日蓮って Ver.8

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749ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys :03/07/30 23:19 ID:???
さて>>746に補足ですが、お祭りのヤキソバはお祭りの現場で食べればおいしが、ウチに
持って帰って食べるとあまりおいしいと感じない、というお祭りのヤキソバ理論とでも
呼べるような、場の雰囲気による暗示力が、こうした精神身体医学的効果をかもし出すで
あろうという意味においては影響力を持つようなものではあるでしょう。

ご本尊がどうのというのはそういう暗示効果を狙ったもので、それも結局は心理学に還元
されてしまうべきものでしょう。そうした影響力と神経と内分泌系の関係を科学すること
もできることでしょう。

それが「法華経」と特定のお経と結びついた権威、あるいは「不思議で」「神秘的な」
「束縛する何か」であるという観念として流布されるべき必然性は、現代ではもはやない
のです。そのようにしてしまうからこそ、迷信的な恐れを抱かせる暗示力や影響力となって
人を心理的に呪縛するようになるわけです。それが先の法華経自身にさえ記載されてもいる
呪術的、迷信的な信念によって<根拠>づけられてしまったりしているわけです。しかし
それを結びつける根拠は本当はどこにもないわけです。
750:03/07/30 23:59 ID:Hatv7nsv
》菩薩ちゃん
いえいえ。
こちらこそです。
反学会と学会員、認識した間柄でも仲良く出来そうですね。(^_^)v
751にせボトケ:03/07/31 00:28 ID:???
あーめんどくさいんで、覚えてる程度で書くよー。
歴史家の網野の本からの受け売りの話。
一遍上人の絵巻みると、農村で布教してないんだよね。なんでか。農村は地縁血縁共同体が
発達してんで、新興宗教いらないんだよね。
必要だったのは、鎌倉室町にかけて富を蓄を求めて都市に集まった新興の「町衆」なわけ。
貿易や流通が発達したその時代の都市にはそんな根無し草なヤツがいっぱいいたのよ。
で、そいつらみんな「寂しい」んだな。基本的に。だから一遍はそいつらに念仏ダンスを教えて
やったのよ。そしたらそれがメチャ流行った。さらに、人の移動の激しい都市ではカモは大量に
いるのよ。これが。

鎌倉仏教ってそんな感じだよね。

カモの長明か吉田ケンコーも「インチキ坊主多すぎ」って書いてるよな。鎌倉時代は動乱の
時代って学校で習ったか?まあ、動乱そのものより、人間の移動が影響してんだけどな。

752695:03/07/31 00:30 ID:rPAqoQdZ
>>733
確認しておくが、形而上に対するスタンスは“無記”だよな?
「アルともナイとも答えない」と。どちらか一方に執着すべきでないと。
その意味でオマイは“ナイ”に執着している?
原始仏教が厳しく戒めた『我執』と『断見』の二重の過ちに陥ってないか?

>怖いから納得のいかない自然現象に想像上の概念を持ち出して安心させるのも
>アリだといいたいのか?
>後に続く文章はその前提と何の関連が?
“無記”を踏まえる意味で「認めないと」前置きしつつ「アリもやぶさかではない」と述べている。
“無記”なのだから言語で表現するには限度がある。言い回しのニュアンスで表現していると解釈してくれ。

>それはあくまで仮想概念の投影であって事実ではないよ。
>自然現象に神霊や神や仏を投影している事は明らかにアニミズム。
>藻前の立場がどうあれ日本語の意味合いからすればそうなるが。
“アル”執着すればアニミズムやシャーマニズムの外道に陥ると言うことだ。
“ナイ”に執着するのも同様。

>実際に信仰をはじめたら、民族の生活スタイルに合わせて
>変わってしまうのも仕方がないといいたいのか?どうやっても変わってしまうと?
結論から言えばそういうこと。
信仰が生活に入り込めば入り込むほど、風土・風俗などと深く癒着する。
精霊・守護神等は元々は民族固有の文化に由来するから愛着が深い。慣習、風俗なども同様だ。
戒律で縛ればある程度は何とかなるが、行き過ぎれば本末転倒になる。

