1 :
名無しさん@1周年:
韓国7000年美術全集という本があるそうです。
悠久な歴史を持つ文化の国の、
「日本のように技術偏重でなく、中国のように尊大でない」
偉大なる朝鮮美術の歴史について語りましょう。
2 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:36
>1
正気か?
3 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:37
>1
「日本のように技術もなく、中国のように雄大でもない」の
間違いでは?
4 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:39
技術偏重でも尊大でもない平凡陳腐なガラクタの寄せ集め
ってことですか?
5 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:39
「諸君!」1998年2月号によれば、歴史学者によって隔たりはあるものの、
韓国の歴史は大体1万年、9千年、5千年となっているようです。
6 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:41
>5
へえー、じゃああそこは、最悪1万年間進歩しなかたってことかい?
7 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:57
8 :
1 :2000/09/19(火) 16:11
僕がそう思ってるんじゃなくて、韓国の学者がそう書いてたんですよ〜。
だから是非ともその実体を知りたかったんです。
そう責めないで下さいよ〜。
で、どんな画家や彫刻家がいて、どんな作品があるんでしょうか?
国際的な評価はどうなんですか?
9 :
ななしさん :2000/09/19(火) 17:22
ざんねんながら秀吉と日帝のせいでなにも残ってないとかいうんだろ。
民芸品の老舗もないくせに。
三内丸山遺跡で考古学の常識が覆ってきてるからつじつまあわせ大変だな(わら
10 :
1 :2000/09/19(火) 17:49
半万年からさらに2千年もサバを読むとは・・・
11 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 17:49
戦火で失われたって言う方がおかしい。
木造構造物は失われても、石や金属工芸は残っていないとおかしい。
略奪されたというなら、少なくとも日本や中国にはそれらが保存されているはず。
絵画は別にしても、文学作品などは本来手で写されて伝わるのだから、
日本の源氏物語などがそうであるように、誰々写本という物が残っているはず。
固有文学が広く愛されていたのなら写本も相当数あるはずだから、
戦禍で丸々失われてしまうってことは有り得るはずが無い。
やっぱり自国の文化や芸術を大切にしなかったんじゃないの?
大切なものなら、戦火などにあっても大丈夫な様に保管には気をつけるはずだしね。
12 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 17:53
パクリ以外は最初から無かった可能性の方が高いと思う>11
13 :
日雇い労働者 :2000/09/19(火) 18:36
現在、韓国各地で密かに新しい遺跡を作ってるトコです。
あと1年くらいしたら韓国では遺跡発見のニュースが
頻繁に流れるようになるでしょう。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 18:41
日本に来られなかったフィリピンやバングラの労働者が
新規遺跡製造に駆り出されているってことか。
またまた給料未払いなんだろう。えげつない国じゃ。
15 :
日雇い労働者 :2000/09/19(火) 18:48
安いながら給料はちゃんと貰っているのですが、
最近給料日前に仲間がいなくなる事が多くなってます。
現場監督に訊くと「別の作業場に移っただけだ、2度とその
話をするな」と言って怒られます。
16 :
>8=1 :2000/09/19(火) 19:03
ゴメン、ゴメン、そうだったんだ。
日本人による真面目な質問だったわけですね。
でも7000年前って、中国でも伝説の夏王朝前になるけど、
もしかしてグラスゴーとか、スペインのどっかだかの壁画レベルの
話なのかなあ?それとも、日本の縄文時代に相当する土器とかから
数えて7000年っていってるのかな?
17 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 19:33
>13
バカモノ!北ではすでに檀君陵が建設……じゃなくて発見されておるわ!
