1 :
池田大作:
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P314
「富士大石寺の大御本尊を拝まない者はすべて謗法である。」
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/19 10:31 ID:yjJaSedf
1 日蓮正宗の正しい本尊について教えてください
日蓮正宗の正しい本尊は、「日蓮正宗宗規」第三条に
「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止の本尊とする」
と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。
この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』に
「此の法門申しはじめて今 に二十七年、弘安二年なり。仏は四十余年(中略)余は二十七年なり」(新編1396頁)
と仰せのように、御本仏の出世の本懐として顕わされました。
日興上人の『日興跡条条事』に
「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御 本尊は日目に之れを相伝す」(聖典 519頁)
と仰せのように、この大御本尊は、 日興上人、日目上人と唯授一人血脈付法の御歴代上人によって相伝されています。
日寛上人は
「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の 本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」(富要4−221頁)
と説かれ、弘安二 年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊は、宗旨の根本となる本尊であると教 示されています。
代々の御法主上人は、その相伝の権能のうえに本門戒壇の大御本尊の御内証を書 写され、本宗僧俗に下付されるのです。
2 日蓮大聖人はなぜ御本尊を顕わされたのですか
日蓮大聖人は、末法のすべての民衆を救済するために御本尊を顕わされました。『観心本尊抄』に
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」(新編662頁)
と仰せです。
日蓮大聖人は、末法の時代に出現され、御本仏としての化導のうえから、末法適時の大法を弘められ、全世界の民衆に即身成仏の大利益を得せしめんがために、「本門戒壇の大御本尊」を顕わされました。
日寛上人は、『文底秘沈抄』に
「本尊とは所縁の境なり」(聖典833頁)
と 示され、妙楽大師の「正境に縁すれば功徳猶お多し、若し正境に非ざれば縦い偽妄無けれども亦種と成らず」の文を引用して、正境すなわち正しい本尊によってのみ、一切衆生は成仏できると指南されています。
『報恩抄』に
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもな がるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(新編1036頁)
と仰せのように、御本仏日蓮大聖人の広大な慈悲が御本尊として顕わされ、一切衆生の成仏道が開かれたのです。
3 「人法一箇(にんぽういっか)」とはどういうことですか
「人法一箇」とは、日蓮大聖人の顕わされた大御本尊は、人・法の名称は異っても、その体は同じであるということです。
「人」とは、人の本尊たる御本仏日蓮大聖人のことであり、「法」とは、法の本尊たる事の一念三千、南無妙法蓮華経の御本尊です。
日寛上人は『文底秘沈抄』において、三大秘法の「本門の本尊」を、人・法の二つに開かれ、人本尊は
「久遠元初の自受用報身の再誕、末法下種の主師親、本因妙の教主、大慈大悲の南無日蓮大聖人」(聖典 838頁)
であり、法本尊は
「事の一念三千無作本有南無妙法蓮華経の御本尊」(聖典834頁)
であると指南されています。
この人・法の本尊は、
「人即是れ法、自受用身即一念三千なり、法即是れ人、一 念三千即自受用身なり」(聖典843頁)
と指南されているように、人法一体の御本尊なのです。
『御義口伝』にも
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(新編1773頁)
と仰せられ、この御本尊が大聖人の当体そのものであると教示されています。
したがって大聖人を離れて南無妙法蓮華経はなく、南無妙法蓮華経を離れて御本仏日蓮大聖人はないのです。
4 「本門戒壇の大御本尊」とはどういうことですか
“本門の戒壇に御安置すべき御本尊”という意味です。
宗祖日蓮大聖人が、弘安二年十月十二日に御図顕された出世の本懐たる大御本尊 には「本門戒壇」との脇書きがしたためられています。
この「戒壇」について、日寛上人は『文底秘沈抄』に、「事」と「義」との戒壇 があるとし、
「義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処」(聖典849頁)
「事の戒壇とは一閻浮提の人、懺悔滅罪の処なり云云」(同頁)
と指南されています。
すなわち、「義の戒壇」とは各家庭も含めた本門の本尊安置の所で、その義理が事の戒壇に相当するということです。そして、その根本となる「事の戒壇」とは、
宗祖日蓮大聖人が、
「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」(新編1675頁)
と 仰せの、御遺命の本門寺の戒壇堂です。この「事の戒壇」に御安置申し上げる大御本尊でありますから、弘安二年十月十二日に御図顕の御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と申し上げるのです。
人法一箇、獨一本門戒壇の大御本尊は、本門の戒壇たる大石寺本堂の破壊という愚かなる行為
により、我らの目の届かないところに隠された
念願たる三大秘寶が揃ったのを愚かにも崩した、これを超える佛罰はない