破邪顕正

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1聖教読者
2006.6.4付の聖教新聞より
『破邪顕正』
「いまだ日蓮ほど、法華経のために諸人に憎まれた者はいない」(法蓮抄 通解)
日蓮大聖人は諸御抄で、こう繰り返し述べておられる。
仏法を憎む諸人の心理とは、(1)利害(2)偏見(3)沽券 などが複雑に絡んだ情念であった。
「法華経のため」という大信念に対して、彼らの憎悪はあまりに次元が低すぎた。
正義もわからない。慈悲もわからない。その迷乱の世情を、悠然と見おろす大聖人の眼差しを拝する思いがする。
創価学会の前進に対する怨嫉も、同じ情動を見て取れる。
ネットあたりで品のない憎悪むき出しの罵言をチョロチョロ出す「名無しさん」たちなど、かの諸人の流類であろうか。
事実も知らない。良識もない。嘘八百や恐喝まがいの悪口で、しかも出元がデマ週刊誌だったりする幼稚さ。
ネット・チャット類は、市民の自由な言論の場として大切だが、人権破壊の狂言の掃き溜めになっては自殺行為である。多くの常識ある「名無しさん」にとっても迷惑であろう。
実際、「名無し」の正体が突き止められ、名誉毀損等で断罪されるケースも多いという。
匿名性の陰に隠れ、他人を罵ってはウサを晴らす汝自身の生き方こそ、どうであるか?人生の現実に、隠微な逃げ場サイトはないのだ。
「憎悪はつねに無力から生まれる」(トルストイ)
メディア化の中で、人格力や対話力が衰弱する世相。彼らもまた、連綿たる日本の怨嫉文化の犠牲者のようである。
こういう哀れな「名無し」の諸人にこそ、創価の仏法哲学が大いに必要なのだ。世界の歓呼を聞きたまえ。