18 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 19:36
>13
私、古美術品修正業を営むものですが、最近韓国から、
「新品のものを遺跡風にアレンジしてくれ」っていう的外れな
注文が多いのはそのせいでしたか。
勿論、断りましたが・・・
19 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 20:21
7000年前の美術品って一体なんなのだろう
熊の剥製を
「壇君のミイラ発見」などというのかな
20 :
名無しさん :2000/09/19(火) 20:28
戦火で焼失って、京都の寺も結構焼けてるじゃん。
でも先人が再建、修復してきたわけでしょ。
再建、修復と言う概念は半島にはないんでしょうか。
21 :
アンコールワット近くの土産物製造業者 :2000/09/19(火) 20:57
>18
その仕事はこっちにまわってきました。
22 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 21:10
>11
>20
都合悪くなるとなんでも焼失したことにするからな、韓国は。
親戚かなんかの葬式だとかいってずる休みする奴みたいだな。
23 :
名無しさん :2000/09/19(火) 21:23
はあ?
チョン公に美術なんぞ必要ねーよ。
犬でも食ってろや!
24 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 22:03
7000年前からB級品です。
25 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 22:04
朝鮮絵画史について言えば、やっぱり中国の宋代・明代絵画の亜流
ばかりでいまいちと思う。たしかに金弘道とかには朝鮮独自のものを
目指して中国絵画の枠を超え出ようとする意欲は感じられるけど、
日本の琳派や浮世絵のような技巧的にも独自のものが見られない。
同じように中国絵画の影響を強く受けている日本の山水画・文人画でも
大雅、玉堂、蕪村と肩を並べられるほどの画家はあちらでは輩出しなかったしね。
まあ、水墨画で秀文の影響や周文への影響があちらの唯一の自慢ということは認めるけど。
もうちょっと、仏教絵画が育てばいいものが出ただろうに、後の祭。
26 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 22:06
7000年がなんぼのもんじゃニカ!
韓国語のルーツは20万年前にまで遡る、世界最古の世界原語なんだムニカ!
27 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 22:09
へえ、バベルの塔をつくったのも朝鮮民族?
で、神の怒りを買ったわけね。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 23:59
>27
・・・神は言葉を乱された。
ということで、バベル以前には全ての人間が韓国語を話していたのです。
唯一世界原語を話す朝鮮人は選ばれた民なのです。
いつか約束の地へ導く救世主が現れるのです。
・・・ところで約束の地って「地上の天国」北朝鮮のこと?
29 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 00:07
バベルの塔って、人間の傲慢の象徴だっけ?
なるほど、朝鮮民族がバベルの塔を造ったっていうのもうなずけるな。
30 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 00:36
>>25 でも安堅は雪舟よりも上のような気がするな。
っていうか雪舟の絵の凄さがわからん。
あと鄭善(字が違うが)の山水画が朝鮮絵画ではちょっと面白いと思う。
31 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 08:56
仏教絵画はあまり残ってないらしい。
統一新羅の時代には伝説になっている壁画があったらしいが。
仏像彫刻には大したものがないみたいだ。
日本の飛鳥奈良の仏像に影響を与えたというが、黄金時代の統一新羅の仏像でも
写実性に欠けてて日本の天平や鎌倉の仏像とは比較にならない。
石窟庵の仏像さえも興福寺や東大寺の傑作には及ばないと思う。
32 :
25>30 :2000/09/20(水) 09:55
たしかに鄭善は面白い。
岩や樹木の筆法には朝鮮独特のものがあるし。
ただ同じ南画ということでいえば、
大雅や玉堂の方がスケールが大きいと思う。
安堅は郭煕様の北宋画体風だから、
雪舟と比較対照するには無理があると思う。
それに安堅の真筆なんて天理大学図書館所蔵の
『夢遊桃源図巻』くらいでしょ。贋作なら山ほどあるみたいだけど。
それに『夢遊桃源図巻』にしても郭煕を見慣れている眼には
どうしてもイマイチって感じ。
まあ、たしかに雪舟の評価は茶道具としての評価を割り引いて
考えたほうがいいとは思うけど。
33 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 10:28
絵を見ても書を見ても良さが分からない芸術ドキュン日本人ですが、
25さんをはじめとする評価はおもしろいです。
もっとやってくれ。
34 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 11:38
>>32 でも伝安堅の作品には真筆も混じってると思う。
35 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 13:41
ソウルには城があったてホント?
