1964年5月、三重県鈴鹿サーキットで、日本の自動車レースの最高峰、
第2回日本グランプリが開催された、この時、ポルシェ博士率いるポルシェは
ポルシェ904で参戦!ポルシェ博士は
「日本人には早い車は作れないザーマス!」と屈辱的な発言をのたまう!
これに激怒した、櫻井眞一郎率いるプリンスチームは、スカイライン2000GT
で参戦、レースはポルシェVSスカイラインの一気打ちとなるが、性能の違いか、
あっという間に周回遅れにされ、差はどんどん広がるばかり、
やがて、ポルシェ904は残り、400mでゴールという時に、スカイラインGT
ドライバーの生沢徹は禁断の奥義、こっそりつんでいた、ニトロをエンジンに注入
エンジンが吹っ飛び、車は火の玉になりつつも、スカイラインは一気にポルシェを
抜き去りゴール、優勝した!
このプリンスチームの勝利にポルシェ博士はすっかり脱帽、反省汁を4ガロン
一気呑みし、プリンスチームに詫びたと言う。
なお、現在、家計が苦しい事を「火の車」というが、プリンス自動車がこの時に
資金を使い果たして倒産、日産に吸収された故事による。
民明書房刊『高速道路の星伝説、俺の車は凄い装備』より