そうとは思えんが
アホとかなんとかという問題
じゃないと思うがどうよ!?
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/23 15:45:18 ID:V1IIhNbl
誰かの書いた小説や、意見に盲従したり、惑わされない自分自身の分析力と判断力を
身に付けるのが現代人ではないだろうか。
343 :
152:04/12/23 17:28:46 ID:???
正本堂を日蓮大聖人の御遺命の戒壇とする、宗門関係者の言葉は、『大日蓮』の昭和四十二年十一月号だけを見ても、枚挙にいとまがない。
「この正本堂建立こそは、三大秘法抄や一期弘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり」(佐藤慈英宗会議長)
「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ』との、宗祖日蓮大聖人の御遺命がいま正に実現されるのである」(椎名法英宗会議員)
「この大御本尊御安置の本門戒壇堂の建立をば『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり時を待つべきのみ』云々と、滅期の末弟に遺命せられたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して、本門寺の戒壇たる正本堂が……」(大村寿顕宗会議員)
ところが日顕は、着工大法要で山本伸一が正本堂を「本門の戒壇」と言ったのは独断であり、以来、そのような空気が宗門を巻き込んでいったというのだ。
344 :
152:04/12/23 17:30:44 ID:???
これらの宗門関係者の発言は、着工大法要で伸一があいさつをする一年も前のものである。
大聖人は「ひが事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」(御書一三五五ページ)と喝破されている。
ひが事とは道理に合わず、事実と違うということである。日顕宗は、自ら邪教であることを証明したことになる。
また、仮に伸一の発言が間違っているならば、そんな大問題を、なぜ、二十年以上も放置しておいたのか。ましてや日顕は、当時、宗務院教学部長である。甚だしい責任放棄ではないか。
さらに、日顕は、この一九九一年(平成三年)の全国教師指導会で、正本堂の意義について述べた七二年(昭和四十七年)四月の日達法主の訓諭と伸一の発言は、意味が「非常に違っておるのであります」と強弁したのだ。
訓諭には「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」とある。この「意義を含む……」について日顕は、次の主旨の、珍妙な解釈をしてみせた。
――意義を含んでいても、まだ、その意義全体が現れたことではないから、正本堂は「一期弘法抄」「三大秘法抄」に仰せの戒壇そのものではない。
345 :
↑:04/12/23 20:36:21 ID:???
これを読んで笑えと仰るんですか?
346 :
152:04/12/24 08:24:35 ID:???
日達法主の訓諭は、さらに、「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と明記しているが、日顕はそれに対しても、こう言って憚らなかった。
――「たるべき」とは「予想」「あらかじめ思う」ことであり、「予想はすなわち予定」である。「ですから一応、そうは思っても、将来において変わる場合もある」
建立した正本堂が「本門の戒壇」となるといいのは予定にすぎず、将来のことは不確定であるというのだ。
これは正当な文法の解釈のうえからも、明らかに間違いである。
日本を代表する最高権威の国語学者たちが、この「たるべき」は「確定している将来形の表現」(中田祝夫・筑波大学名誉教授)等と、日顕の解釈を否定しているのだ。
つまり、訓諭の意味するところは、「まさに正本堂は、広宣流布の暁には本門寺の戒壇となる大殿堂である」ということなのである。
ともあれ、この全国教師指導会、教師指導会での日顕の発言は、自語相違のきわみであった。また一切を注いで供養に参加した八百万信徒の心を足蹴にする、悪逆非道な暴言であった。
日顕の発言を知った学会員は、愕然とした。
「こんなおかしな話があるものか!」
「日達上人は正本堂は“本門の戒壇”になると、おっしゃっていたではないか!」
「そうだ。何度も言われていた。私も明確に心に刻みつけている」
たとえば、一九七○年(昭和四十五年)五月の本部総会に参加した学会員は、「この正本堂が完成すれば、今、奉安殿に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、正本堂にご遷座申すのでありますから、その時は正本堂は本門寺の戒壇であります」との話が、胸に焼きついていた。
皆、そうした言葉に、決意を新たにしてきたのである。
それだけに、怒りはおさまらなかった。
「変な理屈をつけて、日達上人の言葉を覆すなんて、まるで詐欺のような所業ではないか」
学会としても、絶対に看過するわけにはいかぬ重大な問題であった。
早速、この説法の矛盾点や疑問点について、文書をもって日顕に質したのである。
正本堂のことについて学会員、ネチっこいよなァ。
まあ当然だけど。俺はサバサバしているぜ。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/24 10:36:31 ID:lEe/+PoA
「ま、要するに、会員の浄財を使って派手な建物を作ったけど、
ボス猿同士のケンカとカネの奪い合いの結果、
20年ほどで壊されたというお話ね。
役人が作った赤字施設の末路と同じぐらいアホくさい」
全くその通りですよ。
しかし、法主絶対を否定しておきながら、日達の訓諭は絶対と言うのもおかしな話だ。
それに世界平和を祈願する建物に、自分の裸像のレリーフをなぜ飾ったのか?
