寿量品長行を読誦摺しないことは、謗法ですよpart2

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156名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 11:25:28 ID:???
枝葉末節にいろいろこだわっているようだが、
結局こいつの主張は「長行を読まずに題目を唱えても無駄」ということ

これだけで長行>題目ということであり、すでに終わってる
157名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 11:28:32 ID:???
>>154
五月蝿い【うるさい】
158yuriko:2006/07/01(土) 13:15:45 ID:???
>>156
>これだけで長行>題目ということであり、すでに終わってる
        ↑
        アフォ!
日蓮正宗法主二十六世で、哀れにも、創価学会から、自分の書写した御本尊を基に
偽(御)本尊を制作された、中興の祖と言われる、日寛上人は、
法華経読誦の功徳を「米に酢や塩を混ぜる」ようなものと仰っている。
上手いことを言うと思う。
果たして、日本人は、酢の入って無い「握り飯」で寿司を食べれるだろうか?
法華経の存在は、あくまで「酢」の存在。寿量品長行の存在は、「上とろ」くらいの意味合いか?
お題目は、当然、メインディッシュ、「マグロノカマ」に当たろうか?
いくら食べても「食べ飽き無い」存在とも言えるかもしれない。軽重の区別はつけるべきだ。
学会員は、超省略勤行で、「仏満修行の味わい」を失ってしまったことに、
気づくべきだ。
159yuriko:2006/07/01(土) 13:21:21 ID:???
訂正>>158

「仏満修行の味わい」
  ↓
「仏道修行の味わい」
160名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:30:22 ID:???
>>158
調味料が無いと米の栄養がなくなると主張してるのはお前だアフォ
161名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:34:59 ID:mb0aCXGT
>>158
スレタイ「寿量品長行を読誦摺しないことは、謗法ですよ」

>軽重の区別はつけるべきだ

主張変わってるね。タイトルの意味は「調味料が無いと毒になる」だよ
162名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 14:52:17 ID:???
>>1
クソスレ、自慰スレ乙ダヨ。。。ったく。
P915
「九月十三日の夜なれば 月大にはれてありしに
夜中に大庭に立ち出でて 月に向ひ奉りて自我偈少少よみ奉り 云々」
P1563
「御仏に供しまいらせて自我偈一巻よみまいらせ候べし。」
オマエの理屈だと大聖人も勤行をサボったらしい。w

P1568
「御菩提の御ために法華経一部自我偈数度題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ。」
オマエの理屈だと大聖人は一部読誦しちゃった悪党だな。w

P986
「いよどのもあながちになげき候へば日月天に自我偈をあて候はんずるなり、恐恐。」
P1381
「御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり」
P1467
「そのほどまづ弟子をつかわして御はかに自我偈をよませまいらせしなり」
オイオイ、大聖人が自我偈を薦めちゃってるヨ。

推して知るべきだ。早くクソスレ片付けろ。
オマエは方便の長行、寿量の長行を五座三座読誦してろ。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 14:55:01 ID:???
つか、読みたきゃ読みゃいいんだよ。好きにしろ。
自由だ。自由。

他宗が好きでやってるから、そっちが正しいとかどうでもいいしw
正邪は現証として表れるだろうね。
それが一番わかりやすいでしょ。
164yuriko:2006/07/02(日) 05:48:32 ID:???
>>160-161
>調味料が無いと米の栄養がなくなる
→栄養以前に、「食べなければ」意味がない!
「食欲をそそる」役目も食事においては、重要だ。
栄養を取るだけなら、鼻とか、胃とかから、直接チューブを差し込んで取ればいい。
「日常生活で当たり前」と思ってることでも、それを失って初めて、その「ありがたさ」がわかるのだよ。
同様に、「親の恩」とか「伝統の力」も失って初めて、その「有り難さ」が知れる。
>>162←アフオ!
さぼり=懈怠誹謗=十四誹謗の内の一つと「勤行」=「弛まずに行う」とは、区別すべきだ。
もし、時間の都合がつかなかったり、体力的に出来なければ、しない方がいい。
「心こそたいせつなれ」(千日尼御返事)なのだよ。真心だよ。
「何とか誤魔化そう」「さぼろう」=池田創価学会流処世術と仏道修行とは、無縁だと知るべきだ。
>>163
>他宗が好きでやってる
大部分の学会員は、日蓮正宗の「御受戒」を受けている。
もし、それら信者が、誤った信仰をしてしまったら、「正しい信心指導」を行うのは、僧侶の当然の責任だ。
「他宗」を名乗るなら、日蓮正宗から拝借した「教義」「歴史」礼拝法」「御本尊」など
全て「きれいに」返却してから、「でかい口」を叩くべきだ。
165yuriko:2006/07/02(日) 05:52:10 ID:???
「他宗」を名乗るなら、日蓮正宗から拝借した「教義」「歴史」礼拝法」「御本尊」など
全て「きれいに」返却してから、「でかい口」を叩くべきだ。

