1 :
sage:
創・宗戦争の泥沼が生み出した鬼子的制度にして
一般人が最も「創価の奇異さ」を身近に感じる瞬間でもある
『友人葬』
葬儀ビジネスと化した既存仏教へのアンチテーゼか?
それとも創価の新たな集金システムか?
友人葬にまつわるあんなはなし、こんなはなし、私の友人葬体験
友人葬のHow toまで、語ってみましょうはっけよい!
まずは「友人葬ってなあに?」つう話から・・・
字面だけをみると「友人主体でやる葬式」てなふうに見えるが、
創価の友人葬とは
「学会員の死に際してその葬儀一切を周囲の学会員でとりしきり
宗門の僧侶や典礼に依らずに、学会が制定した独自の儀典によって
行う創価特有の葬儀法」
まあこういうものだ。
2ゲット
4 :
母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/04/02 01:15 ID:Y4FA2vZo
友人葬で見送ると、題目のせいで故人の顔が変わり(必ず成仏の相になる)、
肌が白くなると言われています、現実には葬儀屋さんの技術と化粧の賜物
だと思います、まさかそうも言えないので自分は黙っています。
しかしけっこう本気で信じてる人が多く、20〜30代の若い世代でもその認識
が定着しています。
では「何で創価は友人葬をするの?」という問題についての言及を・・・
簡単に言うと「宗門が葬式をしてくれないから」だ。
日蓮系仏教教団の教義骨子に「不受不施」という考え方がある、これは
「日蓮の教えに帰依していない者からの施しは受けない、逆に施しもしない」
というもので、これを葬儀に当てはめると
「日蓮系寺院で日蓮の教えに帰依していない者の葬式はしない=不施
信者は日蓮系の寺院以外で葬式をしてもらわない(しない)=不受」
こうなるわけだ。
かっては「日蓮正宗創価学会」というダブルネームで呼ばれていたように
「創価学会の会員 = 日蓮正宗の信徒」だったが、ご存じの通り学会と宗門
は決裂状態にあるので、現在では宗門からみると学会も「不受不施」の対象になる。
つまり学会員の葬式に正宗の僧侶が回向に行くことも、正宗の経営する墓園に埋葬
することもできない。というのが現状だ。
かといって学会員の葬儀を浄土宗の典礼やメソジスト会の葬礼でやるわけにもいかず
創価は「自前の葬儀システム」を構築する必要に迫られた。
こうして生まれたのが「創価の友人葬」だ。
次に「創価の友人葬ってどうやるの?」つうお話を・・・
現在創価には「儀典部」という組織があり、ここが友人葬の式次第を制定している。
基本的には故人の住む地域の信者組織(所謂『地区』『ブロック』とかいうやつだ)
の中から一人信者を選び『導師(導士と書く場合もある)』という役目に据える、この
導師が僧侶の代行をし、該当する葬儀の「宗教儀式としての要素」一切を取り仕切る。
で、実際の式次第だが、これは正宗のやっていた葬儀のものを
簡略化して流用しているのが現状、でこの簡略化は年を追うごと
に進んでいっており、現在では信者が日々やってる読経
(例の五座三座の勤行・唱題)と同じレベルまで平易化されている。
これは「友人」という建前を逆手にとって「葬式仏教へのアンチテーゼ」
だと喧伝した過去との矛盾を埋めるため、何が何でも非出家者主体の葬儀を
押し進める必要があり、慣れていない「導師」役の信者の負担を減らすため
の必然的措置だと言っていい。
一時期は「儀典部」の専従職員化も検討されたが、それはとりもなおさず
創価学会が「創価宗」に転じることを意味する。今なお宗門との和解の
道を探る学会にとってはそれは「最後のパイプ」を自ら断ち切ることになる
ので、事実上の棚上げになっている。
>>8 >創価学会が「創価宗」に転じることを意味する。
学会は「日蓮世界宗」という名称を多岐の品目で商標登録している