そこで信仰上の智恵として「アル」とも「ナイ」とも答えるべきものではないところを、
「認めるとしながら否定し、否定するとしながら認める」と折り合いをつけつつ消化する。
最終的に“無記のスタンス”に回帰させればよいのだから。

<つづく>
753にせボトケ:03/07/31 00:31 ID:???
それから二代目の戸田が街金で、池田が取りたてやってたのも鎌倉ッぽいよね。中国銭が流通
しはじめ、貨幣経済が発達し始めた時代、貨幣に関わる業務をこなしてたのは結構坊主だったり
する。そんなところからも「町衆」との繋がりが出来るわけだ。

戦後まだ貧しい頃の街金戸田と池田は都市や郊外に集まる新興下層階級にアクセスする機会
は豊富だったわけだ。そこではやったんだな「層化ダンス!!」。カッコエー!!!!

まあヒップホップやってんのといっしょだからいいんだけどよ、層化のヤツだってイヤだろ、家の
前で踊られたら。いきなりお前のうちにB系来て「入らないと地獄に落ちる」とかな。

俺はやりたくないね。層化。現代人だし。孤独を受け入れ生きてゆくことを恐れない。むしろそれが
ホトケの教えに叶うようにも思うしな。(高校時代、維摩経とか読んでたりして……。)


754695:03/07/31 00:31 ID:rPAqoQdZ
<つづき>

>仏教で言えば実際に変わってしまったのが大乗仏教。変わらないのが上座部だろ。
これはオマイの比較の仕方が間違っている。
テクストとしての上座部と、信仰として実践されている大乗を比較しても意味がない。
文書が何千年経とうが不変なのは決まっている。

>つまり藻前は法華経も変質し変容したものの一つである事を認めた上で、
>自分もそんなものを信仰していると認めてるのか?なら意味ないじゃん。
>やめちゃえよ。
お釈迦様を“神様”にしちまった教えが広く流布したようだが、振り子同様必ず原点回帰の流れが現れる。
“原典”に戻らずとも“原点”に戻ればよいのだ。
法華にはそのコンセプトが含まれているというのは、多くの人が認めるところだと思うが?
詳細は省く。興味があれば自分で調べるこった。

>どうやっても変わってしまうから無理だと言いたいの?結局は組織宗教だから
>いけないんだろ。個人単位での信仰でいいじゃん。
組織の場合も個人の場合も両方のケース(イイもワルイも)を知ってるので答えようがない。

>ところでどこぞの教団ってどこの事?
阿含経典をよりどころにする教団が一つや二つなかったか?

要するにオマイの言わんとするところは、無意味な脈絡で「神仏のご加護」とか
「御仏のおはからい」などとまき散らす人間がウザッタイと言うことだろう?
そんなモンはおそらくオマイの何倍も俺のほうが見てるよ。
755にせボトケ:03/07/31 00:33 ID:???
ま、一遍とか日蓮はほんのもだけどな集客数が違う。一遍がオールドスクールだとすると日蓮
はより過激でニュースクールかな。

それはさておき、ガカーイもそれと一緒。校長先生の頃は数が少なかったが、池田の時代に大
きくなったのは、50年代の戦後社会において、疎開からの帰還者、引き上げ者などが都市周縁
の「郊外」に新勢力として台頭した時代。また続く高度セイチョウ期には田舎から、学歴やチャン
スを頼りに大量に上京者が発生した時代。

練馬とかで流行るのわかるよな。終戦後なかったんだぜ!練馬って。急激に人口増加して、確
か26年ごろ板橋から独立したのよ。「寂しい」ヤツらが一杯いたのよ。だから層化多いんだな。
(実は俺練馬)

懐かしの田舎共同体から離れたヤツらはみんな「寂しい」んだな。日本人なんだよ。血縁とか地
縁とかほんとは欲しいんだよ。つるんでやりたいんだよ「祭り」が……。
756655:03/07/31 01:10 ID:???
>確認しておくが、形而上に対するスタンスは“無記”だよな?
ああ、そのとおり。