166D.S鬼瑠◇ ◆T2ETDaxtSg :2006/07/02(日) 06:50:18 ID:H6r1o88n
>>158
『上トロ』 とか 『マグロノカマボコ』 って何ですか? (@_@)?

ちょっと知らないものでしたから。

( ̄▽ ̄;)
167名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 07:01:33 ID:???
>>164
アハハ、もう迷走をはじめてるね。

「食べる」=「題目を唱える」に決まっとるだろう。
それともなにか?君は題目だけでは飽きると言いたいのかい?

ところで

「寿量品長行を読誦摺しないことは、謗法です」=「調味料が無いと毒になる」

これは撤回したのか?
168yuriko:2006/07/02(日) 07:10:00 ID:???
「上トロ」とは、言うまでもなく、まぐろの部位です。
まぐおの「かま」とは、「和牛」の「霜降り」に当たります。
<参考>
1.腹節上(カミ)

一般的に一番おいしいといわれる部分で、お寿司屋さんで一番好まれる部位です。寿司屋の大トロといわれるのはこちらの部分です。
まぐろ自体の産地などにもよりますが、高級店の大トロはこの部分が使われています。

2.カマ

一般的にかまとろと呼ばれる部分です。
少数しか取れない貴重な部位で、牛肉の霜降りに似ています。特に触感がとろける非常においしい部位です。
http://www.megumi-suisan.com/regio.html
169D.S鬼瑠◇ ◆T2ETDaxtSg :2006/07/02(日) 09:08:14 ID:H6r1o88n
ごちですたぃ。

(゜▽゜)ウマウマ〜。(想像)


失礼しましたぁ!
170名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 10:27:49 ID:???
>>165

北山から盗んだ二箇相承で「でかい口」を叩いてる小宗の小僧が笑わせるなw
171名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:11:08 ID:0NM8Kyr8
>>1
>>162の「自我偈だけの読誦」を述べた御文に対して一つずつ
「寿量品長行を読まない」悪をあなたの論調で論破してくれよ。
162は全て
>時間の都合がつかなかったり、体力的に出来なければ、しない方がいい。
なのか?w

もっともあなたは文証を示さない時点でアウトなのだが

>>32
>など、僧侶の間でも、必ずしも、全部が全部、師匠から弟子へと「書かれたもの」だけが伝えられる
>わけではないのです。
自ら遠まわしに「文証は無い」と言ってるし。w

>日蓮信者として、信仰に励むのなら、できうる限り、日蓮大聖人の仰せの通り、信心
>するべきです。
自ら「日蓮大聖人の仰せの通り」と言ってるくせにさ。w

>何より、現在の私達が、過去に生きた者達の考え方を推し量るのには、想像力が必要です。
それ以降はあなたの想像・憶測→我見=計我という十四誹謗までしちゃってるし。w

カワイソ杉
172名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:27:52 ID:VN8i2gCp
SGIの世界公布に向けて外国人の勤行を簡略化するためだよ。
173大石寺蔵:2006/07/02(日) 18:54:59 ID:Nz1Tv8hy
逆に、でかい口きく前に、寄進してもらった土地、建物、御供養、その他返してから云うべきですね。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 21:55:46 ID:???
http://www21.big.or.jp/~yuriko/cgi-bin/game/fsmole/log/ap200308.html

