新潮・文春などの反創価メディア批判スレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
295【 戦慄! 朝木さん暗殺までの経緯 】
●1995年7月19日:朝木さんの自転車のブレーキが壊されており、知らずに乗った
 朝木さんがブロック塀に衝突し、手を負傷。

●1995年7月22日:「市の恥[草の根]をこの街から排除しない限り東村山は
 全国の笑い者になる」というビラがまかれる。

●1995年8月2日:市内を自転車で走っていた矢野市議の前後をトラックが挟み、引きずり回し、
 事故寸前となる。後ろの軽トラックに乗っていた男が幅寄せし、フラッシュを焚いて威嚇。
 この男は、朝木さんの葬儀終了後の9月5日にも矢野氏に対し8月2日のと
 同じような威嚇を加えたが、控えていた車のナンバーから、東村山市の創価学会
 男子部S・Hであることが判明。

●1995年8月10日:市役所で「草の根」を誹謗するビラがまかれる。

●1995年8月19日:朝木市議の娘さん直子さんのポケベルに、
 死を意味する、「4444・・・」という脅迫メッセージが、一日12回も入る。

●1995年8月20日:朝木さんの自宅の門柱上に、灯油を染み込ませた新聞紙の入った
 コンビニエンスストアーの袋が置かれ、火がつけられていた。
 東村山署のこの日の当直担当も、須田係長−−、遅れて現場に来た刑事
 である−−だった。
 こうした経緯から朝木さんは、須田係長を「創価学会では」と疑っている
 (「週刊新潮」の取材に対し、本人は否定)。

●1995年8月26日:「草の根」事務所に黒色火薬とともに「ばく死」と書かれた脅迫状が届く。

●1995年8月28日:朝木さんが参加する予定だった高知のシンポジウム主催者の連絡先の
 携帯電話に、「シンポジウムを中止しろ。このままだったらただですむと思うなよ」と
 の男の声と、「講師が五体満足で来られると思うなよ」との女性の声の脅迫電話が入る。
 ちなみに8月21日に高知県下で行われた創価学会の地区部長会では、F副県長が、
 「ヤイロ鳥のシンポジウムを断固粉砕する」と発言していた。