722 :
悠:2005/11/27(日) 01:36:47 ID:???
>>乾闥婆さん
板では初めまして。
> 仏教において、身を法にささげる供養は説かれております。焼身供養ですね。
> 法華経の薬王菩薩品に説かれていますし、その実践者もいます。
> 誓いを成就するために身を焼くといってもいいでしょう。
> それらは法のために命を捨てる行為です。
個人的な意見で申し訳ないのですが、『法のため』という名目があれば、焼身供養が通じるというのも
おかしな話だと思われます。
宗教弾圧において、それらに反発し、願いを込め焼身する。
とても綺麗な話のように思われますが、生きて尚、反発を続ける事こそ、本来、大切な事ではないのでしょうか?
宗教弾圧にて『殺される』のと『自ら死ぬ』のでは違います。
例えば、滝山さんが激しい宗教弾圧に遭った時『この法華経のため』『誓いを成就させるため』と言い、
身を焼こうとしたならば、私は間髪入れずに「お前は馬鹿か?」とドッ突きます。
それは、ひゃっき君が相手でも、乾闥婆さんが相手でも一緒ですけどね。
さて、何が言いたいのかと申しますと、単に「仏教的な面で見た場合の自殺」を譬えに出し
比較し、相手の自殺云々を破折する事は無理だと思われる…という事です。
供養であろうが、手段であろうが、単なる犬死だろうが、何だろうが、如何なる理由を付けようが
「命を粗末にする考えははよくない」と仰った方が早いかと。
命を賭けて…等、覚悟の問題であって、誓いでもなければ誓願でも何でもないのですから。
> 鰯の頭でもいいことになってしまいませんか。
> 私が信仰しているのは日蓮仏法で あり、曼荼羅であり、唱題行です。
日蓮仏法という法の中で、この御本尊に向かい、題目を唱えている限り
鰯の頭と譬えようが、何と仰ろうとも問題ないと思われます。
あえて言わせて頂くならば、教学や知識が中心となり、理屈ばかりを追った信心よりも
何も解らなくとも、素直に御本尊に向かって行ける、素直な信心の方が優れていると思っている位です。
まず第一に、信じる心から始まるのが信仰なのではないでしょうか?
723 :
悠:2005/11/27(日) 01:42:22 ID:???
> 子供だましの宗教ということだってありえるのです。
否定しません。
ただ学会員同士でのレスのやり取りの中で、他宗教を取り上げ「子供だまし」と仰るのは
いささか如何なものかと思われます。
話の流れから読むに、滝山さんが他宗教を踏まえた上で、信仰の話をしているとは到底思えません。
> 蓮祖の教学や天台教学は、インド仏教 からの長い伝播の過程を経て変化していることなど、
> 分かっていることなのですから、そ こから目を逸らすべきではない、それは趣味の問題ではない、と考えています。
敢えて真っ向から否定させて頂きます。
乾闥婆さんは、一体、何のために各仏教の流れの変化を学ぶのでしょうか?
「私が信仰しているのは日蓮仏法であり」と仰っているにも関わらず、教学の変化を追って何の得になるのでしょうか?
乾闥婆さんが、何を根本にし、何を求め、何のために教学の変化を学ぶのか、私には理解できません。
本当に必要不可欠な物である!と、説明できない限り、趣味の範囲を超える事が出来ないと思われます。
また
> インドに始まる仏教史を学んだことで、創価学会の信仰に距離をとった、という経緯もあるわけです
と本気で仰っているのであれば、私はきっと開いた口が塞がらなくなります。
簡潔に理由を述べさせて頂きますと…『日蓮仏法を信仰している』という言葉に矛盾が生じるからです。
大聖人の頃の仏法のままに…と仰るなら、理解もしますが、インドに始まる仏教史を学び…ですか?
乾闥婆さん?何を信じ、何を信仰しているのですか?
とてつもない矛盾を感じるのは私の気のせいでしょうか?
724 :
悠:2005/11/27(日) 01:42:43 ID:???
>>ひゃっき君と、その他のスレ住人の方々
とても長々書かせて頂いた上、言いたい放題言わせて頂きました事、感謝するとともに、
深くお詫び申し上げます。各方々から御返事を頂き、納得しました時点で、立ち去らせて頂きますので、
暫くの間、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
>>滝山さん&乾闥婆さん
今まで遣り取りを見させて頂いており、スッキリしない部分が多々あったため
纏めて一気に書かせて頂きました。
不躾な内容となっておりますが、お暇な時にでもご返事の程、宜しくお願い申し上げます。
滝山=だだをこねる幼児
悠=その幼児を甘やかす母親
>>724 悠さん
お詫びなどととんでもないです。こちらこそ感謝いたします。
良識ある方が増えることでこのスレッドが有意義な対話の場所になることを望みます。
727 :
乾闥婆:2005/11/27(日) 22:52:54 ID:???