>「アルともナイとも答えない」と。どちらか一方に執着すべきでないと。
>その意味でオマイは“ナイ”に執着している?
いや、“ナイ”に執着する経典に異を唱えてるだけだけど。どちらかも解らないものを
確信させようとする下らない御伽噺だとね。

>“アル”執着すればアニミズムやシャーマニズムの外道に陥ると言うことだ。“ナイ”に執着するのも同様。
おいおい、法華経はモロに“アル”に執着しているアニミズムだろ。
日蓮宗は日蓮シャーマニズムに陥っているし、争禍は池田シャーマニズム。

>結論から言えばそういうこと。
戒律で縛らなくとも普遍の性質を保つ事は不可能では無いと漏れは思うけどな。
無記の立場から見てもそうでなくとも。いずれにせよ法華経は変質後の捏造、変造、増補、
推測で有る事は免れていないと藻前も思っているわけか。

>そこで信仰上の智恵として「アル」とも「ナイ」とも答えるべきものではないところを、
>「認めるとしながら否定し、否定するとしながら認める」と折り合いをつけつつ消化する。
>最終的に“無記のスタンス”に回帰させればよいのだから。
法華経はそんな折り合いはつけていないがね。蜜に溢れる仏界、護法の神々、久遠実成の仏、
そのどれもが確実に実在するとする世界観は到底、
こちらが原点と見る“無記のスタンス”とは相容れない世界だ。
それが原点に回帰しているとするなら、その原点は仏教やウパニシャッド以前の思想だろうな。
757乾闥婆:03/07/31 01:14 ID:+aQ5PpaS
>>746
>いやそうじゃなくて、純粋にそう思うからですよ。

「純粋に」創価学会など消えてなくなればいいと思っているのでしょう。

>なかなかすばらしい表現ですね。

では創価学会の本質が「生理学的効能」には存しないということをお分かり頂けたでしょうか。

>それは言葉の持つ音韻が体に与える影響力、
そしてそれに乗ぜられる意志の力の相補的な内分泌系の免疫力との相関現象であるはずで、
そこに法華経がどうのという意味的問題が入りこむ隙間は本来的にないでしょう。

ですからそのような「内分泌系の免疫力との相関現象」と関係のない部分、
意味として作用する物語としての法華経・日蓮こそがその本質であり、
それは「生理学的効用」などとはなんの関係もないことがお分かり頂けたでしょうか。
758乾闥婆:03/07/31 01:16 ID:+aQ5PpaS
>>747
>カンダツバさんは「宗祖を愛すること」が「真理」と論理的な関係性を有するのであるという
事を述べられていますが、

いいえ、私の言っていた「愛」は異性に対する愛です。
そしてそれは論理と関係がないということを言ったのです。

>「本当の本当(科学的真理)はどうなっているのか」ということは無関係なことですね。

ですから「科学的真理」などというものでは語れないものだといっているのです。

>「科学の真理の次元ではない種類のもの」です。

それは私が繰り返し言っていることですよ。

>そのようなものは結局は「真理の価値」を否定することに繋がり、
結局は「正しく真理を知って」それを「正しく応用する」ことでもたらされる
「本来の利」を阻んでいると言えるでしょう。

「本来の利」とは科学のもたらす「利」のことでしょうか。
それなら物語としての宗教と共存できることでしょう。
それらは別のものなのですから。
759乾闥婆:03/07/31 01:17 ID:+aQ5PpaS
>>747(続き)
>創価学会は「利」を最重要においた以上、その追求を外したら本来の目標をどこかへ
やってしまったことになります。

むしろ「善」を最重要においたように思うのですが。
「そのための科学を追及するというのが本来の行き方」とはどこから導き出されるのでしょうか。
価値を見出す生き方は「科学を追及する」ことを必ず必要とするとは思えませんが。

>そのためにたまたま「日蓮は利用できる」となっただけなのですから、

日蓮仏法に価値を見出したと言うことが、なぜ利用できるという表現になるのですか。
利用できるというのであれば、そうではない本質を隠し持っていなければなりませんが、
むしろ自身の価値判断にその宗教がよく合致したために彼らは入信したのでしょう。
760乾闥婆:03/07/31 01:18 ID:+aQ5PpaS
>>748
>創価学会はあくまでもそうした「利」の追求集団であって、
<仏教>がどうだの集団では元来はないはずです。

