否定的なニュアンスが強すぎるような気もしたので、やや
曖昧に遠まわしにおかしくないですか?という方向でレスをすることにしてみたのです。

他には、方向性として後に何らかの形で、今回問題とした概念や判断基準(?)というものが
話題に上った場合は、内容によっては、議論や会話が危うい(語弊がありますけれど・・・)
ことになるのでは?という考えもあってレスをしました。これは詳しく論じ出すと更に更に
長くなってしまいますので、まぁ、なんとなくイメージが伝われば嬉しいです(汗
692 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 16:09:29 ID:EnshwVj7
>>690の続き)

現に難癖をつける為ではない会話を試みた状態で、今の遣り取りですから、これが延々攻撃
対象とされて難癖をつけられることにでもなると、なんとも困ったことになるような、なら
ないような、まぁ、考えすぎなのかもしれませんね(汗 そうなった場合に私は今回問題と
した概念に関してヌルポンゲさんを擁護することができないですし、おかしなことになる前に、
論理破綻していますよと、指摘してみようかなぁ・・・、とか、まぁ、いろいろと考えが
あったわけですよ。

>もちろんこれは私の個人的な願望なので、否定意見多数の場合は私がどっかへ旅に出ますw

あららら、否定意見が多数になるとは思えませんが、私は全否定しないまでも、どちらかと
いえば、否定的な立場です。ですが、私がどっかへ旅に出ようと思います。是非とも、
法悟空のような輩を相手にしつつ、本スレを盛り上げて(?)いただけたらと思います。

では、ご機嫌よう。
693法孫悟空:2006/11/19(日) 16:17:13 ID:GE0X4OCA
お前たちは因果関係がなければ科学ではないと嘘吹くが、唯物論的弁証法は、必然性と偶然性を統合して考える。
必然性と偶然性とは、一定の条件の元で相互に転化する、
それまで必然性であった側面が偶然性に、偶然性であった側面が必然性になる という二つの意味を含むということだ。
唯物論を突き詰めれば同時にまた弁証法的でなければならない。
客観的実在としての二つの側面として、必然性も偶然性もともに自然および社会のなかに客観的に存在していると考えなければならない。
つまりだ、例えば、哲学は因果関係を問わないと言えるな。
だが、科学として成り立つな、自然科学ではないが。

弁証法的に必然性も偶然性も客観的に存在していると考えなければならない。
そのうち偶然性は因果関係を問わない、何故ならば客観的ではないから。
客観的でないからといって、存在しないわけではない。

それは、弁証法的に導かれる結論。
この世の全てが必然的であると考えると、偶然も必然的と成らざるを得ない。
そのうち、因果関係があるものが「必然的なもの」で、因果関係がないものが「偶然」であるだけだ。
では、その偶然を何によって「ある」ものと捉えることができるのか。
仏法では、現証ってことだ、これは本人が確信すれば、それでよいのではないか。
自然科学においては、やはり、統計的な優位性によるしかないだろうと思う。
偶然を計るんだからな。
694法孫悟空:2006/11/19(日) 16:18:14 ID:GE0X4OCA
ここでは、例えば、明確な否定の念をもつ者が、本尊を焼き、その後の生き様を詳細に調べるってこと。
いいかい、ここでの不幸と仏罰との因果関係は、関係がないってことになる。
何故ならば、因果関係が存在しない必然的な偶然を問うているのだからな。
そこに、因果関係を論じるのは、馬鹿ってことだ。

何故、お前たちは、ここで因果関係を問うのだ?
そのようにして集めたデータをサンプルとして、統計的に、その優位性を論じれば結論はでるってこと。
お前たち、やればって話
仏教は諸法の実相を極め尽くすことが目的だから、仏罰なんかは、どうでもいいことだ。
仏罰は現証として存在する、そのように確信できるのだから。(個人として)
それを信じないお前たちに、理解させるには、上記のような方法論しかないだろって話だ。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:19:00 ID:tyYYFxaT








2ちゃんに凄い労力だな

696654:2006/11/19(日) 16:25:48 ID:???
>法孫悟空さん
まず話の脱線についてです
ご自身が >>631 でおっしゃられてるように仏罰の有無についてお話しませんか?
それを話すにあたり >>626 への回答をお願いいたします
幾度も書かれていることとは思いますが、再度法孫悟空さんのご意見をお聞かせください
よろしくお願いいたします