ところで「友人葬」以降の副産物として、宗教儀式としての葬儀を
学会が自前で行うことに伴う「墓園事業の積極推進」にも注目されたし。
熱心な会員であればあるほど「お墓」の問題は悩みのタネだったし、
第二次創宗戦争の引き金の一つが「墓園にかかわるあれこれ」だったから
墓地付設の正宗寺院が極端に少ないのは、江戸時代の寺請制度施行に伴い
厳密な「不受不施」を固守した寺院が檀家を持たなかったり、信者が地下信仰
に転じた、などの歴史的経緯があり、墓を建てることを憚ったからだ。
正宗はそれらを「理不尽な迫害の歴史」とか「法難」と位置づけて信者不抜化
の教材として長らく使用していたので、ある種「墓がない=形骸化仏教へのアンチテーゼ」
として喧伝していた側面もあり、ここへ来て急に「やっぱり墓やります!」という
方針転換は難しいものがあった。
一方宗門との決裂以降、かなりの自由裁量権を手に入れた学会は、この点
に注力し、一気に墓園建設を押し進めている。
では「友人葬のどこがヘンなの?」という問題について・・・
まず一番大きいのは「一般人から見ると貧相に見える」というのが大きい。
これは友人葬が始まったころによく言われた「創価が香典をかっさらていく」
というはなしをうち消すため、儀典部がことさら「式を簡素に、簡素に」と
誘導したことに伴う弊害だ。
式が簡素なら高い香典を払う必要はない→香典の額は必然的に下がる
→安い香典なら「どう使われようが気にもとめない」→創価の香典かっさらいの噂も消える
当初儀典部はこう考えたらしい。
勿論「葬式の香典出費が痛い」と考える庶民感情にアピールして世間に好印象を
持ってもらおうという配慮、それと宗門との差別化、という思惑もあった。
だがこれらは現在のところ「空回り」していると言って差し支えない。
なぜなら葬式は結婚式と並ぶ「人生の二大見栄張りステージ」であり、
それを悪習だと思っていても「世間の目」があるからやめられないのは
厳然たる事実だからである。
では問題の核心「創価の香典かっさらい」について
これははっきり言って「半分ホント・半分ウソ」というのが真実だ。
コトの発端は「友人葬」開始当初、ともかくこれを「アンチ宗門の目玉」にしようと
アピールしまくるように指示がでたため、事情を知らない一般人も出席する葬儀の現場
で、導師役が必要以上に「自分は僧侶ではない」と強調したので、非会員の出席者が
「僧侶のいない葬式に香典払う必要ないでしょ?」
という、いかにも葬式仏教前提のまっとうな宗教観による疑問を抱き、そこから
「じゃぁさ、あたしらが払った香典、どうなるのかしら?」
「あの『導師』とかいう変なおじさんが持っていくのかしら?」
「え〜っ、そんなのやだぁ!あたし3万も払ったのよ!」
こういう会話の蓄積が
「導師、とかいう僧侶でも何でもない変なおじさんが香典を持っていく」
という形に転化し、フォークロアとして定着したのが大きい。
これもまた社会常識として流通しているのだが
香典 = 葬儀費用の分担 = お坊さんへのお布施
という観念が多くの人にあれ、そこへいきなり「僧侶じゃない」ことを
ことさら強調する導師のおっさんが現れて葬式一切を取り仕切れば、庶民感情として
「あやしい香典泥棒じゃねぇの?」
と勘ぐられるのはある意味自明の理だが、冠婚葬祭という「一般社会との接点」を人質に
取られていた学会は焦りまくっていたので、この手のトラブル発生を予見できなかった。
それと学会側の対応で不味かったのは、この「導師」役にもっぱら
「学会活動 命」で宗教意識の薄い一般人の心情風景を理解できない
「ド創価おやじ」を充ててしまったことだ。
で、この「ド創価おやじ」があちこちの葬式で
『今回皆様から賜りました香典寸志の数々は、広布のために使わせて頂きます』
