韓国軍はベトナムで何をしたの?

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220ニューズウイーク日本版4月12日号
「償いは必要ないあれは戦争だった −当時の韓国軍総司令官が語る−」
 蔡命新(チェ・ミョンシン)は1965〜69年、ベトナムにおける韓国軍の総司令官を務めた。
 若いころに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)から逃げてきた蔡が指揮した韓国軍は、
南ベトナム支援のため朴正煕が送り込んだ兵士5万人で構成され、ベトナム戦争における
外国軍としては2番目の規模だった。
 韓国軍部隊は多数の民間人を殺戮したと非難されているが、
蔡は共産主義政権のプロパガンダだとして否定している。すでに退役した蔡に、
本誌ジョージ・ウェアフリッツと李炳宗(イ・ビョンジョン)が話を聞いた。

                 *

 私はウィリアム・ウェストモーランド将軍の索敵撃滅戦術(敵がいると思われる地域に進軍し、敵を捜索し、制圧する)
には強く反対した。
 軍服を着ていないベトコンを、どうやって見つけるのか。南ベトナム軍にも
できなかったことだ。代わりに、われわれは小さな拠点を築き、水田地帯とベトコン支配地域の防衛に努めた。
 夜間、動くものはすべて殺すつもりなので、日没後は出歩かないようにと地元住民に伝えた。
 われわれは医療チームを送り込み、井戸も掘った。やがて住民はわれわれに好意をいだくようになった。
夜になると、道路沿いで攻撃態勢をとって待ち伏せた。来る日も来る日も同じことの繰り返しだった。
 ベトナムでは、誰がベトコンで、誰がそうでないかを見分けることなどできなかった。子供や妊婦が、
手榴弾をポケットに隠し持っていた。ときには村全体が攻撃してくることもあった。
 アメリカ人の偵察隊が到着すると、村人は歓迎の態度で迎える。果物を差し出すので、
兵士たちは武器を置いて食べようとする。そこへベトコンが手榴弾で兵士の命を奪うのだ。
 われわれの殺した相手が無実の民間人だったと、ベトナム側はどうやって証明するのか。
われわれの側では5000人の兵士がベトコンに殺されている。
 ベトナム側は、われわれが殺した人々の名を刻んだ碑を建てたが、
そのうち何人が無実の民間人で、何人がゲリラだったのか。両者を区別することは不可能だ。
 あるとき、わが軍の兵士が偵察に出て、ある村を探索した。ベトコンは見つからなかった。
そこへ、誰かが手榴弾を投げて、小隊長が殺された。隊員たちはひどく腹を立てた。
指揮官が殺されたので、兵士たちは銃撃を開始した。
 罪のない人々を殺したと言われれば、そうかもしれない。だが連中も、われわれを殺した。
 生き残るためには、撃つしかなかった。誰がベトコンで、誰がそうでないかは、
とてもデリケートな問題だ。
 ウィリアム・カリー中尉のソンミ村の虐殺(非武装のベトナム人504人を殺害した罪で殺人罪に問われた)
を例にとろう。あれがどのように起こったか、私には理解できる。
 カリーは自分の仲間の死に対して、復讐しようとしたのだ。戦争では当たり前の話だ。
 誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった。
ベトナム政府は、われわれが民間人を殺したと非難する。それでは共産党政権樹立後に殺された人はどうなるのか?
200万のカンボジア人は? ベトナムから脱出しようとして海に沈んだ10万人のボートピープルは?
 私は元軍人の組織や退役将校たちに連絡をとって、この問題を話し合おうとしている。
若い世代が歴史の現実を理解しようとしないことに、私は深い懸念をいだいている。