>>128 池田哲学は、仏教とウパニシャッド哲学(「梵我一如」)と
西洋哲学の折衷ないし融合と思います。
「本来、仏教は、生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の
現れと観る。それが釈尊の悟りです。それを「縁起」とも言い、「空」とも言い、
「妙法」とも言うのです。」
「「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とはほかならぬ自分のことであり、
宇宙の大生命であり、それらは一体であるとわかった。
“足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名だが、自身の根源を
堀り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。
それが永遠の宇宙生命です。」(『法華経の智慧』第3巻より)
“足下を掘れ、そこに泉あり”
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず
掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」
マルクス・アウレリウス『自省録』
結論が似通う部分があっても、その背後にある思想は異なります。
以上、一例です。