勿論 世界をあっとー
を棚にあげて 足元すくったのでつよね
もっと続きがみたーーい!いつも待ちくたびれてるんだよー
152 :
最近のいつもの人です:2006/06/16(金) 22:00:37 ID:CG/q06B1
>>143 >しかし、この語句「師への帰命」に初めて接し十余年、御本尊に日夜祈念し、
>それこそ辛労を尽くして取り組んできたテーマだけに、無念の思い、寂寞の
>情が迫りましたが、これと決別し、廃棄しました。これまで信じ抜いてきた
>師ながら、池田「先生」の無節操な姿に接しますと、その人格にも大きい幻滅
>を抱かざるをえませんでした。実像に接するたびに、泣きたい思いに駆られ
>ました。しかし、「師弟の道」信仰の毒気は、私の心に深く入り込んでいた
>のです。』
まさしく「神」ならぬものに自分をささげた人たちが烏合して作り上げた
のが「ただの人間の集団」である創価学会ですよね。
つまりそれは本来献げるべき方を間違えた結果、辺縁は良いものに見えても
中心の中心が腐っているような、食べたくはないりんごのようなものかもしれ
ません。ちょうど、外はおいしそうなのに、小さい虫が入り込んで中心部に
巣を作り、そこで限りなく栄養を吸い取って育ち、はちきれんばかりに太った
虫の格好の住処になってしまったかのようでした。もうこれを食うのは常人には
ままならないわけなのですね。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 09:34:13 ID:pAdEYNmp
辺縁の人があくまで中心には神がいると信じてただの人間を祭り上げて何も問題が
生じなかったと思っているのは、阿頼耶識へのそういう植え付けが成功している
からなのだろうか?
「歴史の改ざん」と「罪が赦されて帳消しにされる」ということがるで同じことで
でもあるかのように信じているとでもいうのなら、それはまさしく神への反逆に
他なるまい、創価学会とはそういう人間の企てで成り立っているのかもしれない。
池田氏はその全盛時代に側近に傍若無人に振る舞い、レイプ事件も本当に起こした
のに、まるで一切何も「しなかったことにした」。これも精鋭部隊にお題目で
阿頼耶識に植えつけた観念によるのだろうか?
おおナムアミダブ、ナムアミダブ
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 09:39:30 ID:pAdEYNmp
そしてそんな本来なら忌み嫌うべき典型的な人間が、トップの座を占めて憚ら
ない。
そういう人間の操る思疑することあたわぬオドロオドロシイまでの化け物
のような組織がまさに現代の創価学会。
人は表向きの感動話で引き寄せられ、最後はそんな獣のような人間の配下の
者となることで喜びを感じるようにさえなっていく、そんな組織が現代の
創価学会という人間の組織である。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 11:45:06 ID:Jh26eGK5
創か、うそつき。
「蘇生への選択」福島源次郎
『●偽指導者の正体を最終確認
昭和57年9月19日、所沢市、西部球場で開催された第二回世界青年平和文化祭は、
私にとりまことに重要な日となりました。
その日は朝から土砂降りでした。出演者の男女青年がずぶ濡れになり、寒さで震え乍ら題目
を唱えていました。胸がしめつけられる光景でした。(略)先生は貴賓室内に入ってしまったのです。
そして最後までその部屋から出ることはありませんでした。参加者が熱い眼差しで手を振っているのに、
一言の激励をすることもなく退場してしまいました。』
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 16:27:05 ID:Xr1We/k1
お国自慢板で他県を煽る学会員に弾圧を!
