この資料の読み方

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1名無しさん@1周年
http://cgi.members.interq.or.jp/www-user/saiwai/board/petit.cgi
大学図書館で若槻泰雄氏の「韓国・朝鮮と日本人」という本を借りてきました。
みんな楽しく学べるものばかりなので、一緒にお勉強しましょう。
p.129-131
現在の在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行と無関係
さらにここで指摘しておきたいことは、在日韓国・朝鮮人(その父祖を含め)と、
強制連行との関係である。朝鮮大学校編『朝鮮に関する研究資料(第四集)』によ
れば、「日本に住んでいる大きな部分を占める朝鮮人は太平洋戦争中に日本の官憲
によって強制徴用され……」とあり、在日韓国・朝鮮人は口を開けば必ずのよう
に、「われわれは日本政府によって強制連行されてきたものだ」と主張する。だが
この表現は正確ではなく、むしろ事実に反するというべきだと思われる。
一九七四年の法務省編『在留外国人統計』によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸
年は上の表のようになっている。
この表によると、日本政府が朝鮮人の来日をむしろ取締まっていた昭和十年までに
渡来したものが全体の五三.七%と、半分以上になる。昭和十一〜十五年はまだ民
間の自由募集の期間だし、次の十六〜十九の中でも、国民徴用令による徴収は十九
年の九月以降の僅か四月間であるから、単純に計算すると、この期間に徴用された
ものは十六〜十九年間の一四、五一四人の一二分の一、つまり一、二一〇人(全体
の一.四六%)にすぎないことになる。これに、次項「昭和二〇年九月一日以前」
の六七九名(〇.八%)を加えた概算一、八八九人(二.三%)ほどが、真に強制
連行の名に値する在日朝鮮人だということになる。かりに「官あっせん」を強制徴
用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和十七年二月〜十九年間の月間
来日数を均等として考えたものであるが、実際には、関釜連絡船の運航は終戦が近
くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、十九年後半の来日徴用者も減少し
ているはずである。すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても十%を大
きく超えることはまずあるまい。

民団も韓国青年会も自認
この数字は在日韓国人自体の調査によっても裏付けられている。一九八八年二月に
発刊された『”我々の歴史を取り戻す運動”報告書』(在日本大韓民国青年会中央
本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録されてい
る。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は一三.三%にすぎず、経済
的理由(三九.六%)、「結婚・親族との同居」(一七.三%)に次いで三番目で
ある。この一三.三%のうち、徴兵は〇.五%で、残りが徴用ということになる。
しかし、「渡日年度別に見た渡日理由」によると、徴用は一九二六〜三〇年に六
人、一九三一〜三五年に九人、一九三六〜四〇年に五一人とある。国民徴用令が公
布されたのは一九三九年七月であって、これが朝鮮に適用されたのは前述のように
一九四九年九月であるから、この「徴用による渡日という」回答は思い違いによる
ものと考えられる。従ってこの人数はのぞかねばならない。
一九四一〜四五年の徴兵、徴用と答えた七六人も、その大部分は記憶違いというよ
りほかはない。徴用が実施されていた一九四四年九月以降終戦までの一年分だけを
前期の方法で算出すれば一六人、すなわち全体の一.五%にしかならない。また、
法務省の数字のアンケート調査の場合と同様、官あっせんを徴用と考えても(一九
四二年二月以降)五九人−五.四%となり、徴兵を加えて五.九%である。

だそうですけども、この・・・・八八九人(二.三%)ほどが、真に強制
連行の名に値する在日朝鮮人だということになる。・・・とは、
戦争終了時までに日本に来た朝鮮人の総計の内、強制連行された人が2.3%
という意味でしょうか?
戦後に、強制連行された人達は、多くが帰国したらしいので、実際
強制連行されて日本に残ってる人達の数は八八九人をさらに大きく
下回りませんか?
2名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 01:52
そだよ。常識ジャン。
3名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 01:58
じゃあ強制連行で連れてこられたって言うのは
限りなく嘘なんですね。
強制連行で来た数から帰国した数を引くとどうなるの?

強制連行帰国組の数は分ってるのですか?
4名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 02:00
基数があやふやなのに変数が正確にわかるはずないでしょ。
5名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 15:15
>3
戦後の混乱期に一気に帰国させたから名簿とかはなさそうだなぁ
でも嫌々日本に連れてこられた人が「敗戦国」日本から無料で帰国できる
となって帰らないでいる手はないと思うので、ほぼ全員が帰ったと考えるのが
自然じゃないかな
それでも帰らなかった人はまた別箇に帰らなかった理由があるだけだと思うし
(すでに日本でひとやま当ててたとか日本人と結婚してたとか
なんにせよ本人の意思)

というわけで「強制連行」に関してはすでに解決済みというスタンスでOK
6名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 15:48
>5
ちょっと手許に資料がないんだけど、一度帰りながら、
戦後の半島の混乱やテロ、そして朝鮮戦争の惨事からのがれて、
再び日本へ来て在日になった数は相当多かったはず。
この中に、共産党系がかなりいたことで、
以降の在日の目立つ部分が反日になったのでは? と思う。

どっちみち、今の在日に「強制連行」は、関係ないでしょ。
7名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 15:51
>5さんへ
ちょいと、教えを請いたいのですが。お願い致します。
在日の2、3世のなかで。広義の強制連行説を唱えられ、
馬鹿馬鹿しくなって、議論から撤退した経験があります。

「土地を奪われ、仕事を奪われ、そして上手い言葉に騙されて、日本に
渡ってきた、そんな間接的要因の結果によって今でも日本に居住する人達は
強制連行ではないのか。」
ここまで、自己に都合のよい様に拡大解釈されては、どだい議論には
ならないと思い、投げ出した次第です。

法務省の調査や、民団自らによる調査で、真の徴用鮮人の実態が明らかになり、
2、3世の彼らの主張する歴史的経緯に基づく在日の存在とは、上記の理由を
根拠に強制連行を超拡大解釈している様です、是非ご意見を伺わせて下さい。
土地調査事業に関しても、現在日はもともと小作人であった連中で、関係ない
話しですし、奪い取ったのではなく、正当に買い取ったものと理解しております。
仕事を奪われ、上手い言葉に騙されて・・・が、何なのか理解出来ません。
ご解説、願いたいのですが、お願いします。
8名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 15:54
アラシが起きそうな雰囲気だな。
9名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 15:58
聞いてどうすんの?
夏休みの宿題?
10>7さん:2000/08/09(水) 16:00
HAN板の管理人の意見によれば

>さて、徴用以前(とくに「募集」期)では、実質的には強制労働(極端なケース
>では、朝鮮に帰ったら支払うといって賃金が支払われないなど)の様相はあった
>ものの、形の上では自由意志で募集に応じる人が多かったので、動員された朝鮮
>人の側にも、その強制性を自覚しないことが多々あったようです。

>実態調査でも、渡日時期やその形態を聞くと、あきらかにだまされ、自由を拘束
>され、強制労働をしいられているにもかかわらず、本人はあくまで「自分できた。
>強制じゃない」と認識しているケースもありました。

本人が「強制連行ではない」と言っても管理人は「強制連行」にカウント
するみたいです。
11名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 16:02
>9 ばれてたー。(冷汗;;
12名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 16:11
ちょとスレとは、離れた質問ですいません。
当時の、土地所有者(地主階級)は、全国民のどの位だったのでしょうか?

