●「この一言」で 折伏をぶっとばせ!●

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693フツーの学生部 ◆dxXqzZbxPY
>>685
あくまでも私の個人的な意見なんで、聞き流して頂いても構いません。
聖教の紙面上での座談会は徹底的に悪を斬るためのものだと思います。
学会は昔から、どんなことでも良いものは良い、悪いものは悪いとハッキリ言ってきました。
これからだってそうだと思います。
広宣流布を阻む悪に対して手を抜かず徹底的に攻め抜く必要があるのは、
相手が学会を攻撃するのをやめるまで徹底的にやらなければ、
悪は再び盛り返してくるからなんです。
悪に対して見てみぬフリをするのは論外ですが、
「これだけやったんだからもう十分だ」とか「別にそんなんほっとけばいいじゃない」
などと言っていたら、残っている悪の妨害によって確実に広宣流布が停滞すると思います。
ヘタをすれば学会がなくなって誰も広宣流布を進めなくなるでしょう。
だから広宣流布を阻む悪は徹底的に斬らなければならないんです。
放っておいたら誰かが悪をやっつけてくれるわけではありません。
また、誰かが広宣流布を進めてくれるわけではありません。
我々、学会員自身が一人立ってやらなきゃいけないんです。
よく、千匹の羊より一匹の獅子がいればよい、と言いますがまさにその通りだと僕は思います。
毎日のように聖教で悪を斬っているのは、
実際多くの若い学会員(2世や新入会等)は悪を知らないからなんです。
悪を知らなければ悪を見逃してしまい、悪を憎む心を持って断固悪と戦わなければ、
悪は放置され広宣流布は進まないと思います。
その昔、ドイツで民衆がナチスに対して声をあげなかったがために、
ナチスは世界を恐怖に陥れました。
悪を放置して良き結果を得られた歴史は一つもありません。
アナタが悪に対して何とも思ってないとは私は思いませんが、
悪を見て何も行動しないのは間違いだと私は思います。
だから私としては聖教の座談会は罵倒でなく、悪に対する厳しい批判だと捉えています。
若僧が偉そうなこと言ってすみません・・・。