>>549 - 月水御書(堀日亨編纂 新偏御書 P.1201) -
但し御不審の事法華経は何れの品も 先に申しつる様に愚かならねども
殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり
されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出しても あそばし候べく候
余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、
寿量品方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり
薬王品提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども
提婆品は方便品の枝葉薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候
されば常には此の方便品寿量品の二品をあそばし候て
余の品をば時時御いとまのひまにあそばすべく候。
戸田城聖全集、第二巻 P.72
それから自我偈は“ 三 度 読 む こ と ”になっているのです。
法身、報身、応身の三身に、自我偈は三度読むことになっています。
>>548 >されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、
上のは宗祖日蓮の遺文ですが、日蓮正宗では方便品の長行は読まれていません。
ここからも現代の勤行が後世に定められたものとわかります。
> それから自我偈は“ 三 度 読 む こ と ”になっているのです。
補足すると、現在の創価学会でも自我偈は三度読んでいます。