日蓮の教えはブッタとは関係ありません

このエントリーをはてなブックマークに追加
952名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 21:26 ID:30pavobd
ライ病のことがありましたが、人々の差別意識は宗教の業からの解釈が原因ではありません。
らい病ってどんなものか知っていますか、顔が溶けてきて目も鼻も口もどんどんくずれていって
それはすごいですよ、原因不明の難病で感染するかもしれないと恐れられたのはしかたのないことでしょう。
業にたいする解釈は自身が悟るもので、第三者に対して言ってはいけない。
しかしそれを今更持ち出す人も同じ罪を犯していることを知るべきである。
全ての人は必然で生を受け、ともに幸せになる因果を持っている、これだけで十分だ!
953名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 22:52 ID:???
>>952
>業にたいする解釈は自身が悟るもので、第三者に対して言ってはいけない。
って言うけど、法華経作者が「らい病=業」って第三者(しかも不特定多数!)に言ってるんだよ。
どういうことよ?
954名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:10 ID:???
>要するに、お前たちにはわからないって言いたいんですか?
そう。無理。逆に君が信じていることを俺には理解できないだろうが。
周波数が合わないとTVに映像は映らないだろう。

>麻薬で手に入るって時点で、間違っているんだよ
間違っている根拠は?

>3割とかの問題じゃないの、多数だろうが、違うの
>悟ったから、脳波が変わるとか、何かを見るとかじゃないの
誰の意見だ??
>そんな所から分かっていないのに、悟りの話に首を突っ込むなよ
それを詳しく説明してくれないか。悟りとはなんだ。
俺は仮説を話している。何で喧嘩を売ってくるのか意味不明だが。
紙切れを拝んで欲が満たされるとが、奇跡が起こるとかではなく、
至極当然のことを言ったまでだ。
955546でーす!:03/10/30 23:11 ID:???
>>949
@>学会では「悟り」ということばはつかわない
学会では「悟り」という概念は使用しない。ということですね。
すると池田氏は「悟った」という承認は行われていないという
ことで宜しいでしょうか。

一方、お邪魔しますさんのレスでは戸田氏は「悟達」を得た
とありますが……。この矛盾はどのように考えればよいの
でしょうか?

A>だから「悟り」とはいはない。学会では福運という言い方をす
るのかな?

この点曖昧では不味いでしょう。正しく「悟り」を福運と呼ぶの
か否か、典拠を明かとした説明をいただきたいものです。

>『悟り」とはその承認するベクトル
>悟りのベクトル
私が示したヴィトゲンシュタインの用語と解釈せずとも、一般
的な用法として「承認」に方向性はありません。
また、悟りに「ベクトル」はないのでは?しかし、この点はまた
改めて質問させてください。とりあえずは上の2点についてお
答えいただけないでしょうか。
956お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/30 23:16 ID:6htZ7uNs
お釈迦様は、こころを説いたのではないかな。
心が乱れないように、心を失わないように、常に心が平静であるように
いろいろな教えを説いたのだと思う。

>>954さん、学会の人が皆あなたのようだと良いですね。
悟りは個人的な問題ですが、一人悟った人がいると大勢の人が救われるの
です。お釈迦様一人が悟りを開いたことで、何人の人が救われたのでしょ
うか。
957名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:18 ID:???
>>954
デムパキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
958名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:20 ID:???
>解脱ってのは、解って、脱する
>悟ることによって解り、
>悪い果を導く因を省いたり、避けたり、注意したりして
>悪い果による苦から脱して、生きていける
>と、読むことが出来たのですが
まぁ2chだから脱線してもよかろう。便所の掃き溜めだしな。
私見だが、人間には魂があり、それが輪廻転生している。
その転生の輪を回転させることが、仏教における苦しみだ。
だから、仏陀における解脱とは、輪廻転生の輪を超えて、もう輪廻転生しないという意味になる。

