【仏罰】本尊焼いてうpしました2【落ちない】

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649前前788 ◆u6xNCiA8fE
>641
>ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/soukagakkai.html(表3−1の右)

>破竹の勢いのマンモス化を開始させたのは昭和26年の「折伏大行進」であり、
>その終わりは44年暮れから翌45年春にかけて起こった「言論出版妨害事件」だとされる。

昭和26年〜45年ね。

>ttp://soejima.to/boards/sirogane/26.html(高度経済成長の鬼っ子の段、赤字前後
>『週刊新潮』5月15日号

>創価学会は、「折伏大行進」のスローガンを掲げて、他の宗教や宗派に対して強引な折伏をしかけた。
>その際には、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という日蓮の四箇格言を拠り所にした。
>学会は、「折伏教典」というマニュアルを作り、他の宗教や宗派をどのように攻撃し、折伏したらいいかを、会員に教えた。
>また、新しい会員に対しては、それまでの信仰を捨てたことを示させるために、お札や神棚、
>他宗派の仏壇などを取り払い、それを焼却する、謗法払いを実践させた。
(略)
>しかし、創価学会は、言論弾圧事件を正当化できず、強引な折伏の停止、公明党との政教分離を余儀なくされた。
>さらに、創価学会が外護(げご)していた日蓮正宗を国教とする国立戒壇建立の試みは破棄せざるを得なくなった。
>
>これは、創価学会にとって、発足以来最大の危機となった。象徴的なのは、言論弾圧事件が起こった時期には、
>高度経済成長に翳りが見えはじめていた点である。創価学会は、高度経済成長の申し子であり、鬼っ子だった。
>経済成長にブレーキがかかったとき、創価学会の拡大にもブレーキがかからざるを得なかったのだ。