「利」「善」と言ったものを実現できる宗教として彼らは入信したのでしょうから、
「元来」「<仏教>がどうだの」といった集団なのだと思いますが。


>もしいままで奉じていた<仏教>が不都合になったら、そこでそれを
捨ててあたらしい<仏教>に鞍替えする。これが創価学会らしい姿ですね。

本気でそのようなことが創価学会らしい姿だと思っているのですか?
一度地域の座談会にでも出てみてはいかがでしょうか。
「これからは日蓮仏法を捨てて真言宗の教義を奉じます」と宣言したら、
終わってしまう集団であるとことが分かるでしょう。

>どっちにしろ創価学会という世俗集団は純粋な原理主義集団にはなれないはずです。

「TM」的心理学集団になるよりもよほど現実味があると思いますよ。
御書根本ということも強調しますし。

>日蓮は創価学会にとっては第一原理ではなく、あくまでも第二の原理でしょう。

日蓮も現世安穏は言うのですから、第一も第二もないのではないでしょうか。
761乾闥婆:03/07/31 01:19 ID:+aQ5PpaS
>>749
>ご本尊がどうのというのはそういう暗示効果を狙ったもので、それも結局は心理学に還元
されてしまうべきものでしょう。

つまり意味は力を持つと言うことです。
法華経・日蓮の生涯といったものの持つ意味を切り捨てては本質を見誤ると思うのです。
762655:03/07/31 01:28 ID:???
>これはオマイの比較の仕方が間違っている。
>テクストとしての上座部と、信仰として実践されている大乗を比較しても意味がない。
>文書が何千年経とうが不変なのは決まっている。
実践の繰り返しで変質、捏造、想像、増補を生み出すというのなら
不変の文書のみを実行すれば良いまで。どう詭弁を繰り返そうが、
仕方なく変わってしまったからといって間違っているものなど実践に値しない。
漏れは「仕方がなかった、実践するうちに絶対に変わってしまう」とは思わないがな。

>お釈迦様を“神様”にしちまった教えが広く流布したようだが、振り子同様必ず原点回帰の流れが現れる。
>“原典”に戻らずとも“原点”に戻ればよいのだ。
>法華にはそのコンセプトが含まれているというのは、多くの人が認めるところだと思うが?
>詳細は省く。興味があれば自分で調べるこった。
お釈迦様を“神様”にしちまった教え、それこそ正に大乗だろ。
法華にそのコンセプトが含まれている?どこが?誰も認めてないよ、そんなの。
以後は上のレスで代用。

>組織の場合も個人の場合も両方のケース(イイもワルイも)を知ってるので答えようがない。
教えてくれる者が居ない事も、共にやれる仲間が居ない事も、布教が出来ない事も
争禍のようなカルト集団を生むよりは遥かにマシだ。集団で誰かを祭り上げるからそういう事になる。
阿含も同様。個人で仏典の在家流の実践でもすればいい。

>要するにオマイの言わんとするところは、無意味な脈絡で「神仏のご加護」とか
>「御仏のおはからい」などとまき散らす人間がウザッタイと言うことだろう?
ウザイんじゃないの。漏れのスタンスは「御伽噺信仰などやめてしまえ」これ。
日蓮系は全部そうだろ。藻前も日蓮系の法華経信奉者だよな?
763655:03/07/31 01:30 ID:???
>>756の六行目の訂正
דナイ”に執着する経典に
○“アル”に執着する経典に
764菩薩チャン ◆Ho5/jm2lLc :03/07/31 03:11 ID:???
北sama来てませんか・・・。

ではまた・・・。
765:03/07/31 03:31 ID:+ZvXzTcb
はい来てますよ。というか観てました(^_^)v
766???:03/07/31 04:33 ID:???
クラブハウス・・・・・・
767学会員ならば、:03/07/31 04:44 ID:???

