あるある学会員さん、横レスで失礼します。
>私が述べているのは「創価の信仰対象」を燃やすと言う行為ではなく、ある特
>定の宗教の信仰団体やグループの信仰対象を相手を侮辱する形で棄却する行為
>は「是」とは出来ないという事です。
基本的には同感なのですが、ある特定の場合においては私は「是」だと考えます。
確かにある特定の団体やグループの人間にとっては「単に侮辱を受ける行為」
だとは思いますが、「それによって精神を救われている人が同数以上居る」場合は話は別です。
私個人としては層化板における本尊焼きうpはその様な性質のものだと認識しています。
焼きうpは仏罰と言う強迫観念を取り除く事で、脱会したくても出来ない
二世や三世の学会員の精神を解放する行為であった、と。
創価学会と言う組織では、脱会するにせよ、組織に対してネガティブになる行為を
するにせよ、「必ず仏罰が落ちる」と周囲から言われます。
これは非常に重い精神的な枷なのです。脱会した人ですら、
頭では解っていても
>>314の創価四世の様にその枷に苦しみ続ける人が大勢居るのです。
仏罰が無い事を焼きうpで証明出来たとは言いませんが、焼きうpのおかげで
多くの人が仏罰について理論的に考え、自分の頭で判断出来る様になる良い
きっかけを作る事が出来たのではないでしょうか。
また、その有る特定の団体が「破壊的カルト」であり、
そのカルトからの脱洗脳となる行為であるなら少々の荒療治も止む無しと考えます。
私個人は創価学会を「破壊的カルト」であると認識しています。
以上の様な理由から、私個人としては本尊の焼きうpという行為は
「是」であると考えています。