第29回Yuriko杯モグラーズ成績表

17位:れいなさん スコア
511 れいな 2003年07月08日(火) 19時34分:
(ヒット:60 ミス:80)Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)
いえーい
175D.S鬼瑠◇ ◆T2ETDaxtSg :2006/07/03(月) 01:47:48 ID:rf8hnk7f
一貫百円の中トロ食べました。 最初少し酸っぱい感じで口に入れると溶ける。 回転寿司が精一杯、まぐろのかまぼこは来世で食べれるかな? 再来世かも。 ちょっと心配。

法華経の題目は年輪の様に月日や年月を重ね、年輪の線の内と外には謗法が存在するかも。
176yuriko:2006/07/04(火) 05:59:09 ID:???
>>171-175 大石寺蔵さん DS鬼瑠さんへ
>世界公布に向けて外国人の勤行を簡略化するため
→困難に挑戦する「愉しみ」もありますね。
>寄進してもらった土地、
「御供養の精神」は、「交換条件」を出したら、供養する側、供養を受ける側、
双方とも功徳は消えますね。
そういう意味で、創価学会の謀略で「正本堂御供養金返還訴訟」を起こさせられている「学会員」
が哀れでならない。
供養に参加した学会員達は、「供養をさせて貰った」事実だけで、既に大変な功徳を受けたことを知るべきだ。
>まぐろのかまぼこ
極貧層が大多数を占める学会員に対して虚しい気もするが。
「まぐろのかまぼこ」ではなく「まぐろのかまとろ」だ。
極上のとろのことだよ。
一貫、五百円くらいではないか?


177yuriko:2006/07/06(木) 09:37:36 ID:???
>>170
>北山から盗んだ二箇相承
邪教と成り果てた日蓮宗の輩か。
もし、北山が日興門下として、その独立性を主張し続けてきたのなら、
話も聞こう。しかし、その実態は、完全に日蓮宗化している。
他宗では、地位と名誉の象徴となっている「色衣」を易々と、纏(まと)ってしまったのが、北山だ。
最期まで、権力と世間的名誉に抗し続けた、宗祖日蓮大聖人への面汚しとしかいいようがない。
私は、長年、何故、甲斐の武田信玄家臣が、「二箇相承」を強奪したのか、疑問だった。
だが、よく考えれば、甲斐とは、身延山の本拠地。
恐らく、嫉妬に狂い、悩乱した日蓮宗信徒が「どさくさ」に紛れて、強奪したのだろう。
「歴史を書き換えよう」とする行為は、創価学会同様、「成り上がりもの」がよくやる手口だ。
178yuriko:2006/07/17(月) 07:30:51 ID:???
他人の悪口や勲章が大好きな創価学会員が、心して拝読するべきです。
●日女御前御返事
【建治三年八月二十三日、日女、聖寿五十六歳】 
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持て、南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。
十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之に依て曼陀羅とは申すなり。 』
『日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」、「不受余経一偈」と無二に信ずる故によつて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし、たのもし。如何にも後生をたしなみ給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。
南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。 』
179名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 07:39:19 ID:D7x7yLxc
今の層化は読むべき
僧の恩をいはゞ、仏法・法宝は必ず僧によて住す(御268)