んで、その城はどんな形だったの?
36 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 13:43
↑バベルの塔があったのかも。
37 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 20:16
>>35 ソウルは街が城なんだよ。
中国の紫禁城の小型版。
38 :
名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 17:32
朝鮮の絵画ってそれほどよく知らないけど、
今までに見た限りではスケールの大きさとか奔放さとか、、、、
そういったものが足りなくて個性に欠けるものが多いような気がします。
小さくまとまってるけど圧倒されるものがないっていうか。
そういうものを好むのが朝鮮人独自の美意識なのかも、とも思います。
39 :
名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 17:49
>>37 つーか、都市が城じゃないのは世界史的に見たら日本だけの例外。
40 :
揚げ足取り :2000/09/21(木) 18:58
>39
アメリカは?
41 :
名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 19:22
>39
遊牧民系の奴らは城郭都市をあんまり造らないみたいだけど。
42 :
はぽねす :2000/09/21(木) 19:34
>40
「歴史的」っつーほど、歴史がないってば。
43 :
名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 21:03
コリアンがバベルの塔を造ろうとしても、高さ10mにも
達しないうちに崩壊すると思ふ。
44 :
名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 21:23
それにしても韓国の仏像って本当にロクな作品がないよなあ。
石窟庵でも傑作は梵釈二天像と二菩薩、十一面観音、本尊、四天王の10体だけ。
新羅時代の石仏は結構残ってるから得意の「残ってないだけ」っていう論法も
説得力なし。
宗教的偶像に美を追求する意識がなかったか、必要以上に追求することが冒涜だ
と考えられてたのかも。それはそれで一つの文化の形だから馬鹿にする気はないが。
でも美術を熱心に追求した歴史がないのに、
今の時代になると「韓国美術は素晴らしい」じゃ美術を発展させた国に失礼だよな。
45 :
44 :2000/09/21(木) 21:27
「韓国美術は素晴らしい」→「韓国美術は他の国より素晴らしい」
に訂正。韓国美術に素晴らしいものがないわけじゃないから。
でもヨーロッパ美術でイギリスにターナーやブレイクがいても、
その位置がフランス、イタリア、スペイン、オランダなどより落ちるのと
同じで韓国美術の占める位置は中国はもちろん日本と比べても小さいと思う。
46 :
名無しさん@1周年 :2000/09/22(金) 17:30
47 :
名無しさん@1周年 :2000/09/22(金) 17:44
>>25 朝鮮絵画にお詳しいようですね。
でも僕は図書舘で図版見たくらいでしか朝鮮絵画を知りませんが、
金弘道の群仙図屏風や、高句麗時代の江西古墳の壁画は
かなり凄いように見えるんですが、駄目ですか?
48 :
名無しさん@1周年 :2000/09/22(金) 21:39
49 :
25>47 :2000/09/22(金) 22:45
>駄目ですか?
駄目だとは言ってませんよ。
朝鮮絵画も日本絵画も殆どは中国絵画の枠を超えられないもの
ばかりですけど、日本絵画にはわずかだけど中国絵画の枠を超えた
本当の意味での独創的な絵画があると言っているのです。
金弘道『群仙図』屏風が、例えば長谷川等伯『松林図』屏風、
俵屋宗達『風神雷神図』屏風、尾形光琳『紅白梅図』屏風等に
匹敵する作品でしょうか?題材を取っても、空間処理を取っても
技巧面でも、日本のこれらの作品は中国絵画の枠を超えたと評価
できますが、金弘道『群仙図』屏風はやはり中国絵画の枠内の
限度でのすばらしい作品という評価でしょう。
私のみるところ、朝鮮の場合の方が日本よりも中国の知識人や
貴族の影響を直に受け、そこから逸脱することがなかなか難しかった
ために、どうしても中国絵画の枠を超えられなかったのだと思います。
50 :
名無しさん@1周年 :2000/09/22(金) 23:11
別に日本や朝鮮独自のものになる必要はないでしょ。
中国絵画そのものに見えても作品そのものが優れていればいいんだし。
でも何故か朝鮮の絵画には
>>25さんの言うように、
限定的な評価しか与えられない気がするね。
でも江西古墳の四神図は確かに凄い。小品だけど、まさに気韻生動。
人物画との違いがあって比較は難しいが、中国の壁画の「仕女図」より上では?