学会員ならば、けっこう学会員の早死にが多いのを、
 肌で感じていると思うが。

友人葬にもたまに出席させていただくが、天寿をまっとうされた方の葬儀にはでたことない。
 率直に言って、健康面での題目の功徳は感じられないよ。

むしろ学会員って、どうしてよく体調を崩すのだろう、と不思議に思う。
768宗教は麻薬:03/07/31 08:51 ID:???
>>767
1病気でも広布の為に無理をする→2体を壊す→3体を壊しても
ガンガルので長期的な身体ダメージが蓄積→1から3の繰り返し→早死に
ごくごく当たり前の話でしょ。
脳内麻薬でハイになるから多少の無理ぽもぶっとんじゃうんだよね。
活動が楽しいからと言って限度を知らずにやっちゃう中毒患者が多いのよ。
これじゃ本当に麻薬だよな。
769お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/07/31 10:54 ID:oDv07PxH
法華経は理屈や理論で理解するものではないと思う。
一度原点に返って、なぜ法華経が二千年近く伝わってきたか、日蓮が
大衆を救うには法華経しかないと信じるようになったか。そしてその
日蓮の教えが七百年以上も生き延びてきたか。

一度この方向から法華経に近づいてみると、違う見方が出来るのでは
ないかな。
770695:03/07/31 16:51 ID:???
>>756
それにしても人の信仰に対して「やめてしまえ」などと、
脳ミソの逝っちまったアクティブなソーカでもキョウビ滅多には言わんぞ。

オマイは右の端か左の端にしか線引きの出来ないタイプか?
白黒はっきりさせなければ気が済まず折衷と言う概念が無い。
そんなオマイとこれ以上「無記」について語るのは不毛だな。
原点回帰としての法華の文脈を紹介する用意があったがヤメた。
法華否定の方向に完全に振り切れてるようだからな。

オマイは口では上座部を宣揚し、その姿は上座部で戒められた「我執」そのもの。
実践としての信仰が不条理を伴うことはオマイ自身の姿が図らずも証明してしまった。
仏教の変遷はそのことを通して推して知るべしだ。

そんなことより何故オマイがそこまで法華に対して執着するのか、
オレの興味はそっちに移ったよ。
さぞや秘めたる強い動機があるのだろうと根ほり葉ほり聞きたいくらいだ(w
おれに対して「法華の信奉者か?」と繰り返し尋ねるのもイイ執着ぶりだった。

まぁ『御伽噺』の一点張りで済むのだから論難するオマイの方は楽でヨカッタな。
法華は“御伽噺”だよ。承知で信仰してるんだよ、おれに限らずな。

じゃあな。
771傍観者 北:03/07/31 16:59 ID:VNeKe8Fi
執着こわ〜い
772:03/07/31 17:16 ID:???
自分が、正しいと思い真面目に 前へ前へ進まれている方は素晴らしいと思います。
お互いを、認め合う気持ちを持ち続けて生きたいと思います。
773名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/31 17:24 ID:???
>>772
それは日蓮仏法の精神を尊重していない!
774:03/07/31 17:27 ID:???
横レス・・・失礼いたしました(スレ違いだし)

落ちます^^ では、また。。。
775:03/07/31 17:30 ID:???
あ、>>773さん・・・

今見ました。でも私がここ最近感じたことなのです。
間違ってるとしても 私が思ったことを素直にかきました。

776傍観者 北:03/07/31 18:21 ID:DJf2FjIi
物事の分別は無い方が好きだ。
物事の分別があるから、迷ってしまう。
主観だけで生きていられるならば、
そんな世の中ならば、楽だろうな。
一人言です。
返答は無用(^_^)v
777傍観者 北:03/07/31 20:54 ID:VNeKe8Fi
「私は 私は」とか 「私の考えでは」とか言い出す人間は、一見、考え深そうに見えるけど、実は自分のことしか考えていない。他人のことを考えているようで、自分を押し出すことしか考えていない。心は自分の欲で迷い、自分のことすら分かってない。

778要するに。:03/07/31 21:27 ID:???
>>777 ですから、データの真偽について話しましょうよ。要するに法華経信者同士、「争いが絶えない」という根拠データとしてでも・・・