しかも信者に拝ませる位置(戒壇の本尊の下)に。
正本堂について、その経緯をたどれば、こういうことではなかったでしょうか。
古くは昭和三十三年、創価学会・第七回男子部総会において池田総務は、「国立
戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また会長先生の・創価学会の目的でございま
す」と叫び、昭和三十七年までは「国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ
御遺命になった」(創価学会教学部編『日蓮正宗・創価学会批判を破す』)、「日
蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しよう
と、必死の努力を続けてきたことは明白」(同)等と、創価学会は述べていたこと
でした。
昭和三十八年の池田会長は、「今の政治家は、やれ勲章を貰うとか、金をとると
か、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金儲けをするとか、め
ちゃくちゃな世界であります」(『会長講演集 第九巻』)と述べ、「私ども創価学
会員は、位もいらない、名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、
また権力もいらない」(同)と述べていたことでした。(現在の創価学会とは、隔
世の感がありますが..)
こうした従来の路線が微妙な変化の兆しをかいま見せたのは、昭和三十九年一月
に創価学会が発行した『日達上人御講演集』でした。ここで、日達上人御登座の際
の御説法における「国立戒壇」の文語を、創価学会はあえて「本門戒壇」と改竄し
たのでした。
同年四月一日には総本山において、大客殿落成慶讃大法要を奉修。このとき宗門
は池田会長を「法華講総講頭」に任命。池田会長は「“三大秘法抄”に『時を待つ
可きのみ、事の戒法と申すは是なり』との、大聖人の御聖訓がございます。その時
が、ついにやってきたとの感を深める者は、私ひとりではないと信じます」と述べ
たのでした。
そして同年五月三日の創価学会・第二十七回本部総会において、池田会長は、戸
田前会長の遺言として「大客殿の建立が終わったならば、ひきつづいて、すぐに正
本堂の建立」と述べ、「正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制と
してはこれが最後なのであります。したがってあとは本門戒壇堂の建立を待つばか
りとなります」と述べたのでした。
同時にまた、「王仏冥合達成のため(略)恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へ
出よとのご遺訓があったのです」と、公明政治連盟の政党化と衆院進出が発表され
たのでした。
さらに同年六月三十日、創価学会・第二十七回学生部総会で池田会長は「それで
『創価学会は国立戒壇をめざしているからよくない』このように陳腐な論議をして
おります。まったくナンセンスのかぎりであります」、「御書には”国立戒壇”と
いうことばはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと”国立戒壇”ということ
ばをもらしたことがありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたことも一、
二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも
”国立戒壇”ということばはないのです。”戒壇”といえば”本門戒壇建立”とな
るのです」( 聖教新聞、七月二日掲載)と述べ、これまで「 創価学会の唯一の大
目的」と、さんざん喧伝してきた「国立戒壇」を、はじめて明確に否定したのでし
た。
「正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制と
してはこれが最後なのであります。したがってあとは本門戒壇堂の建立を待つばか
りとなります」
とあるのは、明らかに御遺命の戒壇と正本堂とは別物であるということですよね。
