130 :
@:
4月11日〜13日にかけて中国の首相が訪日するよね?
その時に池田先生とお会いなさるそうだね!
何でも中国側からの強い要望があっての会談実現なんだって!
故 周総理との友情から幾星霜・・確実に実を結び次につながって来ていますね!
国家主席とも強い絆があると聞いています・・
思えば・・故 コスイギン首相のメッセージを先生が周総理に架け橋として伝えたのが
おもいだされますね!
周総理が病床の中周りの反対を押し切り会談されてから数十年・・確実にその絆が
次の世代に受け継がれています!
当然国家間の利害もあってのことでしょう・・ですが個人としての友情があっての実現です・・
どんな対談になるのか楽しみなことです・・
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 16:13:00 ID:1zz9drKf
日本を売り渡す気だな!
>>130 > 思えば・・故 コスイギン首相のメッセージを先生が周総理に架け橋として伝えたのが
> おもいだされますね!
> 周総理が病床の中周りの反対を押し切り会談されてから数十年・・確実にその絆が
> 次の世代に受け継がれています!
またかよw
池田先生が金で勲章を買ったとデマを言う奴は嫉妬5
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1160286084/ 475 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/10/15(日) 08:00:12 ID:Q/EKQDFz
>>460 ゴルバチョフとの対話もあるし、中国とソ連の戦争を回避させた対話もある。
コスイギンや周恩来との写真が残っているよ。
福永法源は、ヨハネパウロ二世(ローマ法王)やクリントン大統領に会ってるが?
池田が中国とソ連の戦争を回避? 寝言いうなよ
ソース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8D%E5%AE%9D%E5%B3%B6 1969年9月、北ベトナムのホー・チ・ミン主席の葬儀の後にソ連側代表が北京に
北京に立ち寄り、双方の協議の結果戦闘は終結したが、この間国境地帯には
100万人を超える双方の兵士が動員されていた。
中国では紛争翌年の1970年11月1日に「珍宝島一周年」記念の切手が発行された。
#あれ?確か、池田がコスイギンと会ったのは1974年だったよね????
133 :
@:2007/03/31(土) 22:11:19 ID:???
74年にコスイギン首相とお会いして数年前のことを念頭にソ連は中国ともめる気は
無いことをメッセージとして伝えたんだよ・・君が指摘している時系列で正しいじゃないですか?
何か問題でもありますか?
停戦協議みたいな感じで進めてはいたが双方とも多大な武力を背景に疑心暗鬼を持ってたときなんです・・
コスイギン首相は中国と戦争する気は無いです・・と云って 先生はそれを中国側に伝えるけどいいですね?
との言葉に今の流れになってきているんだよ・・
その裏側には戦費がかさんで民衆への圧迫が忍び寄ってきていたときなんです。
もっと他に費用とかを避ければ人類・民衆へと恩恵を還元していくことが出来るのでは・・
との、もんだいもはらんでいたんです・・
分かりましたか表面的な流れだけで追っていくと読み間違いが出てきますね・・
ほけ~
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 17:21:07 ID:YMUZELkh
>>133 > 74年にコスイギン首相とお会いして数年前のことを念頭にソ連は中国ともめる気は
> 無いことをメッセージとして伝えたんだよ・・
まったく、意味がないですね、イケダのやる事ってw
いつも後追い。誰かの権威に寄っかかりw
>133
> 停戦協議みたいな感じで進めてはいたが双方とも多大な武力を背景に疑心暗鬼を持ってたときなんです・・
> コスイギン首相は中国と戦争する気は無いです・・と云って 先生はそれを中国側に伝えるけどいいですね?
> との言葉に今の流れになってきているんだよ・・
>
> その裏側には戦費がかさんで民衆への圧迫が忍び寄ってきていたときなんです。
> もっと他に費用とかを避ければ人類・民衆へと恩恵を還元していくことが出来るのでは・・
> との、もんだいもはらんでいたんです・・
はいはい、妄想にソースを出せというのか酷かな?m9(^Д^)プギャー
《《《チャウシェスク・ノリエガ・イケダ展》》》
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1091622601/ 182 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/01/09(月) 21:54:30 ID:ZAiI09vj
S58・6
チャウシェスク・ルーマニア大統領に対して
「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」
「今後も世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります」
ブカレスト大学での講演
「ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より、感謝の意を表し、私の講演を終わりたい」
H1・12のチャウシェスクが殺されると
駐日ルーマニア大使に対して
「貴国の不幸は、指導者が一族主義による『独裁者』に、いつしか陥ってしまったことにあったといえます。権力の腐敗にどう対処していくか――
ここに将来にわたっての大きな課題があると思うのですが」 「残念なことに、変革以前の貴国には独裁体制があり、その統治が強固なだけに、
識者の間には、政権交代は暴力革命になるかもしれないとの指摘もあった。ところが、貴国の民衆は、混乱はあったものの、できる限り暴力の拡大を防ぎ、
自由を勝ち取りました」
これで永遠の指導者なの?