パン・クムチュなる慰安婦は実在するのか?

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82大谷その3
 黄さんが、連行されたのは、一九三九年、いまでは北朝鮮になっているハムフ
ンという町からだった。この年、当時、日本の植民地だった朝鮮全土に、徴用令
が敷かれ、一家から一人、工場に供出させることになった。だが、工場で働くに
しては、女の子がいる家では女の子の供出を、というのが条件で、それに従わな
い家では、配給が止められることになっていた。当時、十八才だった黄さんは、
こうして、当時の満州(中国東北部)の吉林に連れて行かれたのだ。それが「処
女供出(コンチュル)」である。
「朝鮮では、結婚していない娘は肌を見せないというと『朝鮮人のくせに』と言
って撲られ、チマを銃剣で裂かれ、パンツを切られて気を失った。気がついたら
裸で、股から血や液が流れていた……」