にもかかわず、昭和40年以降、特に創価学会が中心になって「正本堂は一期弘法
抄に遺命された戒壇」ということを内外に喧伝するようになった。
かつての「御遺命の戒壇」の意義とは「国立戒壇」としてきたわけですから、正本
堂はどうかというと「国立」ではなく、私的に建てたものであるが故に、当てはま
らないわけです。
そこで、「正本堂=御遺命の戒壇」とするためには、「国立」は否定しなくてはな
らなかつた。(ちょうど「国立」を使わなくなった頃に「民衆立」と盛んに呼ぶよ
うになりましたが)
個人的には、「国立」を否定するのは、ムリムリかなあという感じです。そして池
田会長(当時)の御遺命達成の功績者としての欲望心がそうさせたのではないかな
あと推察するのですが。
当初は「明らかに御遺命の戒壇と正本堂とは別物」ということでした。
種々の文献を調べてみると、昭和三十九年を最後に創価学会からは「国立戒壇」
の言辞が見られなくなりました。
池田会長がそれまで「国立戒壇」を「創価学会の唯一の大目的」と、これでもか
とばかり大いに喧伝した理由は、牧口・戸田両会長が築いた創価学会という宗教団
体をして、自身の政権欲の野望の為に会員・信徒とその組織を選挙のための“集票
マシーン”として再編成するためだったのではないか、とわたしは見ています。
そうしてついに、「御遺命の国立戒壇」実現の為という<宗教目的>を掲げたこ
とで、選挙に即した地域ブロック制の組織が完成し、いよいよ政権取りの為に「公
明党」という<私党>が発足した以上、もはや「御遺命たる国立戒壇」は池田会長
にとって不要であり、世間からの反発をかい、集票の障害になるだけの「邪魔者」
以外の何者でもなかったのでありましょう。
そこで、「正本堂=御遺命の戒壇」とするためには、「国立」は否定しなくては
ならなかつた。
選挙に障害となる「国立戒壇」を否定するために、必要条件として「国立戒壇」
の言葉を否定するだけでなく、十分条件として「正本堂=御遺命の戒壇」と位置づ
けたのだ..と。
354 :
152:04/12/28 01:48:27 ID:???
日顕宗が創価学会に「破門通告書」を出してから四年後の、一九九五年(平成七年)秋のことである。
日顕は、日達法主の時代に、山本伸一の発願により、創価学会が建立寄進した、大客殿の解体に着手した。
地震対策を理由にしての解体であった。
耐震診断を担当した設計者と構造設計者は、診断結果を歪曲されたと厳重抗議したが、日顕は、多くの人びとの反対を押し切り、解体を強行したのである。
伸一と学会への怨嫉のゆえか、先師の日達法主への嫉妬のゆえか、異常極まる行動であった。
さらに彼らは、九八年(同十年)に入ると、“正本堂の大理石に赤サビが出た”“コンクリートに含まれる海砂が鉄筋を腐食した可能性が高い”などと騒だした。
そして四月五日、日顕は、突如、正本堂の閉鎖を発表。その日のうちに、大御本尊を遷座したのだ。
それは、夕暮れ迫るなか、小人数で人目を避けるように強行された。二六年前、奉安殿から正本堂を遷座した、あの晴れやかな式典とは、全く異なる隠々滅々とした光景であった。
正本堂の解体工事が始まったのは、この年の六月のことである。
日顕は正本堂を絶賛していたにもかかわらず、自後相違も甚だしく、「仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底して駆逐」すると、臆面もなく言いはなっての決行であった。
取り壊しに、強い反対の声が起こった。保存を推進する建築家の集いも結成され、富士宮市や静岡県に保存の陳情書や要望書も提出された。
しかし、頭破作七分のためか、もはや日顕には、いかなる良識の諌言も通じなかった。
機械を使って、鶴の羽の形をした屋根がはがされ、壁が崩されていった。辺りには、連日、「ガガガガーッ」「ゴゴゴーッ」という不気味な音が響き渡った。
富士宮の学会員は、怒りに打ち震えながら、日々、その解体の光景を目に焼き付けた。
皆が「本門戒壇の建立」と信じ、命を削るようにして供養に参加したのだ。
日々、破壊されていく正本堂を見ると、わが身が切り刻まれていく思いがするのであった。
驚愕!
