民明書房の起源は韓国です

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248娜々志娑无
○はじめに
 韓国語の歴史を辿ろうと欲する者は誰しも、その資料のあまりもの乏しさに一度は
呆然とさせられるであろう。ハングル制定以前の韓国語の資料は極めて乏しく、古代
韓国語の資料としては、『三国史記』『三国遺事』に漢字による固有名詞表記や吏読
が見えるほか、『三国遺事』『均如伝』に収録された合計25首の郷歌、そして若干
の金石文があるのみである。中期韓国語の資料としては『鶏林類事』『郷薬救急方』
が有名であるが、これらはいずれも名詞を中心とする韓国語の語句を漢字で表記した
だけのものであり、ともに部分的な資料にとどまる。結局、15世紀以前の韓国語の
姿は断片的にしか窺い知ることができないのである。

 嗚呼、悲しい哉。我々の偉大なご先祖様は、韓国語という世界一素晴らしい言語を
造り給いながら、その記録を残そうという努力の方は殆どなさろうとはしなかったの
である。これを悲劇と言わずして何と言おうか。まさに世界的損失、いや、宇宙規模
的損失である。このことはいくら嘆いても嘆き尽くせるものではあるまい。

 とは言え、ただ嘆いてばかりいても栓ないこともまた確かである。かつて我が民族
は度重なる侵略に晒されながらも、常に前向きに生きて来た。現代に生きる我々もそ
れを見習い、不撓不屈の精神で新たなる方策を講じなくてはならない。しかし、古代
韓国語の資料はあまりにも乏しく、我々の力はあまりにも無力である。もはや文献考
証学に基づいた正規の手段では、古代韓国語の解明は不可能である。遂に私はそう判
断するに至った。
249娜々志娑无:2001/07/19(木) 22:46 ID:NtF69OmA
 ここまで読んでこられた読者は、私をただの負け犬と見なし、「今晩のおかずはボ
シンタンにしよう」などと連想を働かせたかも知れない。しかしそれは早合点という
ものである。私は「文献考証学に基づいた正規の手段」は放棄したが、それで方策が
すべて尽きたというわけではないのである。文献考証学派の本流を自負するこの私が、
これまで依ってきた正当的な手段を放棄した瞬間、私の脳内を電波が、〜いやいや、
統一高麗大学を中心とする民族主義学派の連中の用語を用いるのは気に食わないから
別の表現を使おう〜神の霊感が走ったのである。「日本語を用いよ!」そう、我々に
はまだ日本語という存在が残されていたのである。

 韓国人の読者ならわざわざ説明する必要もないことであろうが、念のため説明して
おくと、日本という国家は、古代韓国人の一部が日本列島に移民して作った植民国家
である。日本列島に渡った古代韓国人は、原住民である縄文人と混血して倭人となっ
た。血統で言えば日本人はまさしく韓国人の庶弟にあたるのである。しかしてその言
語は、縄文人との混血によって目も当てられぬほど退化してしまってはいるものの、
それでも古代韓国語の子孫であることには変わりはない。古代韓国語の資料が十分に
存在しない以上、次善の策として古代日本語資料を古代韓国語の資料として用いれば
よいではないか。そのことに私は思い至ったのである。
250娜々志娑无:2001/07/19(木) 22:47 ID:NtF69OmA
 原住民との混血の結果、日本人は韓国人の持つ偉大な徳性の多くを失ってしまった
が、ただ一つ、彼等は韓国人にない徳性を持っていた。それは自身の言語資料を残そ
うという強い意志である。古代日本語の資料は実に豊富かつ多彩である。7世紀以前
の資料はさほど多くはないが、8世紀になると、712年に『古事記』、720年に
『日本書紀』、8世紀末に『万葉集』と、優れた古代日本語資料が輩出する。残念な
がら韓国語には8世紀にまで遡り得る資料は極僅かである。そういう意味では、これ
ら古代日本語の資料こそ、時期的に見て最も古代韓国語に近い言語資料であると言え
よう。幸いに、日本人はそれ以降も継続的に大量の日本語資料を残している。8世紀
の資料に加え、その後の豊富な日本語資料をも駆使すれば、いつの日か古代韓国語の
全容を解明することも夢ではあるまい。神はまだ我々韓国人を見放してはおられなか
ったのである。
                    白天時(ペクテンシ)著『逆説の韓国語史』
                   (民明書房・歪曲の歴史シリーズ21)より
251娜々志娑无:2001/07/19(木) 22:52 ID:NtF69OmA
 序文を書いただけで疲れたので、本文はまた明日にでも。

