【資料】原島嵩による池田大作像【資料】
昨年出た資料です、池田大作に発する創価学会の「呪術的(真言的、マントラ的、
ヨーガ的)実像」がここから伺うことができます。出典は「池田大作創価学会の真実」
p.251〜264です。原島氏は幼少時代より創価学会どっぷりの人生を歩み、少年時代から
池田大作氏の弟子であり、池田の本質を如実に表現するドキュメンタリーを著わして
いるでしょう。
[U]仏教用語で飾りてた池田の狂信
数珠さすり
池田は、創価学会の頂点にあって、会員を徹底的に無知暗愚な者としてさげすみ、
自らは悟りきった仏のように振る舞いました。そのために、おびただしい仏教語が乱
発されました。しかし、それらの言動は大いにうさん臭いものであり、言葉も無内容
なものばかりでした。
そこで、ここでは池田の信仰の根にあるものを洗い出してみることにいたします。
霊感、マジナイ、感応、祈析と書けば何やら連想ゲームじみてきますが、これは他
でもない池田大作の体内を流れる血ともいうべきものです。
池田の元の宗旨は祈祷の本家である真言宗でしたが、あたかも池田はその血筋を大
切に守るかのようにマジナイじみたことを平気で行なっていました。その方法は、数
珠で病人の体中をさする、患部を数珠で叩く、頭を放珠でさすり祈念する、など多様
でした。
>>579(続き)
もちろん、これらの行為は、
「法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通刀とにはよるべからず」(唱法幸題目抄・
新二三三)
と示された大聖人の教えに反し、日蓮正宗の教義にも背くことですが、信仰心のない
池田は、むしろそれらの行為を得意気に行なっていたのです。
「末だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人
もいないんだ。これはひそかに自負している」(S靴。8t2、内部文書t池田発言)
これはウソです。たとえば私の父は、昭和三十丸年十二月に五十五歳の若さで急逝
しました。北條浩第四代会長も、昭和五十七年七月に五十八歳で急逝しました。なに
よりも、自分の次男・池田城久が昭和五十九年十月に二十九歳で急逝しました。これ
らの人たちは、池田の頭の中(意識)に人っていなかったとでも言うのでしょうか。
池田は〃数珠さすり〃のマジナイを自分の母親にも行ないました。
「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のおふくろは八十一歳になるが、実
は一度死んだんだ。葬式まんしゆうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意
した。私も久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初め
て数珠を持って題目を唱えながら、もう死の寸前のおふくろの体じゆうをさすってあ
げた。足も全部冷たくなっていた。−中略−すると六月末に死ぬのが、死ななくなっ
てねえ−。二千個の葬式まんじゆうも腐っちやったんだ。医者も、もう一度医学を初
歩から始めるといっていた」(S51.8.22、内部文書)
>>580(続き)
町の祈祷師のような池田の姿が紡佛としてくるような話です。もっとも、いくら
「死の寸前」とはいえ、自分の母親の亡くなるまえに弔辞を作ってしまったりご一干
個の葬式饅頭を用意してしまうようなことは、孝行息子のすることではありません。
早手まわしも、時と場合によっては人間性を疑われることになります。もっとも、こ
れも話だけのこと(要するにウソ)に違いありません。
池田の数珠による祈祷は、私にも向けられました。昭和五十四年の秋、私は心臓の
具合が悪く、家(社宅)で体んでいましたが、実然、池田がわが家を訪れ、私を御本
尊の前に座らせ、背中から心臓のあたりを、数珠でたたいたのです。池田は「これで
お前の心臓は大丈夫」と語りましたが、私はかえって気持ち悪くなりました。
宗門僧侶への〃数珠さすり〃は二件ほど事実が挙がっています。}つは、昭和五十
「妙法の世界は感応妙の世界なんだよ」「信心の究極は感応妙だ」「学会員のあの人達
の一念が私にはよくわかるんです。・・・感応妙だよ」(『前進』S43.11)
感応妙とは、御本仏と衆生の感応が深妙であることを明かした語です。池田は、こ
の「感応妙」を乱発して、自分と感応する会員だけに福運がつくと説きました。
池田は電波のように、題目を会員に送るといい、それに会員は交感しなくてはダメ
だといいます。
582 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/07/25 22:54 ID:y+1iqIul
>>577 >>578 ブツ理先導人さんへ
あなたの言うことと関連するけど、よく不慮の事故で死んだ人に対して
「学会の教えを馬鹿にするから、こんな目に遭うんだ」
と言う学会員が居るよね。本人は正しい信仰を信じないから、不幸な目に
あって当然だと思っている。
私はこれは凄く怖いことだと思う。普通の人間なら、このような目にあった
なら、まずかわいそうだと思うじゃない。同情するよね。学会員みたいに、
信じていないから、こんな目にあって当然だと考えないよね。
私はこれに、創価学会の怖さと、不気味さを感じて居るんだ。
>>582 ですから、そうした呪術的な観念が人間の信条になるようになった根源には何があるのかと
言っているわけです。それを「反真理」に根ざした「利」益追求の観念であると、
>>577で
返答していますね。
独裁は真実や真理よりも、独裁を継続するために必要なら「白」を「黒」と言いくるめろ
と手下に告げ、手下はその通りにして行きますね。そしてそれの連鎖が広がってやがて全体
を支配します。こうして白は黒とされてしまうことで、全体でウソを信じこまされていく
ようになる。勝った者が「白を黒だ」と言えばそれが真実になる。この信条を堅く信じろ
というのが、池田大作の教えです。そしてそれがあらゆる独裁の根源的な手口でもあるわけ
ですね。まさに北朝鮮の金ショウニチの支配と同じでしょう。
こうした支配が呪術と結びつくことで、「確信を持つ」ということの意味が、「現実は今は
そうではないが、そうなのだと信じることで現実をそういうことにしてしまうのだ!」という
考えに変貌していきます。これは単なる政治的な独裁恐怖政治とは異なる「信仰」という
分野における独裁のあり方でもあるでしょう。つまり信者は本質的に「真理を裏切ってウソ
を心の底から信じこむように自分に言い聞かせる」という「精神における行為」を意志を
以って実行しなければならなくなるのですね。そこに「独裁が真理を捻じ曲げてでも独裁を
維持していくための条件を作る根底」が導かれることになるわけですね。
ですから、人間はいつまでも小学生に「させられて」、欺瞞を言い含められ続けて騙されて
いてはいけないという「真理」に到達しなければならないわけです。そしてそれこそが真の
「利」をもたらすことになるわけですね。これが精神の成長の意味なわけですね。ですから
現代人が創価学会流の「日蓮のトリック」を受け入れ「なければならない」ような理由や
などはもうないのです。そういう主張をしているのです。そしてこれはキリスト教などでも
実際は同様な要素もあるかもしれませんね。これで、わたしの言ってきたことの意味がおわ
かりになりましたか?