わかるだろうが、幸せや不幸など人間に存在しない。
輪廻の存在そのものが既に不幸なの。善も悪もない。空も色もない。
輪廻を解脱させるには、人間の奥底に眠る。根源的な意識に自己を同一化させる必要がある。
そして、その方法を示したのが仏陀だよ。
絵空事で済ませたいなら勝手にどうぞ。
959名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:22 ID:???
>957
紙切れと呪文で願いを叶えようと言う気印。
960名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:25 ID:???
>>936
お邪魔します君よ。
>中村元先生の解釈によると 輪廻にせよ、業にせよ、無記の立場に立つブッ
ダが積極的にこれを主張した形跡はない。

そして積極的にその存在を否定したのでもない。
中村元氏はこのように書いている。
「このような思想を世間一般の呼称にしたがって、かりに「無我説」と呼ぶに
しても、それは決して「アートマンが存在しない」と主張したのではない。た
だ客体的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。アートマ
ンは存在するか、あるいは存在しないか、という問題に関しては、沈黙を守る、
というのが原始仏教経典に現われている思想的態度であった。」(「原始仏教」
中村元著 日本放送出版協会 P98)

>苦しみからの解放に向かう努力を説き勧めることという第一義の目的と矛盾
しない限りにおいて、社会通念のこれらを容認する立場をとったのであろうと
考えられる。

社会通念を容認するというよりも、ブッダは輪廻に関しては社会通念の中で生
きたというべきであると思う。その上で当時のアートマン観への対決姿勢を示
したのではないだろうか。そしてそれが苦から脱却する道であったのだろう。

しつこくキミに絡ませてもらったが、
一応これでキミに対する意見のまとめとさせてもらうよ。
961957:03/10/30 23:28 ID:???
>>959
そんなもんで願いがかなう訳ないだろ。
電波話を自信満々に語るとは・・・
お前も層化も一緒。
962お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/30 23:30 ID:6htZ7uNs
>>958さんへ
その考えは、完全にバラモン教です。
仏教はその考えを否定したところから始まったというのが、私の意見です。
963名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:36 ID:???
無記は釈迦の方便と考えたほうがいい。
層化信者には明らかに必要だが、ある種オカルトから
離れているような人たちにとっては、それほど深刻に考える必要はないだろうね。

>お釈迦様一人が悟りを開いたことで、何人の人が救われたのでしょ
>うか。
結局釈迦が意図した方向と正反対の方向に行っている気がするんですよ。
明らかに煩悩を増大させ、人間を悪い方向に持っていくような団体。
あってもなくても、さして意味がない葬式仏教が圧倒しているしね。
釈迦が仏教を説いたのには、既に高度なインド哲学があり、
論理を大衆が理解できると踏んでいたからでしょう。
思考→感情。ならいいのだが、大衆は感情→思考に移る。
大衆の欲得でどんどん新しい仏教が捏造されていった。
このまま行けば、仏教は救いと称して大衆の足元を救う宗教になりはてるかもしれない。
964546でーす!:03/10/30 23:40 ID:???

すいません。スレ立てたことないので、どなたかお願いできないでしょうか。

なんとなく核心にせまりつつあるようで……。このまま終わるのもったいな
くない?わりと良スレだと思うんだけど。
965お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/30 23:41 ID:6htZ7uNs
>>960さんへ
ありがとう。いろいろ楽しかったよ。結局回り全部がアートマンを認めている中で
布教するのだから、折り合い付けるしかないのかも知れない。原始仏典でも在家の
人に教えを説くときには、やはり業と輪廻の考えを使っている。

 いろいろな人とやりとりする中で、こちらも勉強になったしほかの人も含めて改
めてお礼を言います。

   有り難うございました。
      お邪魔しますより。
966名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:41 ID:???
>その考えは、完全にバラモン教です。
確かにそうなのだが・・・。
無記、輪廻転生からの解脱。どちらも支持している。
明らかに人間には魂があり、それが輪廻転生していると考えないと、
仏陀の解脱を理解できない気がするんですよ。

一言で言えば、死んで終わりなら、解脱しようが、煩悩にまみれようが、
実はどうでもいい。

967名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:48 ID:???
 仏教者が必ず修めねばならない基本的な3つの行三学という。
        八正道の行法を要約した仏道。
           学とはシクシャ=修行(仏道を行じること)で学問研究のことではない
            