資料など、無いのでしょうか。
13名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 16:24
とりあえず、ここ。
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sugimoto/kyoukasho.html#anchor208234
朝鮮では人口2千万人に対し、土地調査完了時、土地所有を認められた
人は187万人もあり(萩原彦三『朝鮮の土地調査』友邦協会)
1412:2000/08/09(水) 16:40
>13 さん
有難うございます。早速、読ませて頂きます。
15すげーや:2000/08/09(水) 17:51
>本人が「強制連行ではない」と言っても管理人は「強制連行」にカウント
>するみたいです。
16名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 18:30
本人が自覚できない「強制」ってなんだろ? (藁
175:2000/08/09(水) 19:19
>6
>上手い言葉に騙されて
当時の日本と朝鮮の経済格差は現在の日本と韓国のそれとは
比べ物にならないほどの格差でした
「日本へ渡ってひとやま当てよう」と考えた人は少なからずいたことでしょう
またそれに乗じてうまいこと騙す輩がいても不思議はありません
その輩が日本人なのか朝鮮人なのかはわかりませんけどね


>仕事を奪われ
威信以降急速に近代化し列強と肩を並べるほどとなった日本と
依然として鎖国状態を継続した朝鮮とでは経済構造も社会基盤も
まったく異なっていました
それを一気に日本と同じレベルにしようとしたのですから
それについていけない人は失業したりするのは容易に想像されます

たとえば今の日本の不況は経済構造不況と呼ばれ
緊急に経済構造改革が叫ばれていますが
もしそうなれば金融、建築などの旧態依然とした産業は
大打撃を受けるでしょう
同時に情報通信関連や人材派遣業などは花形となるでしょう
かつて花形であった鉄鋼、造船などの重厚長大産業がいまでは斜陽となり
半導体、サービス産業が隆盛なのも良い例です

日本でも維新の時に武士階級はその既得権益を奪われています
(ただし維新を行ったのもその武士自身だということは着目すべき
彼らは自分個人のことよりも国家の発展を選んだのです)


それを「日本のせいで」と言われてもね
自分たちでできなかっただけでしょうに
18嘘吐き金明秀:2000/08/10(木) 08:24
Q「強制連行」できた人たちは,戦争が終わるとみんな朝鮮に帰ったのではありませんか。

強制連行が行われたのは終戦までの約7年間にすぎないため,
母国に生活の基盤が残っていた人が多く,かなりの人が解放後すぐに朝鮮に戻ったことは確かです。
しかし,日本に残らざるをえなかった方も少なくはなく,
たとえば在日韓国青年会が1982〜83年に実施した調査では,
在日コリアン一世のうち,少なくとも13.3%が「強制連行」で来日していることが分かっています。

ただ,在日コリアンが多く住む大阪の生野区には,
「強制連行」でつれられてきた一世が少ないともいわれています。

19嘘吐き金明秀:2000/08/10(木) 08:25

Qどうして韓国人や朝鮮人が日本にたくさんいるんですか。

1910年の日韓併合から1945年の終戦まで36年間,日本は朝鮮半島を植民地支配しました。
日本に定住している韓国・朝鮮人の多くは,この間に日本に渡ってきた人とその子孫です。

日清戦争で慢性的な米不足におちいっていた日本は,
「産米増殖計画」(1920〜34年)といって植民地である朝鮮半島から大量の米を収奪しました。
日中戦争がはじまると,米だけでなく水や地下資源,労働力など,さらに収奪は激しくなっていきました。
それによって朝鮮の民衆は貧しくなり,職をうしなう人が続出したわけです。
はじめに,そういう人たちが大量に職を求めて日本にやってきました。

そして1939年には,日中戦争の泥沼化や太平洋戦争突入による労働力不足のために,
いわゆる「強制連行」がはじまりました。
終戦までに「強制連行」で日本につれられてきた人の数は,のべ60万人にものぼります。

こうして,1945年の終戦当時には230万人をこえる朝鮮人が日本にいました。
その多くはすぐに自力で朝鮮半島に戻っていきましたが,
戻るためのお金や手段がなかった人は取り残されました。
また,財産の持ち出しを制限されたため,
朝鮮に生活基盤がなくなっていた人も帰ることができませんでした。
そして結局,1947年の時点で約53万人が日本に残りました。
これが,在日コリアンの「一世」です。

20名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 08:27
がはは本当に大嘘ですね。
21豚の爪:2000/08/10(木) 09:32

在留朝鮮人 人口動向(内務省調査)

渡航 帰還 居住人口
1917年 14@`012 3@`927 14@`502
1920年 27@`497 20@`947 30@`189
1925年 131@`273 112@`471 129@`870
1930年 127@`776 141@`860 298@`091
1935年 112@`141 105@`946 625@`678
1940年 385@`822 256@`037 1@`190@`444
1941年 368@`412 289@`838 1@`469@`230
1942年 381@`673 268@`672 1@`625@`054
1943年 401@`059 272@`770 1@`882@`456
1944年 403@`737 249@`888 1@`936@`843
1945年 121@`101 131@`294 2@`365@`263
(1−5月)
22豚の爪:2000/08/10(木) 09:33
戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/database/shinbun/shinbun.html
このサイトは金明秀のサイトでも紹介されています。
恨ボードの連中にも勧めて頂きたい。

「密航」での検索結果の一部
(「密航」で371件「渡航」で208件ヒットした。)

『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『密航鮮人使役/関係者を調ぶ(戸畑市)』 福岡日日 1939/2/13
『半島から密航船/倉橋島方面へ出現』 芸備日日 1939/2/13
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人(糸島郡野北村)』 福岡日日 1939/5/20
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『(小型世間)密航が判明し(林田)』 大阪毎日 1939/7/11 神版
『半島人密航/豊西海岸(山口)に』 福岡日日 1939/8/2
『密航(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1939/11/5
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『博多に密航』 福岡日日 1939/12/27 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕
236:2000/08/10(木) 11:09
>5先生
丁寧、且つ詳細なレス有難うございます。納得しました。
結局、彼らとは議論になりませんね。

しかし、上のレス見ると毎日が、半島からの密航ラッシュですね。
今時の中国人の密航なんかの比じゃないですね、こりゃ。
247:2000/08/10(木) 11:10
すいません、上の6じゃなくて7です。ごめんなさい。
25名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 15:07
と、いう事は、1945年までに密航してきた犯罪者の連中も、
「国籍を剥奪され、権利を奪われた」なんてのたまわってるんですな?
そもそも、不法入国なんだから、日本国籍もなかったんじゃねーのか?
そりゃ、孫には本当の事も言わないよな。強制何とかとか、日本人に土地を取られてとか、
格好のいい事でっちあげるしかねーよな。ヤレヤレ。
267:2000/08/10(木) 15:26
>25
だから、うちら頭に来てるんです。
しかし、此方が資料を出して、在日連中にせまっても、
頑として認めない理由が解かりました。
>ある在日:あー、その資料ね。見たことあるよ、でも、××が抜けてるね。
だから、全体として信用出来ないよ。

などと、関係のない事を持ち出しては、此方の資料の信憑性を否定しとります。
しかし、密航者の子孫だから、こう言った弁明しか出来なかった訳ですね。
納得です。

しかし、密航者の子孫では、こんな具合に
277:2000/08/10(木) 15:33
すいません、尻切れレスでした。

密航者の子孫も、イルボンの植民地政策の犠牲者なのだ!!!
仕事を奪われ、土地を奪われ、上手い言葉に騙されてなむ無く密航したニダ!!
だから、悪いのは日本だ、我々在日は、全て強制連行されたスミダ!!

などと、言い出しそうで、怖いです。
2825:2000/08/10(木) 15:47
いや、ちょっと間違えた。
1945年までは半島人は全員日本人だった訳ですよね?
だから、犯罪者ではあっても、日本国籍はあったんだ。

>7
1945年の時点で、正式に入国していなかった人も、今の在日に含まれているんですか?
その頃、住民票とかで管理してなかったのだろうか?
2925:2000/08/10(木) 15:53
普通は自分たちから、きっちり調べて強制連行(彼ら用語)の人たちだけでも、
何とか特別待遇にしてあげようとか考えそうなものだけど、
彼ら、それやるとやぶ蛇だからやらないんじゃない?
ユダヤはドイツ人(に使われてたユダヤ人も)を追って狩ったけど、
彼らはそれもしない。自分たちが共犯だったって知ってるから。
従軍慰安婦やら軍の具体的追及すると、自分たちが出てきちゃう。

どうしてユダヤ人みたいに具体的にやらないで、「民族が、アイゴー」なんて、
具体的でないやり方をするのだろう?と、ずーっと不思議だったんですよね。
自ら、探りたくない訳ですね。だから、都合よいウソも放置すると。
30名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 15:54
>25
まさか自分達の親や祖父母がウソをついてたなんて認めたくないからだろう。
メンツを重んじる朝鮮人のことだからなあ。慰安婦に関しても、「親に売られた」
と語るよりは「日帝に強制連行された」と、主張する方が親のメンツも保てて
一石二鳥という腹か。
31名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 16:07

朝鮮人の業者が慰安婦(売春婦)を集めてたって事実もあるしね。
32名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 18:32
もろ上げ
33名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 23:37
最悪な人たちだね、とっとと帰ってくれよ。
34二日酔い:2000/08/11(金) 00:14
 >33
それって、在日韓国・朝鮮人に
「最悪な人たちだね、とっとと帰ってくれよ。」と言ってるの?
それとも、31、30、29・・・に言っているの?