聖教新聞に、デマ週刊誌の広告が!
「かね夫人が明かす池田大作夫妻の軌跡」
広告料欲しさとはいえ、三流週刊誌の片棒を担ぐとは。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/28 02:44:41 ID:+7wrsFRG
創価を叩く雑誌は三流じゃなく一流だろ。カルト教団の悪行を暴いて真実の記事載せてるんだから。
>>356 創価の提灯記事を書いた週刊朝日は、三流でよろし。
だから、聖教に広告載せたんだよ。
358 :
152:04/12/28 09:41:52 ID:???
正本堂が破壊されていると聞いて、耳を疑い、直接、確かめようと、全国各地から正本堂を見に来た人も少なくなかった。
夫を失い、女手一つで三人の子供を育てながら供養に参加した北九州の老婦人は、長男夫婦と孫と一緒に東京に向かう途次、富士宮に立ち寄った。
長男は、大学生の子供を持つ、壮年になっていた。
大石寺がよく見える畑の傍らで車を降りた。
皆、変わり果てた正本堂の姿に息をのんだ。
屋根もなく、壁も削られ、剥き出しの鉄骨が見えた。時折、「ゴゴーン」という音が響き、もうもうと土埃が上がっていた。
残ったコンクリートの梁と柱が、天に向かって悲痛な叫びをあげる巨大な口のように思えた。
皆、しばらく言葉を失い、その光景を黙って見ていた。
白髪の老婦人の背中がぶるぶると震えた。
――昼は魚の行商、夜は清掃の仕事をして働き、毎日、爪に火をともすように節約を重ね、供養に参加した日のことが彼女の頭をよぎった。
辛いといえば辛い日々であった。しかし、彼女は、正本堂は、やがて「本門の戒壇」となり、世界中の指導者が、民衆がここに集い、平和への祈りを捧げるのだと思うと、どんな苦労も喜びに変わるのであった。
だが、その正本堂が、今、無惨この上ない姿をさらしているのだ。
彼女の目には、涙があふれていた。
それは、自分の人生の誇りを、信心の赤誠の証を、踏みにじられたことへの悔し涙であり、煮えたぎるような怒りの熱い血涙であった。
しかし、老婦人は、決然と涙を拭うと、叫ぶように言った。
「日顕はうちらを騙して、大聖人の御遺命の戒壇を、ぶち壊しよる。信心の真心を、土足で踏んづけて、粉ごなにしてから!
人間のやるこっちゃない。天魔や。第六天の魔王や!
こんな悪坊主がのさばっちょると、仏法が滅んでしまう。みんなが不幸になる!
うちは許さん。絶対に許さんけんね!」
怒りは破邪顕正の炎となって、激しく燃え上がっていった。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/28 11:19:59 ID:scFSe7aH
各種の宗教建築が世界には沢山残っているが、その創始者達(釈迦、キリスト、
マホメットも)は誰もそれを願ったものはいないだろう。
後世の宗教を利用して、名誉、権力欲や金銭欲を隠す手段とした宗教幹部が
豪華や建物を利用したというのが、その本質ではないのだろか。
宗教の原点とは一体何か? よく考えて欲しいものです。
池田は、生きてる間にピラミッドを造ろうとしたんだな。
ほんと、池田は悪い奴だな、あらためて。
91年か92年に正本堂にいったけど
廊下の水漏れがひどかったのを覚えている。
あれはなんだったんだろう。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/28 14:18:20 ID:scFSe7aH
「日顕はうちらを騙して、大聖人の御遺命の戒壇を、ぶち壊しよる。信心の真心を、土足で踏んづけて、粉ごなにしてから!