戒(仏陀が定められた戒め=仏教の生活規範)を守って正しい生活を営み
定(禅定、静慮)を修して精神力を統一し
慧(出世間智、無漏智)を磨いて正しい世界観、人生観をもって真理を悟るという実践の大綱である。
 
これは慧(え)が生まれるには定(じょう)が必ず必要であり、
定が成立するには戒が守らねばならないことを示す。
 
〈戒〉 仏の四衆    在家  優婆塞  五戒
           .        優婆夷  八戒
           .   出家   比丘   二百五十戒
                   比丘尼. .. 三百四十八戒
 
〈定〉 静慮=身心を静かにし心を集中して統一を行い、思いが乱れない状態
    禅定=悟りの道への重要な実践行法=三昧、座禅、止観、観法
  
〈慧〉 出世間智=真理をひらく般若の智慧
    無漏智=煩悩の汚れがなく清浄である
        それに対して、世間〈一般社会〉の世間智=知識、知性
                           .  有漏智=煩悩がある
968名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/30 23:52 ID:6htZ7uNs
>>964
スレッド立てるのなら、最初のページの一番終わりに「新規スレッド作成画面へ」
と書いたボタンがあるから、それを押せば新しいスレッドが作れる。
969名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 00:07 ID:???
原始仏典の釈迦の言葉。

「ヴァッカリやバドラーヴタやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨てたように、
その様に汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るだろう。」
岩波書店「ブッダのことば」スッタニパータ1146

この言葉は層化信者にこそふさわしい。
970546でーす!:03/10/31 00:16 ID:???
>>968
うーん、仏教に詳しい皆さんのレス勉強として見てたんだけど
主要なコテハンさんが今後議論継続の意志がないなら……。
私じゃスレ維持できませんし。

でもいろいろ勉強になりました。ありがとうございました。
971名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 00:20 ID:???
リアル層化の方にありがちな性行ですが、相手が別に望みもしない親切の押し売りをして
誰々には貸しがある云々と言うものがあります。

この様なものは、断じて菩薩道に在らずです。
972お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/31 01:35 ID:MCPPXEC8
546さん、私でしたら「日蓮ってVer.10」に行きます。もともと「日蓮って」の
スレにいましたので。
973名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 01:55 ID:Zp7ld1G+
>953
法華経にそんなものがあるとは知らない。「白癩ノ病」というのは、らい病のことだろうか?
こんなに具体的なことが書かれてあるのだろうか、いったいどこに出ているのだろうか?
>955
悟りとは一般的な言葉で仏教用語としては使わないのではないか?
悟りの定義はない。例えば無類の理論家として知られる天台だが、彼は教えはとても大事だが実践(禅定)も大事で、魔訶止観のなかで
その修行方法としての止観の方法をこと細かく現しています。
しかし言葉による限界をよく熟知していて最終的には未完で終わっています。
それはわざとそうしたわけで言葉を越えた部分にあることを示したわけです。
つまり悟りとはどのようなものかについては語っていません。
一般的な言い方として、あの人は悟っているという言い方をするだけです。

原始仏典では六道輪廻ということで輪廻転生を認めているわけでしょ、、、それともあれは方便?
では業の考えも方便になる。

私の考えでは六道輪廻も業も本当のことで、六道輪廻は一念の表れで業はもちろん過去世の行いによる報いである。
つまり転生はあるということ、ただしアートマンといった不変の我は存在しない。
もともと我というのは、あなたではない私という、利己的なもので、意識の中でも表層のもの、これは不変でもなんでもない
生まれてから育った環境で多分にできてくる「われ」だと思う。
現在の「われ」が来世でも同じ「われ」にはならないということ。
ただどこに生まれるかとか、育つ環境、などなどは業によるもの、でなければ九識論なんてあるはずがない。
例えば深層心理には日本人とか男とかの無意識が存在します。それは「我」ではなく日本人という共通の概念だといえます。
その上にのっかって表層の「われ」という意識が存在します。その「われ」、「我」というもの、つまりアートマンは不滅ではないということ。
今の生で終わりではなく、再び生が生まれる。そうでなければ「業」をどのように理解するのか聞きたい。
人は生まれながら不平等だ、偶然はないのだよ。
974953:03/10/31 02:21 ID:???
>>973
「法華経・普賢菩薩勧発品」に
「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん」
とある。
「白癩の病」は・・・