>>717 滝山さん。
>などという輩を信用できるわけがないのです。
分かりました。これにて終了いたします。
>「へらへらしているところを突如バッサリ斬られてしまった」
というのが私の偽らざる感覚でした。
そういうことなのでしょうね。私の勘違いは以前の書き込みに見られた滝山さんのお姿に
対する過剰に高い評価にあったのでしょう。その勘違いしてしまった滝山さんのイメージ
から、随分と違っていた今のあなたに、一方的な自分のイメージを押し付けてしまったの
でしょう。不愉快な思いをさせてしまったこと、お詫び申し上げます。
728 :
乾闥婆:2005/11/27(日) 22:54:10 ID:???
>>724 悠さん。この板では、はじめまして。
悠さんが滝山さんとともにチャットで話されていたとき、参加させていただいたような気がします。
>お暇な時にでもご返事の程、宜しくお願い申し上げます。
残念ながら、悠さんの書き込みへ答えることは、滝山さんとの遣り取りの延長になってし
まいます。それは控えたいと思います。
また別の流れでレスを交わすことがあるようでしたら、よろしくお願いいたします。
>>718 >過去において、どの様な心境だったかは別とし、現在もこの心境に変化が無いのでしょうか?
今は当然違いますよ。
現在も変化がなかったら、俺は毎日「やめてくれー!!」
と叫んで跳ね起きてなければなりません。
あのような夢は一度見れば、もう「こりごり」です。
また、「死刑囚」について、色々書きましたが、これも心境というわけではなく、認識としてです。
>後ろに気を取られる事より、前を向いて行く事の方がより大切な事
その通りだと思います。
過去の歴史の仔細に気を取られて足元が留守になるよりも、
現在・未来に向かって確実に歩を進めていく事が大切な事だと思います。
>それらは『その人物の一部分でしかないのだから“全然知らない”に等しい』
>と考えるのも考えないのも、その人の価値観の問題じゃないかと思います。
いえ、その断片が真実正統に一部分であるか否か確認することも、
我々には不可能です。「形あるものは必ず崩れ去る」というのは、ゴータマも日蓮も例外ではありません。
『スッタニパータ』においてゴータマは次のように説きます。
790 (真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想の
うちのどれによっても清らかになるとは説かない。
1078 「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、
伝承の学問によっても、知識によっても聖者とは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、
苦悩なく、望むことなく行う人々、──かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」
俺はこれらの文章について賛同しています。
また我々の信仰とは、日蓮に向かい合うものではなく、
日蓮が向いていたのと同じ方向を向くものであろうと俺は思っています。
日蓮は既に死んでいます。だから日蓮のことは我々も死んだ後に会って、
それから知ればいいのではないでしょうか。
生きている間は生きている人間のことをまずは知るべきであり、
死んだ人のことを知っているとか知るべきというのは順序が違うわけです。
順序を逆に考えるのは生者の「傲り」であり、「愚かさ」というものでしょう。
御書にもあるように「蛇は自ら蛇を識る」です。
今を知り、今を生きるために、過去については「学ぶ」だけで実に十分で、
「知る」必要はありません。
日蓮のことをそれほど、知りたいならば、思いたいならば、
優先したいならば、祈りたいならば、会いたいならば、
我々は生きている人間のことを日蓮と思って知るべきであり、
思うべきであり、優先すべきであり、祈るべきであり、会うべきであると思います。
日蓮が(日蓮でなくとも)現実を重視した人ならば、そう言うのではないでしょうか。
それが仏性を信じるということにも通じ、当如敬仏という姿勢にも通じるであろうと思います。
ゴータマも日蓮も我々にとって本来、甘えるべき存在ではありません。
自己の理想像を彼らに重ね合わせるというのもエゴの為せる業でしょう。
敬うというのはそういうことではないと俺は思っています。
>だって人法一箇である御本尊に向かって唱題させて頂いている限り
>「全然知らない」と断言するのは、ちょっと気がひけますw
「全然知らない」という言葉の捉え方によると思います。
>私の知っている滝山さんは『批判する事も、擁護する事もしない』という
>タイプには思われませんが?w
批判や擁護自体は、自分自身に資することは多分ありません。
しかし、相手にとって結果的に資することがあることは否定していませんから、
場合によってはすることもあるのではないでしょうか。
>現れたならば、その経典で頭をはたいてやります。
>「お前は間違っている」と(まぁ、本仏が釈迦じゃないから、いいけど…)。
阿含経で殴ってやって下さい。殴るといい声出して喜びます。
>『学』は『行』のために使う。
>それが根本だものね?