コテ名 あすわん 別名 高志人(旧福井人)
創価学会のレス乞食
垢だらけの無職40過ぎたおっさん
年中富山に粘着の田舎者
女子高生のウンコ食いをカミングアウトの変態
捏造、妄想の精神異常者
ウンコ食いカミングアウトからコテを変更、あまり使わない
調子こくと自作自演でオナニー
出没スレは随時晒し上げとなります
続『そもそも、この文化祭は、一連の学会批判ムードを一挙に挽回し、学会の
健在と威力を内外に示す為に、先生が直接提案し、指示して開催が決定
されたものでした。練習も激しく、出演者は休日も返上し、連日夜遅くまで励んで
きました。常識からいえば、強雨では開催中止になって然るべきでした。
でも、先生の決断で強行されました。後で聞けば、この朝勤行の後、この雨は必ず止むと
先生は断言したそうです。
寒さでかじかんだ手足や体を何とかほぐしなから、懸命に演技する彼等の姿はいじらしい限り
でした』
続2『梯子を使っての演技中、一人の学生が梯子の頂上らら転落し、瀕死の
重傷を負いました。多くの出演者が風邪を引いて発熱し、翌日休んだ人も
大勢居ました。しかし、その師は暖房の部屋に居続け、激励のマイクさえ取ることもなく
退場したのでした。
戸田先生は、昭和29年5月9日5千5百人の青年部総登山の時、強雨の中の
三門広場での式典中、さしかける傘を払い、ずぶ濡れになって青年と行動を
共にしました』
続2『「きょうのお山においての青年部の集いに対し、梵天帝釈の加護することなく、
雨の中で行われますことは、偏に一身私の謗法のいたすところと深くお詫び
申し上げます」
この戸田先生の一言は5千5百人の青年男女の肺腑を抉ったと、「人間革命」第八巻に
書かれています。この戸田先生とその最高弟子だと自ら誇る先生とは、何と大きく違うことでしょう。
私は言いようもない空しさと侘びしさを感じ、憮然たる思いで帰宅しました。(略)
先生は、師としても仏法指導者としても紛れもない偽物の姿を私達の前にはっきりと曝け出しました。(略)
最終的に私はこの日を以て、仏法指導者としての先生に見切りをつけることにしました。
無念極まりない悲痛の決断でした』
一人の学生が梯子の頂上らら転落し、瀕死の
重傷を負いました。
訂正
>>159 一人の学生が梯子の頂上らら転落し、瀕死の
重傷を負いました。
↓
一人の学生が梯子の頂上から転落し、瀕死の
重傷を負いました。
龍 年光 「池田創価学会を解散させよ」
都議が17名になってすぐの昭和38年「夏期 講習会」での出来事である。
私の前で公明党の国会地方議会議員達の品定めが始まった。
評価基準というのが、池田のところに何度挨拶に来たか、池田のところに何を持ってきたか、
ということばかり。私は、池田に言った。
「都議会は仏教に基づいた民衆救済の具体的な政策を出して政治を変え、大いに都民の
評価を得ているじゃないか。だから都議会議員だけは、都民のためにどんな政策を立て、
それを実現したかで評価して欲しい」
すると池田は突然怒りだし、憤然と席を立って出て行ってしまった。私は唖然とした。
-(略)この事件は、結果として、池田をますますつけあがらせた。自分の一言で都知事
の首など自由に挿げ替えることができる、と思い込んでしまったのだ。
龍 年光 「池田創価学会を解散させよ」
『1988年、「文芸春秋」11月号に「池田問題と異端」という文が掲載された。筆者は、山本七平氏である。
「この人物の異常さは宗教史上類例を見ない」という副題が付けられたこの文の中で、
山本氏は「あらちゆる『異端』より異常といわねばならない」と述べている。(略)
およそ仏教の歴史の中で、信徒が集団で暴徒となり、その宗派の法主や僧侶に対しかくの如き蛮行を
行うなどということは、前例がない。(略)「俺は御本仏と同じか、それ以上だ」と本気で思い込んでいる様子なのだ。(略)
私はその時以来、池田を仏法の敵である魔性の者と観るようになった。仏法の敵である以上、いつかこの男の
化けの皮を剥がして白日のもとに曝してやらねばならぬ、と決意した。』
池田創価学会=公明党の「化けの皮」を剥がそう!
私は、創価学会が「いい意味」で社会貢献をしたことは認める。
そもそも、創価学会は、牧口先生が創設した創価教育学会が端緒だ。
「教育」にかける情熱は、日本人の良き「伝統」として育まれた。
儒教の影響はあっただろう。しかし、何と言っても、明治維新が世情に与えた「精神面」
の影響が大きかった。すなわち、「教育」による人材の活用が、国家プロジェクトになった。
しかし、それは、イギリスの階級社会に見られるような「エリートを創る」に止まらなかった。
それは、日本国民の隅々にまで行き届き、日本史上なかったことだった。
あの福沢諭吉の「学問のすすめ」は、大ベストセラーどころではなく、「猫も杓子も手にした」ほどだった。
そんな「大衆社会」の到来に応えたのが「創価教育学会」で宗教は無論、教育をこえた影響力を期待
できたのである。それが、戦後、一層の大衆社会の伸展に伴って、より大きな居場所を
占めたのも当然だったのだ。
大衆運動としての創価学会は最も成功した例ではなっかただろうか?
