矢野元委員長は池田先生に詫びろ!

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418名無しさん@お腹いっぱい。
神崎武法は、かつて東京地検の検事で、温厚で有能だったため将来、検察疔の
トップになる人という呼び声のあったエリートだった。大学3年のとき、
司法試験に合格し、密かに創価学会の利権を守るため、組織内で雌伏していたわけ
であるが、昭和52年、創価と宗門との間で、もめごとがあり、創価の顧問弁護士
であった山崎正友氏が創価から寝返って、宗門サイドにまわったとき、神埼が山崎正友氏の仲間として
昭和45年の出版妨害事件のとき当時の宮本顕治共産党委員長盗聴にかかわって
いたことをばらしたため、検察中央が知るところとなり、やむなく東京検察を辞職した。
神崎は、昭和58年(1983年)地元千葉とはまったく縁の無い当時の福岡一区から
衆議院議員に立候補させられ、当時中選挙区であったため、3位で当選。
平成10年(1998年)11月、公明党代表となった。
また、小選挙区制となってからは、のちに九州ブロック比例代表に回っている。

現在、本年平成18年10月の党大会で、代表辞任を漏らしているが、後任に
適当な人財がおらず、いまだにその進退は霧の中ということである。
次の党代表と期待されている大田昭宏は、京大工学部卒。司法関係でないことと
ざっくばらんなやさしい性格であるため、政治家としての脇が甘いことを学会中央
が、嫌っているのではないかと思われる。
北側一雄は、昭和50年創価大学卒の弁護士出身。北側も創価学生部上がりで52年
路線で池田が大変だったとき、創価を支えた人物。
ただ、創価内では、あまり知られていないのと、経歴が創価大卒であること、苦虫を
噛み潰した顔貌で、党代表というにはもうひとつ、というところ。いづれにしても
創価が苦しい時代をささえてきた世代に、人財の生き残りが少なくなっており、神崎の
後任は、しばらく出てきそうにないというのが現状である。