その通りです。都合よく「はしょる」のは「御書根本」ではないので、
正直者ならば潔く「御書根本ではない」と言うだろうと思います。
身の程知らずの嘘つきほどそういうことを言って他者を批判するものです。
>だけどね、皆仏性があるんだから、解る時が来るかもしれないよね。
仏界が開かれたならば、わかるでしょう。
でもこういうものを書いている時、仏界が開いていることは
決してないため、今後も決して解ると書くことはないでしょう。
>教学は、自分の信仰や、相手を助けるためのサプリメントみたいなもの。
>そんな感覚。
俺もそんな感覚です。戸田先生も教学は「退転を防ぐ薬」と言っています。
>そんな事より、この信心を『信じられるか・否か』の問題の方が大切だと思われる。
>信じて信仰してるなら、認識の個人差等、微塵でもないと思っていたりする。
その通りです。
種は必ず花を咲かせるものですから。
>>727-728 乾闥婆さん
あなたは弘教していないということですか、わかりました。
では話はこれで終了とさせて頂きます。
長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
これまであなたには失礼なことばかり申し、心苦しく思っています。
この場を借り、全ての非礼に対して謝罪いたします、申し訳ございませんでした。
>残念ながら、悠さんの書き込みへ答えることは、滝山さんとの遣り取りの延長に
>なってしまいます。それは控えたいと思います。
あなたとの話は今回をもって全て終了致しました。
私が口出しすることももうありませんし、私に遠慮する必要は
全くありませんので、できたら答えてあげたらどうでしょうか。
>>603 レスが遅くなり、放置プレイで申し訳ないです。
その間いろいろと大変なようですね
生きるということに真正面から対峙しているならば、
鬱にはならんでしょう
生きるということに迷いがあるから鬱となるのでしょ
しかし、学会の信仰ってのは救いようがありませんな
日蓮さんの穴ばかり追い回して、己の生はそっちのけ
一体何が起こってる(いた)のでしょうか...?
いえ、火が消えているなら、そのまま俺も消え去ります(笑)
735 :
悠:2005/11/30(水) 01:44:47 ID:???
>>728 乾闥婆さん
> 悠さんが滝山さんとともにチャットで話されていたとき、参加させていただいたような気がします。
チャットでは何度かお話させていただきました。
当時は大概、波木井さんがご一緒だったと記憶しております。
(波木井さんは、板で見かける限り、相変わらずお元気そうですね。)
> 残念ながら、悠さんの書き込みへ答えることは、滝山さんとの遣り取りの延長になってしまいます。
> それは控えたいと思います。
解りました。
滝山さんとの交換日記を、誤って見てしまった…という事にしておきます。
> また別の流れでレスを交わすことがあるようでしたら、よろしくお願いいたします。
乾闥婆さんが独り言でもする機会がありましたら…という認識にて、心にとめておきます。
それでは失礼致します。
>>733 Sbさん
んなこたーない。
>>734 T.Rさん
お元気そうで何より。
野次馬ご苦労様ですw
でも消火は済んだみたいですよ?w
736 :
悠:2005/11/30(水) 01:45:25 ID:???
>>729-732 滝山さん
大聖人を…釈迦を知っている・知らないについてですが
1つ1つにお返事を返すと、似たような事を書くはめになるので、途中まで1つに纏めさせて頂きます。
まず、滝山さんが如何なる理由を述べ『知らない』と答えたとしても
本来それらを否定するつもりも、肯定するつもりもありませんが、
そう言い切ってしまっては、レスを返す意味も無いので、敢えて書かせて頂きます。
『知らない人』が言い残した自行化他。
信じる心があるから行うんじゃないのかしら?
『知らない人』と同じ方向を向く。
信じてるから、同じ方向を向こうって思えるんじゃないのかしら?
私が何を言いたいのかは、きっと、解ってて書いてるんだろうけど。
意地っ張りだから。
ま、個人的な感覚としては…
何かに対し「ゴータマが説いた」「われわれの信仰とは日蓮と同じ方向を」と言っている時点で
『知らない人』と言い切るのは、心持頼りないな…とは思います。
知らない人と言い切る位ならば、知識をゼロにし、真っ白にならないと厳しくないかな?w とね。
ちなみに『行学たえなば仏法はあるべからず』。
形あるものは何時しか必ず崩れ去るが、残るものは残る。
…と言っても、未来永劫、仏法が消滅する事なく残るかは知るよしも無いが。
737 :
悠:2005/11/30(水) 01:46:05 ID:???
> 『スッタニパータ』においてゴータマは次のように説きます。
> 790 (真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想の
> うちのどれによっても清らかになるとは説かない。
> 1078 「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、
> 伝承の学問によっても、知識によっても聖者とは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、
> 苦悩なく、望むことなく行う人々、──かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」
> 俺はこれらの文章について賛同しています。
釈迦の教えは、詳しくは知らない。
滝山さんが賛同するのは、それはそれでいいと思うよ。
ただ、苦悩なく、望む事なく…っていうのは厳しいなーとは思うけどね。
苦しいから、悩むから、御本尊に向かう私が居るわけだし。
まっ、私は聖者じゃなくて゚+.(o´∀`o)゚+.゚イイ!!
