「天下の台所」の言い方、江戸時代でなく明治末期から?
2008年01月27日
桃山〜江戸時代に全国の物資集積所として栄えた大阪を形容する言葉として有名な「天下の台所」は、明治末期の創作とみられることが
大阪市史料調査会の野高宏之さんの調査でわかった。文豪幸田露伴の実弟で歴史学者の成友(しげとも)が1909(明治42)年ごろ、
「大阪市史2」を執筆する過程でつくりだしたという。
野高さんは以前から、江戸時代の文献に「諸国の台所」や「日本の賄い所」はあっても、「天下」の表現がないことを不思議に思っていた。
市民講座で「天下の台所」を取り上げるために調べたところ、幸田の「大阪市史2」の原稿以前に大阪を「天下の台所」と形容した文献は
見当たらなかったという。
幸田成友は1901〜15年まで市史の編集に従事し、1909年ごろ該当部分を執筆。その後東京に戻り、経済史の論文などを執筆した際、
「天下の台所」を使ったため世間にも広まったとみられる。
一方、大阪市内の初等教育の現場では1930年前後から、「太閤さん(豊臣秀吉)が天下の台所をつくった」と教えるようになり、市民の間にも定着したという。
野高さんは「少なくとも研究者の間で、『天下の台所』を使った人は幸田以前には見あたらない」と話す。この調査結果を論文にまとめ、
市史紀要「大阪の歴史」の最新号に掲載している。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200801260080.html