26世日寛上人は
「当家三衣抄」に「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」(六巻抄225)とあり代々の上人猊下を僧宝として敬うべきである。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 11:54:32 ID:D7x7yLxc
層化の勤行に過去の法謗罪障消滅がないけど、過去はどうでもいいの?
181yuriko:2006/07/21(金) 06:06:31 ID:???
>『九識真王真如の都』
>どういう意味でしょうか。
→久しぶりです。ずっと、忙しくて、ネットから離れてました。
語句の解説だけなら、他のサイト名を教えれば済むことですので、
自分の考え、知ってる範囲を書き込みます。
『九識真王真如の都』とは、あらゆる人間、否、生物、無生物も含めて、宇宙に存在する全ての「もの」に具わっている、「尊極の仏界」のことです。
私達が拝んでいる「御本尊様」の中央に「でんと」構えている「南無妙法蓮華経」こそ、
『九識真王真如の都』です。
御本尊には、十界が描かれていますが、その都=お題目の回りには、様々な「愚かで」「欲深く」「憤り」に満ちた生命が蠢いてます。
ですが、その「汚らしい生命」も「仏の命」に照らされることで、本来の尊形を顕わすというのが、御本尊の意味です。
それが、『九識真王真如の都』だというのです。
ヴィクトル フランクルというユダヤ人の精神科医は、第二大戦中の強制収容所の体験を「夜と霧」という本にまとめました。
彼によれば、人間が「最低最悪」の状況に置かれても、神々しい「他人を思い遣る心」が「自己を犠牲にしても」発揮されるのを観察したといいます。
彼は、全ての人間の内面に具わる「絶対的良心」=ロゴスに目覚め、その存在を信じることが、希望を失わない「手だて」だと訴えています。
その「ロゴス」とは、『九識真王真如の都』に近いものだと思います。
182yuriko:2006/07/22(土) 07:14:23 ID:???
話が逸れたようですが、私が言いたかったのは、「日蓮大聖人が仏道修行をしたように、
現代の信徒も従うべきでは?」ということです。
法華経寿量品は、流麗な漢文で書かれていて、音読すると、それだけで「楽しく」なります。
般若心経は、有名な仏典ですが、聞いてるだけで、「気持ちが沈んで」いきます。
日蓮大聖人は、毎日の所作で寿量品を読誦することを当然のように書いています。
日蓮宗や創価学会は、寿量品自我偈だけの、短略形を用いていますが、
「懈怠誹謗」であるのは無論ですが、「せっかくの功徳」=寿量品長行読誦の利益を「みすみす」
逃してるのです。
特に「我本行菩薩道」の句は、朝晩の勤行で、声を出して。確認しあいたいものです。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 07:29:33 ID:???
173

大石寺を利用して、折伏した背景も忘れずに。
新興宗教とは区別できたのは、日蓮正宗大石寺七百年の
歴史があったからでしょう?
教学やご本尊そのものが、日覚上人に由来するものでしょう?
184名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 07:30:36 ID:???
持ちつもたれずの関係が学会と大石寺だったはず。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 08:11:47 ID:3bjyiC8n
層化が長経読んでみたところで、偽本尊を祈る法謗の事実は消えない。
だから短縮の怠慢だろうが関係ない(笑)
186yuriko:2006/07/22(土) 16:04:46 ID:???
>>185
→一事が万事ということですよ。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 16:09:37 ID:???
ではなぜ自我偈を書いて送ったりしたのだろう

謗法推奨?
188名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 17:38:08 ID:???
>>182
日蓮大聖人は般若心経を読んでも来は沈まなかったですよ。

身延に入ってから弟子達に処経や摩訶止観の御講義をしていた記録がある。

親心子知らずもたいがいに。
189yuriko:2006/07/22(土) 18:35:52 ID:???
>>187
→「自我偈」というお経はありません。
「自我偈」は、妙法蓮華経如来寿量品第十六の偈です。
日蓮大聖人は、できれば、全体を読誦したかったのでしょうが、
あくまで形式として「自我偈」を送ったのです。それを「存略」と言います。
すなわち、全体の内容を踏まえた上だったのです。
日蓮宗や創価学会は、ただ単なる省略ですから、それは、「欠略」というのです。
「懈怠誹謗」に当たりますから、最初から何もしない方がいい、ということになるのです。
190yuriko:2006/07/22(土) 18:37:43 ID:???
>>188
信仰があるかどうかですよ。
それが根本です。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:08:53 ID:???
>>189
それはそう「推察」してるだけでしょ

なにを根拠に「存略」「欠略」を判断しているのですか?