超ウルトラ凡夫な私は難を乗り越える信心で頑張るからw
滝山さんは聖者目指して頑張りなw
> 今を知り、今を生きるために、過去については「学ぶ」だけで実に十分で、
> 「知る」必要はありません。
> 日蓮のことをそれほど、知りたいならば、思いたいならば、
> 優先したいならば、祈りたいならば、会いたいならば、
> 我々は生きている人間のことを日蓮と思って知るべきであり、
> 思うべきであり、優先すべきであり、祈るべきであり、会うべきであると思います。
> 日蓮が(日蓮でなくとも)現実を重視した人ならば、そう言うのではないでしょうか。
> それが仏性を信じるということにも通じ、当如敬仏という姿勢にも通じるであろうと思います。
> ゴータマも日蓮も我々にとって本来、甘えるべき存在ではありません。
> 自己の理想像を彼らに重ね合わせるというのもエゴの為せる業でしょう。
> 敬うというのはそういうことではないと俺は思っています。
同意。
738 :
悠:2005/11/30(水) 01:46:55 ID:???
>> 現れたならば、その経典で頭をはたいてやります。
>> 「お前は間違っている」と(まぁ、本仏が釈迦じゃないから、いいけど…)。
> 阿含経で殴ってやって下さい。殴るといい声出して喜びます。
最近、アヤスィお坊ちゃんが菩提樹で瞑想しているらしい。
巷(インド)ではブッタの再来か?と騒がれているらしいね。
個人的には結構うけたw
>> 『学』は『行』のために使う。
>> それが根本だものね?
> その通りです。都合よく「はしょる」のは「御書根本」ではないので、
> 正直者ならば潔く「御書根本ではない」と言うだろうと思います。
> 身の程知らずの嘘つきほどそういうことを言って他者を批判するものです。
身の程知らずの嘘吐きの称号どうも有り難う。
その言葉、生涯忘れないから、安心して(o´∀`o)b
>>一体何が起こってる(いた)のでしょうか...?
滝山がひゃっきまるの個人情報をばらしたのが発端。
ひゃっきまるに抗議された滝山は平静さを装うため、つい饒舌になってしまったが、
そこで述べたことに関して乾闥婆からいくつか指摘を受けた。
乾闥婆の指摘があまりにも正鵠を得ていたので、滝山が逆切れし、乾闥婆を口汚く罵って去った。
簡単に言うと、こういうことだ。
以前、滝山はゆりというアホをかばって電波男に謝罪したことがあった。
その時は男らしいやつだなと思ったけど、今回はあきれて物もいえん。
滝山の乾闥婆に対するそれは近親憎悪かもしれんな。
滝山、乾闥婆、ひゃっきは実は同じようなところにいる。
しかし滝山は組織側で折伏していて、乾闥婆、ひゃっきは非組織側で折伏を否定している。
滝山は自分の立場が正しいと主張するために、教義面での問題も含めて上記までのような理論展開をして自分を納得させていた。
しかし乾闥婆と議論しているとそれが崩壊しそうになってしまうと、無意識に恐怖したんではないか。
逆切れして”自分自身に対して”ごまかすしかなくなってしまったのだろう。
それに滝山の考えは一般的な学会印とも違う。
それで、悠にもつっこまれてしまった。
滝山は一般の学会員は無知なら無知で信じられるならいいという考えをもっているっぽいので、悠には本気で相手しないだろう。
>>734 T.Rさん
あれまぁ、お久しぶりですw
>>736-738 悠
>知らない人と言い切る位ならば、知識をゼロにし、真っ白にならないと厳しく
ないかな?w
フーッw
だからずっと言ってきているわけじゃん?
「真実」に関する知識はそもそもゼロだよって。
そしてそれは俺だけじゃないでしょうって。
悠が言っているような意味での「知っている」だったら、
俺もそれなら別に「知っている」でいいんじゃないかと思うよ。
「全然知らない」ってのは別の意味で言ってるわけだけどね。
>ただ、苦悩なく、望む事なく…っていうのは厳しいなーとは思うけどね。
フーッw わかってると思うけどw
そっちはオマケでついてきてる箇所だから・・・ねw
>同意。
うむw
>身の程知らずの嘘吐きの称号どうも有り難う。
ありゃ、知らなんだ。
悠は嘘つきだったんかい?w
とかまぁ簡単に答えてみたけど、とりあえずこの問題はこれで一旦切り上げたいと思う。
何かまだ質問があれば個人的にお願いします。
>>739 ん?俺の記憶によると、俺は別にゆりタソを庇ってないんだけどな。
電波に対して誤解に基づいた過激な批判をしたから、それに対して俺は素直に謝罪しただけだ。
あまり書きたくはないが、今回のことについても誤りがある。
正しくは「逆切れ」ではなくて「ヤケクソ」であるからだ。
「前と比べて荒んでる」だけなら「正鵠を得ている」ので素直に受け止めたかもしれない。
しかし、他の部分で誤解に誤解を重ねてしまい、ああいう形になってしまったわけだ。
乾闥婆さんはアンチであり俺はそうではないわけだから、一つの台詞に対しても、
立ち位置、見解の違いによって自ずとそこに込められる意味は異なっていたのだが、
その溝に十分に気がつかずに俺は感情的になっちまったってわけで、切れたのも
罵ったのも事実だが、それはヤケクソになったということであり、「逆切れ」という見方を
本人的には認めることはできない。あと「平静さを装う」というのも違う。
ま、呆れるのは各人の好き好きだけどな、ご勝手にどうぞ。
>>740 野次馬ですか...(笑)
滝山氏には親近感を持ち、ひゃっきまる氏に関しては恩義を感じている
人間として、両者の行き違いがあるなら解消できるように努力しよう、と
考えたことが「野次馬根性」であると定義なさるなら、そうでしょう。
行き違いの解消は済んでいるようだと感じたので、(いた)と書き込んだ訳
ですけれどもね。
なんだか、他人のレスの読み方がずいぶん簡略になってしまわれたように
感じます。
>>741 滝山氏
お久しぶりです。ほぼ2年半ぶりですか(笑)
にもかかわらず、いきなり思いっきりなことを申し上げるのをお許しくださいm(__)m
>それはヤケクソになったということであり、「逆切れ」という見方を
>本人的には認めることはできない。
やけくそになって他人を罵ることも逆切れと表現するのだと思ってましたが、
違うんですか?
