ふあー。よく寝た。
さて、仏罰の話を整理するとこうなります。
1.そもそも仏罰とは神(仏)によって何か与えられる罰ではなく、道理、真理に反する考えや行動
に至った結果起きるよくない出来事、現証である。
>>25 のヒント
その1 ・・ 赤信号
その2 ・・ 大人と子供
その3 ・・ 確率論
その4 ・・ 業ってなに?
その5 ・・ 因果の法則
仏罰では道理を示しているにすぎません。、例えば「1.赤信号を渡ると事故にあうぞ」、これは脅しではなく
警告です。警告は事故を未然に防ぐために「危険だよ」と注意を促している点で脅しと異なります。
これは「2.大人が子供にいい聞かせる注意」に似ています。
また道理はあっていても実際に事故にあうかどうかは分かりません。渡ると同時に車が通らなければ
ならないからです。これは「3.事故にあう確率が高い」というのが正確な言い方です。
また、「ご本尊を粗末にすると仏罰にあう」、といったように、一見道理とは思えないこともあります。
この場合は「ご本尊を粗末にする=仏法を否定する」と捉え、罰は結果招いた現象と考えるのが自然です。
罰はその人の業(4.)によっても出方は異なります。業とは、嫉妬などの後ろ向きの考えに陥りやすい傾向性
と考えると分かりやすいです。また、業(あるいは福運)は貯金の考え方に似ています。
福運を積んでいるのか業を積んでいるのか貯金通帳を見なければ分かりません。
仏法は5.因果の法則です。今自分がよい方向に向かっているのか、悪い方向に向かっているのか現在の
原因を見て判断する以外ないのです。