この教えが絶対的に正しいとしても それを信仰する者の正しさを保証するモノでは無いのですよ。
『祈りとして叶わざる無し』 会員さんなら聞いた事のある言葉ですよね?
それ程にすごい力のある教えだと言うのなら、その力に比例して自らに厳しく在るべきだ、とは思いませんか?
例えばすごい力である核を平和的に扱う人間がイイカゲンだった為に起きた悲劇の一つ位は知っているでしょう?
すごい力を持った教えを自ら護持していく事を誓った人間に、
その力を教義の根幹にしている宗教組織が、
その教えの扱いとその難しさを徹底的に教え込む作業をしない。
そんな無責任が通ると思いますか?
本来これは組織が行うべき仕事であって、一活動家が行うべき仕事ではないのです。