過ちを認めるのに、余計な言葉は不要だと思いますよ。なおさら感情的な
対立を深めるだけですから。きっと。
このスレは、いろんな視点から見て良スレであり、そこを挨拶やら対立やらで
埋めるのは、悲しすぎます。
俺のような低レベル君にとっては、このスレは仰ぎ見る存在でした。
ここに俺がこうやって書き込んでいる時点で、大きなスレ汚しだと思ってます。
あなたまで、その仲間入りをなさる必要はないでしょう?
いえ、大きなお世話なんでしょうけど(苦笑)
>>743 訂正m(__)m
いきなり誤爆してもうた...(TT)
きっと滝山氏のせいだ、そうに違いない...(自嘲笑)
>>743でのアンカー、
>>740を、
>>735に訂正してください。
>>740氏、とんでもない誤爆を、心よりお詫び申し上げますm(__)m
滝山が乾闥婆にしたことを世間一般に「逆切れ」という。
お二人の対話の内容は個人的には非常に興味深かったので、終わってしまったようで残念です。
滝山を同志と思うからこそあえて心配して咎める、という乾さんに対し、弘教していない乾さんを
信用することはできない、同志ではない、咎められるいわれはない、という滝山の態度はどうか
と思う。結局すれ違ったまま終わってしまったようで、残念に思う。しかし非礼に対して謝罪して
いるのは潔くてそこだけは偉いと思う。
>>733 Sbさん
お久しぶりです。礼儀云々のことを考えていたら、いぜん僕もSbさんにいろいろと失礼なことを言
ってつっかかっていたことを思い出しました。いまさらですが、申し訳ありませんでした。
>しかし、学会の信仰ってのは救いようがありませんな
>日蓮さんの穴ばかり追い回して、己の生はそっちのけ
それは、乾さんや滝山、悠さん、他全ての信仰者に対して言っているのでしょうか?
そうだとしたら、具体的にどのような意味で「穴ばかり追い回して」いるというのですか?
>>734 >>743 T.Rさん
お久しぶりです。恩義・・・? いったい以前どのようなやりとりがあったんでしょうか・・・。覚えて
いなくてスミマセン。
滝山との行き違いの件は解消されてはいませんが、これ以上話しても無理だろう、と打ち切っ
たということです。しかし心配していただいたこと、本当にありがたく思います。
>>743 T.Rさん
以下横レスになってしまいますが、
>俺のような低レベル君にとっては、このスレは仰ぎ見る存在でした。
>ここに俺がこうやって書き込んでいる時点で、大きなスレ汚しだと思ってます。
>あなたまで、その仲間入りをなさる必要はないでしょう?
T.Rさんにそんなこと言われると、僕の立場がなくなってしまいますヨ。知識の上でも心意気の
上でも、僕は他の常駐者の足元にも及ばないと思います。また、思い上がったことを言ってし
まったり、激昂してトンチンカンな議論をしてしまったことも何度もあります。後でたまたま読み
返したときに顔から火をふく思いをするのですが・・・。
このスレが良スレだ、というのは僕も思っているのですが、それは、真面目に議論がされてい
るから、というのが一番の理由ではなく、アンチだとかそうでないとかいう立場に関係なく、お
互いに一個の人間と人間として認め、尊重しあう空気があるからだと思うのです。
立場が違えば同じ客観的事実に対しても捉え方考え方が違うのは当然のことなので、はじめ
は激しくすれ違ったりするのですが、不思議なもので何度も何度も対話を続けているうち、いつ
のまにかより深いところで同じものを見出すことができたりして、相手に対する信頼が深まって
いくのですね。
例えば、はじめて僕が乾さんと接触したときなども非常に激しく議論して、最終的には結論を
出すことはできなかったように記憶しています。
>>748-749 ひゃっきまる氏
もし、レスの途中なら、割り込み失礼いたしますm(__)m
>滝山との行き違いの件は解消されてはいませんが、これ以上話しても無理だろう、と打ち切っ
>たということです。
俺の言葉足らずを自戒せざるを得ません。
打ち切りをも含めて「解消」と申し上げたつもりです。
>恩義・・・? いったい以前どのようなやりとりがあったんでしょうか・・・。覚えて
>いなくてスミマセン。
日蓮宗@一致派さんとの遣り合いの際、止めに入っていただいたことです(笑)
結局、俺の方から、せっかくの仲裁を蹴っちまいましたがね。あの節は失礼
いたしましたm(__)m
