「上野殿母御前御返事」という御書を訳しときました、
これは死を目前にした日蓮が、子供を亡くした婦人に言葉
をかけるという内容で、釈迦や法華経や天台大師といった
あやしげな仏説とか用語はいっさいなく、平易なことばで
語るようすは人間としての日蓮の無力さがひしひしと伝わ
ってきて、なかよいです↓
(上野殿母御前御返事)
半つき米一駄、清酒の竹つつ二十本、間つけ用の小鍋、母
御前さまがお使いになっている香袋を少し、など送って
いただきたいとお願いしてあったのが無事とどきました。
ちかごろのようすは前からお手紙してあったような状態で、
さること文永十一年にこの山に入り今年十二月八日に至る
までここを一歩も出ることはなく、ただし八年ほどの間は
やせる病気が出て年ごとにからだも弱く気力も衰えていく
ありさまです。
今年は春からこのやまいが出て秋をすぎ冬になるまで日々
からだは衰え、夜ごとに具合が悪くなってしまい、この十日
あまりはすでに食事ものどをとおらず、そのうえ雪は深く積
もり寒気もきびしくて、体が石のように冷え、胸は氷のようでも
あります。
ところがいただいたお酒をあたたかく沸かして、香袋がある
のに気がつきそれを破って中身といっしょに飲むと、胸に
火を焚いたようなかんじがして、まるで風呂に入っているか
のような、汗で垢をおとしそのしずくで足をあらうことも
できそうです (笑い)。
このおこころざしは、なんと言ってよいのやらとうれしくなって
いたら、おもわず両の目からなみだがこぼれてしまいました。
ところで去年の九月五日に故五郎どのが亡くなられ、すっかり忘れ
ていたのにも驚いて指を折ってかぞえてみれば、四百日ほども経って
いて、母御前さまにも (つらい) 日々だったことと思います。
(上野殿母御前御返事つづき)
これにはなんとご指南すればよいかと見当もつかず、解けてしまった
雪もまた降るだろうし、散ってしまった花もまた咲くともいい、はか
ないことだけどひょっとしてどこかで生きているといううわさはない
ものか、なんとうらめしいことかと嘆かれ、またよその家ではこれは
これはと玉のような男の子が生まれていて多くの親たちがうれしく
思っているのと (つい比べてしまい)、満月に雲がかかり晴れることも
なく山へ入ってしまったり、満開の花が風に散ってしまったような、
悲しい気持ちではあるとおもいます。
日蓮は初老の年寄りですから、みなさまのお手紙にもなかなかお返事
ができませんが、(五郎殿のことは) とても悲しいことなので、あえて
お手紙をしたためました、私もそう長くはこの世にいることはできない
ので、ちかぢかかならず五郎殿にお会いする機会もあるでしょうから、
母御前さまよりさきにあの世へいったら、そのなげきをお伝えしようと
おもっています、それではまた、ここらへんで失礼をいたします。。。。