破門十年
対創価学会裁判一覧

資料編bP
日蓮正宗宗務院作成

【学会側が原告の事件】125件中、48勝12敗、和解18、係属中47

N0. 提訴年月 事 件 名 確定判決裁判所 判決確定日 勝敗
11平成3.11 覚宝寺埋葬事件 甲府地裁都留支部 H 5. 5.24 和解
12 平成4.1 調御寺議事録事件 大阪地裁 H 7. 8.31 ○
13 平成4.1 福生寺御供養返還事件 和歌山地裁 H 5. 7.20 和解
14 平成4.1 法道院墓地名義変更事件 東京地裁 H 4. 8.27 ○
15 平成4.1 学会破門無効事件 静岡地裁 H 4. 3.19 ○
16 平成4・2 妙栄寺遺骨事件 大阪高裁 H 7. 7.26 ○
17 平成4.3 右翼街宣禁止仮処分異議事件 静岡地裁富士支部 H 4. 7.15 ○
18 平成4.3 興道寺遺骨事件 名古屋地裁一宮支部 H 8. 5.20 和解
19 平成4.3 実正寺遺骨事件 松山地裁今治支部 H 8. 7.1 和解
20 平成4.4 実正寺未払賃金事件 高松高裁・ H 8.11.28 ●

779傍観者 北:03/07/31 21:45 ID:XqpfMZMh
>778
資料どうもありがとう。
780Σミ ̄□ ̄;ミ@はにわ ◆8T2UdgniEw :03/07/31 23:32 ID:UeY8oCx2
>>731

無責任に言えば多分、「創価教育学会」の理論ではないかと。

781:03/07/31 23:52 ID:OycnP3oz
》菩薩ちゃん

菩薩ちゃんいますか?

昨日のご用は何でした?

また1時頃のぞきます。
782655:03/08/01 01:53 ID:???
>>695
>それにしても人の信仰に対して「やめてしまえ」などと、
>脳ミソの逝っちまったアクティブなソーカでもキョウビ滅多には言わんぞ。
意味がないからやめておけと。一般的にみてごく当たり前の発想だけど。
藻前もさ、「パソコン捨てて出家しろアホ」「能書きはいいから上座部いうなら、
タイやミャンマーの僧侶になれや」「布施を受けるに値しない人間が、
えらそに上座部語るなよってこったよ」こんな事言ってるよ。藻前のが強制的な発言してるよな?
偉そうも何も小学生でも解るごく当たり前の話しかしてないはずなんだけどね。

>白黒はっきりさせなければ気が済まず折衷と言う概念が無い。
>そんなオマイとこれ以上「無記」について語るのは不毛だな。
>原点回帰としての法華の文脈を紹介する用意があったがヤメた。
>法華否定の方向に完全に振り切れてるようだからな。
白黒も何も常識人なら自明の理。折衷は嫌いでは無いが御伽噺と現実の折衷はどうかとおもうね。
現実と現実どうし、ヨタ話とヨタ話どうしならおおいに折衷歓迎だ。

原点回帰としての法華の文脈など有りそうもないな。
藻前の解釈で「お釈迦様を“神様”にしちまった教えが広く流布したようだが、
振り子同様必ず原点回帰の流れが現れる。」と有るが
そもそも法華経は「お釈迦様を神様にしている教え」そのものであって
原点回帰の解釈の部分が多少有ろうが、その解釈で全体のスタンスが変わる事はないはず。
その文脈だけで「お釈迦様を神様にしている」法華経全体の世界観を完全に覆せるのか?

>オマイは口では上座部を宣揚し、その姿は上座部で戒められた「我執」そのもの。
確かに自論についての「我執」はあるし「多くの人に人生をスポイルして欲しくない」という「我執」もある。
藻前も自論や法華経その他に対しての「我執」があるな。だが漏れは実践者でもなければ
現在は信仰者でもない。何の証明にもならないよ。それなら口を挟むなと言いたいか?
783655:03/08/01 01:56 ID:???
>実践としての信仰が不条理を伴うことはオマイ自身の姿が図らずも証明してしまった。
>仏教の変遷はそのことを通して推して知るべしだ。
実践にあたって、教義の変遷を防ぐ為に出来得る最上の行動をしている相手ならまだしも、
漏れごときの香具師を引き合いに出して「証明する」とは。随分こちらを買ってくれているな。
まず漏れは宣揚はしたが実践しているわけではない。くどいようだが漏れは変遷は必然とは思っていないし、
変遷後の経典でなくそれ以前の経典を用いて個人信仰をすれば良いと言っている。

