【仏罰】本尊焼いてうpしました39【落ちない】

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460 ◆Bwr5tJDUMc
>>445
うーん・・・、あなたは何をおっしゃりたいのでしょうかね。今ひとつわかりません。

教行証御書の一節を持ち出してきていますが、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべから
ず」というのは良くみかける言葉ですよね。これに続く一節をもって、倫理的に問題が
あるだろうと良く話題に上る聖教新聞4面等の罵詈雑言を容認できるということでしょ
うか?まさに倫理的なのだとおっしゃりたいわけですか?

教行証御書のその一節は折伏の心構えとでもいうようなことを示している部分ですよね。

三位房に対して上記のように、敵対者(謗法者ですね)に対して少しも恐れる必要など
ないのだから、勇気をもって破折しなさいと指南すると共に、「雑言・強言・自讃気な
る体、人目に見すべからず、浅猿き事なるべし」とも戒めています。

私は創価学会をカルト性を大いに有する団体だと認識しているのですが、あなたの言を
少々借りるならば、

相手がカルト的なことをしていて改める様子がなければ、その相手はカルト信者と非難
されるだろう。 カルト信者には、カルト信者ときちんと指摘しなければだめだ。 相手
にとってもカルト信者である様がいかに問題のあることか気づく為のきっかけを与える
ことになるかもしれないし、第三者には相手の危ない性格を伝えることができる。

とでも言えばいいでしょうかね。

だからと言って、例えば広く啓蒙されている何かの組織の機関紙上で私が学会員のこと
を、このカルト信者のゴキブリ野郎!欲ボケの蛆虫が!といった調子で罵詈雑言の類い
を述べていいということにはならないですよね。

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461 ◆Bwr5tJDUMc :2006/07/08(土) 12:40:55 ID:bKhwvnxx
「雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず、浅猿き事なるべし」という指南も
そうですが、既出の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞ひにて候けるぞ。」 という崇
峻天皇御書の一節を鑑みても、塚原問答での日蓮の言動を考えてもやはり、自分の説を
用いなかったり聞かないからといって相手を罵倒してもいいし、そうしなさい、とは述
べられていませんよ。逆にそうするべきではないと戒めているわけですよ。

時には強い言葉で相手の間違いを正さなければならないこともあるが、礼節・節度をも
って対峙しなさいよということでしょう?

罵詈雑言は強い言葉と言えるかもしれませんが、人の振る舞いとしてどうのなのですか?

もしそうであるならば、「鬼畜なんどと下しても」という部分のみをもって何かを勘違
いしているのではないかと私には思えます。これは、あえて日蓮という人物やその思想
を好意的に受け止めるという「視点」からの見解ですが、違う視点から見れば、「鬼畜
なんどと下しても」という部分は、罵詈雑言をもって罵倒しても何も問題無し。是非そ
うすべきだと日蓮は述べていると受け止めることができるかもしれません。その場合は、
カルトですねぇ・・・となるだけだと思いますけど。

私がどう思うかはどうでもいいことでしたかね(藁

>正しいことを言う場合、場合によっては相手を下した言い方をしても誤りではないということ。

このあなたの見解に関してですが、もう一度最初の質問に戻りましょう。あなたは教行
証御書の一節を持ち出してきて、相手を罵倒してもいい、問題とされるころが多い聖教
新聞4面の罵詈雑言と言うべきような記事もすばらしい正法とやらの実践結果だと述べ
たいのですか?

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