>>106 なぜ政教分離原則違反と言えないのかの説明ですか。
一応簡単に説明しておきますが、正直に言って、それを真正面から説明しても法律の
基礎知識がないと理解してもらえないのではないかと言う気がするのですが…。(決して、
バカにしているわけではありません。法律を知っていれば特別不可思議な事ないのです
けれど、なぜと言う理由そのものは初めての方だと理解しにくいかもしれません。また、
結論を異にする少数説がありえないわけではないのですが、それはとりえません。)
ところで、“政教分離”なる用語は、日本国憲法自体の中では使われておりません。
そこでまず、政教分離の根拠条文を挙げてみましょう。
憲法20条1項後段、3項、89条前段が政教分離を規定したものとされております。
(89条は、政教分離を裏側から規定したものです。)
二十条(1項)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から
特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは
維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、
これを支出し、又はその利用に供してはならない。
ここから、通常以下の四項目が政教分離の内容として抽出されています。
(1)国の特権付与の禁止、〔20条1項後段〕 (2)政治権力行使の禁止、〔20条1項後段〕
(3)国の宗教的活動の禁止、〔20条3項〕 (4)公金等の支出禁止、〔89条(前段)〕
そして、今、主に問題となるのは(2)の“政治(上の)権力行使の禁止”なわけですが
(これに該当するなら、結果的には “特権付与”にも該当する事が多いでしょうけれど。)、
ここで言う「政治上の権力」とは国が行使すべき統治的権力のことと考えられているのです。
すなわち、課税権ですとか立法権・司法権・行政権といったものが該当するわけです。
確かに学説的には、少数説として “政治的影響力”などというように解する立場がない
わけではないのですが、実際のところこのような考え方が公権的に支持されうるかと
言うと、それはまず考えられません。
(もしもこのように解し、
>>100に書かれた三つの要件を満たせば、あるいはそれは
政教分離原則に触れると言う事になるかもしれません。もっとも、上記のように解したと
しても、私はあの三条件だけでは駄目で、創価学会が公明党を通じて“政治的影響力”を
及ぼした事こそが必要だと思いますが…。あの三条件は、いわば状況証拠のようなものに
すぎないと考えるべきでしょう。)
ところが、“政治的影響力”というように解すると、宗教団体やその構成員個人の有する
政治活動の自由との関係が問題になってしまいます。(憲法上の人権との関係で言うと、
直接的には19条の思想及び良心の自由、20条の信教の自由、21条の集会・結社・表現の
自由、14条の平等権などが問題となるでしょう。)
したがって、この考え方を採りえないのです。(また、マッカーサー草案等、
日本国憲法の沿革等を考えても、異説はありますが“統治的権力”とする方が
おそらく自然でしょう。この点の解説は省きます。)
なお、学者の中には、“政治的影響力”などというように解する事は明確に否定しながらも、
「宗教団体が国政を動かすことは憲法の趣旨からみて望ましくなく、宗教団体と政治との
間には境界をおくのが適当」(伊藤正己先生、東京大学法学部教授および最高裁判所裁判官
を歴任されました。)と明確に述べる方もいらっしゃいます。
憲法上はともかく、決して創価学会のような在り方が望ましいと言うわけではありません。
ところで、「政治上の権力」をこのように解してしまうと、この規定は実質的にはほとんど
意味のない規定となってしまいかねません。
というのは一般論として、近代(現代)憲法を擁する現代国家においては歴史的にはともかく、
今日では、宗教団体が統治的権力を行使する事は一部例外を除くとほとんど考えられない事です。
我国においてはその例外の可能性すらない、と言っても良いほどでしょう。
(これと同様の事は、「国の特権付与」についても言えます。そして、論者によっては、20条
1項後段の政教分離は3項の政教分離に収斂させて考えればたる、とする人もいるのです。)
しかし私は、それにもかかわらず明文で規定される事の重みを考えるべきだと思います。
西洋型の現代国家にとって、それほどまでに政教分離は重要な事なのだと思いを致さなければ
ならないでしょう。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 15:05 ID:wz5deu4V
宗教と政治の係わりで身近なことを例にあげると
選挙の日に昔の同級生からかかってくる電話。
もう何十年もあったことの無い人間が「今日は公明党の
○○に投票してくれ」と悪びれずに頼んでくる。
あとで聞くとその同級生は創価学会員。
そんな電話が選挙がある度にかかってくるのは、ウチだけだろうか?
>>116 要するにですね、上で使った用語に従って言えば、“創価学会は政治的影響力は
行使していると言えるかもしれないが、統治的権力は行使(したくても)できない”
と言う事なんですよ。
だから、『憲法上の』政教分離には違反していない、と言う結論になります。
御理解いただけたでしょうか。(何かありましたら、質問してみてください。
できる範囲では、お答えします。)
しかし、憲法上の政教分離の問題とはしえなくとも、他の意味で政教分離を
問題とし得ないわけではありません。
(先に引用した伊藤正己先生のお言葉を考えてください。)
まだ読んでいませんので確かな事は言えませんが、
>>53が問うている公明党の
政教分離論の問題点も、挙げられるとしたらその様な観点からのものとなります。
>>141 私も経験していますよ。
前回の衆院選では、学会員から2件(3回の電話)の依頼、公明党の推す候補の
選挙事務所と名乗った投票依頼が1件の、計3件ありました。
むずかしいな。
「立法権を持っているのは、国会であって宗教団体ではない」と
極端な話、国会が実質的に宗教団体であったとしても
立法権を行使したのは、あくまで国会だから
問題ないということか。
限りなく黒に近い白だ。
>>143 >限りなく黒に近い白
それを言うなら限りなく黒に近いグレーでしょ。
表だっての創価の活動ってそんなのばっかり。じっさい。
グレーだと黒か白かわからんではないっかああtっあおうぇおああ
>>143-145 理屈としては、宗教団体そのものが立法権を行使するなら政教分離違反となるが
(これは、今日の日本ではありえないといっても良い事です)、宗教団体の意向
を受けたものであっても、その宗教団体の合法的な政治活動の結果として
立法府がそのような構成になったのであるなら、それ自体に関しては、おそらく
政教分離違反は問えないでしょうね。
ただし、その立法府が宗教的な内容を含む立法を行おうとした場合には、政教分離
原則違反の生ずる可能性があります。(立法の内容次第ですが。)
>表だっての創価の活動ってそんなのばっかり。じっさい。(>144)
そうなんですけれど、残念ながらと言うべきか、憲法上の政教分離という観点
からは合憲と言わざるを得ないのですよ。
(現実問題として、この場合に少数説を主張しても意味ないですからね。)
それと、仮に憲法上の政教分離に違反するとしても、それを裁判で解決しようとする
場合には更に問題が残るのですよ。(
>>48でsalamさんが触れてくれていますが、
そこから生ずる問題もあるのです。)
>>53で問われている公明党の主張する政教分離論に関しては、今日のうちに
それを読めて問題があれば書けるかもしれませんが、他にやりたいこともあるので
後日になりそうです。
まぁ、法律論としてはアチラ様もそんなにいい加減な事を言っていないでしょうから…。