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昔、ロスにいました:
私がアメリカに行ったのは某メーカーの技術者だった夫の赴任の為です。
夫は英語で読み書きくらいは出来ますが、話せる人ではありません。
私はもっと悲惨で英語が苦手だから地方女子大の家政科に行きました。
だからアメリカに赴任となった時、子供がいなければ離婚したとまで思いました。
夫は自分の英語力を気にして円形脱毛になったくらいですから、私の不安を
言えるわけがありません。
私は赴任半年前に英会話教室に通い、アメリカでは会社の上司の奥さんに世話に
なりましたが、、買い物すら一人で出来ない状態が半年もありました。
当時、日本人は自分達だけでつるむと言われましたが、私のように日本しか
知らず、英語も話せない人間は日本人社会に頼るしかなかったのです。
ハイウエイの表示をパッと見てわかるようになるまで2年かかりました。
特技と言っていいのか。。私は池坊のお華を5年ほどやってましたから、
子供の学校のバザーの時、お花をいけました。
それが素敵というので、最初は近所の中流階級の白人の奥さん達です。
私はうまく話せないので、説明を日本語で書き、それを英文にして毎回
配りました。華道は知ってる人は知ってるでしょうけど形式があります。
後から日本の友人が英文の華道の説明書を送ってくれたので、それを書き写し
ました。韓国の人はアメリカ白人の人が連れて来ました。
東南アジアの人達は夫の会社関係で、私がお花が出来ると言ったら見せて
というとこから始まっています。つまり、私は教室をひらこうと思って
いたわけでなく、偶然、そうなったんです。
お花代くらいは貰いましたが。。花を飾るのに理屈がいるの?
という意見はものすごくありました。これは、やってもらえばわかるのですが
、同じ条件で花をいけたら、どうしたって「華道」が美しく見えるのです。
私は華道は嫁入り道具の一つくらいと思って、あんまり意味なんか考えてなか
ったのですが、アメリカでほめられたおかげで、日本を再認識しました。
こういう人は多いと思います。自分が意識してない、、当然と思ってる物事、
倫理観もそうですが、人から言われてそうなんだ。。と思う。
そして、日本人も捨てたもんでないな。。と誇らしく思う。