これを何の迷いもなくブチかまし、本当に財務や広布基金につっこんだ
のが「香典かっさらい」説に拍車をかける結果となった。
これの最もタチが悪いところは、当の「ド創価おやじ」たる導師が
「自分は広布のため、池田先生のために正しいことをしている!!!」
と、頭っから信じ込んでいる点だ。
参列者は「葬儀費用の分担」だとホンネの部分で思って出すし、その裏には
「ある種の遺族への生活援助、相互扶助」だという伝統的考えがあったのだが
それに配慮せず「広布のため」とかほざけば
「池田某のやってる新興宗教の寄付金にされる」と解釈されてもしょうがない。
で、友人葬を巡る直近の問題は「創価の葬儀社」だろう。
以外に知られていないことだが「葬・宗分離の原則」というのがある
これは「葬儀社が宗教法人格を持ってはいけない」という行政判断だ。
実は我が国では公衆衛生上の観点から火葬とが義務づけられているが、この
火葬場の窓口になるのは事実上葬儀社だけで、寺や教会は直接タッチできない。
なぜかというと「衛生上の問題で義務づけられている火葬」の窓口を
宗教法人にやらせると、逆に
「当教団に入信しないかぎり火葬をしない」
「法律で義務づけられている火葬をしてほしければ 当教団に入信せよ」
こういった「葬式をたてにとった信仰強要」が可能になってしまうからだ。
てなわけで、いかに「友人葬」といえども葬儀屋の仲立ちなくして
成り立つものではない、学会の儀典部は「香典かっさらい」の
批判をかわすために、逆に「香典不要」ということまで打ち出しており、
とにかく「簡素な葬式」を指示するが、この指示が学会とは何の関わりも
ない葬儀社を拘束するものではいので、営利でやってる葬儀社の費用が「
学会向けだけに廉価となる」こともない。このため「香典かっさらい」
以降の友人葬は「逆ざや」になることが多く、信者にとっては大きな負担に
なっている。
この負担軽減のためにも、学会は自前の葬儀会社を持たねばならないのだが
それは「葬・宗分離の原則」と反するので、いまのところ(表向きは)実現はしていない。
例外的に葬儀業を営んでいるひとが「たまたま信者だった」ということにして
やっている場合があるが、これは特段葬儀費用が安いわけでも何でもない。
83へぇ〜
メチャクチャ オモロイ
うーむ、香典かっさらいのうわさは正宗と別れる前からあるよな。
当時婆さんの葬儀ではそういった噂が嘘であることを証明するのに
(勿論、その葬儀に限ってしか証明できないにしても)躍起だったが。
今でも学会が宗門と和解する道を模索してるって本当なんですか?
会則に会長が本尊やら宗教儀式を司るって書いた時点で終わってる
と思うのだが。
すげえ、勉強になった。
ところで、友人葬に他宗者が列席してもよいの?
その他宗者の列席者が僧侶だったら?
また、創価でない人が参列して、折伏されることはないのでしょうか?
疑問はつきません
俺の親父の13回忌に「ど創価おやじ」が来て、取り仕切っていた。
親戚も遠くからわざわざ来てるのに、普通のスーツ姿の値打ちのないおっさんが
題目をあげて、とりあえず式典みたいなものをしていた。
一族は母親だけがガチ創価なので、母親が男子部の部長に依頼したんだと思う。
親戚や近所にも格好悪いので、友人葬や友人回忌はやめてもらいたい。
って言うか、創価はなくなって欲しいと真剣に思ってる。
実際に葬儀屋に勤務している者ですが、参考になりました。
ところで、友人葬の場合生花は基本的にシキミを利用しますが、普通の生花を使うことは
問題ないのでしょうか?もっとも儀典部長(導師)の意向にもよるのでしょうけど。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 16:16 ID:ZltJXZJ9
墓石ってのも葬儀屋しか
売ってはいけないのか?