31・30・29・・・の言ってる事は、在日に対して最悪の
暴露かもしれんがね。
35名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 02:27
>国民徴用令による徴収は十九
>年の九月以降の僅か四月間であるから、
民団の数字
>徴用は一九二六〜三〇年に六 人、一九三一〜三五年に九人、一九三六〜四
>〇年に五一人とある。国民徴用令が公布されたのは★一九三九年七月★で
>あって、これが朝鮮に適用されたのは前述のように一九四四年九月である
>から、この「徴用による渡日という」回答は思い違いによるものと考えら
>れる。従ってこの人数はのぞかねばならない。
金明秀
>強制連行が行われたのは終戦までの★約7年間★にすぎないため,

>そして1939年には,日中戦争の泥沼化や太平洋戦争突入による労働力不足のために,
>いわゆる「強制連行」がはじまりました。
金明秀って民団の情報すらちゃんと読めてないですよ。★7年★って事は1938年
からでしょうけど
>徴用は一九二六〜三〇年に六 人
ってこれだと、★19年★ですね。

どっから引用した数字なんだよ。法務省と民団の調査を知った上での確信
犯かな。民団の数字じゃインチキくさくなるし法務省のも癪にさわるか。

★一九三九年七月★日本人の徴用が始まったのですら★6年前★だぞ。
>官あっせんが行われていた昭和十七年二月〜十九年間
官あっせんを基準にしても★3年★とちょっと。

官あっせんを除いた正真証明の徴用されたに値する人達の数を知りたい。
法務省もこの辺り思いやりに満ちてるなぁ。

官斡旋とは何ですか?自由意志に基づかないものなの?
36名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 02:31
朝鮮人の徴用が1944年9月から1945年まで
わざか4ヶ月で終わったのは何故ですか?

これは温情?ちょっと不思議です。止めるには止める理由が
あったのでしょう。
1945年って本土では一番熾烈な時ですよね。
37豚の爪:2000/08/11(金) 11:36
    戦後の密航者数(警察庁調)

 年代      密入国者数        強制送還数
1946年    21,420人      15,925人
1947年     6,888人       6,296人
1948年     8,500人       6,207人
1949年     1,641人       7,663人
1950年     3,612人       2,319人
1951年     4,847人       1,172人
1952年     3,263人       2,320人
1953年     1,404人       2,685人
38豚の爪:2000/08/11(金) 11:38
35番
>官斡旋とは何ですか?自由意志に基づかないものなの?

求人募集は本来一企業が行なうものですがこれは企業の要請を受け半島在任の官憲が
人材を採用し企業側に引き渡すものです。

基本的には自由意志に基づくものですが、幾つか現在の求人募集とは違います。
まず、決められた地域からの採用に限られ 区域外からの採用は認められない。
例外的に「縁故採用」といって区域外からの希望者で応募者に知人がいる者については特に許可された。

また、一般の就職とは違って期間契約が結ばれていた。
ふつう二年、事務職は一年。
企業側は自由に解雇することは出来なく労働者も自由に退職・転職ができなかった。

もし、どうしても解雇(退職)したい場合はどうだろう。
おそらく、面倒な手続きが必要で その上本人が希望しなくても
企業側が帰郷費用を出し帰郷させなければならなかったのではないか。
これは私の想像だが、詳しい人 レスを頼む。

ただ期間満了した者については そのまま日本に残っている実例が数多くある。
39名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 04:20
密入国→定住は出来てるのですか?
40豚の爪:2000/08/12(土) 08:21
>39番
基本的には強制送還ですが
全員を送還することは出来なかったでしょう。

1939年の『世態調査資料』第三十六号(司法省調査部)によると、
後藤特高課長は
「毎月200名余りの密航者があり、一人当たり2円から3円の旅費を使って送還している。」
と発言している。

これは、福岡地方裁判所・同検事局が主催しておこなった「福岡県下在住朝鮮人の動向に就いて」
という座談会の速記録である。
この座談会は同年3月23日に福岡地方裁判所でおこなわれたもので、
参加者は、後藤吉五郎(福岡県特高課長)、熊谷治生(福岡県社会課)、清川守雄(西小倉小学校)、
山内鹿朗(八幡製鉄所運搬請負業共済組合)、玉井金五郎(若松仲仕小頭組会長)等々
41豚の爪:2000/08/12(土) 08:23
断言する。「連行」によって渡日した者など一人もいない。

「強制連行」のイメージは例えれば、

或る朝鮮人農夫の証言。

「あれは 1944年の秋だった、おらは裏の畑で でえこんを ひっこ抜いていた。
柿の木の枝には百舌鳥が とまって鳴いていた その時だ、
いきなり銃を持った二人の日本人に はがいじめにされ日本まで連れて行かれただ。」
(暇があれば今度 盛夏バージョンも作っておく)

これが「強制連行」である。
日本が人手不足だったころに ワザワザ朝鮮の田舎まで農夫を出迎えに行くわけがないだろう。

徴用には「徴用」というピッタリの言葉がある。
在日諸君、正しい日本語を使いませう。
42アホの反日城:2000/08/12(土) 17:03
さて、宋氏の証言にある逃亡者ですが、
厚生省の名簿には「逃亡」の記述欄があり、
それによると生野鉱山では何と労働者の58%、574名が逃亡していました。
生野鉱山は逃亡がしやすかったのでしょうか。
それとも地獄のようなところだったのでしょうか。驚くべき数字です。
名簿全体では6万7千名中28.5%という高率で逃亡者が出ていました。
  宋さんもその一人でした。しかし逃亡はしてみたものの警察などの追求が
厳しく故郷には帰れず、結局は京都の他の鉱山で働くことになりました。
上記名簿の28.5%という逃亡率はかなり高く、にわかに信じがたいの
で他の資料もあたってみました。それをまとめると次の表のようになります。

     資料名     逃亡率    逃亡者数     期間
資料1.内務省調査    30%    109@`185    ? ー43年6月
資料2.高等外事月報  33.6% 260@`452  39年ー43年
資料3.法務省資料  (30.7%) 222@`225  39年ー45年3月
資料4.公安調査庁  (31.3%) 226@`497  39年ー45年3月

上の表でカッコ内の比率は、連行総数を724,787人として私が割り
出した数字です。逃亡者数は資料により少しばらつきはありますが、
逃亡率は大体30%と高率であることは間違いないようです。
43豚の爪:2000/08/12(土) 17:06

やっぱり でたなあぁー反日城。
(ちょっと しらじらしいか?)

また、また、「逃走」を「逃亡」と書き換えるケチな奴め。

ところで、このスレッドのテーマは「この資料の読み方」だよね。
そして みんなで一緒にお勉強しましょう。だ。

では上の反日城の持ち出した資料をどう読む?
私もこの資料は正しいと思う。
彼はこれを根拠に 在日一世は地獄のようなところで悲惨なめにあわされたと言いたいのだよ。
これをどう論破する?

みんなで考えてみよう。


♪ わ・た・し・ 明日・は・や・す・み・ ♪ ♪♪
44名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 17:10
見張りが少なかった
45名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/12(土) 17:15
青い鳥症候群のハシリだった。
46名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 17:20
ひとりもいないと断言したやつは、精神病棟に強制連行きぼ〜ん


=============入院===========
47名無しさん@1周年:2000/08/13(日) 05:14
密入国した人は連行されて来たと嘘つくんじゃないかな。
対面上そうするでしょ。

1の民団の資料はちゃんと日本に帰化したグループもいれてるの?

そこまで調べないといけないと思うよ。

生野鉱山・・・朝鮮人と日本人の割合を教えてちょ。逃げ出す割合もね。
48名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 00:41
1の資料より
>国民徴用令による徴収は十九年の九月以降の僅か四月間であるから
つまり、1944年9月から12月まで

42の資料より
>     資料名     逃亡率    逃亡者数     期間
>資料1.内務省調査    30%    109@`185    ? ー43年6月
>資料2.高等外事月報  33.6% 260@`452  39年ー43年
>資料3.法務省資料  (30.7%) 222@`225  39年ー45年3月
>資料4.公安調査庁  (31.3%) 226@`497  39年ー45年3月
この資料からは、逃亡者のほとんどは43年までに逃げ出したことがわかる。

これらを重ね合わせると、あ〜ら不思議。
逃亡したのは、国民徴用令以前の勝手にやって来た連中であった。
49名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 09:11
みんなで検証してみましょう。
50名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 09:29
逃亡というより「わりのイイ仕事」を探したダケでしょ?
51豚の爪:2000/08/14(月) 10:03
>36番
>朝鮮人の徴用が1944年9月から1945年まで
>わざか4ヶ月で終わったのは何故ですか?

