創価学会公明党はファシズム団体なのか?その2

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566日章丸之助
民主党の管直人代表が自公連立の是非や公明党の正当性を批判した
のは、政権交代を目指す上で理にかなった戦略であって、これを
「感情論」と断定する公明党側こそが感情的に反発しているのは誰
の目にも明らかだ。また、衆院本会議場では議長から見て右から所
属議員の多い会派順に並ぶ慣例があるにもかかわらず、公明党は民
主党と共産党の間に挟まれた座席を嫌い、自民党の隣に移して欲し
いという幼稚な提案をしている。こうした、反対意見・反対勢力に
対する公明党の幼児的な非寛容は嘲笑されて当然だが、実は民主主
義にとって本質的な脅威であり、笑ってばかりもいられない。

民主政治を実現するには多数決原理を採用しさえすればよいという
訳ではない。単に選挙や議決を行うだけなら、金正日政権下の北朝
鮮でもやっている。では、民主主義の特徴は何かというと、多数派
である政府・与党に対して少数派が反対意見を表明する機会が制度
的に十分に保障される点にある。これによって、反対勢力が多数派
に対するチェック機能や代替的な選択肢の提示といった役割を果た
し、政権交代も現実的に可能になる。つまり、政府・与党に対する
反対意見・反対勢力の存在が健全な民主政治にとって不可欠なのだ。
ちなみに、近代憲法では、表現の自由など基本的人権の保障がその
目的であり、民主主義は統治権力を抑制し人権を保障するための手
段として位置付けられている。
567日章丸之助:04/01/16 20:36 ID:rHSh3q1J
宗教は教義等によって唯一かつ絶対の価値観を提供する。そのため、
世界の様々な不条理に直面する人々にとって精神的な支えとなり得
る。だが、宗教における唯一かつ絶対の価値観は民主主義にとって
は極めて危険だ。民主主義において異なる意見の存在は、現状認識・
予測・価値観などの相対的な違いに過ぎず、健全な民主政治を行う
ためには必要とされなくてはならない。だが、宗教では自らの価値
観が唯一かつ絶対であるため、異なる意見は邪悪であり排除すべき
ものとされてしまう。層化学会も例外ではなく、対立する日蓮正宗
を「天魔」「悪鬼」と呼んで中傷し、執拗に係争を起こしている。

もし統治権力が自らの行為を宗教的権威によって正当化し、善を脅
かす悪として反対勢力を弾圧・排除するようになれば、民主政治は
形骸化する。もちろん、宗教団体が統治権力を操作できるようになっ
た場合も同様の事態に陥る。このように、宗教と民主主義の間には
大きな矛盾があり、宗教の絶対性から民主主義を擁護する必要性が
一つの理由となって、近代憲法では政教分離の原則が取り入れられ
ている。日本の民主主義を守るためには、「いかなる宗教団体も、
国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とい
う憲法第20条1項後段の規定に従って公明党を非合法化しなくては
ならないことは明白だろう。