どの御書に書いてあるのですか?
192名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 00:14:41 ID:???
>>1
>>162>>171に対して、何も見て無かったかの様に
答えず逃げ回っている件について。。。


>>189
>日蓮大聖人は、できれば、全体を読誦したかったのでしょうが、
これもオマエの想像以外に何も根拠が無い。
文証示せ。

オレオレアンチ
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1145555564/390
193yuriko:2006/08/06(日) 07:34:39 ID:???
次の御書は、在家女性信者に与えられたお手紙である。
当時、女性の地位が向上したといっても、月経中の女性は仏道修行にとって、「不浄」とされがちだった。
それでも、最低限、寿量品長行を読誦しなさい、と激励されている。
●月水御書
『法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。
されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。』
これから推察されるのは、たとえ在家であろうと少なくとも、法華経長行読誦は、日蓮門下では常識だったのだ。
また、●曽谷入道殿御返事
『此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり。
例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随て別別なり。』
と仰り、日蓮大聖人が「省略」した形のみを推奨された筈もない。
194Taitzu™ ◆WinTh7/kms :2006/08/06(日) 09:28:14 ID:???
>>193
スレタイの通りなら、一品二半自体が大いに謗法と言う事に成ってしまうが如何か。

貴方は曼荼羅の御前に「二十八品」を経箱に収め御安置されているのかな?
日蓮は確か、法華経二十八品の御文字一字一字が仏であると仰せであった筈だが。

日蓮の教えを擁するのなら、日蓮の所業を厳格に検証するのも御弟子末流の務めかと存するのだが。

もし、「広略要」を云々すると言うなら、それは「化儀」上の問題であり実際の所作の事では無かろう、と加えておく。
日蓮の存命中に明らかではなかったものが、祖師入滅後日興以降に明文化されたものが殆どと言うのもおかしな話だ。

一、曼荼羅正意。
二、像仏造立不要正意。
三、日蓮本仏正意。
四、一品二半正意。
五、日興第二祖正意。

これ等は全て、日興系富士門流独特の「ドグマ」だと言える。

私は日蓮宗も安易に擁護しない立場ではあるが、750年の因習を打ち破ろうとしている姿勢は大いに賞賛できると思う。
その一つが、「久遠実成の釈迦本仏」だと言える。

日蓮を本仏と立てた時点で「三宝破壊」も甚だしく、既に仏教ですら無いのである。

如何か。
195yuriko:2006/08/15(火) 01:07:48 ID:???
法華経寿量品には、 事の一念三千・三大秘法の妙法が秘沈されている。
 日蓮大聖人は「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡 復倍上数」の本因初住の文底に秘沈されている、と明かされている。
この「我本行菩薩道」の本因初住の文は、自我偈ではなく寿量品の長行中にあるのである。
●如説修行抄
『所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず。只仰て仏の金言をまほるべきなり。 』
●開 目 抄
『一念三千の法門は、但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。
竜樹・天親知てしかもいまだひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり。

                
196名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 01:21:49 ID:9HqkAHTq
大白法 大正10年から11年に、1座・4座・6座・7座の勤行があったと書いてありました。
有師聞書注解
197黒川和雄:2006/08/15(火) 01:29:01 ID:???
糞れいな!頑張っておるのぅ〜
198Taitzu™ ◆WinTh7/kms :2006/08/15(火) 14:58:38 ID:???
>>195
なるほど、良く勉強されていますね。
富士門流の教義上では最早「定型文」とも言える切り替えし、お見事です。

件の文は成るほど「筋」は通っている様に見えます。
しかし、引用の遺文に聊かの問題があります。
是を機会に検証されて見ては如何でしょう。

先ず、如説修行抄。
是は所謂上代諸師写本に類するもので、日尊写本・日朝写本のみ存在し真蹟が有りません。
いつから無いのかも解っていません、最初から無いと言われても仕方が無いものです。
早い話、「真偽未決」故に参考程度にしかならない代物な訳です。

次いで、開目抄。
是は五大部に属するほどの重要書な訳ですけど、これほど重要な書で有るが故もっと慎重に検証されて方が宜しいかもしれません。
何故なら、「真蹟が明治8年の火災まで身延山に存在していたもの」と言う事であり、開目抄全文を認める姿勢は即ち、
「身延系の諸説」も認める事になる訳です。
大石寺にある筈の「日興写本」は要文断簡だそうで、全文写本は京都本満寺所蔵の日乾写本が底本だそうです。