>お互いに一個の人間と人間として認め、尊重しあう空気があるからだと思うのです。
それも含めて、このスレは良スレです。その他にも、様々な視点から良スレ認定
する人は多いでしょうね。
無論、俺とは正反対の立ち位置から眺めれば、糞スレ認定する人もいるでしょうが。
それも、個人の見方なので、頭から否定しないようには心がけますが。
>例えば、はじめて僕が乾さんと接触したときなども非常に激しく議論して、最終的には結論を
>出すことはできなかったように記憶しています。
覚えてます(笑)
あれが、俺がこのスレへの立ち入りを逃げた第2の理由ですから(笑)
ちなみに、第1の理由ってのは、その他のコテハンの皆さんのレベルの高さに唖然と
したことです(笑) 学会員側の論客の方にしても、精緻な論の展開をなさってましたし。
にしても、文底さんと第7の外道さんのお二方には、近寄りたくなかったですねぇ(笑)
後には、あなたと乾闥婆さんがその方々と同じカテゴリーに入りました(笑)
すいません、スレ汚しを長々とm(__)m
> ん?俺の記憶によると、俺は別にゆりタソを庇ってないんだけどな。
確認してみた。
滝山の言う通り、ゆりをかばって電波男に謝罪したんじゃないね。
記憶違いだった。
お詫びします。
でも、今の滝山はちょっとおかしいよ。
乾闥婆への対応は人間としてどうかね?
>>747 ひゃっきまるさん、レスをしようと思っていたのですが、乾さん宛でいっぱいいっぱいになっていたので出来ませんでした
>>具体的にどのような意味で「穴ばかり追い回して」いるというのですか?
日蓮さんと同じ方向を向くとか書いてあるじゃないですか、
でも、それは日蓮さんの方向ではなくて、自分の方向でしかないわけですよね
日蓮仏法は日蓮さんの生き方そのもの、いくら素晴らしかろうと他人が歩けるものではない
日蓮仏法を得んとするならば、日蓮仏法を捨て、己の道を歩むしかない
日蓮本佛など愚論の骨頂でしょう、己に本佛を抱かずの仏などそれこそ只の偶像
御本尊も題目も捨ててこその宝、それに執着し,迷いにも気づかず、与えられたカタルシスに溺れるなど
仏道ではないのですよ
捨てる必要がない、捨てることなど出来ない、そう思い込んでいるだけなのにね
捨てるのが怖い、捨てられない、だけなのにね
ありもしない、はじめから違うもの、なのにね
門前の旗ざおを倒せ!
>>750 T.Rさん
>無論、俺とは正反対の立ち位置から眺めれば、糞スレ認定する人もいるでしょうが。
>それも、個人の見方なので、頭から否定しないようには心がけますが。
含みのある言葉と思いましたので、若干その辺について書き綴ってみたいと思います。
僕は創価学会員とそれに反対する様々な立場の人が、簡単に和解し、友達のような関係になる
ことは矛盾したことと思っています。宗教者にとっての信仰というものは最も大切なものですし、
アンチもアンチの立場をとる重い理由があるからです(中にはそうではない人もいるでしょうが)。
現実の付き合いでは考え方の違い、ということで割り切ることもできるかも知れませんが、その
肝心について真っ向から議論をしようとすれば、どうしても感情抜きにはすまされないと思います。
このスレでは、真面目に議論しようとする人はどなたも礼儀に関しては最大限の注意を払ってきた
と思います。それは、賢く見られたいだとか、議論を有利に進めるためだとかいうためではありません。
この問題が相手の感情を簡単に刺激してしまうような最大級にナイーブな問題であることをよく
心得ているからだと思います。
そして正確な議論をするためには、感情のぶつけ合い、罵り合いが邪魔にしかならないことを
よく理解しているからです。
感情のぶつけあいが必要なこともおそらくあるでしょう。しかし、歴史の変遷や文献など客観的
事実に関する内容を議論する際には、まさにその点について速やかに議論が進行するような
方法を自ずと採択するということになると思います。
ただ最近は教義についての議論自体が行われなくなって久しいので、このスレの存在意義も
怪しくなってきました。僕も自分からふっかけてまで議論したいとは思ってはいませんが、教義
に関して疑問を感じている学会員の方がいれば語りたいとは思います。
T.Rさんもスレ汚しなどと謙遜をおっしゃらずに、議題提供していただければありがたいです。
>>752 Sbさん
>>>具体的にどのような意味で「穴ばかり追い回して」いるというのですか?