難癖についてですが難癖という表現に問題があるようでしたら訂正いたします
>>685 の2行目以下の件を論じる前に >>626 への回答があってしかるべきだと考えます
私から見ると >>626 への回答を回避するために >>685 の2行目以下の件を声高に述べられているように感じてしまいます
それを難癖という表現で表しました。「問題のすり替え」とでも表現すればいいのでしょうか

<以下蛇足>
また脳の動きについては学会でも確定的な論文は出てないように思います
もちろん1意見としてはありますが(それが間違いといっているわけではなく、まだ検証中という意味)
この点で議論したいなら医歯薬看護板もしくは別スレでやりませんか?
697654:2006/11/19(日) 16:34:52 ID:???
◆Bwr5tJDUMcさん そんな深い意味では無いですよ。カムバーックщ(゚▽゚щ)
表現が悪かったのかな?申し訳ないです。イメージは伝わってます。お手数かけます

さてそれを踏まえて一つ。ここは創価・公明板な訳で
論理破綻を指摘することは必要なことです
ただ相手が「妄信的」に自説を変えない可能性も多々あるわけです
(今回の議論はそれに含まれないことはわかっていただけますよね)
そうすると水掛け論に終始することになってしまうわけで
相手が自説を変えない以上エンドレスですw
どんなに説得力のある正論を言っても、相手が論理破綻していてもエンドレスです

そこで本質に迫る話については別スレではいかが?という提案のつもりです
言葉足らずですが汲み取っていただければ幸いです。

さてそろそろ見回り時間なのでしばらく消えます
698名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:35:34 ID:T84Jba1a
なんかえらい熱心に議論してるなぁ。頭がさがる思いだよ。
699654:2006/11/19(日) 16:37:44 ID:???
またミスです。申し訳ないです
>696 の9.,10行目 >>685>>687 です
アンカーミス。自分にアンカーつけてどうすんだ(;つД`)

徹夜明けはいかんですな。
700ヌルポンゲ:2006/11/19(日) 16:54:00 ID:dFKhpfoF
法孫悟空さん

必然的な偶然て何を現すのですか?
不幸は本尊焼きに関係無く誰もが感じるんですが。

確信させてください
701法孫悟空:2006/11/19(日) 18:44:42 ID:GE0X4OCA
>>631
は、俺ではなく法系悟空ってやつだ、だから知らん。
>また脳の動きについては学会でも確定的な論文は出てないように思います

だから、それでいいんだよ、ところが、ソース基地外と、天才バカボンは、否定されているときたもんだ。
だから、そんじゃ、お前、そんなにソースが好きなら、お前こそ、そのソース出せって言っているだけ。
もっともな話だろ。
>626ってこれ?
仏罰があるんだか無いんだか
仏罰が厳然なんだかいい加減なんだか

「ある」に決まっているじゃないか。
何故か、それは自分自身の確信だよ、それが体験、現証ってやつ。
それじゃ、何だって言えるではないかと、すぐに反論されるだろうが、
それは、しかたがないとしか答えられないな。 だが、厳然と違うとも言える。
例えば、虫の知らせってあるじゃない、親が亡くなる時、ちょうどその時刻に
夢で親のことを見て飛び起きたとか。 俺の親も実感していた。
この中にだって多くいると思う。
あれは、親が亡くなったときに、何か思いなり何かが、知らせたと「確信」できる。
・・・このような「確信」をいう。
何でも、好き勝手に解釈することとは別のことだって分かるだろ。
本人としては、証明された事実と受け止められるわけ。
そこに、因果関係を求めても不可能だってこと。
何故ならば、それは偶然だから。
100%起こるとは限らないことだから偶然になる。
だが「ある」。多くの人が体験している事実だからね。
テレパシーのような何かが存在し、死者が伝えたと考えられる。
あるいは、自分の死者に対する思いが、超越的感覚によって、その者の死亡をキャッチしたとか
いずれにしても、科学では説明できない(今のところ)現象だろ。
仏罰も同様であると考える。確信というレベルにおいてな。
702 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 18:47:34 ID:WQGMCifQ
>>697 654さん