その後は空襲があったからね、
お手々つないで集団就職なんてやっている場合じゃなかったのだろう。

>44番
論外。

>45番
おもしろい。

>46番
ばーか、今、夏休みだから そこから一時帰宅しているんだよ。
「一時帰宅」という制度があるんだよ。知らなかっただろう。
あと、慰安旅行や その他いろいろなお楽しみ会もあるんだよ。
羨ましいだろう。

>47番
>1の民団の資料はちゃんと日本に帰化したグループもいれてるの?
>そこまで調べないといけないと思うよ。

1の民団の資料には帰化した者は含まれていないね。

「韓国・朝鮮と日本人」では徴用による者を889人と計算している。
私はもう少し多いと考えているけど、率を求めるなら分母は200万以上に
なるから800人が3000人でも小さい数字しかでてこない。

本来、徴用者の数など計算しなくとも簡単に出てくるべきものだと思うが、
現実は「強制連行云々」なんて偏向本をいくら読んでも肝心な知りたいことが書かれていない。
いかに偏向本ばかりが氾濫しているか、ここが一番の問題だ。

>生野鉱山・・・朝鮮人と日本人の割合を教えてちょ。逃げ出す割合もね。

反日城に質問しても答えてくれないと思うよ。
5248:2000/08/14(月) 12:01
さて42の資料は何を意味するかというと・・・
今のところ、推測だが
『日本への渡航費は負担するから、そのかわり1年間は働いてくれ』
というような条件で来た連中が、途中で割のいい仕事を見つけて
契約を無視して逃げ出したって事じゃないだろうか。
53名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 23:50
age
54名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 09:59
強制連行と強制送還。どっちがコワイだろう。
55豚の爪:2000/08/16(水) 09:47
>48番
>これらを重ね合わせると、あ〜ら不思議。
>逃亡したのは、国民徴用令以前の勝手にやって来た連中であった。

勝手にやって来た者は「官斡旋」による就職はできませんから
42の資料には含まれないでしょぅ。
56豚の爪:2000/08/16(水) 09:49
次に一つの資料を紹介しよう。

北海道の鴻之舞金山にも多くの朝鮮人労働者がいた。
これは忠清南道の燕岐郡・大徳郡・禮山郡から
1941年12月に赴任した242人と
忠清南道の舒川郡から42年8月に赴任した50人の計292人であるが、
其の後大東亜戦争下の貿易杜絶で金の必要性がなくなり
1943年4月、鴻の舞金鉱が廃止され朝鮮人労働者は同じ住友傘下の
愛媛県別子銅山(四坂島精練所、住友アルミ等含む)へ配転された。
57豚の爪:2000/08/16(水) 09:50
その鴻之舞金山での1年3ヵ月間の「逃走」「送還」「帰鮮解雇」の記録。
【1941年12月21日242人着山】
42年1月24日4名送還
1月25日4名送還
4月26日2名送還
5月2日1名逃走
5月3日3名逃走
5月4日1名帰鮮解雇(7月24日解雇)
5月8日2名逃走
5月24日1名帰鮮解雇(7月24日解雇)
6月4日1名逃走
6月6日1名逃走
6月8日1名逃走
6月12日3名帰鮮解雇(11月4日解雇)
6月15日1名逃走
7月8日7名送還
【8月7日50人着山】
8月15日1名逃走
9月29日4名送還
12月13日1名帰鮮解雇(43年3月11日解雇)

43年1月3日4名送還
1月3日1名逃走
1月16日1名帰鮮解雇(3月11日解雇)
1月24日1名逃走
2月28日2名送還
3月22日2名送還
4月11日、12日、両日、四国へ出発
4月以降も北海道に残りその後送還された者4名。

以上 逃走者13名、送還33名、帰鮮解雇7名、

註 :「逃走」には逃走し保護され職場復帰した者も含まれる。
「送還」は病人送還及び不良者の送還であり
上表には期間満了による送還は含まれない。
「帰鮮解雇」とは一時帰郷し、そのまま職場復帰せず後に解雇された者。
58名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 11:16
印象としては、
1.目端の利く朝鮮人=逃亡
2.役立たずな朝鮮人=帰鮮解雇
3.犯罪者=送還
でしょうかね?
59逃亡者:2000/08/16(水) 13:44
少し以前に、フィリピンからダンサーやシンガーとして出稼ぎに
来た女の子が、滞在期間の6ヵ月を過ぎる前に、エスケープして
場末のスナックで、売春婦として働くなんてのがよくあったけど
それと同じだね。
60名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 20:17
「大日本史番外編朝鮮の巻」(ぢぢスレ)を更新しました。

>1さんの紹介した本に出てくる在日韓国青年会の資料もあります。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/
61名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 20:43
>60
>「耕せぱ耕すほど、税を取られるだけのことだ」
資料読んだよ。
これに類することはイザベラ・バードも書いてるね。で、ロシアに逃れた
朝鮮人が本国とは見間違えるほどの勤勉さで働いていることも書いるね。
李朝後期の治世はクソだね。滅んで当然。
62名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 03:21
アゲ
63豚の爪:2000/08/17(木) 14:02
島根県の朝鮮人労働者の逃走原因(累計)特高月報より

計画的渡航・都会に憧れ・煽動誘惑・ 転職・ 其の他
昭和16年4月 6名・ 1名・ 34名・ 69名・ 14名
昭和16年9月 6名・ 3名・ 45名・ 82名・ 19名
昭和16年12月 6名・ 3名・ 45名・ 82名・ 20名

鳥取県の朝鮮人労働者の逃走原因(累計)

計画的渡航・都会に憧れ・煽動誘惑・転職・其の他
昭和16年8月 23名・ −・204名・ −・2名
昭和16年12月 23名・ −・237名・ −・2名

島根県の朝鮮人労働者の送還理由(累計)

不良・ 病気・ 其の他
昭和16年4月 18名・ 2名・ 10名
昭和16年9月 30名・ 2名・ 10名
昭和16年12月30名・ 2名・ 10名


鳥取県の朝鮮人労働者の送還理由(累計)

不良・ 病気・ 其の他
昭和16年8月 18名・ 9名・ 4名
昭和16年12月20名・11名・ 5名
64名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 21:36
逃走原因
これってどうやって調べたんだろ?本人をとっつかまえて聞いたのかな?
逃走先って簡単に分かるもんだろか。
65豚の爪:2000/08/18(金) 08:57

>64
>逃走原因
>これってどうやって調べたんだろ?
>本人をとっつかまえて聞いたのかな?

逃走原因については本人への事情聴衆や状況から判断したのだろうね。
送還理由では島根と鳥取では不良と病気の割合が大きく違う。
これには記録者の判断の違いがあるかもしれない。
例えば仮病らしき者を「病気」とするか「不良」と記入するか。

>逃走先って簡単に分かるもんだろか。

警察が犯人を追っかけるようなイメージをもって考えてはいけない。

鉱山や建設現場の下請けの職場など、
特に朝鮮人が親方をやっているところで身分証明書などを確認すればすぐにわかる。
逃走元は本人にを聞き出すのだろう。
66豚の爪:2000/08/18(金) 08:59

昭和19年、朝鮮人労働者の逃走状況が調査され、島根県では36名が発見された。

その36名の発見場所と逃走場所「特高月報」(昭和19年6月)

発見場所
石炭山 19名
金属山 2名
鉄鋼及び造船 1名
土建関係 14名

逃走場所(逃走元)
石炭山 21名
金属山 2名
鉄鋼及び造船 1名
土建関係 12名

結局、同じような職場で「民斡旋」による再就職をしていたわけだ。
67豚の爪:2000/08/19(土) 14:27

補追
>39
>密入国→定住は出来てるのですか?
基本的には強制送還ですが、そのまま就業を認めることもあったようです。

>64
>本人をとっつかまえて聞いたのかな?
捕まえるというより、「年に一度の国勢調査で判明した」というカンジですね。
68豚の爪:2000/08/19(土) 14:29
島根県下の逃走者・不正渡航者の措置「特高月報」(昭和19年6月)

逃走者
職場に引き渡したる者 9名
送還したる者 0名
現職場に就労会員章を交付 27名

不正渡航者
送還したる者 26名
現職場に就労会員章を交付 0名

其の他
送還したる者 0名
現職場に就労会員章を交付 2名
其の他措置 0名

鳥取県下の逃走者・不正渡航者の措置「特高月報」(昭和19年6月)

逃走者
職場に引き渡したる者 2名
送還したる者 0名
現職場に就労会員章を交付 0名

不正渡航者
送還したる者 2名
現職場に就労会員章を交付 7名

其の他
送還したる者 5名
現職場に就労会員章を交付 84名
其の他措置 4名
69名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 07:58
就労会員章って?
70豚の爪:2000/08/22(火) 08:45
>69
私も字句から想像できる知識しかありませんが
その職場での就労を認め内地滞在を認めたということでしょう。
それと半島出身者の「現住所」はいいかげんなことが少なくなかったでしょうから
身分証明書代わりにもなったでしょう。

>50
>逃亡というより「わりのイイ仕事」を探したダケでしょ?

