2世3世が学会のおかしさを確信した瞬間 その7

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141名無しさん@お腹いっぱい。
母は熱心な学会員だった。
貧乏で働きづめだったのに朝の勤行と
座談会への出席は欠かさなかった。
俺が18歳のとき、母は病死した。
3年後ぐらい後、青年部から勧誘電話があった。
勤行を毎日行えば病気にならないと言うので
じゃ、なぜ母は死んだのか、聞いたら
「それは信心が足りなかったから」
と平気で言いやがった。