>日蓮さんと同じ方向を向くとか書いてあるじゃないですか、
>でも、それは日蓮さんの方向ではなくて、自分の方向でしかないわけですよね
>日蓮仏法は日蓮さんの生き方そのもの、いくら素晴らしかろうと他人が歩けるものではない
>日蓮仏法を得んとするならば、日蓮仏法を捨て、己の道を歩むしかない
>日蓮本佛など愚論の骨頂でしょう、己に本佛を抱かずの仏などそれこそ只の偶像
>御本尊も題目も捨ててこその宝、それに執着し,迷いにも気づかず、与えられたカタルシスに溺れるなど
>仏道ではないのですよ
文脈からすると、Sbさんの言う「日蓮さんの穴」というのは、「日蓮さんの落ち度」という意味ではなく、
「日蓮さんの生き方」という意味なのですか?
あと、Sbさんの日蓮仏法に対しての考え方はおそらく様々な点で誤解があると思いました。僕は反論
しませんが・・・。
>>740 >滝山、乾闥婆、ひゃっきは実は同じようなところにいる。
いや、仏教史を学んでいるという点で共通するだけです。
>逆切れして”自分自身に対して”ごまかすしかなくなってしまった
今回はそもそも、そうした突っ込んだ話にはなっていませんから。
>>743 T.Rさん
>やけくそになって他人を罵ることも逆切れと表現する
T.Rさんは人から侮蔑されて怒りを感じた場合、
それを「逆切れ」と思うわけですか?
>>746 ひゃっき
>滝山の態度はどうかと思う。
姜子さんもひゃっきのことを「心配」して色々と語っていたが
どう感じたか、思い出してみてほしい。
>>751 >乾闥婆への対応は人間としてどうかね?
整理してみたので、まぁ流れを見てみてください。
>>641で俺は「思い上がり」と書いていますが、文脈からしてわかるように、
これは乾闥婆さん個人宛の批判として書いているわけではありません。
だから乾闥婆さんもそのことに対しては特に反応はしていません。
>>653で俺は以下のように書いているが、これが火種でしょう。
>(日蓮が)ホントにゴータマ・ブッダ本人を知ってたら
>あんなことやそんなことは言わないでしょう。
これに対して、乾闥婆さんは
>>660のような反応を示します。
乾闥婆さんにしては珍しく(笑)までつけています、
今思えば、おそらく乾闥婆さんはこの内容自体や「あんなことやそんなこと」
という言い回しに対して、自分の信じるものを侮辱されたと感じたのでしょう。
しかし、俺の書いたことはまったく常識の範囲内のことであろうし、
日蓮がゴータマを知らないということを批判しているわけでもありません。
また、俺が砕けた表現を用いるのは周知の事実でしょう。
だから、俺は
>>660を名指しの侮辱行為であると判断し、
猛烈に不快感を示したというわけであります。
乾闥婆さんは「心配」と称するばかりで
>>660の発言の内容は取り下げず、
むしろ補強し、最後に「謝罪」と称して強調しているのが実態です。
あなたは何か見誤っているのではありませんか?
>>757 例えば女性に対して、
「これまで女性だと思っていたが、女らしさから完全に逸脱してしまうようであれば
やっぱり俺は誤解していたのだな。」
と言った場合、これが侮辱ではないと通ると思われますか?
>>754 すみません、けつです、お尻
日蓮さんの後ろをついていっても日蓮さんの道は歩けないってことです
>>759 まぁ俺はそれに対し、既に
>>710-711でレスをつけている。
また、
>>730でも悠に対してのレスで、関連することをレスしている。
要するに乾闥婆さんの考えというのは・・・
ゴータマが「真のバラモンは〜」と言う、
大乗経典編纂者が「釈尊は〜」と言う、
日蓮が「教主釈尊は〜」と言う、
学会は「大聖人は〜」と言う、
しかし実態はただ名前を借りているだけで、
それぞれ独自の教説が展開されている。
だから信仰とはそういうことなのであり、
「日蓮の真実」を「知っている」のに、そんなことはまるで知らないように、
独自のイメージを形成し、実行していくこと、
それが信仰であり、
だから本来的には「知らない」とぶっちゃけるのは信仰からの逸脱だ、
ということだろう。
>>660で「そんなことは百も承知でやってきたくせに」
というのもそういった流れのものなのではないか。
俺の考えは違う。
ゴータマが「真のバラモンは〜」と言う、
大乗経典編纂者が「釈尊は〜」と言う、
日蓮が「教主釈尊は〜」と言う、
学会は「大聖人は〜」と言う、
しかし実態はただ名前を借りているだけで、
それぞれ独自の教説が展開されている。
だから信仰とはそういうことなのであり、
「日蓮の真実」を「知らない」ことは了解済みながら、
実際の自分の経験による「真実」自体は知っているため、
知っているように語り、イメージを形成し、実行していくこと、
それが信仰であり、
だから本来的には「知らない」とぶっちゃけるのは信仰からの
逸脱でもなんでもなく、基本のことなのである。
ん〜〜うまく表現できているかどうか微妙だが、とりあえずこんな感じ。
>>760 Sbさん
肩並べて隣ですよ。
>>762 同行二人ってかい?
その前にあんた書いてるじゃない、それぞれ独自ってさ
隣に日蓮さんなんか居ないってことだよ
居もしない影、幻想、思い込み
まぁ、いるっちゃーいるでいいとも思うけどね
隣に居るのと居ないのとが同じことになってなきゃだめでしょね
阿弥陀様に生かされている、でどっすか?