びゃくらい 0 【白▼癩】
(1)皮膚が白くなる癩病。
(2)〔「そむけば白癩になる」という意から〕かたい誓い・決心の言葉として用いる語。
「いやぢや、―否ぢや/桐一葉(逍遥)」「―返してくれられと歯の根もあはぬ胴ふるひ/浄瑠璃・平家女護島」
(3)不意の出来事に驚いて発する語。
「―これはと抜き合わせ戦ふ所に/浮世草子・武道伝来記 7」
(大辞林 第二版)

ですな。
どうよ?
975名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 08:12 ID:???
法華経こわい。
976Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 10:00 ID:DMvL4zaW
>>954
だからね、悟りは説明できないことなの
悟りとは何かということを悟らないといけないの
誰の意見とかではなくて、あなたが理解しているだろう悟りは
魔道と呼ばれているものだからだよ
あなたが体験していることはすべて脳が作り出している仮想現実だよ
作り出した脳の問題ではない
作り出された仮想現実が悟りではないのですよ
だってそれは何時もあなたがいる仮想現実なんだもの
それを見ている「あなた」が悟るかどうかという問題だからだよ
これは信じているとかではなくて、そうやって見たときの
「あなた」という自分で悟るしかない
977919:03/10/31 10:12 ID:???
>一言で言えば、死んで終わりなら、解脱しようが、煩悩にまみれようが、
>実はどうでもいい

層化の人に以前同じことを言われたことがあります。
しかし、これが一般人からずれてくる元だと思うんですよね。
人にもよるでしょうが、私の周りの人はみな輪廻転生などは信じていません。
死んだら灰になると思ってます。それでも生きてる間にやりたい放題やろうとか
思う人はいません。自分や社会を向上させるために努力をする人がほとんど
です。その動機はさまざまで、一概には言えませんが。

私から言わせれば、来世があるんなら別に現世であくせくしなくてもいいやん、
って思いますね。ま、そういうと、来世にお前はなめくじに生まれるから、仏教の
修行は無理だぞとか言われてしまいますけどね。
なんでそうやってすぐ脅すのかと・・・w

それはともかく、輪廻転生は本当に釈迦の教えでしょうか?お邪魔しますさんが
言われたように、釈迦はこれを否定していると思うんですが。
大乗仏教は大衆部と言われたように、世俗化が上座部より進んでいたと思いま
す。大衆部の僧たちは、上座部への対抗上、教勢の拡大を目指さるを得ず、
当時、一般的に信じられていた輪廻転生を取り込み、仏教の理念として説くこと
により、大衆の支持を得、発展していったのではないかと思うのです。最初は
方便のつもりだったものが、いつのまにか定理のようになってしまい、後で取り消
そうにも取り消せなかったのではないかと・・・

当時、仏教は新しい宗教でしたでしょうし、布教対象のほとんどの人達は輪廻転生
を信じていた。カーストでがちがちに固められ、チャンスのない社会だったから、
社会に対する不満のガス抜きになりますよね。そのような状況下にあって、布教を
しようとした時に、頭書のように言われたとしたら、やはりこれは、困難だと感じるで
しょう。
あえて輪廻転生を否定せず、それを下敷きにして教理を作っていったほうが布教
はよりスムーズではないかと。
978919:03/10/31 10:12 ID:???
以前、どこかのスレに書いてあったのですが、層化の布教マニュアルみたいなものに
幸せな人には布教できないみたいな事が書いてあったと思うのですが、まさにこれ
で、層化が高度経済成長時代の落穂拾いのときは非常に教勢が伸びたが、それ
以降、日本が経済大国になり、物質的に豊かな今の時代には伸びは止まってます
ね。まあこれは、輪廻転生ではなく、それをさらにすすめた現世利益、一生成仏を
説いたからですが。

輪廻転生を真理だとした場合、硬直した社会制度に不満を持っている大衆が多数
の時には爆発的な力になるが、チャンスのある社会ではマイノリティにしか力を持
ち得ないのないでしょうか。社会状況に左右されるようなものが真理でしょうか?
釈迦の説いたことが普遍性を持つ真理という前提に立てば、それから逆に導かれる
結論として、輪廻転生は釈迦の説いたことではあるまいと思うのです。
979Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 10:17 ID:DMvL4zaW
>>958
定義するものが逆転してしまっているんだと思う