人間のやるこっちゃない。天魔や。第六天の魔王や!
こんな悪坊主がのさばっちょると、仏法が滅んでしまう。みんなが不幸になる!
うちは許さん。絶対に許さんけんね!」
上の言葉が将来誰に向けられるべきか? それは将来の民衆が決めることに
なるだろう。 そうでなければもうとっくに解決済みのはずだ。
364 :
152:04/12/31 07:31:55 ID:???
老婦人の言葉を受けるようにして、傍らの息子が口を開いた。
彼は、正本堂の供養の時は中学生だったが、自ら新聞配達を始めて、供養に参加したのだ。
「おふくろ、俺も日顕は絶対にゆるさん!
純粋な学会員を利用するだけ利用しとって、供養を絞りとり、そして、
裏切りよった。
それに誰よりも広宣流布に尽した大功労者の山本先生を切り捨て、仏意仏勅の広宣流布の団体である学会を潰そうとした。
『彼の万祈を修せんよりはこの一凶を禁ぜんには』(御書ニ四ページ)だ。日顕一派を打ち倒さんと、仏法破壊の根っこは断てん」
隣にいた大学生の孫も老婦人に言った。
「学会は宗門と離れてよかった。“現代の身延離山”をしたことになるんやけ。
信徒を平気で見下したり、“伏せ拝”とか言うて、日顕を見たら土下座するような宗教なんかおかしい!」
老婦人が笑みをうかべて頷いた。
「本当にそうやね。
仏法は勝負だ。うちらはすべてに勝って、必ず学会の正義を証明しちゃるわ!」
彼方には、秋空に悠然とそびえる、富士の姿があった。
孫が言った。
「ばあちゃん。ほら、あそこの家に、三色旗が立っちょるよ」
一件の民家に、学会の三色旗が堂々と掲げられ、風に翻っていた。
“学会の正義は厳たり。邪宗門と断じて戦わん”
との決意を込めて、大石寺周辺でも、創価の同志は、厳然と三色旗を掲げているのだ。
御遺命の壊壇となる正本堂を日顕は破壊した。
しかし、正本堂の建立は、御本仏日蓮大聖人を荘厳したのだ。その功徳、福運は無量無辺であり、永遠に消えることはない。
一方、日顕宗は、正本堂の破壊をもって、天魔の本性をさらけ出し、邪教であることを自ら証明したのである。その罪もまた、未来永遠に消えることはない。
学会は、宗門による暴虐の嵐を勝ち越え、人間主義の世界宗教としてニ十一世紀の大空へ、雄々しく飛翔していったのである。
(第十六巻終了)
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/31 07:52:35 ID:oy0pqYZI
自称人間主義の世界宗教は、今一部権力者とその追随者の民衆支配の道具と
化している。
世界の民衆は、真の意味の民衆のための世界宗教の創造を期待しているようだ。
(2004/12/31日)
366 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆xd7mxrd9Z6 :04/12/31 09:51:38 ID:Zbm1epF5
SGIのようなもんじゃなくな。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/31 11:18:16 ID:oy0pqYZI
SGIは誰かが国内で集めた会員の金を使って、一部の人を買収して作った
名誉欲の産物でしょう。
池田会長名言(昭和35年5月8日、関西総支部幹部会)
『さきほどから邪宗闘争について、いろいろな話がありましたが、大阪府内におい
ては、たくさん邪宗教がありますが、天理教だけは、まるで宮殿みたいな大きな建
物を造って、信者をたぶらかしております。聞くところによりますと、何百億とい
う財産をもっており、あの建物は日本一だ。人を救うべき宗教が、反対に家をもっ
てこい、たんぼをもってこい!ドロボウです、まるで。今、真言宗や、念仏宗や、
禅宗は大聖人様によって根を断ち切ってこられておりますが、天理教は、わが世の
春を謳歌している状態だそうです。関西の邪宗教の牙城です。願わくば、民衆を不
幸にしきっている全邪宗教の関西の牙城をめざして、全関西二十数万の同志は、白
木総支部長の指揮のもとに総攻撃をしていただきたいと思います』
とりあえず事実のみを
八王子平和会館(今日、集会があったところ)には日達の本尊があったぞ
頭弱そうな、会員に聞いたら、