>52
>さて42の資料は何を意味するかというと・・・
>今のところ、推測だが
>『日本への渡航費は負担するから、そのかわり1年間は働いてくれ』
>というような条件で来た連中が、途中で割のいい仕事を見つけて
>契約を無視して逃げ出したって事じゃないだろうか。

>58
>印象としては、
>1.目端の利く朝鮮人=逃亡

割の良い仕事とは、大企業で福祉制度が整っている会社とは限らないでしょうね。
そんなものはどうでも良いから手取り賃金が多ければ良い、と考えたかも知れません。

逃走した後は結局、再就職するわけですが、
次は「官斡旋」ではなく「民斡旋」によるものです。
ここが問題です。世の中、そう甘くはないでしょう。
71豚の爪:2000/08/22(火) 08:46
ちょっと一息、たまには艶っぽい話題など。
『花嫁を横取りされたと鮮人職工二十余名が殺到し仲間を相手に乱闘す(鷹取工場職工)』 神戸新聞 1921/5/18
『済州美人を中心に/鮮人が大乱闘高津署で芽出度く解決』 大阪朝日 1922/7/28
『女に絡んだ大乱闘/鮮人百五十名入乱れて(京都府愛宕郡加茂村)』 大阪毎日 1923/5/24
『女の事で鮮人乱闘/重傷者十数名に及ぶ(堺精煉所職工と南海鉄道の発電所工事の土工)』 中国 1926/10/7
『新婚の家で/鮮人乱闘/女房を横取せんと/亭主をなぐる』 中国 1927/3/9
『ひやかしたのが癪で日鮮人の大乱闘/徒党が応援アワヤ血の雨』 神戸又新日報 1927/4/3 夕
『鮮人三名喧嘩/問題は一人の女房故に』 神戸新聞 1927/8/22 〔3/5〕 西宮・兵庫 【社会】
『「淫らな言葉から」鮮人の大乱闘/一味の応援を求めて三名を傷害罪で起訴か』 神戸又新日報 1927/11/5
『尼崎郊外で鮮人の乱闘/女のことから』 大阪朝日 1927/11/5
『鮮人二十数名棍棒を提げて恋仇の宅を襲うて乱闘/ひとりの鮮人を叩き延ばしたうへ、家財道具を片っ端から破壊』 神戸新聞 1928/1/4
『遊廓で鮮人乱闘』 福岡日日 1928/1/5
『女房の取戻しから鮮人が大乱闘/尼崎内鮮同愛舎の椿事/警官行して取鎮む』 神戸新聞 1928/3/17
『逃げた女房を中心に鮮人同志の大乱闘/一人は耳を喰ひ切らる』 神戸又新日報 1928/3/17
『女をとり返さうと鮮人の第乱闘騒ぎ/三名を傷害罪で』 大阪朝日 1928/3/17
『女工の奪合ひから五十名が乱闘/一名は重傷を負ふ/線路上で鮮人たちが』 大阪朝日 1930/7/7
『別嬪を中に李さん達の乱闘/六人血塗れになって』 神戸新聞 1930/7/8
『女の奪ひ合ひで四十名乱闘』 大阪朝日 1930/8/20 夕
『船員と鮮人の大乱闘/酌婦の事から白昼朝鮮料亭で/店主と女は斬らる(戸畑市)』 福岡日日 1930/8/28
『妻の舌を噛み切る/鮮人の夫婦喧嘩(住吉村)』 大阪毎日 1931/5/17
『痴情から鮮人乱闘/尼崎署へ連行』 神戸又新日報 1931/6/25 〔4/11〕
『朝鮮人の乱闘/肝心の女は行方不明に(林田)』 大阪朝日 1931/6/29
『鮮人数十名が凶器を揮って乱闘五名重軽傷を負ふ/大島女の奪合ひからの騒ぎ』 福岡日日 1931/8/18 夕
『朝鮮人二十数名が深夜に乱闘/女のことから監禁された男を奪ひ返さんと』 大阪朝日 1931/8/19 夕
『重傷の女を自動車で運び去る/鮮人の三角関係から/女房同士が大乱闘』 神戸新聞 1932/2/8
『女の事から日鮮人大乱闘』 神戸又新日報 1932/2/20 〔4/4〕 津名郡・兵庫 【社会】
『ナンと女2人凄ゲエ血喧嘩/再従姉妹が詰らぬからとあられもない乱闘(林田)』 大阪毎日 1933/6/17
『警察の玄関で鮮人大乱闘/引取りの女のことから(林田)』 神戸又新日報 1933/6/21
『内鮮人大乱闘、女房の喧嘩から大事』 神戸新聞 1933/7/11
『妻を返せと5人組乱闘/鮮人淡路で葛藤』 神戸新聞 1933/8/9
『出刃で五寸釘で流血の大乱闘/人妻を仲居に連れ出さんと橋上で大立廻り(津名郡志筑町)』 神戸又新日報 1933/8/9
『女のことから袋叩き/朝鮮人の乱闘(葺合)』 神戸又新日報 1935/2/19
『女の出入りから鮮人十数名乱闘/下関市外長府□前で』 門司新報 1936/8/13
『祝ひ酒から/大乱闘/花嫁歓迎の半島人達』 中国日報 1936/9/16
『人妻奪ひ乱闘』 大阪朝日 1938/6/7
『乱闘も三人/鮮人の三角関係後日譚(林田)』 神戸新聞 1938/8/0
『鼻を削がれて家出した人妻/溺死体となって現る/半島人の痴話喧嘩から猟奇の殺人か(川辺郡園田』 神戸又新日報 1939/4/16
72名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 22:21
勉強させていただきます。あげ
73名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 22:30
さぞ実のあるレポートが書けたろうて・・・。
74豚の爪:2000/08/23(水) 11:19
さて、逃走した後はどうするのか?

(1)すぐに朝鮮へ帰る。
(2)失業保険で生活する。
(3)犯罪を犯す。
(4)金持ちの日本人女に貢がす。
(5)再就職をする。

まず(1)の「すぐに朝鮮へ帰る」これは極めて少ない。
(2)(3)(4)は おいといて、
結局「逃走」した者のほとんどが日本で再就職をしている。

では、どのようにして再就職するのか?

(1)ハローワークで紹介してもらう。
(2)企業を訪問し自分で売り込む。
(3)神の思し召しで偶然に就職できた。
(4)職業斡旋屋の話に乗る。

(1)(2)(3)は少なく、
再就職の斡旋のほとんどはブローカーによるものなのだ。

クイズ、ではブローカーは なぜそのような事をするのか?

(1)ただただ半島同胞の幸せを願い。
(2)一流企業に恨みがあり零細企業を助ける為。
(3)職業に貴賎はない、屑鉄拾いもポン引きも立派な職業と信じているから。
(4)金のため。

ファイナル アンサー?
75豚の爪:2000/08/23(水) 11:21
(1)と答えたあなた、あなたは すばらしい人だ。
(2)と答えた人、あんたは アカだ。
(3)と答えた人、あんたは 幸せものだ。

正解はもちろん(4)の金のためである。
では その金はどこから出たのか?

(1)公的資金。
(2)雇い入れ側。
(3)求職者。

もちろん(1)はありえない。
多くは雇い主から謝礼を貰い本土に不慣れな半島出身者を世話していた。
戦中時には斡旋屋にも雇い入れ側にも多くの半島出身者がいた。
中には契約労働者をそそのかし逃走を手助けする者も少なくなかったのである。

続いて「民斡旋」による就職先を考えてみよう。
当然、三菱重工や東洋工業のような一流企業には就職することができなかった。
おそらく不二越のような恥辱ボロ会社にも入れなかっただろう。
76豚の爪:2000/08/24(木) 10:36
 このリンチ殺害時件は、サハリンのタコ部屋で起きましたが、これを筑豊
出身のノンフィクション作家・林えいだいさんが現地調査し、次のように関係
者の証言を得ました。少し長くなりますが、強制労働の実態を知る上に貴重な
ので引用します(証言・樺太朝鮮人虐殺事件、風媒社)。

           ---------------------
  (中蘇離散家族会)総会が終わると、朴相奎は私の席に来ると、息も切ら
ずに暴動のいきさつを話し始めた。
  慶尚南道咸陽郡石ト面出身の彼は、1943年5月、慶尚南道出身の43
0人と一緒に、関釜連絡船の金剛丸で下関に着いた。樺太の久春内(イリイン
スク)に着いたのは、雪解けも終わりの春の植物がいっせいに芽を吹く頃だっ
た。
  珍内の渡辺組本部に数日いて、船で北上すると北小沢(テリノフスキー)
に着いた。
       (途中略)
  一日の食事は粗末なものばかり。米粒はほんのわずかで、フキとか大豆粕
ばかりだった。昼は馬鈴薯の煮付け、夜はニシンの小間切れと海水の汁がある
だけ。弁当を渡されると、仕事に行く前に食べてしまい、満足感だけを味わっ
た。昼になると、休み時間の数分間を惜しむように寝た。

