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37名無しさん

<第8号> 韓国モデルと社会主義崩壊 8

シンガポールと香港は二つとも長い間、イギリスの植民統治を受けながら、アジアの拠点都市
の役目を遂行して来た。人口はそれぞれ3百万と5百ばかりの小さな都市国家として、一つの
国家モデルとして見にくい側面がある。少ない人口の都市国家が賭博や観光物流の中心地の
役目を通じて短い期間で富める国に発展する例はマカオやフィジー、カサブランカなどいくら
でも探してみることができるからだ。これらは第2次大戦後、イギリスだけではなく西欧先進国
たちのアジアの拠点にも活用されながら成功をおさめた。

台湾は人口2200万で、バングラデシュに続き世界第2位の人口密度を持っていて、50年間日本の
植民統治を受けたし、分断状況でアメリカの支援を受ける体制競争の実験場だったという点で
南韓と似ている点が多くて経済発展モデルとして遜色がないケースだと言える。しかし台湾は
戦争による被害を経験しなかったし、暖かい気候条件と豊かな海洋資原を持っていて、相対的に
南韓に比べては有利な立場で経済開発を始めることができた。それに毛沢東に敗れた蒋介石政府
が台湾に逃避しながら、教育水準が高くて 財産が多い大陸の上流層数百万が台湾で定着するよう
になって、事実上資本主義発展の一番大変な段階である初期資本蓄積過程を略して始めた側面が
ある。また台湾が経済発展をする期間、中国は西方世界と全然交流がない竹のカーテンを維持して
いたから、台湾は対外貿易をしながら、香港と東南アジア、北米地域に広範に広がっている
華僑経済圏の利点を独占することができた。中国が台湾の成功に対しては特別の意味を付与しなくて、
韓国の経済成長に対しては驚きながら韓国モデルを受け入れて開放路線を選択した理由は、このような
点にあったのではないか思われる。