よく理解できない子供に対して「罰が当たる」といって警告するのは、安全を確保できた結果として
正しいことをしたことになります。車にぶつかって痛い思いをする前に「危険」を伝える。
子供は車が通ってないから大丈夫と思うかもしれませんが、その場合でも、大人は「ルールを
守りなさい」というでしょう。もし、痛い思いをする前に「危険」を伝えなけば、実際に痛い思いを
した子供にとって大人は無慈悲に思えるでしょう。
ご本尊を焼く人に対して「罰があたる」とは、この慈悲からくる考え方であり警告です。
私も最初はカラビナさんに警告しました。しかし、受け取り方によっては「警告」が「脅し」になる場合
もあります。これは受け手の気持ちですから分かりません。実際にそれを指摘する書き込みがいく
つか見られます。脅しは私の本意ではありません。
それが発言を撤回し、「罰はでませんよ」言った理由です。
とはいえ、先に述べた道理は厳然として存在しています。何が正しくて何が間違っているのかは、
信じる宗教によって異なります。科学的に証明できないとはいえ、善悪の判断基準としての功徳、
罰は教えの基本です。
以上が罰に関するまとめですが、これまでの自分の言動を客観的に見てみると、
「罰があたる」−>「罰があたらない」−>「罰があたる」
と主張がころころ変わっています。発言の真意は状況によって異なりますので、そのときの主張だけ
をとって非難することは意味はありません。(それをあげ足をとるといいます)