池田,戸田を毒殺した過去が

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1永遠に忘れないぞ
昭和33年4月2日午後6時45分
【学会】戸田会長、日大付属病院で逝去。日淳上人より大宣院法護日城大居士の戒名を授かる。
ここで、入院先を捜したのが池田(と和泉覚)であったということが重い意味を持って来る。
捜すまでもなく入院先は初めから決まっていたのであろうが、格好をつけるため一応捜す振り
をしたのだろう。と同時に、医師団と最後の打合せをするため日大病院を訪れたのだと考えられる。』
                               武田了円『悪魔の邪望』)
「戸田は偉丈夫といってよいほどに長身で、青年たちを集めては角力をとらせることを好んだ」
(溝口敦『堕ちた庶民の神』)という。体格、体力ともに秀でていたらしい様子が窺える。
そうだろう。戦前も無一文から事業に乗り出し、またたく間に17もの会社を傘下に置き、
資産金は600万円、月収は1万円を超えるあっぱれな実業家になった男だ。戦後は言うまで
もなく、創価学会奇跡の大躍進を演じた男だ。内なるエネルギーは、身もはち切れんばかり
のものであったに違いない。到底、「病人」や「半病人」どころの騒ぎではなかったはずである。』
                          (武田了円『悪魔の邪望』)
『恩師戸田先生逝去直後、御本葬から十日も経たないうちに、池田氏は戸田家へ赴(おもむ)
いて、香典四千万円の方は渡さずに、幾子奥様から、戸田先生の御遺品を持ち出し、そのうちの
一つとして先生御所持の刀を借り出した。奥様の御意向を踏みにじって、築地支部幹事の吉崎区議
を使って、その他いろいろ戸田家の私物を持ち出した。池田の意志ではなくて、小泉筆頭理事の
意向、と称して、「戸田会長の御遺品は学会として大切に永久保存させていただきたいので、
曲げて御承諾ください。お願いします」と、懇願という形、お願いという形で、強引に談じ込み、
いやおうなく承服を克ち取ったのである。
        
そのような事から、池田は戸田を毒殺したという噂が流れた。

2政教分離名無しさん:02/03/27 16:33
まぁ,チョソのやる事だならなぁ。
3政教分離名無しさん:02/03/27 16:44
>>1さんよ
このスレやっべぇぞ。
4るる3錠:02/03/27 16:53
>>1
すっごい。完全に信じた。
やっぱり怖いよー。
5政教分離名無しさん:02/03/27 16:56
どこまでが引用なのか中途半端で全然分からん。
6政教分離名無しさん :02/03/27 18:30
>>1
引用文の文言が、微妙に変えてあるぞ。
また自作自演か?
7最低人類0号:02/04/01 03:06
宇都御魂の過去は恥ずかしい。
8最低人類0号
宇都御魂には万引きで補導されたという過去がある。