>>1 >宇宙の森羅万象(しんらばんしょう)を貫く根源の法である
そんじゃ聞くがww、
もしも「サッダルマプンダーリカ」(←法華経原点の名前の日本語カタカナ書きなw)
が人の手でこの世に勝手に書き出される以前には、その「漢訳」後の呉音読み段階に
なった後でやっと訳出された「日本語訳」であった処のその経本のタイトルである
「なんみょおほおれんげえきょお」てな発音がだ(良く聞けな)、もし日本人に先に
何か別の名前で勝手に発音されてしまっていたとしたら、その効果効能はどうなって
いたのか?ちゃんと説明するとどうなるんだな?ああんんん??
1.もし法華経が「サッダルマプンダーリカ」なる人造経本が勝手に書かれる以前に
「なんみょおほおれんげえきょお」の発音だけが発見されてそれが「おおこりゃ効果
効能がある」てな話になってだな、それが伝え広まってこりゃええ呪文じゃマントラ
じゃなあて世間でうわさになって広まったとしたら、それは法華経とは無縁だったと
言えるよな?どうだ?なあ?なあ?なあ?どうなんだあ?なああ?ああん???
2.法華経なんて漢訳経典があろうがなかろうが、マタもっと真実を言えばだ、、
良く聞けよ、なあ、エチレン信者どもよ、、なあ、この「なんみょおほおれんげえ
きょお」だけがあったら、そもそも「法華経」だの「仏」だの「釈迦」だの「大乗」
だの「日蓮」だのといった宗教観念如何とその呪文が結びつく接点は全部消えちまう
ことになるよな?どうだあ、なあ?もしそうなったら、そもそもこの呪文の効果効能は
そうしたもろもろの歴史的な宗教観念を一切の関係性が立たれてしまうことになるよな。
そう考えてもいい根拠はこれだ。→つまり、この呪文「なんみょおほおれんげえ
きょお」てえ発音自体は、その意味を知らなくても知っていても、そういうこと
詰まり意味論とは全く無関係に、ただ唱えるだけで「効果効能がある」呪文なんだ
ろ?だから「優れている」とか「すばらしいんだ」とか「誰にでもできる易行なんだ」
とかって威張ってるわけだったな>エチレンと創価野郎な。
だったら、上の議論は正当だと言えるわな、どうだあああ?なあ?意味関係ねえで
も、なんで効果効能あんだがや?唱えるだけで効果があるんなら始めっから「仏教」も
「法華経」も「サッダルマプンダーリカ」も、全く全然完璧に、これっぽっちも
金輪際ムカンケーだったってことにんりゃしねえんかいな???なあ?どうだあ????
詰まりはだ、エチレン以来の宗教的思弁は完全に無意味だったってことだ。
そしてそれはすべて適当なこじつけでしかなかったってことになるよな???
どうだあああ?>エチレンとその末裔の非科学的カルト集団の手下どもはよ???
ああんんんんんんん???????????
なあ、始めっから意味ムカンケーの呪文が先に出ていて、それだけあったらそれで
生活の知恵です、これ唱えると元気になるんでげつ教てな民間信仰みてえのが出来てさ、
それが現代になって科学が進んでな、ああ、この原因はこの発音をするとこのナンとか
てえ神経が刺激されてこんな感じで電気的な刺激が生まれて内分泌腺が刺激されて
元気になってストレス発散される効果があるからなんでつうううううとかって説明で
一件落着するだけで終っちまってたんじゃないんでつかあああああ?ねええええ???
どでつかああああ?????>>>>エチレン教徒のみなはあああんんんん。
てことはでつなあ、、、、
今みてえにでつなあ、ホウカガッカエみてえなキチカルトはんが出てきて
「今日も明日の明後日も勝て、勝て、勝て!我らは常に前進するのみだあああ!!!」
とかってカルト新聞でゲキ飛ばしてインチキ仕業で人騙しするネタは完全に
無くなっちまいまつよねえええ????>カルト教徒はああんんんん。ねえ???