ただ、はっきり言えることは、それは必ずしも「池田先生」でなくてもなし得たということだ。
たとえば、戸田先生の一番弟子である「石田次男」が第三代会長になっていても、
同じ、いい意味で発展していただろうし、もっと落ち着いた「宗教団体らしい発展」があったような気がする。
創価学会の発展が日本の戦後発展と軌を一つにするのは当然のことで、それなら
日本の発展の負の遺産があるのと同時に「創価学会の負の遺産」が生じている筈だ。
創価学会が「いいか悪いか」=「○か×」ではなく、「良い面をより発展させ
「悪い面を取り除く」といった「是々非々」の成熟した姿勢が、今の日本人に求められてルと思う。
続
「悪い面」とは、言うまでもなく「池田問題」だ。
多くの創価学会員にとって、「池田先生の偉大な貢献」しか目に入らないだろう。
それは当然だ。
しかし、創価学会の社会責任を考えると、創価学会の同族支配=私物化は許されていい筈がない。
在家団体としての強味は、「実力主義」だった。
現在の創価学会が「かろうじて」存在意義を主張できるのは、それが「実力主義的」で、
人材の活用術が機能しているからだ。
「池田大作 権力者の構造」の著者「溝口敦」氏は、それを「池田の人心収斂術」と分析している。
この「人心収斂術」こそ、現代の資本主義社会に於いては、最も重要な能力なのだ。
ある成功した企業家曰く「私の回りには、常に私より優秀な人間を置いておく」と言っている。
福島源次郎氏もそんな人材の一人だったのだろう。
そういう「優秀な人材」の屍が累々と横たわっているのが「創価学会の真実」なのだ。
「本当のことをいえば墓地なんか全部、日蓮正宗で無料でやってもらいたいです。(略)
私は御法主上人猊下に全部御供養申し上げております。
創価学会としては、そういう墓地の問題になんか絶対に手をつけません。全てお寺の問題であります。
本山のことであり、宗門のことであります。その点は、はっきりしていって、全部御供養してございます。
(聖教新聞 池田挨拶 昭和38年4/2)
現在、政府では、人権擁護法案再提出に動いている。
日本国民の殆どは、「日本は先進国の一員として、立派に人権を保護している」
と国際的に評価されていると思ってるのではないか?
ところが、国連人権委員会は、毎年、各国に於ける「人権保護の実態」をアアアアアレポートとしてまとめている。
国際的に政治上、経済上でもアメリカが圧倒的力を持っているにも拘わらず、
「人権侵害が平然と行われ、国連人権委員会の評価も相当に悪い」は、容易に想像できる。
だが、先に国連人権委員会の理事国に立候補した日本への「人権擁護の評価」も非常に悪い。
このことを多くの日本人は知らない。
差別する側は、何とか「相手が弱味となり、隠したがる所」を見つけだし、差別しようとする。
そこで「年令 性 国籍 人種 宗教 出自」という個人情報を引き出そうとする。
企業がおおっぴらに「就職差別している」のは全ての日本人が容認している。
ところが、ほんの10年くらい前まで、学校教育の場で、「体罰が容認」されていたように、それは間違いなのだ。
聖教新聞に載る「人権侵害紙上座談会」や「難癖寸鉄」は、日本人が恥じるべき「人権侵害」の典型なのだ。
福島副会長は、創価学会の「草刈正雄」といえる。
実に「いい男」だった。
その後、一男一女に恵まれた。
男の子の方は、直に御会いしたことがあるのだが、
女の子の方は一度も御会いしたことがない。
池田創価学会からの「有形無形」のプレッシャーに負けないで欲しい。
池田先生スピ-チ『世襲制度は邪宗教の姿』
「。。。先日、ある宗教学者が来て
『創価学会は世襲制度ではあありませんね』という話が出ました。
封建制度の残骸の一つに世襲で世襲制度という制度が現存しております。
他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって、世襲制度ということは、もっとも誤った。
いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、全部世襲制度であります。
代々の財産をしにまま上手く、受け継いで、金儲けをしようという、その縮図であるし、その一端だけをみても。
彼等に真の宗教はなく、「邪教である」と断言できると私は思うのです」
昭和36年10月2日
yuriko=れいなw
151.連絡下さい 返信 引用
名前:yuriko 日付:10月6日(月) 13時25分
れいなさんに連絡を取るのにこの掲示板が一番早いかと思いましたので、書き込ませて頂きます。
れいなさんが読んだので確認してから、削除して下さい。
私は、れいなさんの意見に賛成します。
好きになってしまいました。
巷では、れいなさんの悪口を言う輩が大勢居ます。
でも気にしないで下さい。皆、やっかみからです。
私には、れいなさんが、どんなに冷静に物事を見ているかよくわかります。
私は急にれいなさんと話をしてみたくなりました。
私は、今カリフォルニア州オークランドという所に住んでいます。
会ういたくなったら、いつぃでもいらっしゃって下さい。歓迎します
254 名前:yuriko :2005/11/25(金) 12:29:33 ID:???