>人間には魂があり、それが輪廻転生している。
>その転生の輪を回転させることが、仏教における苦しみだ。
仏教における苦しみは「四苦八苦」こっちのほうがリアルだよ

輪廻転生などしなくても、六道は現実にあるじゃないか
現実社会じゃないか「天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄」
それらは「四苦八苦」が生み出しているんだよ
980Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 10:18 ID:DMvL4zaW
>>966
生きるということにもっと向き合ったらどうなの
981Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 10:20 ID:DMvL4zaW
で、どうするの?
新スレ立てるの?
982名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 10:23 ID:Zp7ld1G+
974
二千年も前にらい病があったかどうか疑問だな、
(2)のかたい誓い・決心の言葉として用いる語。そのように解釈したいね。
ことさらこの部分のみ取り上げて強調すべきではない、経文全体の大意をくむべきもの、人の邪念によって一人あるきしてしまう。
しかし、極めてめずらしい経文だね。日蓮大聖人の御書にも、成仏の相とか、ご臨終のときの状態で、それまで生きてきたときの心情がどのようなものだったか、とか
の記述はあるようです。あまり一般的な御書ではないので、ごく一部の医学関係者とかに講義されるそうですが、、、
983名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 10:29 ID:???
>976
文章が不明瞭でわかりずらいが、仮想現実を俺が話しているから駄目ということか。
あたりまえじゃないか。目で見る映像、耳で聞き取る音、
全ては、物質の周波数を脳が変換して作り出した仮想現実だ。
心理作用もそう。

だが、悟りとは、脳が作り出した自己意識ではない、別の意識で自己を制御するものだ。
だから、怒り狂っても、自分の意志で愛の感情を起こすこともできるし、
愛する人へ悪魔のような態度を取ることが出来る。
因果を超えているからな。

巷で言う悟りとは、脳の因果を超えた意識との出会いであり、そんなものはたいしたものではない。
悟りは誰でも必要な手順を踏めば誰でも起こる。
禅の考案なんて、大脳皮質を矛盾で麻痺させて、表層意識を消すためのものだからな。
ああいう行をやれば、悟りの体験を得られる。
984名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 10:39 ID:???
>>983
>別の意識で自己を制御するものだ。
>だから、怒り狂っても、自分の意志で愛の感情を起こすこともできるし、
>愛する人へ悪魔のような態度を取ることが出来る。
>因果を超えているからな。

‥‥‥。なんかずいぶんチンケなものなんだね悟りって。
そのへんの芝居小屋でやってる役者の卵にでもできそうなものみたいだけど。

>悟りは誰でも必要な手順を踏めば誰でも起こる。
>禅の考案なんて、大脳皮質を矛盾で麻痺させて、表層意識を消すための
>ものだからな。 ああいう行をやれば、悟りの体験を得られる。

それは魔境というやつでしょ。
悟りに至る前に、人を惑わす境地。
禅はそれに捕らわれてはいけないと教えているよ。
985名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 10:42 ID:???
>そのへんの芝居小屋でやってる役者の卵にでもできそうなものみたいだけど。
道を歩いている時、いきなり変態にナイフで刺されて、刺したそいつに感謝の言葉を言うことが俳優にできるか。