>そんなことより何故オマイがそこまで法華に対して執着するのか、オレの興味はそっちに移ったよ。
>さぞや秘めたる強い動機があるのだろうと根ほり葉ほり聞きたいくらいだ(w
>おれに対して「法華の信奉者か?」と繰り返し尋ねるのもイイ執着ぶりだった。
初めは法華経を含めた大乗仏教はと言っていたはずだが。
漏れなら法華経に限った事ではないよ。ここが創価板で日蓮スレだからな。
所詮は法華経、所詮は密教、所詮は浄土教、所詮は○○経、所詮は大乗の御伽噺。
むしろ藻前が法華経に執着しているのは>>674-688の必死な厨房発言を見ると痛いほど伝わるぞ。
どうして2chの書き込みで経をけなされた程度でキレるほど頭がユルいんだろうな。
幼児期から長い事慣れ親しんだんだろうね。そろそろその呪縛から逃れてみてはどうかな。

>まぁ『御伽噺』の一点張りで済むのだから論難するオマイの方は楽でヨカッタな。
証明も出来ない事をあったと言ってる御伽噺なのは事実だからな。当たり前の事実だから楽で当たり前。

>法華は“御伽噺”だよ。承知で信仰してるんだよ、おれに限らずな。
そんな香具師はごく少数だと思うがね。バリの争禍には皆無だろうな。
それどころか心の底では藻前も御伽噺だとは思ってはいないだろう?
いくつかの質問の中で、霊的な守護神と即身仏の事以外に答えなかったのは、
どれか一つでも信じていると言えば議論に優位に働かないからではないか?
違うと言い張るならこちらも部屋の環境やら何やらと下らない質問に
全て答えたのだから、>>692にも返答が欲しいところだな。
784Σミ ̄□ ̄;ミ@はにわ ◆8T2UdgniEw :03/08/01 02:38 ID:TkB6jkNY
笑撃的にヨコレスいいですか?

アニミズム 3 [animism]

事物には霊魂(アニマ)など霊的なものが遍在し、諸現象はその働きによると
する世界観。E = B =タイラーは、これを宗教の原初的形態と考えた。
精霊崇拝。霊魂信仰。

785阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/01 03:13 ID:TwLcvrLp
ちょっと横レス

>>770
>折衷と言う概念が無い。
「無記」は折衷ではありません。その種の論題そのものの否認です。
>原点回帰としての法華の文脈
これは興味深い視点ですね。梵本和訳を読むとその輪郭がつかみやすいかも。

>>782
>法華経は「お釈迦様を神様にしている教え」
「神様」にしているというより教法の擬人化かなと思いますね。その萌芽は原始佛典にもみられます
し、阿含経典を注意深く読めば興味深い発見もあろうかと思います。
786名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 03:20 ID:???
法華経は、よくしらんが
日蓮大聖人=創価学会だとしたら
開祖日蓮上人という人物はろくでもないな
法華経=創価学会だとしとも
法華経は仏教史に残る最悪な産物だ。
787名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 03:39 ID:???
マルクス理論、チュチェ思想、その他信仰宗教
どれだけ、すばらしいものなのか説明され納得できても

  これだけ人々を苦しめる法とは何か?

結局、理論はどうであれ。
人様に「入らないと不幸になる」とか
「地獄に落ちる」などとほざき
逆に学会員の大多数が不幸になっている。

なにがともあれ、まったく現世ご利益がその反対のようにしか見えん。
組織の不透明さ、闇に葬るやり方ごまかし、
布教のやりかた。うさんくさいものばかり

口ではどうとでも言える、口八丁の池田先生式勧誘営業はやめろ。

すべては、行いの結果(OUTPUT)で判断できるのなら

創価学会自体の存在価値なし、 
むしろ社会の害毒のなにものでもない。
788:03/08/01 03:51 ID:NtkIgMqC
貴方も私も、大宇宙の現象に支えられて呼吸をする。それは、一時の時間の中に刻まれたさざ波の連続の様で、不意に道端の石ころが、こちらを見て微笑むのもそのせいである。
789名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 10:24 ID:???
とりあえず。 
消費しましょう。
790菩薩チャン ◆jxxw.PzZww :03/08/01 10:24 ID:???
>>781 北samaヘ・・・^^

