戸田城聖監修「折伏教典」から
(地獄界)
「我々が日常生活において、子に死なれる、借金に悩む等の煩悶懊悩する
その苦しみを心に感じ、肉体及び生活に現ずる事をいう」
(餓鬼界)
「慾に支配された貪りの状態。時間に追われたり物質の不足を常に感じて
満足を知らない生命になる事である。」
(畜生界)
「目先のことにとらわれて根本を忘れるおろかな状態。また強い者を恐れ
弱い者をあなどる犬猫同様の生命に支配される事。」
(修羅界)
「心が曲がっているため素直に物事を考える事ができず、正しい事をいわれても
すぐカッとなり腹立ちの状態に みちみちている時をいう」
(人界)
「親・兄弟・友人等を人並みに思いやる平らな生命の状態」
(天界)
「欲しいと思っていた物が手に入った時とか、自分の思い通りに事が運んだとか等
何か願いがかなった時に有頂天に喜ぶ状態」
(聲聞)
「ある理論をつかみ理解ができてくる時に喜びを感じ、その思想によって人生観とする状態で
あって、我々が本を読んだりする時、多く心を支配するもので、インテリ階級がそれである。」
(縁覚)
「畑を耕したり、華を活けたり、大工仕事、針仕事をしたり体を働かせる事によって、
そこに何ともいえない苦しみを忘れた三昧境ともいうべき状態を心に感じるものである。
よくいう名人上手の心境などはこれに当たるのである。」
(菩薩)
「我々が自分の徳性を発揮して、社会のために尽くす働きを心や肉体に表した時をいうのである。
勇気をもって他人に尽くす時は勇勢菩薩、智者を持って行なう時は文殊菩薩であり、
自分を犠牲にしても人を救うとの心は、みろく菩薩の働きである。」
(沸 -仏-)
「我々の生命は永遠であって滅びる事がないというのは、釈迦の教えであり
生命の実相である。我々が信心し折伏をするのは、この永遠の生命を確立して
強い生命力の働きを生活に実践することで、これを顕現することのできる状態を
仏というのである。」
(手元にある、折伏教典より抜粋させて頂きました。)