日蓮ってver.12

このエントリーをはてなブックマークに追加
952ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2005/03/30(水) 00:07:28 ID:???
日蓮ってver.13
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1112108737/

>皆さん
ここが埋まり次第移動お願いします。
953名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/30(水) 09:24:04 ID:???
>>949
もう一丁。
広辞苑では「絶対」の意味のひとつに「一切他から制限・拘束されないこと」とある。
だから、「絶対」は「条件の下でしか存在できないもの」ではない。

つまり、あなたは「相対」と「絶対」をあべこべの意味で使っているということだ。
バカと書かれた時点で気づけよ。

>もう、名無しにはレス返すのやめようと思う
新スレでも宣言しちゃったんだね。
好きにすれば?
煽られたくなかったら、もう少しまともなことを書け。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/30(水) 14:13:52 ID:???
こんなまったりとしたスレで煽るオマエの方が悪い。空気嫁。
言いたいことあるなら最初にはっきり言え。他が迷惑する。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/30(水) 15:01:03 ID:???
>>954
そうだね。
以後、気をつける。
956名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/30(水) 17:58:42 ID:???
詳しい方にお聞きしたいのですが、
丑寅勤行は、正宗系列だけで行われているのでしょうか?
日蓮自体は丑寅勤行をやっていたのでしょうか?
957ひゃっきまる:2005/03/30(水) 18:55:00 ID:???
新しい話題は新スレで、このスレの話題はこのスレで続けていきましょう。
>>956 とりあえず僕は知りません。すんません。
958名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/31(木) 21:04:57 ID:???
興味深いのは、法然以外の鎌倉新仏教の宗祖は、
結局天台教学に回帰しているという点ですね。
日蓮は当然だが、親鸞、道元も晩年には
法華思想ベースの考え方になっているのはおもしろい。
まあ、もともと比叡山で学んだということもあり、
それも当然なのかもしれないけれど、
法華経には、他の経典にない魅力があるのでしょうね。
959名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/31(木) 21:35:59 ID:???
いずれにせよ、平成の宗教改革は既に手が打たれている。
その、主人公たる現代の丸チンルターはキミかも知れないのだ・・・。
埋めておきましょうか(苦笑)。得意ですので。
 
 事実を書いておきましょう。
  日蓮は病死したことにより、
   題目による功徳として、「病癒し」や「生命力が高まる・・」は、集団幻想です。

    それから、「妙訪蓮華経」は、各種ある翻訳の中でも、誤訳・意訳の多い中国語翻訳です。
     ですから、南無をつけて、タイトルを連呼しても、何の功徳もあるはずはありません。

      日蓮は、悪い人ではなかった、でも、間違えた。仕方のないことです。
       題目を唱えると、何か良いことがある、と信じる人は、
        世界人口比率、約0%です。あたりまえのことです。あまり時間を浪費しないようにね。
飲みながら書くと、文章がメチャクチャですね(苦笑)。。
 書いてあることは事実なのですけれど。。やれやれ。
962名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547/04/01(金) 06:11:08 ID:???
>>958
親鸞、道元が天台教学そのものに回帰してるんですか?
それはそれぞれ自宗で打ち立てた教学などとはどう関っていたんでしょうか。
そのへん知らないから詳しく教えてもらえませんか。スレ違いになるでしょうが…。

でも法華経は作者が一乗たらんと目指して創作されたものだから
たしかにいろいろな要素は詰まってるでしょうね。
963蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :仏暦2547/04/01(金) 15:06:17 ID:C1t2pF2z
ブッダもキノコ(一説には豚肉)料理の中毒が元で死んでいます。
また、瑠璃王のカピラ城攻撃による釈迦族滅亡も防げなかった。
キサーゴータミーの子供を生き返らせることはできなかった。

何ら神秘的なことや、奇跡が起こらないこと、世の中は当たり前
のことが、当たり前に起こることを知るのが仏教じゃないかな。
964蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :仏暦2547/04/01(金) 15:09:29 ID:C1t2pF2z

  ところで何で日付が「仏暦」になってんの。
965名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547/04/01(金) 16:50:32 ID:???
スーカラマッタヴァは、きのこ料理とも豚肉料理とも言われるが、
世界各国の中では、トリュフを採る時のように、豚の嗅覚を利用して
採取していたところもあるから、そのどちらかと推察されている。
フランスの仏教研究家であるフーシェーは後者を唱えている。
しかし、これは私の見解だが、きのこと豚肉を炒めたか何かの料理ではないかと思う。