私を女の子と信じてくれる人の為に。
思いっきり、女の子らしくしま〜す!
相談募集中♪
☆ヽ(^.^)/ チュッ
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 19:07:16 ID:t16WktpG
いずれ 教団自体を仏と称するだろう 全体主義的宗教 正法からはずれた 信心がどれだけ恐ろしいか・・
>云わないこっちゃない・ほらほら。予言的中。 投稿者:830 投稿日: 9月28日(木)17時06分47秒 p1206-ipad01hiraide.tochigi.ocn.ne.jp 引用
> 冬柴なんかを 国土交通省大臣なんかにしたから
> さっそく東京 JR京葉線が11 万人の混乱がおきちゃっただろ。
> 変電所の火災だわ。 王舎城の事考えて見なさいよ。
> 交通大パニック発生
> 足利地方部長の予言 的確に 命中したわ。
> 諸天が怒っているんだよ。
> おい 冬柴 聞いているかい。 あなた 大臣 学会 やめなさいよ
日蓮正宗の人の予言があたってしまいました((;゚Д゚)ガクガクブルブル
法華講って霊能力があるんですね((;゚Д゚)ガクガクブルブル
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 19:26:54 ID:t16WktpG
諸天も題目を唱え魔軍も題目を唱える 題目には力があるから・・今こそ組織という枠を超え 正法に立ち帰った蘇生の題目を
創価学会は会員の純粋な信仰心を利用して金儲けをしてるんですよ。
学会員は、純粋なだけに、正直なんだと思います。
別に「民音のチケットを販売すること」は悪いことではないです。
ただ、組織として「無理をして、家計を圧迫するようなチケット購入は止めましょう。
却って、場合によっては、謗法になりますよ!」と、しっかり通達を出すべきなんですよ。
「公明党の応援にしても、公明党候補者に一票を投じないでも、罰が当たるわけではありません。
しっかりと、信念を持って、投票しましょう!」となるべきなんです。
とかく、宗教団体というのは「運命共同体」の意識が強くて、「死なば諸共!」という意識があると思います。
これは、全体主義以外の何者でもなく、あのソ連を崩壊させた組織体制そのもです。
「自由な競争」のないところに、「幹部の奢りが芽生え、努力を怠る」という事態が生じてしまうのです。
例えば、ソ連時代、同国を訪れた、あるジャ-ナリストは、レストランで、ウエイタ-が「ペチャクチャお喋りをして」
「いくら呼んでも来ない姿に呆れ」「ああ、やっぱり、この国は駄目だな」と直感したそうです。
「民音のチケット丸抱え」も結局は、芸人を甘やかさせ、会員に不必要、不適切な負担を強いてるだけだと思います。
これは、創価学会の選挙支援にも当て填まると思います。
「わけもなく巨大化した宗教団体」である創価学会は、あらゆる方面で、スリム化する時期が来てるのです。
タレントにとっては、民音経由で、チケットを引き受けてくれるから、
一種の保険もたいなものでしょう。
人気のあるタレントに客寄せさせて、「その他大勢」は、それなりに頑張ればいいのですね。
一種の^学会員タレント協同組合」みたいで、いいと思いますね。
ただ、何らかの事情で、家計が苦しい場合、その上、「幹部」としての立場があれば、
さぞかし、「民音のチケットの負担」は恨めしく見えるでしょう。
やはり、貧乏人の犠牲の上に、表面だけの成功を衒ってるのが、現在の創価学会だと思います。
池田先生は、少なくとも、三億円の申告所得があります。
好き放題やってる「自称庶民の味方」が、「信仰の象徴的存在」というのが可笑しいのです。
かのガンジ-でさえ、「太ったミッキ-マウス」と、揶揄されたことがあります。
あの福島副会長の「魂の叫び声」である「池田先生!あんまり贅沢な暮らしをしないでください!」
に、もう少し真剣に耳を傾けて欲しいのですが。
皆さんの意見が聞きたいのですが。
その通りでございます。
実態で言うと以前のチケット購入は地区におりて来て宜しくというやり方から
ローソンでのロッピー購入となり、ホッとした会員も多かったのですが、売れ残る筋のものについては、
やはり最終的に支部地区と振り分けで下りて来ている為、全く変わっておらずという次第です。
民音も当然金銭を要しますから、財務の際に民音で協力している者に、財務財務と
言わないでくれ。という事も聞こえて来ます。現実は末端に非常に皺寄せが年々多くなって
いるかとおもわれます。
民音主催の公演チケットの内で、
「売れ筋」と「売れ残り」とあると思います。
売れ残りを学会幹部が、無理をして購入するというのは、容易に想像できます。
しかし、「売れ筋」のチケットの場合、定員をオ-バ-させて、「立ち見客」まで出している、
というのは、本当でしょうか?
