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名無しさん@お腹いっぱい。:
■【週刊文春】K−1石井館長「信仰」を「ビジネス」に切り替えた辣腕
・K−1GP’98では選手が入場するゴンドラの手すりから、ラウンドガールの水着、ロープ、優勝ベルト、トロフィーまで
すべて学会カラーの三色旗の色が使われていた。また、オープニングでは創価大学合唱団が「第九」を合唱。
・石井館長の後輩が石井に自分が学会員であることを打ち明けると「俺も学会員やで!」と喜んだ。
・ある日、その後輩が石井の部屋に遊びに行くと、石井は仏壇と御本尊の前で勤行をしている最中だったという。
・石井は空手家時代は芦原師匠が大の学会嫌いだったため、学会員であることを隠していた。
・しかし、芦原師匠の死後、K−1を創設してからは学会とも再び緊密をなり、アンディ・フグや角田信朗とともに
創価大学を訪問。学園祭で講演も行った。
・さらには98年、学会の機関紙である聖教新聞に登場。その年末に行われたのが冒頭の三色旗だらけのK−1GPである。
・学会機関紙「創価広報」では、アンディ・フグとK−1リングアナウンサーのボンバー森尾が対談。
ボンバー森尾は学会男子部書記長である。
・武蔵も05年2月の聖教新聞に登場。
・K−1MAX2005には、学会員アマレス選手からK−1ファイターに転向した宮田がトランクスに三色旗をつけてリングに上がった。
・石井は週刊文春の取材に対して、母親は学会員だが自分は無神論者。
「三色旗の件は制作の人間が勝手にやっただけで僕は怒った」と弁明。
・文春はK−1を学会系格闘技、石井を学会系格闘家としている。