「池田先生がもらったものです。日達の本尊に功徳がないことはありません!」
と言っておりました
学会は二つの本尊を容認してるんだねー
わけわからねー
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 12:47:02 ID:fq2fu2JT
末法の仏と呼ばれる日蓮上人とその弟子達は、正本堂が本当に意味のあるものなら、
どうして破壊されるのを傍観していたでのでしょうか? 弟子は命がけで師匠を守る
ものだと絶えず言っていますよね。
なぜ学会幹部は、全国から会員を呼び、実力で解体を阻止しなかったでしょう。
選挙のとき全国から支援者を行動に駆り立てるように。まったく理解できず。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/26 14:55:25 ID:j8I7RWTn
age
御都合主義
373 :
http://au.geocities.com/soka_vs_2ch/2ch.html:2005/06/08(水) 20:15:23 ID:iHNbhd/H
円融閣の倒れた柱1本ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー2本突破!よーし次は3本突破しろーって)
でも結局は5本しか倒れてねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
正本堂解体は笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが解体工事監視してる間、家で肉食してた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ富士宮まで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも正本堂解体のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか裁判所が学会の救援要請を渋っていたけどさ、
あそこらへんって審判権の限界があるからそのまま却下したかったんだよね。
今でもお布施の返還請求しているやつがいるらしいけど、
せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
ところで解体直後は犬作ってどうしてたの?
もしかしてキンマンコ?汚ねぇなぁー。
どちらにしろヘリからの映像はまさに仏罰のようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
壊したのは、創価学会お抱えの解体屋だったらしい。
http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/21syohondo.htm 正本堂解体記 [FORUM21通巻21号]
解体工事で判明した「名建築・正本堂」の惨状
[インタビュー/池田株式会社営業部長・吉田裕史氏]
。。。わずか十四年後の昭和六十一年四月七日に開催された大石寺開創七百年慶祝総合会議の席上、池田氏は正本堂には「本格的な補修整備」が必要である事を発表。以後、数年にわたって正本堂には大々的な補修工事が加えられた。
要するに正本堂は、「末法万年」あるいは創価学会が主張するような「千年」どころか、わずか十四年で「本格的な補修整備」が必要な建築物だったのである。
{吉田}子細に柱や壁等を見ると、赤茶色に変色している部分がかなりある。これは、相当内部では鉄骨の錆びが進んでおり、コンクリートも酸化しているなと思いました。
続
●もし、この建物をそのまま使い続けるとしたら、年間十億円以上のメンテナンス費用が必要になったでしょう。そうしたメンテナンスを加えていても少なくとも十年に一回は、さらに本格的な補修工事が必要になったかもしれません。
●吉田】大御本尊を安置していた須弥壇の基礎を調べるために、記念品を埋納してあるという部屋にも入りました。入る前、この部屋はコンクリートで密閉していると説明を聞いていましたが、実際に行ってみると密閉しておらず簡単に開きました。