消防法に違反する可能性があるのではないでしょうか?
福島源次郎元副会長の存在は、
創価学会が存在する限り、忘れてはならないのです。
福島副会長との「思い出」がある方、
語って下さい。
旧人間革命第一巻 <歯車>
『大御本尊には人間の思推をはるかに超えた無料無辺、無限の仏力法力があられる。
南無妙法蓮華経は価値観論の如何にかかわらず、厳然と実在するのである』
『牧口の価値論から入った大善生活を思う時、そこには彼独特の倫理的臭味が感じ
られてくる。さらに大善生活の実践のために大御本尊を仰ぐ時、大御本尊は価値観の範疇
に入ることになってしまうーーここに催尊入卑のきらいが影となって射してくるようだ』
●蘇生への選択←福島源次郎著
「敬慕する師の業績、その師の最大の労作といえども、仏法に悖るところがあれば、それを
用いずという決然とした姿勢が実に明確であります。」
故 福島元副会長によると、
第四代目に就任した北條副会長が亡くなったとき、
池田先生の指示で、「死亡記事」や功績を称える「特集記事」は組まなかったそうです。
そのうえ、北條氏の葬儀の折には、
マイクで皆に聞こえるように「暑いときに死ぬのは止めましょう」と言い乍ら入場してきたそうです。
池田先生と秋谷氏のどちらが、先に逝くのか楽しみにしております。
果たして、そのとき、何と言われるのでしょう?
これは、意外かも知れないが、
北條会長が存命のときは、北條会長が池田先生の暴走を阻止した。
そして、牧口初代会長を直接知る辻副会長も、池田先生の暴走を阻止した。
また、25年に渡って会長を務めた秋谷会長は、実は、戸田先生の秘蔵っ子であり、
戸田構想を最も理解し、その実現を画していた。戸田先生から、名前も一文字を貰い、
城永を名乗っていた時期もあった。
今回、秋谷会長が更迭される人事の結果、実質的に、池田名誉会長に意見を言う人はいなくなる。
辻副会長や泉参議会議長は、高齢の為、そういう気力も体力もないだろう。
原田会長こそが、初の「池田門下生」出身のトップ就任というえる。
この意味するところの危険性は、想像以上だ。
すなわち、「戸田構想」からの完全な決別と、「池田教」の旗揚げだ。
池田先生の性格の特徴こそ、故 福島副会長曰く、「異見を聞かない」故に、
如何なる歯止めもなくなる恐れがある。
やはり、ここは、「目付け役」として、秋谷会長は、名誉会長として、池田名誉会長と対等の立場で、
「異見」をして欲しいと思う
訂正
>>188 >泉参議会議長
↓
和泉最高指導会議議長
注)この度、空家会長が、新たに、最高指導会議議長となられましたので、
実質的に更迭となりました。
>>189 →失礼しました。
和泉副会長は、2005年にお亡くなりになっています。
御冥福をお祈りします。
「蘇生への選択」福島源次郎
●師を求めて
池田会長は数々の魅力を持っていました。
すばやい決断 鋭い洞察 速い頭の回転 核心をつく明解な指導や判断 思い遣りと心配りの数々
政治や社会情勢に関する的確な分析と予見等々と数え上げられないほどです。中でも、
独特の鋭いものの三方考え方には、圧倒される思いでした。恩師を常に語り、宣揚し、
その教えを実践し、実証しようとする求道と報恩の姿は、私達の胸を打たずにはおられませんでした。
(略)この偉大なる師に対して、弟子はいかにあるべきかを最大の課題として取り組む日々でありました。
この頃本部職員の文集に私はこう綴りました。
「先生なき人生は暗黒である。先生なきわが人生は考えられない」
原田稔新会長への質問です
●原田新会長は、東大経済学部卒業ですね。
福島元副会長も、同窓ですね。
年令は、7〜8才福島氏より若いといっても、当別な親近感があっただろうし、
福島氏から、直接指導される機会も多かったのではないでしょうか?