また、釈尊は生まれつき下痢気味でお腹が元々弱かったらしい。
だからそれが中毒と言えるのかどうか・・・。それを最後に供養した純陀も責められていない。

また、法華経その他大乗経典は釈尊滅後の創作ということだが、
破瑠璃王の釈迦族殲滅事件は法華経(の元になる教え)を説いた直後に起こったとされている。
また、釈尊が後継者として目していた舎利弗、目連も法華経説法後すぐに亡くなったと言われている。

いくら、素晴らしい教えであっても「宿命」は変わらないことを示している。それが仏教。
966蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :仏暦2547/04/02(土) 09:39:02 ID:QdEJpMsq
御本尊の功徳には、「顕益(けんやく)」と「冥益(みょうやく)」の二
つの利益があります。
顕益とは、直面する眼前の苦しみ、悩みが解決するなど、生活の表面にあ
らわれ、はっきりと分かる利益のことです。例えば、信心をして、前向き
に治療に取り組んで病気が治ったといった利益です。
これに対して、冥益とは、若木が年月を経てやがて大樹と育つように、た
ゆみなき信仰実践のなかで、三世にわたる永遠に崩れぬ福運を積んでいく
ことです。何年間か長い目で見た場合には、厳然と変革があり、幸福にな
り、人格的にも成長し輝いていく利益のことです。
大聖人は、「正法を受けるのは簡単だが、たもっていくことは難しい。成
仏はたもち抜いていくことにある」(御書1136ページ、趣意)と仰せです。
大切なことは、祈りを続けることです。祈りを続ければ、祈った分だけ、
功徳に包まれ、幸福の軌道へと自身を導いていくことができるのです。「
持続」にこそ、生命の変革である成仏があるのです。この生命の変革が冥
益の究極なのです。

創価学会公式ホームページ 「 新会員の皆さんへ 」より


967ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :仏暦2547/04/02(土) 11:13:42 ID:???
>>965
諸行無常を宿命といったらそうかもしれませんが、「成仏」という目的を掲げているのですから、
運命論、宿命論は仏教には馴染まない気がします。
法華経の元になった教えってなんでしょ。
968名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547年,2005/04/02(土) 15:40:43 ID:???
仏教思想の根幹とされる思考は、無常、苦、無我、穢土というものである。
それに対して、法華経は全く逆の立場を採る。
すなわち、常、楽、我、浄であり、その象徴として地涌の四菩薩が説かれる。
常 無辺行菩薩
楽 安立行菩薩
我 上行菩薩
浄 浄行菩薩
そして、我常在此娑婆世界と説かれるように、
これまで無常とされ、苦しみの世界とされ、不浄の国土とされた現実世界こそ、
仏の本国であるとしているのである。
すなわち、成仏した衆生もまたその本国は娑婆世界であり、
永遠に現実世界での衆生救済を目指すことになる。
その徹底した現世主義は、法華経の特徴ともいえるものであり、
この思想は、信奉者に現実との対決を余儀なくさせる。
その意味で日蓮や創価学会のように、社会変革を目指す講堂規範は、
法華経の思想に合致したものであろう。
969ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :仏暦2547年,2005/04/02(土) 16:35:37 ID:???
暦の表記はこれでひと段落なのかな。

>>968
 創価学会の方ですか?(「日蓮や創価学会のように」と言っていることから)
 法華経自体には地沸の四菩薩についての説明はありませんよね。
970名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547年,2005/04/02(土) 17:09:28 ID:???
>>968
はい、そうですね。
法華経においては上行菩薩以外は詳しく語られることがない菩薩です。
つまり最初から上行菩薩ひとりでも話の筋としては問題なかったはずです。
逆にいえば、常楽我浄の四徳を示すためだけに、四菩薩が出ているといえます。
天台家では、常楽我浄の四徳を一つずつ四菩薩に配立するとともに、
代表してこの四徳を上行菩薩ひとりに兼ねさせます。
971名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547年,2005/04/02(土) 17:13:17 ID:???
>>967
965です。私も本来そうであると考えてます。
「宿命」は層化に対する皮肉と御受け取り下さい。

また、法華経の元となった教えというより法華経といった方がよかったかもしれません。
とはいえ、述べたように法華経は後世に発展創作されたモノなので。
そのへんは現代仏教学の受け売りでしかないんですが・・・。
972ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :仏暦2547年,2005/04/03(日) 12:53:27 ID:???
>>968さんと>>970さんは同一人物でしょうか?
コテハンをつけていただいたほうがわかりよいのですが。。。
あと、ここはもうすぐ終了になりますので、もしこの話を続けたいという意思があれば、新スレ(ver.13)の方に
書いていただけるとありがたいです。

>>970
 文章からは、法華経の中に、上行菩薩が常楽我浄の四徳を備えていることを示す箇所がある、と読み取れる
のですが、それはどの箇所でしょうか?
 また、>>968の法華経の解釈(仏教の根幹思想に対して法華経はすべて逆の立場をとるという捉え方)は、
スタンダードなものなのでしょうか? それともあなたの所属している組織独特のものなのでしょうか?

973ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :仏暦2547年,2005/04/03(日) 13:01:05 ID:???
>>971
 釈尊が存命時に、法華経も法華経の元になった教えも説いたことはなかったと思っていましたので、
何のことを指しているのかちょっと気になりました。
 何らかの教えを発展創作したできたものというより、釈尊の生涯の神話をモチーフにした経典風の
全く新しい物語というようにとらえるのが妥当と思っています。
974名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547年,2005/04/03(日) 17:18:44 ID:???
>>972
御義口伝に、唐代の天台僧である道暹の書いた法華天台文句輔正記を
引用して、以下のように書かれています。
「疏の九を受けて輔正記の九に云く『経に四導師有りとは今四徳を表す
上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有
る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際
を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして
徳円かなり故に安立行と曰うなり』」

常楽我浄は、大乗仏典に広く見られるかなりスタンダードな考え方ですが、
法華経はそれを現実世界に展開した点が特徴的です。
このことで、九界即仏界の意義が現れてきます。
975ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :仏暦2547年,2005/04/04(月) 01:35:12 ID:???
>>974

 ざっとネットで検索して調べた感じなんで、もし詳しい方がいれば解説していただきたいのですが。

 まず、法華経の中には地湧の四菩薩の特徴について述べている箇所はない(少なくとも常楽我浄の観点から)。
 おそらく、常楽我浄というのは涅槃経からのものではないかと。
 それから、常楽我浄は一般的には、涅槃の境地を顕したものらしい。

 とすると、>>968の説明はちょっと変な気がするんですが・・・。
 無常、苦、無我、穢土である迷いの状態が、涅槃に至ると常楽我浄という境地を得る、ということになれば、
「法華経と法華経以外は逆の立場をとる」と解釈する必要はないのでは?

 それとも、涅槃が現実世界である、というのが法華経の特徴だと言いたいのですかね。

 ちょっとこの辺勘違いしてるかもしれないんですが、「覚る=成仏する=涅槃の境地を得る」
ということだと理解しているのですが、それはどこか遠くの天国みたいなところに行くというわけではなく、その人自身の
変化のことですよね・・・。(この辺は唯識論として発展していくんだと思います)

 仏教ははじめっから、現実世界以外の世界など想定していないように思うんですが。
976Sb ◆SbSGI7AtEA :仏暦2547年,2005/04/04(月) 10:29:35 ID:???
>>975
物の見方が仏教的じゃないから、変なんですよ
法華経は悟を捨てては法華経足りえないんです
逆であるからとして、そのまま逆に捉えるようでは駄目なのです
逆であることが同じであることと悟っていなければ読めない部分を
悟なしで読めば、短絡的な変革に行き着くだけ

涅槃の境地とはすなわち当たり前に生きていくということでもあるのではないでしょうか
涅槃に達してなどいませんのでわかりませんけどね
977名無しさん@お腹いっぱい。:仏暦2547年,2005/04/04(月) 17:37:47 ID:???
>>974

>常楽我浄は、大乗仏典に広く見られるかなりスタンダードな考え方
涅槃経以外にはないと思うのだが、もしあるならそれ以外の出典を教えてくれますか。


涅槃経の前を著けては後に著け、後を著けては前に著け…
978ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :仏暦2547年,2005/04/04(月) 22:31:00 ID:???
>>976 Sbさん

 自分の言いたいこと言うのに夢中になって話の流れアサッテなのってカコワルイ。
979蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/04/05(火) 09:49:12 ID:zaDhG5tX
ブッダの教えていることは、物事に執着することがすべての迷いの基で
あるといっているのでは無いかな。
 物事に執着する事により、我執が生じる。それが迷いや、苦しみや、争
いを作り出す。
 なぜ物事に執着するかというと、ある物事に対して識別作用や、判別作
用を行うからなんだよな。
 ある事柄に対して、良いとか悪いとか、正しいとかいけないとか、長いと
か短いとか、大きいとか小さいとか、美しいとか醜いとか、色々な判断を通
して見ている。
 そのような判断をやめて、ただあるだけ、ただ見えるだけ、ただ聞こえるだ
け、ただ・・・なだけに自分を持っていけるようにすることをブッダは言いた
かったのではないか。

