★★★ 『創価な正義』 ★★★

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1池田大作氏ね!
 創価の正義とは何だろうか?
学会を「裏切った」からだという。機関紙の聖教新聞はもとより、灯台、第三文明、潮、パンプキンといった一般書店に並ぶ雑誌においても、特定個人を長期にわたって誹謗中傷。
 さらに、一般紙や電車・バスの中吊り広告では大見出しで品のない言葉を羅列して悪口雑言。
 本人たちが訴えないから、このような人権侵害を繰り返して良いのか?
創価学会の「仏法」とやらに「背いた」からといって、法律に背いてまで人権侵害を繰り返しても良いのか?
 学会員の中には、これらの愚行に対して、いい気持ちはしていない人もいるようだ。現に、聖教新聞に苦言を呈したという人も少数いるようである。
しかし、それでも、こうした不法行為をなぜ池田大作は長期にわたって止めようとしないのか、池田大作ならすぐに止められるはずだというと、黙ってしまう。
 ある人は、池田大作が学会員に目覚めてほしいからだと言った。しかし、そのために、個人の名誉が毀損されて良いのかというと、また黙ってしまう。
「仏法」・・・ 都合の良い言葉だ。宗教の名の下、都合の悪い脱会者は裏切り者だ!といって集中砲火。
 これが創価学会の正義なのである。
こうして次のような結論が得られる。
 池田大作とは、自分が主催する団体の機関紙・機関誌における長期にわたる不法行為を止めようともしない人格であると。
もっとも、オバサンジョ氏を巡る黒人差別発言や会見申し込みを拒否したクリントン大統領(当時)を呼び捨てにしての侮蔑発言を考えれば、池田大作ならではのきわめて自然な話ではある。
 これが宗教者なのだろうか?
2政教分離名無しさん
辞書をひいてみると、正義とは「正しい行い、道筋」とある。

創価はそれを「正しい行い」と思っていても、それは世間一般から見れば「正しくない」と見ることもできる。
つまり、創価の自己満足に過ぎず、世間一般から見れば、何ら正義ではない。