創価の墓石ってどんなのよ
ハキリんトコも同じやり方?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 16:36 ID:8d4hLM0z
うーん 参考になりました。友人葬ってのに。何か非葬禍の人間からみると友人葬
って送られる方にしたらたまらんなーって感じがしますね。家族で生きてる人間が葬禍で
亡くなった人が非葬禍だったら友人葬になるんでしょうな。。。。勘弁してくれって感じ
方便品と寿量品、唱題が日蓮宗の2倍速であげられる
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 16:53 ID:/b+o4/KT
赤い彗星のシャーみたいに3倍速ですかw 3倍の速さで行き着くところは?
どこですか?
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 17:46 ID:BLspiM8C
友人葬で送られた人は第三文明に行くのですか?
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 19:28 ID:f8dt/lPj
>>20が嘘つきだ、と非難する気は毛頭無いが・・・
「香典かっさらいのうわさは正宗と別れる前からあるよ」
この「前からあるよ」というフレーズまで含めてフォークロア。
聖教ウオッチャーなら資料を持っているだろうが、「友人葬」以降聖教には
これを自画自賛する記事がしばしば載るが、このとき必ず書いてあるフレーズが
「学会が香典を遺族へ渡さず横取りする!という
昭和45年ごろの『使い古しのデマを』宗門が
繰り返し喧伝している」
というものだ。ところがその昭和45年の聖教バックナンバーを漁っても
「学会の香典かっさらい」に関する反論記事は皆無。
これは「昭和45年ごろの使い古しのデマ」というのがもともと存在しないから。
ではなぜ昭和45年なのか?
それは45年が第一次創宗戦争の発端となった本尊模刻事件のあった年だから
「学会の香典かっさらいは『宗門主導のデマ』だ」と強調したい高等戦術。
香典かっさらいのクローズアップは最近のはなし。
友人葬がらみの話としては、昭和40年代に藤原弘達や小室直樹らが
「お墓のないヘンなお寺と軍旗を持った宗教団体」
こういうフレーズで反学会キャンペーンを張ったことがあった。実際墓地を
持たない正宗寺院のほうが多かったので、無宗教日本人の宗教観からは?に
見える「墓なし寺院」をクローズアップし
「お墓もないのにどうしてそんなに葬式費用がかかるの?」
「お墓に入れない変な宗教?そんなのに香典はらいたくないわ」
こんな文脈て攻撃材料にした。
香典かっさらいは昔から、と主張する人の大半はこのころの
「お墓はどうするの?」
「うちは学会だからお墓は持たないんです」
このようなやりとりが記憶の底にあるのかもしれない。
ちなみに藤原も小室もマルクス経済学系の無神論者で「宗教はアヘン」という
マルクスのフレーズを好んで用いた。
そんな当時の彼らにとって『仏教は「葬式代行ユニオン」に止まっているべき』つう考えは
当然だったろう。
仏具製造業にとって「正宗モノ」とよばれた創価向け仏壇が最大のドル箱だったように
葬儀業者にとっても「正宗葬・正宗式」と呼ばれた創価向けの葬儀は、利幅の大きい仕事だった。
長くやってた人は創宗戦争以前の「マルエス葬」のうまみを覚えている筈だ。
その理由は
・既成仏教=葬式仏教という批判展開をしている手前、正宗は謝礼が安い。
(何かと評判の悪い「戒名代」を意識してか戒名をつけないという場合も
漏れの先輩は「無償で葬儀をした僧侶も珍しくなった」と語っていた)
・僧侶に払うカネが安い分費用が余るので、葬儀屋は口八丁手八丁で高取りすることができた。
友人葬以降学会員の葬式は儲けが少ないので、正直「やりたくない」と思っている業者が大半。
他の学会関連行事同様、いずれ富士白蓮社の独占事業になるかと思っていたが、何故か聖教に広告を出さなくなった。