私はどこかへ旅に出るので、これを最後のレスとさせていただきます。

あなたの提案をのんだ場合、本スレは内容が薄いものになるでしょう。また、創価学会に
対して批判的なスレではなく、ただ非難を投げかけるスレということにもなりかねません。

カルト信者のカルト性に迎合する形で、スレの内容を変質させ、本来提示されていたスレの
機能を無くすことにもなるような提案には、私は納得も共感もできません。

本スレは、趣旨として提示している内容の性質上、信者側からのレス(反論というより難癖
です)があれば、水掛け論のエンドレスな会話になるのです。これを避けることはできません。

アンチ側の主張が適切であるならば、自説を曲げる必要もないわけです。エンドレスで
いいのです。(いいのですというのは少し語弊がありますけれどね。)

終わりが来るときは、信者側が諦めるときです。信者側が本スレでアンチ側が提示している
内容に納得し共感することは殆どないでしょう。それでもいいのです。雑談がしたいなら、
雑談スレへ行けばいいでしょう。仏罰の有無を論じることなく脱会者の後押しをしたいなら
脱会スレへ行けばいいでしょう。

あなたがおっしゃるように、「妄信的」な信者のマインドコントロールを解く為のスレでは
なく、仏罰の有無を論じることによって、脱会を思案しているような状態の人の後押しを
できればという趣旨のスレなのです。

さて、あなたは上記の私の見解に、どのスレで反論するのですか?それとも水掛け論になる
から反論はしないということなのでしょうか?

又は、上記の指摘を受けて自身の論が合理性や妥当性に欠けた脆弱な論であるということが
納得できましたか?
703 ◆Bwr5tJDUMc :2006/11/19(日) 18:49:07 ID:WQGMCifQ
>>702の続き)

>そうすると水掛け論に終始することになってしまうわけで

概ねにおいて、水掛け論を投げかけて、それに終始しようとしているのは信者側ですよ。

>相手が自説を変えない以上エンドレスですw

そうです。

>どんなに説得力のある正論を言っても、相手が論理破綻していてもエンドレスです

そうです。論理破綻している信者に非があるのです。それがカルト信者たる所以でもある
でしょう。

>そこで本質に迫る話については別スレではいかが?という提案のつもりです

問題の本質に迫る話は別スレに投げやって、あなたは何をしたいのですか?どういった内容
の話題が残るのかをきちんと考察してみてください。また、そのような状態で、仏罰など
ないと主張することができるのですか?創価学会に対して上辺だけの非難を投げかけたい
だけならば、そういう趣旨のスレを探してみてはいかがでしょうか?本スレの趣旨や機能を
変質させる必要があるのですか?

>言葉足らずですが汲み取っていただければ幸いです。

言葉が足りないのではなく、論が脆弱すぎるのです。本スレをグダグダにしてしまうような
提案に納得などできませんよ。共感する人は多いのかもしれませんけれどね。

そういうわけで、私はこれを最後にもうレスをするつもりはありませんので、難癖をつけて
くる輩を相手に、別スレへ誘導しつつ(?)、本スレを・・・よくわかりませんが、是非とも、
本スレを盛り上げて(?)いっていただければと思います。
704春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2006/11/19(日) 19:18:57 ID:QU48obWY
いや、◆Bwr5tJDUMcさんのご心配は分かりますよ。

今、ざっと読んでみましたが、これはヌルポンゲさんの側に非があると思います。
よりはっきりとそれを指摘すれば、これほどレスを消費する必要は無かったかも知れませんが、
それでは何というか…スレの敷居を高くしてしまう可能性がありますよね。

しかしながら、言ってみればヌルポンゲさんはよくこのスレに現れる、
創価学会のこれまでの主張を無視した形の“俺流解釈”で
仏罰を肯定したり学会の正しさを主張なさる方たちと同じ事を、
アンチという逆の立場からなさっているに過ぎない訳です。
ですから、それをもって学会員の主張を批判するのは、互いに思い込みをぶつけ合う単なる宗教戦争になってしまいます。
閲覧者を裁判官とすれば、このような議論には「合理性や客観性はどっちもどっち」という判決が下されるのではないでしょうか。

