>>877 >「文証・理証・現証」は真偽を判断するのに優れた判断基準
1.文証として
聖書には「神が大地を創った」とあり、太陽の周りを自転しながら
回る「地球」を作ったとは書いていない。だから地球が動くことはないはずだ。
2.理証として
「惑星の逆行」も「天動説」に「惑星の周転円運動」を付け加えることで
「理論的に再現」できる。第一、こんな大きな大地がどう考えても動くはず
がない。やはり天が地球の周りを回っているのである。
3.現証として
現実に「大地」は動いていない! これこそ「現実」であり「天動説を確信」
すべきなのだ。
この判断に立ち、当時の人々は「天動説」を支持した。3.の「現証」は天文学、
科学に疎い一般の人々も納得できるものだった。そして普通の市民たちもこれを
信じた。
この「現証」は確かに説得力があったに違いない。大地が動くのを見た者は一人と
していなかった。いつも磐石な大地はいつでも常にそこにあったし、人々は朝起きる
と昨日と別の場所に振り飛ばされてしまっていたといったことなど皆無だったのだ
から・・・。だからこの説はほとんどの人が支持した。
多くの人が「文証・理証・現証」によって信じた。
しかし実際に「天動説」は正しくなかった。「多くの人」が「支持」し、そして
「信じることができたこの『天動説』」は真実ではなかったのである。
「文証・理証・現証の理論」が正しくない紛れもない実例である。
「行き止まりの理論」が用いるこのトリック、すなわち「文証・理証・現証の
理論」が正しくないことを示す好例となった。