>>どでつかああああああああ?????????
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:26 ID:u2YAz5hn
>>54-57 まこんな高等すぎる論理なんて連中みてえな頭が凝り固まっちまってる
ただのテエノ丸にゃ「意味」が通じんだろが(藁)。期待するだけ無駄だね(プププ。おそらくね)
南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)
日蓮仏法の信仰実践の根本は、「南無阿弥陀佛の御本尊」を信じて、
「南無阿弥陀佛」と題目を唱えることにある。
唱題に励むことによって万人が差別なく、自身の生命に内在している
無限の大生命力(仏の生命)を湧(わ)き出し、幸福の人生の軌道に
入ると説く。
日蓮大聖人は「南無阿弥陀佛は釈尊が生涯にわたって説いた一切経
の肝心(かんじん)という意味だけでなく、法華経の心であり、
法華経の本体であり、法華経で説いた究極(きゅうきょく)の法である」
(御書1058ページ、通解)と明かした。
宇宙の森羅万象(しんらばんしょう)を貫く根源の法である。
↓題目商標事件→池田大作氏ね!
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宗教法人創価学会会長池田大作氏が「南無阿彌陀佛」を商標として
特許庁に出願。題目の私物化か、それとも題目は池田大作氏の商売
道具との意識の表れか。もはや宗教者ではなく「池田大作大商人!
」との声も囁かれるようになる。昭和37年のことである。
創価学会は「題目の悪用を防止するために商標を出願した」と説明
した。そんな説明で内部は納得できるかもしれないが、他教団によ
る悪用を防止するということは、言葉をかえれば他教団には題目は
使わせないということ。つまり他教団の信教の自由を侵害するとい
うことだ。創価学会員はこんな簡単なトリックに騙される善良な人
々ばかり。昭和47年にも池田大作氏は同じ愚を繰り返して「南無
阿彌陀佛」を商標として特許庁に出願。こんどは立正佼成会が信教
の自由を踏みにじる池田氏の暴挙に「異議申立書」を提出した。
立正佼成会だけでなく妙智会教団などの宗教団体も申立書を提出し
池田大作氏の野望はついえたかのように見えた。
しかし平成なって「日蓮世界宗」を創価学会は商標出願した。
まったく懲りない信濃町の面々であった。
>>59 「南無阿彌陀佛」は意味が先にあってですね、阿弥陀様の本願にお任せする
ことで自己を捧げるという意味がわかって唱えるから「なんみょおほおれん
げえきょお」とは全然違いまつよね(笑い)。
意味が先にあってそれを信じて始めて成立する救いは宗教で「あり得ます」。
しかし「意味がない呪文」を「どうでもよく唱えさえすれば元気が出ます」教
って、どうして「仏教」と結びつくのでしょう!?そんな議論は全くのナンセンス
=無意味でしかありません。
>>60 ホントにひどいカルト集団でつね>放火ガッカ火って。ホント!
しかし「効果効能とは別に」とにかく「仏教の信仰」として「南無妙法蓮華経」
でなければならない、というロジックだったら、まあギリギリんところで
宗教足り得るわけでしょうが。たとえば、法華宗なんかはだいぶ落ちついた
感じでええです。あそこはキチガイっぽくありません。どこがどう違うと
カルトガッカ火になり、どこがどう変わると法華宗になるんでしょうね。オモヒ
ロ火ですね。
先ほど学会本部に竹岡と湯浅について電話して聞いてみたところ、学会員であるかないかは教えられないと言われました。
私は内部の人間なのですが、と言ったのですが、個人の情報なので教えることは出来ませんと言われました。
これって、隠匿っていうやつじゃないんですか?