少なくとも高松塚古墳の同じ四神図よりは確実に上だ。
ただし高句麗古墳を朝鮮絵画って言っていいのかどうかわからんけどね。
どーでもいいことだが
韓国のデザインってダサすぎ。やたら濃い、というかゴテゴテしすぎ。
52 :
25>50 :2000/09/23(土) 12:58
>別に日本や朝鮮独自のものになる必要はないでしょ。
>中国絵画そのものに見えても作品そのものが優れていればいいんだし。
いや、そうじゃないと思いますよ。
中国絵画っていうのは、その歴史を振り返って見ればわかるけど、
非常に技巧的な性格を持っている。だからややもすると技巧が勝ち画面から
生気を失わせることが多かった。特に南宋と明時代以降この傾向が顕著に
なっていった。だから朝鮮や日本絵画の中で、南宋や明時代以降の中国絵画の
影響を受けたものは、どうしてもその悪弊を受け継いでしまっているものが多い。
そして現存する朝鮮や日本の絵画の大部分は残念ながら、この時代の中国絵画
の影響を受けたものが殆ど。実際に五代や北宋時代の名品を観ればどれほど
朝鮮や日本の絵画が見劣りするかわかると思います、中国絵画の枠を超えられなかった
作品の場合。
53 :
50 :2000/09/23(土) 21:42
>52
なるほど。技巧が勝ち画面から生気を失わせるってよくわかる気がするなあ。
李朝初期の安堅らの絵画や日本の室町水墨画が、
宋元画にとても及ばないっていうのは俺みたいな素人でもわかるな。
ただ仏教美術に関しては中国的な枠の中にあっても、
中国のものを乗り越えてるような作品が結構あるような気がするから50みたいに言ったんだが。
54 :
47 :2000/09/26(火) 19:26
>>50 う〜ん、なるほど。「群仙図屏風」って日本の同種の作品よりは良さそうに
見えたんですが、言われてみれば中国絵画の枠内なのかもって思えてきました。
人に言われるとすぐ納得しちゃう性格なもんで(笑)
55 :
名無しさん@1周年 :2000/09/26(火) 19:38
朝鮮では陶工など非常に蔑まれてきたと聞いたことがあります。画家など
の社会的地位はどうだったのでしょう?
56 :
名無しさん@1周年 :2000/09/26(火) 20:35
画家は陶工よりは地位が高かったんじゃない?
陶工で名前が残ってるのは日本に連れ去られた人だけだけど、
画家の名前は結構残ってる。
それに中国と同じように、文人の余技としての画という思想があった
と思うし。
57 :
名無しさん@1周年 :2000/09/26(火) 21:54
でもさ、ドキュソ貧乏国の文字やら言葉をなんで覚えなくちゃいけないの?
58 :
52 :2000/09/27(水) 00:02
>50
>ただ仏教美術に関しては中国的な枠の中にあっても、
>中国のものを乗り越えてるような作品が結構あるような気がするから50みたいに言ったんだが。
朝鮮仏画も儒教偏重による仏教排斥がなければ、高度に発展したと思う。残念だ。
むしろ日本の仏画における高麗仏画の影響のほうが私には興味深い。
たしかに江西古墳の四神図はすばらしいけど、中国の子弾庫や馬王堆の古墳の、四神以前の
段階の壁画のほうに素朴だがより生命力の漲るものを感じる。人工的な山水画よりも博山炉に
魅力を感じるようなものなんだけど。
>56
朝鮮の画壇は宮廷画家、宮廷画家出身の職業画家、文人画家という3つのタイプにより
長い間支配されてきた。これは中国の場合とほぼ同じ現象。文人画家は貴族等の
地位のある者の集団で、陶工の地位が低かったように、絵を生業にする職業画家を
画工と言って低く見ていた。実際に必ずしも地位が低かったわけではないが。
59 :
47 :2000/09/27(水) 19:22
54は
>>49の間違いです。今頃気付いてゴメンなさい。
勉強になるのでageときます。
60 :
名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 07:33
>>52 江戸後期の絵画なんてもはや独自の世界を作りだしてたのでは?