お返事遅くなってごめんね。。。m(_ _)m
ちょっと聞きたいコトがあったのだけど(もー解決しました)ありがとっ♪

今日から、しばらく留守にします★
また帰ったらおじゃましま〜す。マル

では、行って来ます。
北sama・・・お体には、十分気を付けて下さいyo・・・。(寝不足etc・・・)w
791お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/08/01 10:54 ID:EM01kGnz
 今の人は、西洋的な教育のせいか科学的、合理的、倫理的な考え
方に馴れすぎている。だから自分の頭脳の働きの範囲内で物事を判
断し、それが出来ないと「不合理」として排除してしまう。
 また自分の五感、認識の及ばないことも「虚像」と呼んで否定する。

 でも芭蕉の「閑けさや岩にしみいる蝉の声」のように文字面からで
は「不合理」でも、感覚的に訴えてくるものがあるのです。

 法華経の熱心な信者である宮沢賢治はたくさんの文学作品を残しま
した。それらは決して実生活に役に立つものではございません。でも
それを読む私たちの心に、何か訴えてくるもがあるのは、確かです。

 法華経のたとえ話の裏に何があるか、それを感じ取れればまた違う
世界に出会えることと思います。
792お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/08/01 11:21 ID:EM01kGnz
>>791のつづき
 上の方で法華経の批判をしている人の言い分を見ていると、芭蕉の句で
蝉の声が岩に染み込むことはおかしいとか、そんなにうるさく蝉が鳴いて
いるのに「閑けさや」とは何事か、と文句を言っているようなものだ。

 何度も言うことだが法華経の世界は「非合理」「感覚」の世界なんだ。
理論や公式や理屈を越えたところに、あるんだよ。あなたの感性で感じ取
るものなんだ。
793:03/08/01 14:08 ID:0gw9qsNR
菩薩ちゃん》
解決したの。
よかっかね。
でもちょっとその内容聞いてみたかったな(^_^)v

ちょっと留守にするんやね。
わかりやした。
いってらっしゃい。
794:03/08/01 14:24 ID:qx9Nv0fh
読み方人それぞれ。しかし読んで得た知識をぶっきらぼうにふりまわしては淋しい。
795名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 15:02 ID:???
>>792
法華経の世界から何かを感じ取って、選挙で勝利だの
世界中から顕彰だの、日顕だの仏罰だのってことだね。

立正安国ですよ。立正安国。
797名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 15:09 ID:???
>>796
立正安国って法華経を奉じないと日本はだめになるってことでいいの?
学界的にも同じかな?
798695
>>782

>白黒も何も常識人なら自明の理。折衷は嫌いでは無いが御伽噺と現実の折衷はどうかとおもうね。
>現実と現実どうし、ヨタ話とヨタ話どうしならおおいに折衷歓迎だ。
そうかい?折衷は相反する同士でするから面白いと思うのだが?
矛盾で煮詰まった状態を一歩先へみたいな。

>漏れごときの香具師を引き合いに出して「証明する」とは。随分こちらを買ってくれているな。
>まず漏れは宣揚はしたが実践しているわけではない。くどいようだが漏れは変遷は必然とは思っていないし、
>変遷後の経典でなくそれ以前の経典を用いて個人信仰をすれば良いと言っている。
聖典を実生活に反映させようとすると、そのギャップがあまりに大きいということ。
よって戒律を設ける。戒律を設ければ相反する価値観同士が分裂する。
分裂すれば各々の教団で教理が刷新される。

個人においても己で己に戒を課すわけだから教団と同様、
自己の抱える相反する価値観が葛藤し教理が変遷してゆく。
例えば「不妄語戒」がそのうち「嘘も方便」に成っていくとか(w
<つづく>