 しっかし、ますます本来の民明書房とずれていくなぁ…(^^;。スマソ>>1
252娜々志娑无:2001/07/20(金) 20:56 ID:cC8hopic
○ウリ
  人称代名詞。一人称・複数・普通形。古代日本語には人称代名詞が頗る多いが、
本語と語源的に結び付け得る古代日本語は「あれ(我)」であろう。「あれ(我)」
は、現存する古代日本語資料を見る限りは、常に一人称単数の代名詞としてのみ使
用されており、この点、複数を示す本語とは大きく事情が異なるが、筆者は「あれ
(我)」の古形として「あ(我)」が存在する点に注目したい。「あれ(我)」は
「あ(我)」に接尾語「れ」が接続して生じた語とされるが、この接尾語「れ」の
意味用法については、「代名詞の下に付き、その体言性を強める」という程度の説
明しかなされておらず、実質上解明されていないと言ってよい。思うに、この「れ」
は複数を示す日本語の接尾語「ら(等)」と同源で、本来は複数を示す接尾語だっ
たのではなかろうか。古代日本語においては、人称代名詞は基本的に単数のみで構
成されており、韓国語のように代名詞に単数・複数の区別は存在しないが、日本語
も韓国語と同系の言語である以上、古くは複数を示す人称代名詞も存在したと考え
た方が自然である。おそらく韓日共通祖語においては「あ(我)」が単数を、「あれ
(我等)」が複数を、それぞれ担っていたが、日本語においては、原住民の言語の
混入に伴う退化により、本来持っていた単数・複数の区別が失われ、語源俗解を経
て遂には「あ(我)」が「あれ(我)」の古形と誤って意識されるに至ったもので
あろう。一方、韓国語においては、共通祖語「あれ(我等)」が狭母音化を起こし
て最終的に「ウリ」の形に変化を遂げたものと推定される。なお、単数形の「あ」
の消長については、「ナ」の項を参照のこと。
                    白天時(ペクテンシ)著『逆説の韓国語史』
                   (民明書房・歪曲の歴史シリーズ21)より
253娜々志娑无:2001/07/20(金) 20:58 ID:cC8hopic
○ナ
  人称代名詞。一人称・単数・普通形。本語と結び付け得る古代日本語は「な(汝)」
である。「な(汝)」は二人称の代名詞であり、古代日本語資料においては常に親
しい者や目下の者に対して使用されている。待遇的には下称の語であると言ってよ
い。このように、人称的にも待遇的にも古代日本語の「な(汝)」と韓国語の「ナ」
とは大きく相違しており、一見両者はまったく無関係のような印象を受けるが、こ
れは日本語の持つある特性を以て説明することが可能である。その特性とは、日本
語においては一人称の代名詞が二人称の代名詞として転用されることが甚だ多いと
いうことである。しかもその際、転用された二人称の代名詞はたいてい待遇的に下
称の語として使用されるのである。例えば、「われ」「おのれ→おんどれ」「おまえ」
「てまえ→てめえ」などである。逆に言えば、現在二人称の語はかつては一人称の
代名詞であった可能性が高いということになる。実際、「な(汝)」については日
本語学者も、『日本書紀』に「大己貴」という神が「おほなむち」と訓まれている
こと(「己」は一人称の代名詞として使われる漢字)、また、親しい者を呼ぶ時に、
「汝兄(なせ)」「汝弟(なおと)」「汝姉(なね)」「汝妹(なにも)」と表現する
こと(洋の東西を問わず、このような場合は一人称の代名詞を冠して呼ぶのが普通)
から、「な(汝)」はかつて一人称の代名詞だったのではないかと推測している。
従うべきであろう。
254娜々志娑无:2001/07/20(金) 21:00 ID:cC8hopic
  なおこの場合、「な」を韓日共通祖語の一人称単数の代名詞として認めると、同
じ一人称単数の代名詞として想定される「あ」との関係が問題となるが、これにつ
いては、古代日本語において同じ一人称の代名詞である「あ・あれ(我)」と「わ・
われ(我)」の用法上の差を、「あ・あれ(我)」は私的で親愛の情を含み、個と
しての自分を示すのに対し、「わ・われ(我)」は公的で一般的用語であり、同質
社会における複数の中の一人としての自分を示すとして説明されているのが参考と
なろう。おそらく韓日共通祖語においては、「あ」は私的な立場の自分、そして「な」
は公的な立場の自分をそれぞれ指す言葉だったのではなかろうか。結局、韓国語に
おいては「あ」は滅び「な」のみが残ったわけであるが、いかにも、常に公的な立
場に立って考える我が民族らしい話であると思う。
                    白天時(ペクテンシ)著『逆説の韓国語史』
                   (民明書房・歪曲の歴史シリーズ21)より
255娜々志娑无:2001/07/20(金) 21:13 ID:cC8hopic
 へっ! きょ、今日はこのくらいにしといたらぁ!((C)吉本興行)
256100万人の名無し:2001/07/23(月) 17:32 ID:.yzU7vzg
娜々志娑无 さん、社長就任おめでとうございます。