犯罪者がいるのかどうか聞きたいだけなんですけど。。
>>62 とにかく、創価学会の呪文は「無意味であって意味を知らなくても勝手にトナエ
さえすれば元気になります」教です。勧誘で意味をどうこう言う場合はほとんど
全くありません。「知らないのにただ唱えれば効果が出る」呪文は、仏教である
はずはありません。それはただの呪文教でしかありません。
しかも、効果がありさえすればなんでもいい、ということにもなるわけですから、
仏教でなければならない必然性も生まれません。元気が出ればいいということなら
どんな呪文でもいいということになります。ホーカガッカ火は結局はそういう教義
だということになりますよね。どうですか?ホーカガッカ火さん
『「法華経は存在しなかった」とした場合でも、
「なんみょおほおれんげえきょお」は唱えれば効果があります』
なんだ、そんじゃ法華経なんてそもそも無くてもよかったってこっちゃねえ
かよ(www
あってもなくてもとにかく効果効能がある呪文なら、そのタイトルの経文は
たまたまその名前になっただけじゃんよ。くだらねえな、実に。ナア
お笑い日蓮じゃねえの? さんざんだな>プププ>日蓮教めらがよ。
へっへっへっへ
なくてもよかった経文なら、その無くてもよかった経文を釈迦は「最後の最後で
うんこらしょっ、と頭をひねって搾り出した最終究極の教えとしてその最後っ屁で
やっと出したのがすばらしいんだとか妄言抜かす暇はありませんな(笑い)。
なんでかといえば、それなら初めから効果効能のある呪文をさっさと出してほうらこれ
を唱えれば元気がでるじゃろ、なああんたも唱えなさいな、ほれこの呪文だよーん、
と初めから釈迦がいっ取ればええではないかね。
「なんみょおほおれんげえきょお」を釈迦がはじめから(ぽっけきょうなんかとムカンケイ
に)これが私の言いたいことでつが、わかりましたかと、もってまわった言い方せずとも
バアッといっ取ればえかったんとちゃいまっか???(藁〜藁)その方が誤解も生まずに
すんなりああ、釈迦はんはわかりやすい教えでえかったですなあ、てなっていちいち
仏教中興のエチレンがどうのこうのといわんで得買ったのとちゃいまっか?ええ?
そやろが、なあ、究極の宇宙の真理だとかなんとかおうぎょおな事をイワン
でもええやないかい(プwww
結局、
1.法華経はなくても「なんみょおほおれんげえきょお」だけあれば
よかった
2.初めから釈迦がそういっていればよかった
3.もっと言えば、釈迦が言わなくても、誰が言ってもよかったわけで
元々仏教とその呪文はナンの関係もなく存在し得た
4.たまたま勝手に付けた経文の名前がそれだっただけのことだった
なんだよ、エチレン市寝や >けけけ
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 19:00 ID:PFC+w5si
まあ、ここに来る奴等の8割方学会員とみた!
>>54-57 そうなんだよなあ、「なんみょお・・・」は程度の悪い呪文教呪文。宗教としては
なにも崇高な意味はないただのマントラマン。
「南無阿彌陀佛」は意味が先にあってですね、阿弥陀様の本願にお任せすることで
自己を捧げるという意味がわかって唱えるから「なんみょおほおれんげえきょお」とは
全然違います(笑い)。
意味が先にあってそれを信じて始めて成立する救いは宗教で「あり得ます」。しかし
「意味がない呪文」を「どうでもよく唱えさえすれば元気が出ます」教って、どうして
「仏教」と結びつくのでしょう!?そんな議論は全くのナンセンス=無意味でしか
ありません。
しかし「効果効能とは別に」とにかく「仏教の信仰」として「南無妙法蓮華経」で
なければならない、というロジックだったら、まあギリギリんところで宗教足り得る
わけでしょうが。たとえば「法華宗」なんかはだいぶ落ちついた感じでええです。
あそこはどうもキチガイっぽくありません。どこがどう違うとカルト学会になり、
どこがどう変わると「法華宗」になるんでしょうね。おもしろいですね。