まぁ・・・しかし白蓮社はメチャ安なのは確かだな
高いのは幹部が経営している○○典礼だよな
最近の友人葬は他の業者が所有している会場を借りて行うしなぁ〜
業者も回転率上げるのに大変なんだろうけど
富士白蓮社は一見すると「創価専門の葬儀会社」として機能しているように見えるが
実際はまだまだ力及ばず、というのがホンネだろう。まず第一に「地域密着産業」
である葬儀業でチェーン店展開のような真似をするとまず採算が合わないこと。
第二に葬儀業はあたかも「タクシーの乗車拒否」のような
「当社は創価専門、お宅は○○宗ですから葬儀をお受けできません」
こういう「死人のえり好み」のような対応はできないのだ(行政指導で戒められている)
葬儀社には許認可事業の側面があり、そんなことをしたら速攻認可取り消しになる。
なぜなら神道だろうが仏教だろうがキリスト教だろうがイスラム教だろうがお構いなしに
人の死はその人の信仰の種類を問わず万人等しく訪れるものゆえ、「○○宗だけ」的な
対応をされると無宗教な人はみんな葬儀ができずに死体の処理が滞ってしまい、衛生面から
大変好ましくない状況に陥る。おまけに葬儀とバーターの信仰強要もまかり通ることになる。
実際漏れんとこの周りで友人葬専門にやってるS企画も、実は友人葬よりも某市の市民葬の方が
ドル箱的な業務だと聞いた事がある。
ところで「友人葬」を巡る環境でトピックになりそうなのは
『創価の息のかかった葬儀社(表向きは別組織なので婉曲な表現にする)』には
ふつうの葬儀社が持っているような「セレモニーホール」がないこと、つまり
「葬儀を行う葬祭殿がない」という問題だ。
この件で将来現実味を帯びてきそうなのが、全国津々浦々に存在する創価の
『会館』のうち、老朽化したものの一部を『葬祭殿』に転用する、というウルトラC
但し葬儀は「宗教活動」とは解釈されないので(葬式は宗教の有無を問わずやるものだから)
、これを実施すると「営利活動」と見なされ課税対象になるので、恐らく
「地域に解放する無料貸しホール」のような建前を取り、そこで
「たまに葬儀をやる」という風になるかもしれない。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/21 01:28 ID:fHlhjQMr
取引先で懇意だった人が亡くなった時に参列したら、
層かの「友人葬」だった。
その方は仕事関係の旅行で四国の「金比羅」行った時も
普通に「チャリ〜ン!パンパン!」ってやってたそうなので
信者だとしても熱心な信者じゃなかったと思う。
でもその家族は何も見ないで「なんみょうほうれん」って
唱えていたからスジガネ入だと思う。
その仏さんの名前は「**勝次」(**カツツグ)さんと言うのだが、
「友人代表」とやらで経文を唱えて式を取り仕切った人が最後まで
仏さんの名前を「**カツジさんは〜」と、間違えていた。
しかも通夜だけでなく、2日目の告別式まで。
名前を読み間違えていて「何が友人代表だ!」と思った。
たぶん「地区長」みたいな人なんだろうけど、
ふざけた葬式をして仏さんも浮かばれないですよ。
2004年、友人葬を巡る環境に大きな変化が起こるかもしれない。
過日掲載された「正義と勝利の座談会」の見出しに、聖教ウォッチャー注目の一言が。
『会館は現代の寺院』
第一次創宗抗争勃発の最大要因である「会館寺院論」がここに来て復活の兆し、いよいよ
宗門からの完全分離、即ち「創価宗」への路線を選んだか?
年配の信者の知人が多いので参考になります。
参考になりますので、長く継続をお願いします
友人葬って某漫画みたいだなw。
で香典はどこに消えるんだ?
香典が消えるというネタは池田氏が3代会長になる前から
あったネタだなw
ガカインの香典泥棒を実際に見たなんていう奴はいないし、
ウソもここまで来ると見事だよな。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/08 21:40 ID:XtbRZm9K
創価って組織がもってっちゃって好きに使ってんだろ。