“俺流”に対しては、その主張がそもそも創価学会のこれまでの主張と矛盾する事を指摘すれば良いのですし、
そして“俺流”ではなく創価学会の公式の主張に基づいて、その主張の内部矛盾や、
創価学会の主張通り科学との整合性が取れるのか、主張と実際の現実が一致するのかを検証すれば良い訳です。
クーンのパラダイム論が、時にこちらでは持ち出されますが、
確かにパラダイム同士は通約不可能という事が言われてはいますけれど、
これはその通約不可能性を発見し指摘したクーンが、異なるパラダイム間を比較する場合に用いるべきと主張した基準でもあります。

よって、一連のヌルポンゲさんの主張を一種のパラダイムと見なしたとしても、
その内部矛盾を問題とした◆Bwr5tJDUMcさんの問いかけは、ごく常識的な手法だったと思います。

まぁ、長く続いてきたスレでもありますし、ここらでしばらく違うやり方を取ってみるのも良いでしょう。
遠からず、◆Bwr5tJDUMcさんの心配は杞憂で無かった事がはっきりすると思います。
705法孫悟空:2006/11/19(日) 19:49:43 ID:GE0X4OCA
>本スレは、趣旨として提示している内容の性質上、信者側からのレス(反論というより難癖
>です)があれば、水掛け論のエンドレスな会話になるのです。これを避けることはできません。

何また、訳の分からないことを言っているのだ。
はやく、ソース出せよ、出せないのならば、お前の、この主張は難癖として決定する。
難癖野郎!
>私はどこかへ旅に出るので、これを最後のレスとさせていただきます。
逃げるってことだ〜な。難癖野郎!

>必然的な偶然て何を現すのですか?
不幸は本尊焼きに関係無く誰もが感じるんですが。

必然的な偶然とは、因果関係を自然科学的に説明できない偶然。
だが、多くの人が、その存在を確信している事象かな。
自分流の表現では。

後段の「不幸は本尊焼きに関係無く誰もが感じるんですが。 」は、先の説明の通り
ただの不幸ではなく、仏罰との関係を「確信」できるかどうかで判断する。
ただ単に、勝手に思うことではなく現証、体験ってこと。
それは、目の当たりに体験、実感したことしか言えないと思う。
親の死亡を夢で見て、それを親が知らせてくれたと思う「確信」。
それが、多数報告されているのだから、多分「ある」だろうと考えられる。
706春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2006/11/19(日) 19:52:40 ID:QU48obWY
>>702-703 ◆Bwr5tJDUMcさん
そこで仰っている事に、私は全面的に同意です。
こちらにはもうレスをされないとの事ですから、もしも私の書き込みに、気が向いてお返事が頂ける場合は、

http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1148921115/l50

↑のスレを使わせて頂くか、もしくは↓の、私の個人サイト(トリップの付け方等、使い方は2chと同じです)の方へでもお越し下さい。m(__)m

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1158609824/l50

◆Bwr5tJDUMcさんとの、こちらでのやりとりは非常に有意義でした。
また多大なご貢献に、参加者の一人として深く感謝致します。
いずれ◆Bwr5tJDUMcさんの心配が理解され、スレに復帰される日が来る事を強く希望しています。
707法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/19(日) 21:01:52 ID:mqkgs9+9
>>705 Aホウ損御供よ
そもそもソースを出す必要があるのは、オマエ等の方だぞ。
オマエ等の言っている内容は、悉くと言ってよいほど創価学会の主張を否定する
ものでしかない。
従って、本来このスレの問題としては、無視してしかるべきものに過ぎないのだ。
こちらが戸田氏その他の創価学会の文献を引用し、明確に自分達の宗教のみ科学的だと
している事を示しているにもかかわらず、オマエ等は“宗教(一般)は科学とは異なる”と
言ってみたり、はたまた“宗教(一般)は哲学を具えるから科学としての側面がある”と
言ったりしているが、その内容自体も問題ではあるけれど、そもそも創価学会の主張と
相容れないものでしかないではないか。