 今お花見の時季ですが、「桜は美しい」と言う前に、あるモノに対して、これ
は「桜」と自分は考えている。そしてそれを「美しい」と感じているという心の
流れに気がつくがどうか、それがブッダのいう「智慧」じゃないかな。

 スッタニパータやダンマパタ゜を読むと、「よく気をつける」と言う言葉が幾
度も出てくるが、このことを指していると思っている。

 日蓮についていうと、日蓮の教義はそれこそ「識別作用」「判別作用」の山に
よって、(佐渡からあとは少し変わってきたけど)出来ている。それが後に色々
な問題や、争いを起こす元になったのではないか。
980名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/05(火) 11:00:25 ID:RWe2SEAF
981Sb ◆SbSGI7AtEA :2005/04/05(火) 13:29:16 ID:UsV0fiEn
>>978
ひゃっきまるさんも変だと思ったんでしょ?
私も変だと思ったんだよね
で、その変を私の解釈でといてみたんです
ひゃっきまるさんの意見を変といっているわけではありませんよ
982ひゃっきまる:2005/04/06(水) 00:07:47 ID:???
>>981 Sbさん
 ささいなことでこだわるなあと思われるかもしれませんが・・・。
 そうだとしてもSbさんの返し方はおかしいですよ。
 僕が変だと思った理由は、Sbさんが変だと思った理由と全く違う次元の話なんですから。
 そういう、話の流れを無視して、他人の発言を呼び水にして、自分の主張を「俺はね・俺はね」みたいに
出してくるところが「カコワルイ」と言ったのです。

 どっちにしても、この学会員らしい人はもう返事しないでしょうね。
 最近このパターン多いですね。
 やっぱり今までだいぶ議論してきてますから、警戒されてるんですかね。
983ひゃっきまる:2005/04/06(水) 00:08:37 ID:???
 ところで、僕は「超越する」ってことに関して「うさん臭い」気持ちを持ってます。
 Sbさんやお邪魔しますさんのように、「仏教の考え方はね」みたいに説いてくる人って、
「通常の思惟を超えたものがあるんだよ」って悦にいってる感じがするんです。
 あるいは、自分を蚊帳の外に置いて、他の人は愚かだな、なんて見下してる感じもします。

 「超越する」というのに似たものに、「統一する」なんてのもあります。
 世の中の現象の全てを説明できる統一した原理を見いだした、なんて感じに使うんですが。
 中国の教判は典型です。

 「超越する」「統一する」そんな思想を掲げたものってたくさんありますが、結局どれも、
多種多様な思想のたった一つのジャンルに過ぎなかったりします。

 「超越する」「統一する」という傾向の考え方には、自分の奉じている思想が特別なもので、
他が劣っている、とみなす気持ちの先触れを感じるのです。
984旅人 ◆WgjRGkClI. :2005/04/06(水) 01:31:17 ID:???
>>983
むしろ創価学会にそれを感じるが
985ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2005/04/06(水) 01:45:06 ID:???
>>984
そーですよ。
僕はそういう人間の「嫌らしさ」を創価学会から学んだんです。
だからそういう匂いのする人間に過敏なのかも。
986旅人 ◆WgjRGkClI. :2005/04/06(水) 02:06:22 ID:???
軽くROMった範囲では、このスレの誰も「通常の思惟を超えたものがあるんだよ」
とは主張してないように思われます。
熱心な層化信者によく見受けられる「日蓮による予言・超能力の類」を、
まず戒められるのが宜しいかと存じます。
987名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 02:35:32 ID:???
>「超越する」「統一する」そんな思想を掲げたものってたくさんありますが、結局どれも、
>多種多様な思想のたった一つのジャンルに過ぎなかったりします。

(爆笑)。それでいいんだよ。日蓮がそこらを歩いていたら、彼に言っとけ。彼に。
988名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 02:46:15 ID:???
ひゃっきまるはさっさと学会辞めろよ。
989蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/04/06(水) 03:31:15 ID:udsebpll
創価学会って、相手が自分の思うようにならない場合は、徹底
的に議論しないで人格攻撃してくるね。
 相手がどんなにくだらない人間かを書いて、その人の主張を価
値の無いように思わせる手を使うよ。
 このことは聖教新聞で、日顕氏をなんて呼んでいるか、見れば
分かる。
990蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/04/06(水) 04:04:00 ID:udsebpll
 「人によっては簡単なことが、他の人にとっては至難のわざとな
る。至難と思う圧倒的多数の人が、「埒もないあこがれ」(わたく
しは、このことを徹底的に強調したい)を抱き、その「至難」の境
地を極端に理想化する。これが合理的な智慧抜きの苦行主義、禅定
主義(大乗仏教、とりわけ密教に顕著)を生み出す、おそらく最大
の原因である。」
   宮元啓一「仏教誕生」(ちくま新書)P155