  渡辺組の下請けの金山飯場は、炭坑関係の道路工事が主だった。一班10
人の現場であるが、一人病人が出ると、その分のノルマが命令された。冬の寒
さと雨期の土方工事は健康な者でも生やさしいものではない。ぬかるみの中を
モッコを担ぐと足がすべり、体は前には進まないのだ。古参者は肩の肉が盛り
上がり、かちかちに固まっている。朴相奎のようなはじめての経験者は、肩の
皮膚が破れて血が出ると、化膿しないように塩を塗って血止めをした。
77↑もアホの反日城ね。:2000/08/24(木) 10:38
12時間労働なので、タコ部屋に帰ると動けなくなり、体を横にして死ん
だように眠りこけた。あまりにもきびしい労働と監視の目、自由が拘束される
と、肉体はもちろんのこと精神的に参ってしまう。
第一、徴用されてきて、タコ部屋にいれられたことの不満が、全体にみな
ぎっていた。
朴相奎の班の二人が、監視の棒頭の目を盗んで、便漕の中を泳いで渡り、
汲取口の蓋を開けて逃走した。うまくタコ部屋から脱走に成功したが、逃げる
途中に山の斜面で転んだ。そのはずみで石が落ちて、山小屋の番小屋を直撃し
た。その音で見張り人が目を覚まして、金山飯場に電話連絡した。夜が明ける
頃、銃を持った五人の棒頭が、セパードを連れて山狩りを始めた。
  二人は棒頭に捕まえられた。割った薪の二人を正座させ、バンドで交代で
殴りつけた。そのうち二人はコンクリートの床に倒れ、素裸の背中にスコップ
が振り降ろされた。
「ひえーっ、ひえーっ!」
  殴られる度に悲鳴を上げていたが、そのうちぐったりとして意識を失った。
打たれた瞬間だけ、皮膚がぴくっと痙攣した。

棒頭は二人の足をロープで結ぶと、天井の梁に逆さ吊りした。さらに手と
腕を縛りつけた。頭が下になっているので血が逆流した。スコップで叩いて気
絶すると水をかけるので、体を縛ったロープがしめつけた。
  そのうち一人は死んでしまい、もう一人は息絶え絶えに、タコ部屋に放り
込まれた。
「お前たちも、ここから逃げたらこうなるんだぞ。よう見とけ!」
棒頭は叫んだ。

(この虐殺に憤った「移入労務者」たちは、人殺しの棒頭たちを襲い「暴動」
 をおこしました。その経過は省略します)
78アホの反日城:2000/08/24(木) 10:40
三日後、北小沢署の取り調べが始まった。
「お前はどうして暴動を起こしたのか? 何か不満でもあるのか?」
  「はい、あれは暴動というものじゃありません。飯も十分食べさせないで
働かせるばかり、約束した賃金も払いません。毎日のように虐待されてそれが
恐ろしいから逃げたんです。誰だってあんなひどいことをされたら逃げますよ。
ただ仕返しがあるから我慢している。第一、徴用された朝鮮人をタコ部屋にい
れることがおかしい。勝手に皇国臣民を殺していいのでしょうか?」

筋道立てていわれると、警官は返す言葉がない。徴用された朝鮮人を、タ
コ部屋で使っていることを知りながら、それを黙認した警察の責任問題もあっ
た。取り調べが終わると、朴相奎たち13人だけが、首謀者ということで逮捕
された。
数日後、豊原(ユジノサハリンスク)裁判所から判事と検事が来て、出張
裁判が始まり、金山組の幹部が三年から四年の判決を受けた。

裁判が終わると、恵須取(ウグレゴルスク)憲兵分隊長が来て、全員を広
場に集めた。
「お前たちは、この戦争の真っ最中に、こんな騒ぎを起こしやがって、何
ということだ。皇国臣民として、天皇陛下に申し訳ないと思わないのかっ。暴
動の罪で全員を処刑してもいいが、今は内恵道路の工事を急いでおる。
今日からお前たちの身柄は、憲兵隊で預かることにする。いいかっ!」
軍刀を抜くと、力いっぱい土に突き刺した。(以下略)
79名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 13:15
金山組を訴えるべきだ!!!!!!
80豚の爪:2000/08/24(木) 15:20

79番、偉い。記録 2時間35分。
81サハリンといえば :2000/08/25(金) 05:30
日本史板にこんなスレッドがあったけど
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=966350944&ls=50

この2つのリンク↓信憑性はいかほどだろう
http://tanakanews.com/991214jimbo.htm
http://jimbo.tanakanews.com/213.html
82豚の爪 :2000/08/26(土) 15:47
ここでもアホの反日城は朝鮮人は虐待されたといっている。
このようなめに遭った朝鮮人がいたのは事実だろう。

ここでは「金山飯場」がでてくるが、
後のほうで「金山組の幹部が三年から四年の判決を受けた」とあるから
この「金山」は人の名前に違いないだろう。

これによく似た記述が「日本海地域の在日朝鮮人」にもある。
83豚の爪 :2000/08/26(土) 15:48
「日本海地域の在日朝鮮人」(内田 正中 著)より引用

「(昭和17年)3月、報国隊のもとに島根県匹見町で匹見下村のダム工事をしていた崔海出は、
日本人の左官職人中村セツオの手引きで脱走に成功している。

崔海出のおかれた現場は、森本組配下の金村飯場であったというが、
そこに連れてこられていた240人の韓国人たちといっしょに働かされることになった。

彼のことばを借りれば"深山渓谷"の地、匹見峡での1年6ヵ月は、まさに地獄の日々であった。
朝6時からの12時間労働、コンクリートをこね、砂利をはこび、
大雨が降ったとき以外は1日の休日もない。雪の日も仕事である。
中略
そこでの日当が日本人は8円、そして彼らは2円80銭、3ヵ月ごとに20銭あがって
3円20銭で打ちどめというわけであったが、食事、宿泊費に衣服、日用品のたぐいから、
例の愛国貯金まで差し引かれると、いくらも残らなかった。」
・・・
とある。

ここでは「金村飯場」が出でくるが、私の知る限り島根県には「金村」という村はなかった。
(島根県の人、または島根に詳しい人の確認をお願い。)

つまり この「金村」も人の名前ではないのか ?
そうすると「金村」や「金山」という親方の元で朝鮮人が虐げられたわけだ。
84名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 17:12
      /~⌒~⌒⌒~ヽ、
     /          )      ♪
     (  /~⌒⌒⌒ヽ )
     ( ξ    、  @` |ノ
  ♪  (6ξ--―●-●|
      ヽ      ) ‥ )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       /\   ー=_ノ  <  よんだぁ?
       |∪    ∧)     \_____
      (( |    \    ♪
       (/ ̄ ̄\)
85豚の爪 :2000/08/26(土) 17:41

>81番
>日本史板にこんなスレッドがあったけど
>http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=966350944&ls=50

サハリンより台湾か済州島のほうが適しているんじゃないか ?

>この2つのリンク↓信憑性はいかほどだろう
>http://tanakanews.com/991214jimbo.htm
>http://jimbo.tanakanews.com/213.html

元ネタは『日中アヘン戦争』(江口 圭一 著)(岩波)あたりじゃないの ?
86>85 :2000/08/27(日) 07:43
よくまあ元ネタまでわかっちゃうのねえ
感心するわぁ
87>豚の爪 :2000/08/28(月) 01:03
サハリンはどうか知らないけど、北海道でも大麻草は自生してるし。。。

関係ないが、サハリン強制徴用者ら、日本相手に訴訟を準備だそうで
http://japanese.joins.com/Article.asp?inputdate=20000825&inputtime=213105&contcode=200
88名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 01:15
だから日本政府はサハリン在住朝鮮人への
帰国費用として20数億円韓国政府に払ったてば。
韓国政府から金貰え、
89名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 04:47
복잡다단한 마음으로..