>必然的な偶然とは、因果関係を自然科学的に説明できない偶然。
>だが、多くの人が、その存在を確信している事象かな。

オマエ、本当にアホだな。
原因とされるモノ(物ではないぞ)と結果とされるモノとの間に、“自然科学的に説明できる
因果関係があれば”、そもそも「偶然」ではないではないか。
「必然的な偶然」もヘッタクレもないんだよ。
“多くの人が確信してようと”、その「確信」なるものに合理的根拠がなければ、ここで扱う
問題としては無意味だ。
708法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/19(日) 21:05:27 ID:mqkgs9+9
(レス>707の続き)
>後段の「不幸は本尊焼きに関係無く誰もが感じるんですが。 」は、先の説明の通り
>ただの不幸ではなく、仏罰との関係を「確信」できるかどうかで判断する。
>ただ単に、勝手に思うことではなく現証、体験ってこと。

そのような合理的根拠なき「確信」など、“勝手に思い込んだ盲信(妄信)”にすぎない。

キリスト教などの世界では、神(や大天使)に遭ったと「確信」している事例が「多数
報告されているのだから」、当然オマエは、それを『多分「ある」だろうと』考えなければ
おかしい事になるぞ。
なにしろ、「それは、目の当たりに体験、実感したこと」なのだからな。
その上、キリスト教の場合は、それを公的に検証し、公認している場合すらあるのだからな。

それとも、お得意のダブルスタンダード丸出しで、都合の悪い事は無視するのか?
709法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/19(日) 21:10:16 ID:mqkgs9+9
さて、凄い事になっていて、どこから手を着ければよいのか…。やはり手近な
ところから始めますかと思ってAホウ損御供の最後のレスから書いたのですけれど、
一番気になっているのは、>>702-703 ◆Bwr5tJDUMcさんのレスです。

>◆Bwr5tJDUMcさん
最終的にこのスレに書き込まなくなるのは、創価学会の言う仏罰顕現の時期の
最長期間である7年を過ぎてからにすべきではないでしょうか。(私も、一応それを
意識しております。どこからの7年間かは問題ですけれどね。)
我々も、本尊焼却こそ行っていないとしても、アチラの言う謗法を、このスレの中で
日々繰り返しているわけです。
既に何やらAホウ損御供がレス>705で難癖をつけておりますが、更に「仏罰」だと
言い出しかねませんよ。(自界叛逆難かな? 笑い)

アナタのレスにある御言葉を読んでも、「旅」から帰ればまた書き込むとも解されます。
そうである事を信じておりますし、短い旅である事を希望しております。
710法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/19(日) 23:04:56 ID:mqkgs9+9
(書いたから、やはり貼り付けておくか。)
>>661-662>>664 Aホウ損御供よ
あのなぁ、断っておくが、俺は高校の時、確か夏休み(ここら辺の記憶は曖昧だ)の宿題として
何かの歴史に関してレポートせよと言う課題を出された事があるのだ。
「何か」と言うのは、何を対象とするのも可と言う事だ。
それで、俺は音楽を対象としたのだよ。(何の科目のレポートだったかも昔の事でよく憶えて
いないのだが、音楽ではないはずだぞ。世界史か何かだったのだろうけれどな。)
音楽と言ってもな、西洋音楽に限ったものだし、現代音楽の一部に触れたかもしれないが(この
点の記憶も曖昧だ。大部分、所謂クラシック音楽を対象とした事は間違いない。)、基本的には、
モノフォニーと言った構成の教会音楽あたりから始めてポリフォニーが登場し、さらには、当然
バロックに触れ、歴史と言う以上、それ以降のものにも目を向けて書いた事は憶えている。
別に、専門家としてではなく一般人としての音楽理論知識程度でよければ持ち合わせているが、
それ故に、オマエがある意味でイイカゲンな事を書いているのも分かる。

例えばオマエは、「大バッハによって西洋音楽のもっとも偉大な功績のひとつとも言える
合理性の極みである平均率という概念の基礎築いた」としているが、バッハが「平均律」を
念頭において曲を作っていたか否かは、必ずしも明らかではないんだよ。(オマエ、間違えて
いるぞ。「平均率」ではなくて“平均律”だ。)
一般的には、特に日本においては、そのように考える向きが多いが、それを示す明確な
根拠はないのだ。
日本語で“平均律クラビア曲集”と呼ばれているものにしたところで、これは直訳ではなく、
平均律であろうと推測してそのように呼んでいるにすぎないのだぞ。
711法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/19(日) 23:07:57 ID:mqkgs9+9
(レス>710の続き)
「対位法」にしたところで、別にその理論をバッハがまとめた訳ではない。
音楽に理論的裏付けがあると言ったところで、曲そのものが科学となる訳でも何でもない。