中国の影響が強いはずの南画でも、ジェームズ・ケーヒルとかいう人の評価がきっかけで、
アメリカなどの中国絵画の専門家からも、
中国絵画とは別の評価を与えられていると聞いたことがあります。
それも大雅や蕪村のようなビッグネームだけじゃなくて、
日本でもあまり評価されていないような画家の作品なども盛んに収集されてるとか。
61 :
名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 17:37
伊藤若仲と朝鮮美術には関連があるのでしょうか?
62 :
名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 23:31
概説的ですが、芳賀徹「伊藤若冲と朝鮮民画」『日本学』10(1991)などの論文も
ありますので、いくらかは有ったのではないでしょうか?
これまでほとんど注目されていなかった分野なので、これから徐々に解明されてい
く分野でしょう。江戸時代の日朝美術の交流は、ほんとに手付かずですよね。
個人的には日本からの影響もあったと思っていますが根拠は薄弱です。
63 :
名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 23:50
このスレも海の藻屑となってしまったと思っていたのですが(笑)
>60
たしかに南海や淇園や百川といった初期南画はケーヒルらによる再評価が
なされるまでは国内外問わずあまり高く評価されてきませんでした。
最近になってようやく初期南画展が国内で催されるようになったのも
海外での評価があればこそです。いつも海外の評価の後追いでみっともない気がします。
南画じゃないですが、蕭白などは日本人がバカにしているうちに、
傑作は殆どアメリカに持っていかれてしまいました。
たしかに江戸時代のあまり評価されてこなかったような作品も
欧米人の博物学的興味からか、厭わずに収集されてきたので、
これからも評価されてこなかった画家が新しく日の目を見るのではないかと楽しみです。
>61
いいところに目をつけますねえ。若沖と朝鮮の民画。
今までは沈南頻ら渡日した中国画家の影響が強調されてきて、朝鮮民画との
関連性についてはその陰に隠れてあまり研究されてこなかったけど、
最近になってようやく注目を浴びつつあります。
同じ写生画をベースにしつつも、応挙や南頻にない若沖の特徴は、
もちろん琳派等の影響からのものもあるけれど、朝鮮民画の影響が
特に強いのではないかと思います。ただ朝鮮の民画にも若沖の頃になると、
郎世寧らが中国に齎した西洋画法が朝鮮にも入り、朝鮮民画もその影響を
受けています。だから写生の面では朝鮮民画からの影響と言える部分が若沖にあるのか
難しい問題ですが、若沖と朝鮮民画の動物画等に共通して見られるユーモラスな
描写はなにがしかの共通点があるのかもしれません。この辺は興味があるのですが
あまりきちんと調べて事がありません。僕も興味があるのでどなたか
教えてくださるとありがたいですね。
64 :
名無しさん@1周年 :2000/10/16(月) 01:01
確かにあの動物画の描写は似ていますね。江戸時代にも朝鮮通信使を
通して日本側の屏風図を初めとする美術品が流入し、その作品は王宮の
昌徳宮に保存されています。王朝の画員たちも日本の美術に触れる機会は
あった訳です。日本でも吉田宏志などを始めとして朝鮮美術の研究がな
されていますが、民画となると聞いたことがありません。
このあたりが解明されると面白いんですけどね。
65 :
名無しさん@1周年 :2000/10/16(月) 02:26
>1
どう考えても、せいぜい2000年だと思うんだけど。
蕪村も朝鮮の画家を真似した犬の絵を描いてたよね?