ネットカフェで発見。なんてよむの?
90豚の爪 :2000/08/28(月) 12:51
87番が教えてくれた記事

☆サハリン強制徴用者ら、日本相手に訴訟を準備☆ by 安山=チョン・チャンミン記者

第2次世界大戦当時、サハリンに強制徴用され、
今年2月に永久帰国して京畿道安山市四1洞故郷村マンションに住んでいる同胞らが、
日本を相手に損害賠償訴訟を準備している。

サハリン同胞老人会の李在仁(イ・ジェイン、79)会長は26日、
「ロシア・サハリン老人会側が先月訪れ、
日本を相手に準備している損害賠償訴訟に故国に定着した人々も賛同してくれることを要請した」
と明らかにした。
サハリン同胞老人会は被害事実の確認に乗り出して現在会員5人から同意書を受けており、
来月まで被害者連帯署名など訴訟書類を揃えてサハリンに送る計画だ。
今年2月に入居した故郷村マンションには、
現在489世帯958人のサハリン帰国同胞たちが安山市などから生計費の支援を受けて生活している。
/////////
それにしても、朝鮮人は「強制」という言葉が好きだね、
「強制」を付けなくとも「徴用」だけでも 充分強制性がある。
普通、韓国では日本の偏向本のいうところの「徴用」「官斡旋」「募集」等
をひっくるめて「徴用」または「強制徴用」とよんでいる。

このうち、「徴用」の強制性はあまり問題とはならない。
それは、これを問題とすれば「徴兵」を問題にしなければならなくなり
問題が大きくなりすぎ とっくの昔に解決済みなのが判りやすくなるからだろう。

サハリン残留朝鮮人が90年に国を相手取り訴訟を起こした例があるが、
これは95年に取り下げている。
そこで最近の「不二越」のように個人が企業を訴えるケースがでてくるが、
この場合はどうだろう、「金山」や「金村」が訴えられるのだろうか ?
これは推移が楽しみだ。
ひょっとして それが「安山」だったりして。
91名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 14:45
だから日本が払った金はどこに消えた!!!!!
謝金返済にまわされたのか??????
92豚の爪 :2000/08/29(火) 15:52
「アボジが越えた海」の著者、李興燮も徴用での職場から逃走をしているが、
これは その著書から李興燮の逃走の足跡を箇条書きにしたもの。

昭和19年5月、徴用により佐賀県徳須恵にある住友唐津炭鉱に赴任。
昭和20年元旦、外出許可をもらい そのまま金さんと逃走、バスで唐津へ向かう。
(この時、李は白衣、所持金265円、金は炭鉱からの支給の服装)

唐津では軍港の守備にあたっている海軍の衛兵所に迷い込む。
尋問を受けたあとメモを渡される。
メモには「大島、安山班、渡橋左」と書かれていてそこへ行けば安全だと言われる。

橋のたもとで芝居見物へ行く途中の朝鮮人6人と出会う。
一緒に芝居見物をした後、飯場へ同行する。
飯場で安山班への道を聞けば、そこが安山班で出会った橋が渡橋だった。
金は金光で27歳、李は金村で20歳ということにして登録する。
1月4日から安山班で船からの陸上げの仕事に就く
3月福岡県の津屋崎へ安山班と共に移動し、飛行場建設に就く。
津屋崎で知り合った安本と安山班をでる。

多々良の星山組で働く。(防空壕掘り)

教練生募集に応じ5月1日から多々良青年学校へ登校。
5月21日、青年学校終了。

5月23日より 板付飛行場(現福岡空港)の平山組で働く。

杷木の国本班で働く(防空壕掘り)
ここで終戦をむかえる。
/////
李興燮の場合は幸いなことに安山、星山、平山、国本、と優しい朝鮮人ばかりに出会ったが
これが一歩間違えば金山や金村のような親方の下で働くことになったかもしれない。
良い親方で良い職場なら なぜ辞めたのか ? 疑問がのこるけど。
93名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/29(火) 17:04
そーいや1はレポートでよい成績もらったのかな?

報告くらいしてくれてもよかろうて。
94名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 11:31
ageニダ!!
95豚の爪 :2000/09/01(金) 17:17
済州島出身者と半島出身の間で軋轢が生じていたようだ。

『内地で評判の良い/済州島の鮮人/他道の者が生地を偽り/島民に化けて渡航』 大阪朝日 1928/2/10
『済州島共済組合の組織と/一般朝鮮人の問題』 中外日報 1928/4/29
『福島紡績の鮮人女工/あはや同盟罷業/済州島人を雇入れたので/大事に到らず解決(福島紡績福山工場)』 芸備日日 1929/6/6
『朝鮮本土人と済州島人軋轢/福山紡暴動事件(福島紡績福山工場)』 中国 1929/6/6
『済州島人の/評判はよい/今後大いに善導する/広瀬代議士はかたる』 大阪朝日 1929/10/4
『朝鮮人同士のリンチの犠牲か/立花村の惨殺死体の主/まだ身許も判らぬ/済州島出身者?』 大阪朝日 1934/9/20

戦前からも朝鮮出身者が活躍していた。

『鮮人企業者が済州島航路に/第二北海丸をチャーターし来春大阪から処女航海』 大阪毎日 1928/12/26
『朝鮮航路に「われらの船」/済州島出身者らが傭船して三社に対抗』 大阪朝日 1930/10/17
『済州島の鮮人船会社を設立/出稼人の往復を自分の手で/東亜通航組合の誕生』 大阪毎日 1930/10/30 夕
『内鮮台が力を一つに/必勝の増産誓ふ/半島出身社長談』 大阪朝日 1944/12/25 〔2/5〕
96豚の爪 :2000/09/01(金) 17:19
徴用工の労働は偏向本に書かれているように苛酷だったのだろうか ?

「朝鮮人徴用工の手記」(鄭 忠海 著)より引用

(東洋工業)
望月教官は訓練が一段落すると、演説ではなく訓示をするのだ。
曰く、「諸君、諸君は社会の各界各層でそれぞれの職業に従事してきた方たちだが、
このような幼稚な基礎的な教育を改めてするのは、
ほかでもない、これから団体生活をするために、
もう一度 昔にかえり精神的な教育を受けねばならない。
国民学校の児童のように訓練をうけるのは滑稽だと思わないで一生懸命してください」
・・・・・
午後の時間が終わる頃、幼稚な訓練を終えて宿舎に帰った。
次の日も、その次の日も、同じ訓練を繰り返した。
訓練というよりは子供のままごと遊びのようで、
三食 食べては繰り返し遊んだ。
・・・・・
1944年12月も最後の31日になった。
今日もつまらない訓練を受けて帰ってきた。
広島に来て20日余りになる。
一体彼らは我々を引っ張ってきて、貴重な飯を食べさせ、
何にもならない こんな訓練だけをさせている理由は何なのか。
97豚の爪 :2000/09/01(金) 17:20
「日本海地域の在日朝鮮人」より

(日立)
「日立工場に入所した第一次半島訓練工は、昨年12月19日以来40日間にわたり、
村川訓練隊長の指導で猛特訓を受け、第一期を終了した今月(2月)1日から現場配置に就き
作業の基本動作訓練を学んでいるが、隊員は半島出身でも特に優秀青年を選抜したもので、
純真規律正しく体力に優れ出勤率も百%の成績である」(何かの「式」での祝辞)

「アボジが越えた海」より

(住友唐津炭鉱)
私が学校でならった朝鮮の標準語で、私のような田舎者でもはっきりわかる朝鮮語でした。
まず、「おまえたちがここへ来るまでたいへんつ辛いことがあったと思う」と言ってくれました。
それから「ここは日本の国で九州である。ここの住所は佐賀県の徳須恵である。
おまえたちが これから二年間はたらくところは炭鉱で、
その中に入って石炭を掘り出すことが仕事である。
その前に今日から二週間訓練するから、その訓練がすんだら働くことになるので、
みんなは一生懸命 訓練を受けて病気をしないようにして国のために働いてもらいたい」
・・・・・
鉄砲をもって敬礼のしかたもやります。
その他に、それも訓練だと言って、炭鉱の本社の事務所があるうらの広場の草刈りまでやったものです。
どう考えても これから石炭を掘るのには役に立ちそうもない訓練が、きっちり二週間つづきました。
//////

表現が違うが現場に着いてから二週間ないし40日間は実労働をしていない。
98名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 08:18
下がりすぎ。
99名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 08:24
あいかわらず豚の爪はすごいな
100名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 08:31
>>99
うん。
101豚の爪 :2000/09/06(水) 09:04
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=967891099&ls=50より転載
日本人拉致で強制連行を思う