そして、音楽というものの一面・側面として理論的・科学的な点が存在すると考えたところで、
オマエ達の言う仏教(仏法)の“教学”の理屈とは異なる性質を持っているんだよ。
せっかくだからオマエが挙げているものを例として説明するが、例えば、「12音技法」だが、
通常1オクターブを12の音階で構成する点は一般的平均律によるも同じだ。(断っておくが、
世界の中には、一応は平均律と言いうるものの中にも、1オクターブの中の音階を12音で
構成していないものもあるのだぞ。)
短調・長調と言ったような、音の価値付けをするそれまでの理論体系に基づく音楽とは一応
相容れないわけだが、思考実験としては、別に両者を混在させたところで一曲を構成できる
のであって、実際にそのようなものを作曲した時にその芸術性がどうなるかは別として、
音楽そのものとして成り立ち得ない訳ではない。
ただ、「12音技法」なり何なりで統一されていないと言うだけの話にすぎない。

しかし、オマエ等の“教学”理論の場合はどうだ。
理論上相容れない別なものを継ぎ足して仏教(仏法)とする事など、できないではないか。
712法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/19(日) 23:12:31 ID:mqkgs9+9
(レス>711の続き)
それは何故か?
それは、音楽などの理論と言うものが、正誤を問題とするものではなく、単にある種の価値を
問題としているのにすぎないのに対し(それも、絶対的価値を認めるものではないのだ。)、
オマエ等の理屈は、正誤を問題としているからだ(もし、価値と言う視点で見るなら、
絶対的価値を追求しようとしているのだ。ここで、敢えて「追求」とし、「追究」とは
表現しないでおく)。

そして、オマエ等の“教学”のこの構造は、確かに“科学”に似ている点ではあるわけだが、
しかし、正誤を問題とするからこそ、それが確かめられなくてはならない結果を生ずるのだ。
ところが、オマエ達の仏法とやらの場合は、幾らオマエ達が科学的だと叫ぼうと、その点に
つき客観的に証拠を挙げる事などできないインチキ科学であるに、所詮はすぎないのだ。
713法孫悟空:2006/11/19(日) 23:24:49 ID:GE0X4OCA
>>705 こちらが戸田氏その他の創価学会の文献を引用し、明確に自分達の宗教のみ科学的だと
している事を示しているにもかかわらず、

おい、トンデモ弁護士、お前が問題としていることは、戸田氏の「宗教は科学である」といっ点のみだ。
そんな事は、日蓮仏教とは何の関係も無いではないか、何故ならば仏教、日蓮の時代には
科学は存在していなかったのだからな。
つまりな、本質的に、この仏教が科学か否かという問題は含まれようがないってことだ。
戸田氏の発言のみ、について問題にしているに過ぎんのだよ、アホ弁護士。
その位の単純なことが理解できんのか、あきれるな。
それでさ、たとえお前が、その戸田氏の発言を取り上げて鬼の首を取ったかのように噛み付いたとしてもだ。
それでだ、日蓮仏法が間違えになるのか?
どうみてもならんだろ。
百歩譲って戸田氏が間違えだとしてもだ、それがどうしたというのだ。
>、“自然科学的に説明できる
因果関係があれば”、そもそも「偶然」ではないではないか。
「必然的な偶然」もヘッタクレもないんだよ。

だから、自然科学的に説明できないが、存在する偶然があるから「必然的な偶然」になるんだよ。
唯物的弁証法では、そのように考えるだけだが、何か。

>そのような合理的根拠なき「確信」など、“勝手に思い込んだ盲信(妄信)”にすぎない。

お前の発言は、最初から分かっているよ、だが、お前には、そのような盲信(妄信)はないのか。
浅い人間だな。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:28:00 ID:???
別にこのスレには書き込まなくとも、別のスレに同じトリップで書き込めば
生きてるってことは判るんだから、それでいいんじゃないの?
715法孫悟空:2006/11/19(日) 23:30:34 ID:GE0X4OCA
>>705 こちらが戸田氏その他の創価学会の文献を引用し、明確に自分達の宗教のみ科学的だと
している事を示しているにもかかわらず、

