★創価学会・初心者質問スレ Part17★

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479名無しさん@お腹いっぱい。
>>477
めんどくせーな。(以下コピペ)
京都の男子部の間では、日蓮正宗関係の研究が進んでいる。

学会の勤行形式変更につき、巷で宗門と学会の間で繰り広げられてきた論議では、
日寛上人が福原式治氏に宛てた手紙の解釈や富要集にある年中行事に書かれている勤行形式を
中心に行われてきた。
日蓮正宗後付け教学では曰く
「日蓮正宗富士大石寺の勤行の形は、他ならぬ宗祖日蓮大聖人がお立てになり、
それを日興上人以来の御歴代が、師弟相対の信心をもってそのまま受け継ぎ、遵守してこられた
ということである。」としている。

今回、京都の男子部が研究してきた結果、新しい視点でこの日蓮正宗のウソを暴く資料が出てきた。

大正11年2月号の「大日蓮」の中で、後に59世・大石寺住職となられる日亨上人が書いた論文がそれである。

「有師聞書注解」と題する論文のなかで、日亨師は
「二品読ジュの大体は宗祖開山一準の化儀であるが、三座五座の分拝又は十如是長行の区別等の
細目に至っては、此文の案し定テと云はるるに依るときは有師の考案から成つたものと考える
べき」

勤行の三座五座形式は日有上人が「考案」したのもであるとしている。

注)上記「読ジュ」の「ジュ」は「桶」の「木」を「言」にした漢字(PC一部機能故障のため、漢字変換不可となりましたので、注を置く)

また、大日蓮・大正11年3月号にもこの続編の論文があり、そこでは
日有上人時代は勤行を一日に3回していたこと、日鎮上人は四座だったこと、
日寛上人は六座していたこと、日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であったことを挙げ、
結論として「五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべき」としている。

少なくとも五座三座の勤行は古来からあるのもではないことが判明した。