>禅はそれに捕らわれてはいけないと教えているよ。
それには同感。
986919:03/10/31 10:43 ID:???
自己認識のパラドックスというものがあるそうです。
自己(@)の意識を認識する自己(A)を感じたとしても、その認識する自己(A)を認識する
自己(B)があり、さらにその自己(B)を認識する自己(C)があり・・・・・とw
987984:03/10/31 10:45 ID:???
>>985
なるほど。なんとなく納得。
988名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 11:38 ID:Zp7ld1G+
977の考えは正しい。その時代背景には逆らえない、だから方便を使うのであって
原始仏典に説かれる六道の輪廻転生は方便です。
転生はあります。(生まれ変わりはない。)・・・・そうでなければ「業」はどのように解釈するのか?
「業」の概念も方便になる。
九識論はいまでは心理学でも説かれている哲理で、真実ですが何故生まれながらにそのような
共通意識が備わっているのか、、、もしこれが「業」によるものでないなら全が偶然となる。
とすれば偶然によって、われわれは支配されることになる、努力も偶然により、その結果を生む。
これが幸福か? 違うだろ。
>私から言わせれば、来世があるんなら別に現世であくせくしなくてもいいやん、
>って思いますね
臨終のときの一念が大事だとよくいいますね、この世に未練があったり、恨みがあったり、恐怖があったりすることは問題で
自己の生を一生懸命生きてきたと言いつつも、冷静に死を受け入れられない人もいる。

死後の世界があるのは事実、転生も事実、ただどちらにもとらわれてはいけない。
池田先生は「生も歓喜、死も歓喜」と言っていた。これはもう疑う余地のない事実だよ。
989名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 12:02 ID:???
>原始仏典に説かれる六道の輪廻転生は方便です。
どの原始仏典に六道輪廻が説かれてるの?
990お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/31 12:38 ID:kQDQUGve
新しいスレッド作ろうと思ったけど、規制されてだめでした。
誰か作れる人、新スレッドお願いします。
991Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 13:11 ID:DMvL4zaW
新スレ作ったぞ
続けてくれ
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1067573415/
992Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 13:18 ID:DMvL4zaW
>>983
>だが、悟りとは、脳が作り出した自己意識ではない、別の意識で自己を制御するものだ。
制御なんて関係ない
制御する「あなた」がするものだ

>ああいう行をやれば、悟りの体験を得られる。
悟りは体験では無い
体験した「あなた」がするものだ
993Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 13:25 ID:DMvL4zaW
>>988
「業」?生きてるってことだよ
転生なんて関係ない

死後の世界なんて無い、誰も見たことも体験したことも無い
事実などと嘘を書くな

>池田先生は「生も歓喜、死も歓喜」と言っていた。これはもう疑う余地のない事実だよ。
それはお前だけの事実だよ
994名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/31 13:32 ID:???
ブッダは普通に輪廻的世界観が流通していた社会に生きていたんだよ。
方便もなにもないの。古代インドでは常識なんだから。
わかんない人たちだな。
輪廻が嘘であり、方便であり、輪廻すべき主体は存在しない、
ていう主張をブッダがしている経典を示してくれよ。
995氏ね頃シ:03/10/31 13:32 ID:???
>>993池田がそー言ってたことが疑う余地のない事実なんじゃねーか?w
996919:03/10/31 15:28 ID:???
死後の世界や、霊魂について、釈迦は「無記」という態度であったのは有名な話ですよ。
毒矢の譬えとか、聞いたことがあるでしょう。
もちろん、否定はしていませんが、積極的に肯定もしていません。
なぜなら、こういったことは現実の苦しみを取り除くのに何の役にもたたないからだと言
っているのですよ。
釈迦は菩提樹の下で苦しみから脱する方法を悟り、死ぬまでその教化につとめていた
わけで、役に立たない形而上の事柄を説いたとは考えにくいですね。つまり、輪廻転生
などという体験もできず証明できないことに関わってるヒマはなかったと。w
997Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 16:30 ID:DMvL4zaW
>>995
それもそうだな、言っていたていう事実はね
(でも、ゴーストライターかもよ)
998     :03/10/31 19:48 ID:???
おまいらよく考えて見ろよ。
創価学会員は日蓮の直筆を見た事がない(写真などには撮ってはいけないとし、一切
日蓮の本尊を教えない。)

創価学会員は日蓮の直筆を拝んだ事がない(日蓮正宗大石寺の板本尊はニセモノ。)

創価学会員は日蓮の直筆を広宣流布した事がない(ニッケンもニッカンもニッタツも
直筆に比べたら只のラクガキ)

  以上の理由から、創価学会及び日蓮正宗の相続は日蓮とは何の関係もありません。
999     :03/10/31 19:52 ID:???
創価の教えは日蓮と関係ありません。
1000波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/10/31 19:54 ID:LKygQ04g
1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。