おい、トンデモ弁護士、お前が問題としていることは、戸田氏の「宗教は科学である」といっ点のみだ。
そんな事は、日蓮仏教とは何の関係も無いではないか、何故ならば仏教、日蓮の時代には
科学は存在していなかったのだからな。
つまりな、本質的に、この仏教が科学か否かという問題は含まれようがないってことだ。
戸田氏の発言のみ、について問題にしているに過ぎんのだよ、アホ弁護士。
その位の単純なことが理解できんのか、あきれるな。
それでさ、たとえお前が、その戸田氏の発言を取り上げて鬼の首を取ったかのように噛み付いたとしてもだ。
それでだ、日蓮仏法が間違えになるのか?
どうみてもならんだろ。
百歩譲って戸田氏が間違えだとしてもだ、それがどうしたというのだ。
>、“自然科学的に説明できる
因果関係があれば”、そもそも「偶然」ではないではないか。
「必然的な偶然」もヘッタクレもないんだよ。

だから、自然科学的に説明できないが、存在する偶然があるから「必然的な偶然」になるんだよ。
唯物的弁証法では、そのように考えるだけだが、何か。

>そのような合理的根拠なき「確信」など、“勝手に思い込んだ盲信(妄信)”にすぎない。

お前の発言は、最初から分かっているよ、だが、お前には、そのような盲信(妄信)はないのか。
浅い人間だな。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:38:17 ID:xZDvFa4P
◆Bwr5tJDUMcさんの、事は、私もほとんど同意。

とてもわかりやすい解説で、これ以上は噛んで砕けないように、
判らないところを、一つ一つ、(私には出来ないぐらい)説明してる。
そんなにおかしいと思うなら、他の一般人に見せてもいいと思うが?
コピーとって、他の人に聞いてみたら?

翻訳されたら、やばいのはどっちだと思う?いや。まじで?
もう、遅いかもしれないけどねぇ。
717法孫悟空:2006/11/19(日) 23:41:43 ID:GE0X4OCA
>キリスト教などの世界では、神(や大天使)に遭ったと「確信」している事例が「多数
>報告されているのだから」、当然オマエは、それを『多分「ある」だろうと』考えなければ
>おかしい事になるぞ。

そなんことは知っているよ、群集の前にマリアが出現したとかな。
それも、著名な学者のいる前だとかな、そのことが公式に認められていることもな。
俺は、そのような事はあると考えている。
それは、群集心理といった心理の共振とでもいった現象による
潜在意識の比較的浅い部分の共通の識によるものだろう。
天台の十乗観法によっても止観の至る過程でそのような妄想を見るらしいぞ、それは魔と呼ばれるたぐいのもので
浅い識とされている。
何故、そのように言えるかといえば、「マリア」の形をしていたという点を掲げる。
本質的なものであれば、そのような共通の意識の現われ、とも言える形をとるとは考えられない。

天台は、悟りの究極を一念三千で表した。だが、十乗観法では十章のうち、最後の二章は空白になっている。
その理由は、言葉を超えたものだからと考えられている。
諸法の実相が「マリアの形」を取るはずがないではないか。
だから、群集の前にマリアが現れることに別段、疑問は感じないのだよ。
718法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/20(月) 00:14:19 ID:PdVgc5fq
>>675
エェと少し分かりにくいのですけれど、「昭和38年くらいに貰っている本尊は、すでに
創価学会員になっていると思うのですが」との文章の意味するところは、“昭和38年
くらいに本尊を貰っているので、すでに創価学会員になっていると思うのですが”と
いう事でしょうか。
確かに貴方の言われるように、法的にも「貰うのは寺からだった」ようなのであって、
「それなのに返却は創価学会にしなさいというのは」、単に創価学会側の御都合に
すぎませんよ。
それと法的には、「返却」と表現してよいような返還義務を(創価学会に対して)負っておりません。
単に、一種の(黙示の?)新たなる贈与契約が貴方と創価学会との間に結ばれ、それによって
貴方が無償で創価学会に本尊を与えたと言うものにすぎないと考えられます。
「どう処分しても何か言われるのが寺、大石寺?ならわかるのですが」とのお話ですが、
そのようにしなければならない法的義務はないのですから、応じなければ良かったのです。
719法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/20(月) 00:16:00 ID:PdVgc5fq
>>713>>715 Aホウ損御供よ
なんだよ。よほど慌てていて、手でも震えているのか? (藁