>>580訂正(S靴。8t2、内部文書t池田発言)×(S51.8.22、内部文書・池田発言)○
-----
>>581(続き)
「私には全部わかっている。又、本部からいつも(会員に)会えないから、電渡を発
信しているのだけれども、いくら発信しても受信機がこわれていては何にもならな
い」(『前進』S44.5)
「本当に苦しんだとき、百万遍の題目を唱えなさい。勇気ある実践をしていきなさい。
皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいく
ら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』S44.11)
これは、その「感応妙」について自ら具体化して述べたものです。題目を電波に警
えるなど非常に安易な思いつきですが、これがそのまま会員の信仰世界に移植されて
いることは間違いありません。
本来、唱題の対境であるべき御本尊は、池田にとって池田と会員の仲立ちに過ぎな
いのです。つまり池田が発した題百を会員が受けてそれに感応するというのならば、
御本尊はすでにいらないのです。その証として、池田は「本尊は何もしやべってくれ
ない、大聖人も何もいわない。だから自分が必要なのだ」と常々いっています。しか
し、「常住此説法」といって、御本尊は常に私たち衆生に説法して下さっているのです。
池田の発言は、このことを否定しているのです。
「境智冥合」にしても、本来は御本尊と信仰者の関係をいうものですが(原義にはさ
らに深いものがありますが、ここでは略します)、池田にかかれば自分と会員の間係に
なってしまうのです。
「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とは
いえない」(『前進』S40.7)
これでは、池田は完全に本尊になり替わっています。
>>581(要挿入部分あり)
次の二行の間には、
> 宗門僧侶への〃数珠さすり〃は二件ほど事実が挙がっています。1つは、昭和五十
>「妙法の世界は感応妙の世界なんだよ」「信心の究極は感応妙だ」「学会員のあの人達
以下の二ページ分が落ちていました。重要な部分なので掲載します。
宗門僧侶への〃数珠さすり〃は二件ほど事実が挙がっています。1つは、昭和五十
****
一年十一月に在なわれた宗門・学会の連絡会議の席上のことです。
「吉田渉外、五時二一十分頃、貧血?・顔色真青にて汗をかく。会長題目を唱えながら、
背を数珠でさすり、やがてタタミヘ寝かせる」(S51.11、記録)
これは、東京・青山の博文系寿司屋・満月で起こったことです。私も、この席にい
ましたから、一部始終を目撃しました。血圧の低い人が貧血を起こし気分を悪くされ
ることはそれほど珍しいことではありませんが、どんなことでも自分の見せ場にして
しまう池田は、この時とばかり数珠を取り出して吉田渉外部長(当時)の体をさすっ
たのです。貧血はしばらく安静にすれば自然に治るものですが、池田は、渉外部長が
意識を取り一戻したことを、「どうだ、オレがお数珠でさすってやったので治ったぞ」と
自慢していました。
もう一件は、昭和五十ご一年、本山妙蓮寺の漆畑日広御尊能化に脊なわれたものです。
漆畑師は当時、宗門の舵化職にある高僧でしたが、入院中の御能化を見舞った池田は、
例によって数珠を便い気味悪くマジナイをしたといいます。このことは、そば近くに
いた僧侶があきれて人に話されたため次第に知れわたり、宗門の間題となりました。
>>585(続き)
この宗門の借侶に対する〃数珠さすり〃は、宗門を見下すための池田の示威行為で
もありました。両師も心のなかで、池田の行為を迷惑がられていたに違いありません
が、池田にとって、僧侶を、それも宗務役僧や能化といった高僧を、いささかマヤカ
シではあるが祈祷によって治癒せしめるということは、この上ない輪悦であったので
す。
大聖人は、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(立正安国論
新二四二)と示されていますが、池田の祈祷好きは、自身の「一凶」であるマジナイ
体質を一向に禁じられませんでした。
池田式感応
池田が独特な目付きで人の顔をじっと見つめることはよく知られていますが、その
時「知ってるよ。何もかも全部わかっているんだよ」とつぶやかれれば、苦労人の多
い婦人などが感極まることはありうることです。いずれにせよ、会員を甘目的に服徒
させるために、すべてお見通しであるかのように振る舞うのです。そしてこのような
霊能者気取りが、ただの気取りならまだしも、それが信仰の世界に持ち込まれると、
とたんに邪教的雰囲気をおぴてくるのです。
****
「妙法の世界は感応妙の世界なんだよ」「信心の究極は感応妙だ」「学会員のあの人達
の一念が私にはよくわかるんです。・・・感応妙だよ」(『前進』S43.11)(挿入終了)