また、原田氏は、聖教新聞社記者のとき、「人間革命」担当記者に任命されました。
(随筆人間革命)。
御存知のように、福島氏は、「人間革命を読む」ことに、命懸けでとりくみ、
ライフワークにしておりました。
福島氏から、人間革命に関して、どんな指導を受け、記者として、役立てたでしょうか?
昭和54年、宗門問題がこじれて池田会長が勇退し、名誉会長になりましたが、
池田先生は、これを深く怨んでいたことは、今や公然のことです。
ところが、実際には、池田先生は、責任を取らずに、福島氏や桐山氏などの
池田教説を支え続けた、側近が、左遷されました。
原田氏は、このとき、どんな立場で、どんな対応をしたのか、詳しく教えて下さい。
訂正
>>192 >当別な親近感が
↓
特別な親近感が
「蘇生への選択」福島源次郎
●師を求めて
池田会長は数々の魅力を持っていました。
すばやい決断 鋭い洞察 速い頭の回転 核心をつく明解な指導や判断 思い遣りと心配りの数々
政治や社会情勢に関する的確な分析と予見等々と数え上げられないほどです。
中でも、独特の鋭いものの三方考え方には、圧倒される思いでした。恩師を常に語り、宣揚し、
その教えを実践し、実証しようとする求道と報恩の姿は、私達の胸を打たずにはおられませんでした。
(略)この偉大なる師に対して、弟子はいかにあるべきかを最大の課題として取り組む日々でありました。
この頃本部職員の文集に私はこう綴りました。
「先生なき人生は暗黒である。先生なきわが人生は考えられない」
>>194 「三方」、一々訂正しなくていいからねw
池田の息があるうちに、一度会ってみたかったな。
もう無理だろうけど。
山友氏も慧妙で池田のことを「実務能力がある」とか、
「猊下に退陣の挨拶をした時の池田は今まで一番男らしかった」
と感想を言ってた。
おかしな所は多々あれど、何かしら魅力のある人物なんだろね。
>>105 >おかしな所は多々あれど、何かしら魅力のある人物
→池田先生を見くびるのも間違ってますよ。
私は、当然のことですが、「過大評価」し過ぎるのが、最大の危険だということです。
今から3〜40年くらい前の学会員は、本気で、池田先生=師匠が日本を
支えていると信じていました。
カルトてきと一笑に付することは簡単です。
しかし、池田会長は、「世間がしまったと思ったときが広宣流布」(社長会)と本気で思っていたのです。
第一次大戦後、ドイツは、ベルサイユ条約の結果、巨額の賠償金とともに、
国際社会から、一方的に罰せられました。そのことへの、「怨み」から、ただ単に「煽動家」のヒットラーが
一国家の指導者となって、ドイツのみならず、当時のヨーロッパ全体を破壊してしまいました。
スターリンの狂気がもたらした、悲劇とは別に、ソ連だけで、2,000万人の犠牲者がでた事実は重い事実です。
池田先生は、本当は「いい人」なのかも知れません。
しかし、この男は「煽動家」として、ヒットラー同様の素質を持っていて、それこそが危険なのです。
「知性がないのに、知的を装おうことの危険」は、
ナチドイツ第三帝国構想の崩壊によって、証明済みです。
やはり、池田先生にどうしてもして欲しいことは、
まず、故 福島副会長の墓に詣でて、懺悔の題目を唱えてほしい。
福島副会長ほど、「池田流師弟の道」を実践した人はいなかった。
少なくとも、当時、多くの人がそう信じていた。
福島副会長は「如是我聞」として、池田先生の発する一言一句をメモしていたのは、伝説となっている。
秋谷前会長が、「師への帰命」という語句を人間革命から探し出せないで、
福島氏に教えて貰ったというエピソ-ドもある。
決して遅くなる前に、「私が悪かった」と墓前で謝罪して欲しい。
もっとも、もし、池田先生が本気っで「墓前への懺悔行」を行うとしたら、
残り少ない人生に於いて、不可能な数なのは確かだ。
原田会長は、何故、東大に進学しながら、創価学会に勤めることにしたのですか?