日蓮法華宗宗祖の言葉が、途中で曲げられていないかどうかを検証するのは、大変重要な事かと思われます。

この意義を無視すれば即ち、曲解カルト宗と言わざるを得ないと思う訳です。
199yuriko:2006/08/31(木) 06:09:50 ID:???
アフォ!
日蓮大聖人が在世の頃は、コピー機などなかった。
それで、主に弟子達が、「写本」をした。
特に重要な御書は、複数の弟子が写本した。
確かに、「真偽が定かであない」御書はある。
しかし、日蓮大聖人の「人と思想」という観点から、もし、その書に日蓮大聖人の人格
が投影されてるとしたら、それを「参考」に拝読することは許されるべきではないのか?
一々「権威者」が真偽を定めるとすれば、ヨーロッッパ中世のように、「聖書を読めるのは
聖職者だけ」となってしまう。
創価学会的な「自由=我が儘」な解釈を許すというのも頂けないが、
何より、個人こじんが宗祖日蓮大聖人の魂に直接触れる作業というのは
信仰上、最も大切なことだと思う。
200yuriko:2006/08/31(木) 18:50:48 ID:???

例えば、私が最も好きな御書に「船守弥三郎許御書 」がある。
この御書は、専門家によれば、「偽書」と決定しているらしいが、
その内容を鑑みれば、日蓮大聖人の法門の根本が説かれているように思える。
「諸法実相抄」の内容を実際に身読しているのである。
さらに、ここでも日蓮大聖人は、寿量品長行にのみ現れる「語句」に言及している。
日蓮宗や創価学会が採用している勤行形式だと、この語句は読まない。
日蓮正宗のみが、宗祖の遺志を正確に後世に伝えているのである。
『過去久遠五百塵点のそのかみ(当初)唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり。法華経の一念三千の法門、常住此説法のふるまい(振舞)なり。
かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども、凡夫はしる事なし。寿量品に云く「顛倒の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」とはこれなり。 』
201yuriko:2006/08/31(木) 18:54:57 ID:???
訂正>>200

例えば、私が最も好きな御書
  ↓
例えば、私が最も好きな御書の一つに
202yuriko:2006/09/11(月) 16:07:17 ID:???
●経王殿御返事
『日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。』
●木絵二像開眼之事
『法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。 』
203yuriko:2006/09/11(月) 16:16:20 ID:???
●船守弥三郎許御書
『過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが、今末法にふなもり(船守)の弥三郎と生まれかわりて日蓮をあわれみ給ふか。
(略)べし。
我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが、法華経の行者となりて無始色心本是理性、妙境妙智金剛不滅の仏身とならん事、あにかの仏にかわるべきや。
過去久遠五百塵点のそのかみ(当初)唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり。法華経の一念三千の法門、常住此説法のふるまい(振舞)なり。
かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども、凡夫はしる事なし。寿量品に云く「顛倒の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」とはこれなり。 』
204転載:2006/09/14(木) 16:37:22 ID:???
5座3座について
26世日寛上人も、
若堪タラン人ハ本山ノ如ク相勤ヘシ爾ズンバ十如自我げ題目ナリトモ5座3座ノ様式守ヘシとあります。
どんなに遠くの信徒や忙しい人も可能な限り5座3座を行い、出来ない場合には方便品の十如是までと寿量品の自我げに略してでも5座3座は守れと仰せられている。
化儀については、当流行事抄に
「但我富士のみ蓮祖所立の門流なり、故に開山巳来化儀・化法全く蓮師の如し」6-19
相伝に有らざれば知り難し(御書92)とあり、御書の面しか見る事の出来ない不相伝家には知り難き伝承と言える
とある。
つまりSGI勤行などとやり方を変える事は謗法なのです。
いくつかのスレに池田大作著 広布と人生を語るの文をコピペしたが、
いかなる理由があろうとも教義を変える事は日蓮大聖人の教えに背い
205yuriko
つまりSGI勤行などとやり方を変える事は謗法なのです。
いくつかのスレに池田大作著 広布と人生を語るの文をコピペしたが、
いかなる理由があろうとも教義を変える事は日蓮大聖人の教えに背いている事を知れ!