まずなァ、『お前が問題としていることは、戸田氏の「宗教は科学である」といっ点のみだ』
とか言っているが、俺はこの一連スレの中で、戸田氏の発言と同趣旨の池田氏による
文章も引用しているぞ。
そう言っているのは、戸田氏個人ではないと言う事だよ。

更にオマエは、「そんな事は、日蓮仏教とは何の関係も無いではないか、何故ならば仏教、
日蓮の時代には科学は存在していなかったのだからな」と言うが、つまりは、創価学会は
日蓮とは無関係の事を言っていると主張している訳だな。
まったく、その通りだろうな。
「日蓮仏法が間違えになるのか?」との話だが、もちろん創価学会が勝手に間違えて
いるのだろうさ。(藁
日蓮の間違いは、科学的仏法とやらとは別な点で考えれば済む事だ。

ん〜、「唯物的弁証法」だって…?
オマエさんの立場でそんな事を言うなど、コリャァ、驚きだね。
これも、オマエさんのダブルスタンダード主義の表出かい?(藁

「お前には、そのような盲信(妄信)はないのか」との話だが、そのような事が問題と
なりうる範疇において、自覚している限りでは、合理的根拠を求めるようにしている
つもりだぞ。
それとな、肝腎な事は、時分の立場に対し合理的批判がなされ、その根拠がもっともで
あると判断した場合には、常に自分の考えを修正するつもりがあるという点だ。
人間だから間違う事もあるだろうけれど、そこが決定的にオマエ達と異なるところだよ。
720法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2006/11/20(月) 00:18:16 ID:PdVgc5fq
>>714
そうであっても、私にとっては非常に困ります。
学会員のアホなレスに対してあのように対処してくれる人物は、そうそう見つからないでしょう。
貴方が、◆Bwr5tJDUMcさんの代りをつとめてくれるなら、それほど心配しないのですけれど…。
721法孫悟空
>>711 基本的には、モノフォニーと言った構成の教会音楽あたりから始めてポリフォニーが登場し、さらには、
当然バロックに触れ、歴史と言う以上、それ以降のものにも目を向けて書いた事は憶えている。

一つ教えてやるよ、モノフォニーが発展したのは、ポリフォニーより後なんだよ。
オルガヌムというものがポリフォニーの起源で、その後、教会音楽として独自の発展を遂げた。
その後、遅れてモノフォニーが発展したと見るべきだろう。
ベートーベンがソナタ形式を発展させたころ辺りかな、それ以降からかな?
>一般的には、特に日本においては、そのように考える向きが多いが、それを示す明確な
根拠はないのだ。
日本語で“平均律クラビア曲集”と呼ばれているものにしたところで、これは直訳ではなく、
平均律であろうと推測してそのように呼んでいるにすぎないのだぞ。

たしかに、現代の平均律でなかったのは、事実だ、調律のことを論ずるのであれば、平均律はもうちょっと後かもしれないな。
だが、問題なのは24の調、全てで作曲をした人物は、バッハをおいて他に存在しない。
この、全ての調性に対応する平等の概念が、その後の西洋音楽に与えた影響が計り知れないだろうということだ。
>「対位法」にしたところで、別にその理論をバッハがまとめた訳ではない。
音楽に理論的裏付けがあると言ったところで、曲そのものが科学となる訳でも何でもない。

重複しているぞ、俺もそのように言っている。よく読め。
>(断っておくが、
世界の中には、一応は平均律と言いうるものの中にも、1オクターブの中の音階を12音で
構成していないものもあるのだぞ。)

だからこそ、バッハが24の調すべてについて作曲したことが重要なんだよ。
その12音で構成されない音を一応無視するという概念で平均律は成り立つ。
現代音楽では、微分音として復活しているが、バッハほどの影響力を持ったためしがないな。