●しかも密閉してなかったから水が入り込んでいたんでしょう、内部は錆が浮いて真っ赤になっていました。そこにはボロボロの法衣やモーニングはありましたが、御供養者名簿などは部屋の中に入れておらず、廊下にうっちゃられていました。
日達上人によると、
ある時、学会本部から会いたいと言ってきた。
「宜しいでしょう」と言って会ってみると、驚愕するような要求を突き付けてきたという。
それは、何と、「正本堂のメインキーを渡せ」と言ってきた、
上人は、びっくりして、もうこれじゃ〜ダメだ(信心を失った)」と思ったそうだ。無論、正本堂のマスターキーは渡さなかった。
正本堂こそ、池田の慢心を象徴する建物だった。
正本堂建設中から、池田は日達上人と法要の席で同列に並べるように要求していた。
そんな男が、死人に口ナシとばかりに、日達上人は創価学会を誉めていたとか、都合のいい部分だけ利用している。
それは、日顕上人を意図的に貶めようとしているのは明らかなのだ。
ところが、日達上人こそが、池田をもっとも厳しく警戒していたのだ。
その甲斐があって、院政を敷かないことを条件にして、三代会長を引退させたのだ。
しかし、案の定、院政を敷いたに止まらず、陰で着々と自分の神格化に取り組んでいた。
そして、何より「憎き坊主ども」に対する復讐を20年も後になって開始した。
元々、親創価学会派僧侶として、戸田先生と懇意にしていた上、2回にも亘って、池田を信者除名の瀬戸際から救った日顕上人に噛み付いてきた。
もう支離滅裂である。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」をこれ程、忠実に実践した男は居ない。
戦国時代、平然と比叡山焼き討ちを行った織田信長。
日本人の心の底流にある「神仏に手を併せる」心を踏みにじった織田信長のイメージと池田大作は重なる。
平成の「本能寺の変」はいつ起きてもおかしくない。
続
日本人の心の底流にある「神仏に手を併せる」心を踏みにじった織田信長のイメージと池田大作は重なる。
平成の「本能寺の変」はいつ起きてもおかしくない。
ここにも権威に弱い人間が1人。坊主なんか一職業に過ぎないっての。
>>381 >坊主なんか一職業に過ぎないっての。
。。。人間として、最低限のエチケットは守るべきでしょ。
やはり、東大の名誉教授は偉いでしょ。
やはり、総理大臣経験者は偉いでしょ。
大統領経験者も。
学校教師も、少しは尊敬しないと。
学校の先輩も、ちょっとは煽てないと。
お坊さんだって、結構厳しい修行を積んで、教師の資格を得ているのです。
池田大作を池田先生と呼んだっていいんです。「偉いな」と思うことってあるし。
日顕猊下を日顕上人と呼ぶのは当然だと思います。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/07(日) 12:21:46 ID:WGYgMzku
村山総理は偉かった
384 :
白-(・人・)-苗♪ ◆73KJ4W/C4I :2005/08/07(日) 12:53:21 ID:Hdm6kquB
素朴に疑問。
385 :
白-(・人・)-苗♪ ◆73KJ4W/C4I :2005/08/07(日) 13:02:57 ID:Hdm6kquB
何でも疑問。
386 :
白-(・人・)-苗♪ ◆73KJ4W/C4I :2005/08/07(日) 13:03:34 ID:Hdm6kquB
最初から最後まで疑問。
なんで「日顕猊下を日顕上人と呼ぶのは当然」と飛躍するんだかねー全然話の筋が通って無いでしょ
実は日号で呼んでもらってるだけでも勿体無い話なんだが
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文責・名無しさん@お腹いっぱい:2005/08/08(月) 08:12:50 ID:XShu5bvJ
どうでもいいが、スクラップ・アンド・ビルドをどんどんやってくれ。
土方の仕事を作ってやるのも世直しクソ坊主の役目じゃねえか!
景気悪いんだからよ、財務なんて成太作にくれてやる金があるなら
社会にまわせや。アホ!
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