764 :
悠:2005/12/02(金) 21:36:39 ID:???
>>741 滝山さん
> 「全然知らない」ってのは別の意味で言ってるわけだけどね。
言葉遊びしているわけじゃないから、これについて返事を書いてもしかたない事なのかも…と最近思う。
>> ただ、苦悩なく、望む事なく…っていうのは厳しいなーとは思うけどね。
> そっちはオマケでついてきてる箇所だから・・・ねw
省いても問題なさそうなので省いたまで。
> 何かまだ質問があれば個人的にお願いします。
ん…直に遣り取りした方が早いからね。
そのうち、週末で暇な日があったら、チャットという形をとりましょう。
取り敢えず、こちらは終了という事で、返事は結構ですd(`・∀・´d)
765 :
悠:2005/12/02(金) 21:37:11 ID:???
>>743 T.Rさん
> 滝山氏には親近感を持ち、ひゃっきまる氏に関しては恩義を感じている
> 人間として、両者の行き違いがあるなら解消できるように努力しよう、と
> 考えたことが「野次馬根性」であると定義なさるなら、そうでしょう。
…T.Rさんの口から親近感と恩義という言葉が出るなんて…(驚)。
解消できるように努力しようだなんて…(驚愕)。
私の中で、T.Rさんは『怒涛のような追撃』が中心の方で、尚且つ粘着であり
雑談の時のみ温厚という、失礼なイメージしかなかったもので…(汗)。
想像もつきませんでした(済みません…)。
というわけで、重ねてお詫び申し上げます<(_ _)>
>なんだか、他人のレスの読み方がずいぶん簡略になってしまわれたように感じます。
私は元々そんなに深読みしたり、思量したりしないですね。
人と接するのと違い、文字の世界は尚の事…それでよく失敗するんですけどねw
以後、気をつけます<(_ _)>
>>752 Sbさん
一言だけ。
何か勘違いなさっているか、解ってらっしゃらないだけなのか…よく解りませんが、
日蓮と同じ方向というのは、きっとSbさんが考えていらっしゃる事柄とは違うと思われます。
>>755 >T.Rさんは人から侮蔑されて怒りを感じた場合、
>それを「逆切れ」と思うわけですか?
>>756も併せて読み、
>>660の乾闥婆さんの発言も読み直しました。
その上で申し上げます。
あなたが
>>660にあるとされる侮蔑の気配など「俺には」読み取れ
ないし、乾闥婆さんにもそのような意図はないのではないか、と。
まず最初に一般論を申し上げますが、侮蔑されたと思い込んで、
感情的に反応することも、「逆切れ」と表現するだろうと思います。
>自分の信じるものを侮辱されたと感じたのでしょう。
申し訳ないが、これも大間違いなのでしょう。
>>660 >そんなことは百も承知でやってきたくせに、ってね(笑)。
あなたが「あんなことやこんなこと」と言っていることは、乾闥婆さんも
百も承知である、としか読み取れません。感情を抜きにすれば。
>>766の続き。
いえ、俺は乾闥婆さんではないので、この読み取りが正解であるか
どうかは知りません。あなたの仰る通り、本人じゃないのだから、
そんなことは「全然知らない」としか言いようがないです。
ただし、文脈をつなぎ合わせて判断している俺や他の名無しさんが
口を揃えて「逆切れ」と言う意味を考えてはいただけませんか?
みんな、乾闥婆さんの発言からは侮蔑を読み取れない訳ですから。
>>758なんぞ、例えにもなりゃしません。
女性であること(DNAに縛られていること)と自分と似ているという
主観とをごっちゃにして話したって、誰にも通じやしませんよ。
繰り返します。もう止めにしましょうや。
やりたかったら、どこぞの死にスレをのっとって、そこでやってください。
これ以上このスレを汚すようなことには、徹頭徹尾、反対いたします。
>>755 >
>>746 ひゃっき
>>滝山の態度はどうかと思う。
>姜子さんもひゃっきのことを「心配」して色々と語っていたが
>どう感じたか、思い出してみてほしい。
もう少し正確に言い直すと、
>弘教していない乾さんを 信用することはできない、同志ではない、咎められるいわれはない
という主張を滝山がすること自体は責めるつもりはないよ。
しかし、乾さんの意図は、
>滝山を同志と思うからこそあえて心配して咎める
というものだったし、少なくとも煽っているようには思えなかった。
姜子さんも、今回の滝山も、礼を守って話そうとする人間に対し、無礼で答えた。
そのことは非難されるべき行為と思う。
続けるなら、ここでもいいんじゃね?
続けても建設的な議論になるかどうかわからないけど。
日蓮に対し「全然知らない人」と発言する学会員の考えを詳しく考察するのは、このスレがふさわしい。
>
>>758なんぞ、例えにもなりゃしません。
禿同!!
性別は生まれる前から決まっているけど、信仰は生まれた後で自分が選択するもんだよな。