初期教典のスッタニパータなどを読むと、何年も何年もかかって
研究しなければ理解できないようなことは言っていない。そのよう
な教えだと仏教によって救われるのは、ごく一部の人に限られてし
まう。それに対して元々の教えは、釈尊に対して質問すると、すぐ
納得できるような答えが返ってくるようなシンプルなモノだったは
ずです。「来れ見よ」と言える教えです。
991名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 08:23:22 ID:???
>>986
>軽くROMった範囲では、このスレの誰も「通常の思惟を超えたものがあるんだよ」
>とは主張してないように思われます。
Sbさんとお邪魔しますさんは実際にそう主張していますよ。
Sbさんは自分が悟っているとも発言しています。
992旅人 ◆WgjRGkClI. :2005/04/06(水) 08:28:01 ID:???
>>991
ソース
993名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 09:20:57 ID:???
>>992

「学会の教えはブッタとは関係なさそうだ その3」
550 名前:お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 投稿日:04/04/20 09:44 ID:wribNc48
言葉に依存しない思考方法って、みんな普通にやっていることなんだけどな〜。
私はそれに気が付いて、意識しているだけだよ。Sbさんに聞いてみれば。言葉では理論が破綻している話や、ぶっ飛んでいる話を一杯持っているから。

585 名前:Sb ◆SbSGI7AtEA 投稿日:04/04/22 02:53 ID:2CAHFiG/
>>568 つづき
>>言葉で語る仏教を軽蔑し、見下す。そして自分たちだけが真の悟りを知っているとのたまう。
言葉だけで語れば片手落ち、言葉で語れないものもあっての仏教
言葉で語れないものを軽蔑しているのでは?


「折伏経典は正しいのか?」
433 名前:Sb ◆SbSGI7AtEA 投稿日:04/07/15 16:18 ID:+kIbiuUK
>>430
大悟は一回だね、小悟は数回、だからなに
聞いてどうするの?
それであんたが悟れるの?
あんたは悟ろうと思うの?
馬鹿になどしてないし、
本質もそらしていない、
だいたい、あなたに本質が見えているの?
994旅人 ◆WgjRGkClI. :2005/04/06(水) 10:02:15 ID:???
>>993
「通常の思惟を超えたもの=言葉で語れないもの」と一概には言えないと思うね。
確かに、通常の思惟は言葉で語るものだと言えるので、その範囲に於いては一致する。
しかし、その範囲を超えた部分については必ずしも一致するとは限らないのではないかな。
表現力というフィルターを通さずに思惟思索する、ということは日常生活でも十分に在り得るよ。
曼荼羅や仏像、数字や論理記号、絵画や音楽等は言葉だけで語るものではないし
層化風に言えば、いわゆる功徳の「体験」を言葉だけでは表現できないだろう?

Sbさんについては>>976を参照すれば解る通り、
自分が悟っているとは一言も言っていないので
>>991の発言は客観的に見て間違いである、と判断します。
995名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 10:24:52 ID:???
>>994

494 名前:お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 投稿日:04/04/17 04:00 ID:93ow6blQ
乾さん分かっているじゃない。
>まるで「我々の分別の働きに依っている」言語など役に立たないとでも言っているように聞こえ
ますがね。お邪魔しますさんは。

言っているように聞こえるのじゃなくて、そう言っているよ。仏教を理解するのに一番の障害が、
個々の分別による言葉なんだよ
996旅人 ◆WgjRGkClI. :2005/04/06(水) 10:33:22 ID:???
>>995しつこい人

だからこそ、言葉のみに囚われないことが大切だね。
997名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 10:35:37 ID:???
>>994
Sbさんは「 大悟は一回だね、小悟は数回」と発言してる。
自分の主張にとって都合の悪いソースは無視するの?
998旅人 ◆WgjRGkClI. :2005/04/06(水) 10:50:42 ID:???
>>997
件の発言は一般論にあたるものかと思ったが違うのかね
続きの議論は次スレで本人に聞いてくださいな




999名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 10:52:35 ID:???
1000
1000名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 10:53:19 ID:???
1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。