HANBoardについて考える PART6

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>>190
まさにその通り。
大伴郎女も大変ですね。
 実際は天皇機関説だったというのは「定説」です、ではGPさんに怒られ
そうですが。詳しくは中央公論新社の「日本の近代5 政党から軍部へ」他を
見れば明らかです。
「天皇は神聖にして侵すべからず」は天皇無答責を定めた条項で、天皇の法
的政治的責任を免除するものです。
 天皇の権限は無制限ではなく第4条のとおり、天皇は憲法を逸脱した権利行
使は出来ません。また、天皇の命令であっても、閣僚等の副署がなければ無効
なので、逆にいえば、天皇は閣僚全員の同意がなければ、大権行使が出来ませ
ん。なお、統帥事項については参謀総長と軍令部総長の両総長、皇室事項につ
いては、宮内大臣の輔弼を必要としていましたし、そのように運用されてまし
た。
 更に、日清戦争の開戦の際には「これは朕の戦争ではなく、臣下の戦争であ
る。」といっています。このことから、臣下の意思が一致した場合、天皇はそ
の裁可について拒否権を持たないというのは、それ以降の憲法運用の指針とさ
れています。また、法律についても、国会の議決への拒否権は内閣にも天皇に
もなかったというのも確立されていた憲法運用でした。その意味では明治天皇
の後を継いだ大正天皇が「病弱」であったことは大きな意義を持ちます。明治
の元勲が確立した「天皇機関説」は引き続き、絶対権力者としての意思能力が
ないと思われる大正天皇の下で適用しなければ明治政府の運営は不可能です。
 御前会議も天皇が出席する「だけ」であり、その席で天皇が自らの意見を言
うということは「ない」という運用でした。終戦の御前会議でも、最後は「陛
下の思し召しを持って会議の結論としたい」という言葉であり、出席者の同意
がなければ、陛下の意見も結論にはならず、また、臣下が上奏し、裁可されな
ければ正式な結論にはなりません。したがって、会議終了後、陸相が単独辞任
して、後任が得られない場合、陛下の聖断といっても「反故」にされるという
のが、憲法の運用であり、上奏の際の陛下の意向を汲むか汲まないかは臣下の
自由であり、それで、臣下の意見が一致すれば、最早天皇には拒否権がないと
いうのも憲法の運用の実態です。
 ちなみに、現在でも欧州の君主国の殆どは行政権の長であり、英国の例を取
れば、英国国王は今でも統帥権を保持し、首相は国王の指名によるので、第1
党の党首が死亡等で欠けた場合、国会の指名ではなく、現在でも、国王の裁量
が認められる余地があり、実際、第2次大戦後でもそのような事例もありまし
た。また、国会の議決に対する拒否権も法律上は認められ、宣戦や講和も王の
大権です。このように、英国の国王でも、明治憲法における天皇大権と同じ位
の権能は法律上保持しているという議論は可能ですが、だからといって、英国
は国王専制とはいわないでしょう。
 将軍の議論の方が「在日教史観」にだまされているといっても過言ではない
でしょう。