 例によってうろ覚えで正確に覚えていませんが、>>249のような論法は
一昔前、少し流行った「万葉集は韓国語で・ ・ 」の類の本でホントに見
たような記憶がありますねぇ。(^^;
257娜々志娑无:2001/07/24(火) 17:49 ID:2ofVC40I
○チム(t∫'im)
 名詞。「唾」の意。中期語では「チュム(t∫'um)」。日本語の「つば(唾)」
と同源。日本語の「つば(唾)」は古代日本語においては「つはき(唾)」という語
形であるが、これは「つ(唾)」と「はき(吐)」に分析される。日本語に「つ(唾)」
という一音節名詞が存在したことは、院政期の古辞書『類従名義抄』に見えるほか、
「かたづ(固唾)」などの複合語からも確認できる。おそらくこの「つ」が韓日共通
祖語であろう。日本語「みづ(水)」の成り立ち(み+つ)から考えるに、「つ」の
本来の語義は「液体」だったのではなかろうか。それが口中の液体に限定された結果、
「唾」の意になったものと推測される。


○ムル(mur)
 名詞。「水」の意。中期語では「ムル(mщr)」。古代日本語「み(水)」と同
源。古代日本語資料を見る限り、「み(水)」の単独での使用例は一つも見当たらな
いが、「みなと(港)←み(水)+な(連体格助詞)+と(門)」「うみ(海)←う
(海)+み(水)」「みづく(水漬く)」などからその存在を確認することができる。
問題は、韓国語の「ムル(mщr)」と日本語の「み(mi)」のどちらが韓日共通
祖語に近い語形なのかであるが、「古語は複合語に残る」という言語学の経験則に基
づけば、「み(水)」は奈良時代においてさえ既に古語であったと推測されることか
ら、おそらく「み(mi)」の方が韓日共通祖語に最も近い語形と言ってよいのでは
なかろうか。
                    白天時(ペクテンシ)著『逆説の韓国語史』
                   (民明書房・歪曲の歴史シリーズ21)より
258娜々志娑无:2001/07/24(火) 17:50 ID:2ofVC40I
○サウ-ダ(ssa'u-da)
 動詞。「戦う」の意。中期語では「サホ-ダ(ssaho-da)」。本語と同源の
日本語としては「さふ(障)」が考えられる。「さふ(障)」はハ行下二段活用動詞
で、「遮る」「妨げる」「せき止める」の意味を持つ。片や攻撃、片や防御の違いは
あるが、攻撃と防御は表裏一体のものであるから、特に問題はあるまい。「攻撃は最
大の防御」との言葉もある。なお、「さえぎる(遮)」という日本語も、一見本語と
関係がありそうであるが、これは「さき(先)」と「きる(切)」が結合してできた
「さききる」が熟合に伴うイ音便化を起こして「さいぎる」という語形を生じ、鎌倉
時代に「ai→ae」の変化を起こして「さえぎる」となったことが確認されており、
本語とは無関係である。


○モイ(moi)
 名詞。「山」の意の中期語。残念ながら、現代韓国語においては、漢語起源の「サン
(san)」が専ら使用され、固有語の「モイ(moi)」は詩歌や一部方言語彙に
痕跡を留めるだけとなってしまった。まさに痛恨の極みである。本語と関連する日本
語としては「やま(山)」が考えられる。一見したところでは関連はなさそうである
が、日本語に「樹木の茂った山」「材木を切り出す山」の意の「そま(杣)」という
語が存在することから、両者に共通する造語成分として「山」を意味する「ま」と言
う語を導き出すことが可能である。おそらく「や」は「八雲(やくも)立つ」「八重
垣(やへがき)」などに使用されている、幾重にも重なる意の「や(弥・八)」で、
「やま」とは本来複数の山が重なっている地形を指す言葉だったのではなかろうか。
一方、「そま(杣)」の「そ」は、韓国語の「林」を指す語「スプル(sup'ur。
中期語はsup'щr)」と関連付けることができそうである。
                    白天時(ペクテンシ)著『逆説の韓国語史』
                   (民明書房・歪曲の歴史シリーズ21)より