1 名前:職安相談員 河島正好(京都府舞鶴市 63歳)投稿日:2000/09/02(土) 19:38
 先の日本と朝鮮民主人民共和国(北朝鮮)との国交正常化交渉で、日本人拉致疑惑問題は
残念ながら双方の主張が平行線のままに終始した。
 ところで、北朝鮮による日本人拉致疑惑と聞くと、反射的に私は日本人として
北朝鮮に対しても「負い目」を覚える。先の戦争で敗色濃厚ととなった昭和十八年ごろから
終戦にかけて、政府は底をついた国内の労働力を補うため、この時期とくに多くの
中国時や朝鮮人を強制的に日本に連行し、国内各地で過酷な労働を強いた。そうした
「過去」も忘れてはなるまい。当時、拉致同然に強制連行された彼らも、連合国側が、日本に
無条件降伏を求めた昭和十八年の「カイロ宣言」の文言を借りるなら、「奴隷状態」を
強いられたのである。
 私は終戦を両親の故郷である福井県の高浜町で迎えた。終戦と同時に農家である母の実
家の倉や納屋などに、見知らぬ朝鮮人家族らが、どっと移り住んできた。(略) 彼らもま
た「強制連行」の犠牲者ではなかったか。(以下略)
 <朝日新聞大阪本社 9月1日朝刊 主張面、最上段>
---------------------------------------------
 そういう訳で、我々は誘拐された横田めぐみさん達が無事に帰ってくることを願うたびに
半世紀前の朝鮮人強制連行を思い出し、北朝鮮に反射的に「負い目」を感じなくてはならない。
また、朝鮮人達が家族ごと強制連行され「奴隷状態」にされたという新事実も、我々に
突きつけられた。
 北朝鮮への謝罪の投稿先<[email protected]>

/////

さすがに朝日らしい やらせ的投稿に自虐の見本のような朝日信者だこと。
「朝鮮人達が家族ごと強制連行され「奴隷状態」にされたという新事実」だって。
この「新事実」をもう少し披露していただきたいものだ。
1027/8 :2000/09/06(水) 09:37
>>101 豚の爪さん 初めまして
相変わらず、すごいですね。感服します。

上の記事ですが、「北朝鮮への謝罪の投稿先」っていうのが、
いやらしいですな。>ちょうにち新聞、もとい、あさひ新聞
103豚の爪 :2000/09/06(水) 15:45
>終戦と同時に農家である母の実 家の倉や納屋などに、
>見知らぬ朝鮮人家族らが、どっと移り住んできた。

これはいったいなんだろう。
戦後の三国人の傍若無人な振る舞いの一例を挙げているのだろうか ?

ところで、「家族」この言葉はこのスレッドに初めて出てきた言葉だと思う。
これは、当時の朝鮮人の動勢を知る上で重要なキーワードとなるだろう。
そういえば「家族」は偏向本にもあまり出てこない。
よく偏向本などでは「タコ部屋に押込められた」とか「まともな食事がなかった」
「給料をもらっていない」等と まるでそれが標準のように描かれていることがよくあるが、
そこに「家族」がでてくると この「奴隷状態」のイメージが崩れてしまうだろう。

家族もタコ部屋に住んでいたのか ?
働いていない家族はなにも食べなかったのか ?
家族はみんな裸でいたのか ?

そんなことはない。
家族持ちは社宅などに住み貧しいながらもそれなりの生活をしていた。
家族のいない者は故郷に送金したり貯金をするなどしていた。
こちらが集団就職者の標準だろう。

ただし、渡航費用を後払いにして、密航し「官斡旋」や
河島さんのような立派な職安相談員の世話にならず
「民斡旋」によって就職した者についてはこの限りではない。
104豚の爪 :2000/09/06(水) 15:47
愛媛県の半島出身者の職業 1942年統計(「社会運動の状況」から)

無職 2@`129人
土工 1@`880人
鉱業 1@`050人
生徒学生 774人
屑買等行商人 637人
その他労働者 157人
工業(職工) 129人
一般使用人 88人

島根県の半島出身者の教育程度 1942年統計(「社会運動の状況」から)

程度 日本語精通・やや解する者・まったく解せざる者
専門学校程度 18人・ 0人・ 0人
中等学校程度 69人・ −・ −
小学校程度 2078人・ 1588人・ 340人
文盲 792人 1484人・ 1659人
学齢時未就学 235人・ 314人・ 709人

鳥取県の半島出身者の教育程度 1942年統計(「社会運動の状況」から)

程度 日本語精通・やや解する者・まったく解せざる者
専門学校程度 2人・ 0人・ 0人
中等学校程度 49人・ −・ −
小学校程度 842人・ 622人・ 41人
文盲 281人・ 640人・ 625人
学齢時未就学 −・ −・ −
105名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 16:06
「強制連行」の定義が人によってちがいますからねー
某有名板(豚の爪さんは知っているはずだが)の管理人は

>さて、徴用以前(とくに「募集」期)では、実質的には強制労働(極端なケース
>では、朝鮮に帰ったら支払うといって賃金が支払われないなど)の様相はあった
>ものの、形の上では自由意志で募集に応じる人が多かったので、動員された朝鮮
>人の側にも、その強制性を自覚しないことが多々あったようです。

>実態調査でも、渡日時期やその形態を聞くと、あきらかにだまされ、自由を拘束
>され、強制労働をしいられているにもかかわらず、本人はあくまで「自分できた。
>強制じゃない」と認識しているケースもありました。

本人が「強制連行」では無いと言っているのも、「強制連行」にカウントしてるぐらいだしねー
106名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 16:39
>>105
>>され、強制労働をしいられているにもかかわらず、本人はあくまで「自分できた。
>>強制じゃない」と認識しているケースもありました。
こりゃすごいな。気づかなかったが、もしかして俺も強制労働を強いられてるのか
もしれんな……
……そうか、そうだ、そうに違いない!で、誰に言えばいい?
107名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 16:41
>106
お前のカミさんに言え
108>106 :2000/09/06(水) 17:27
それはあなたの主観にすぎません。(笑)
109名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 17:32
「自分で来て、強制労働じゃない」って言ってるのに、
それは、その人の主観に過ぎないから、強制労働にしちゃうのね。

これって、客観性がある?
110>109 :2000/09/06(水) 17:47
ハンデキケ
111豚の爪 :2000/09/06(水) 17:57
>105番さん、
それは傑作だ。
それじゃ強制カウントだ。
それこそ矯正してほしい。
112105 :2000/09/06(水) 18:02
あの管理人は矯正不可能だと思います。
113名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 01:44
会社に転勤を命じられてしまいました。
大阪です。私は大阪人はがさつなので嫌いです。どうして電車の順番も
守れないのでしょうか。
私を強制連行から救ってください。
114名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 04:57
上げます。
115名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 05:02
いい加減を知らないハングル板なんか閉鎖されて当然。
116名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 20:18
強制連行というとなんで朝鮮人だけが文句言うのかな?

同じ日本の植民地だった台湾が出てこないのはどうしてだ。

朝鮮人とサヨクが大げさに言っているだけなのか?

それとも、台湾人は内地では徴用されなかったのだろうか。
117名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 20:28
謝罪して何もメリットがないなら謝罪すべきではない。
たとえどんな良心が痛もうと、それがプロの政治家と言うものだ。
政治家は牧師ではない。
118豚の爪 :2000/09/08(金) 07:15
>116番さん、彼らは「強制連行者」であるとするマスコミの報道に、
かなり心が傷つけられたようで、流暢な日本語でこう弁明した。
「冗談じゃないよ。おれたちばちゃんと厳しい筆記試験の難関を突破して、
身体検査にも合格してから、父母の許可印鑑だけでなくて校長先生の許可印鑑を押してもらった後に、
やっと内地の日本に来られたんだよ。
現在でも少年工員になれたことを誇りに思っているよ。
台湾のマスコミは騙されたとか、強制連行されたとか、
いろいろ書きまくっているが、大嘘だ。
あの中国人たちの嘘八百は、絶対に許さんぞ」

「一視同仁」や「阜民化運動」は、人類の植民地史として破天荒なものである。
また台湾と朝鮮の志願兵制度の実施を見ても、考えさせられることはじつに多いが、
このことに気づく日本人は、きわめて少ない。

たとえば、昭和十六年(一九四一年)、台湾では初めての徴兵制度が実施された。
 そのとき、千名の採用者に対して、じつに六十万人もの志願者が殺到し、
台湾軍司令部に血書、嘆願書の山ができあがった。当時の台湾の人口は六百万人だったのである。

 朝鮮人志願兵の招募は、台湾人志願兵よりも四年ほどさかのぽる。
昭和十二年末、日本政府の閣議で決定し、同十三年から始まった。
台湾人志願兵ほどの倍率はなかったが、予想以上という一言につきる。
たとえば、内務省資料(昭和二十年五月)によると、
十六年が四十八・一四倍、十七年が五十六・五倍、十八年が五十六・七倍という数宇になっている。

 光文社 「大東亜共栄圏の精神」より
119豚の爪 :2000/09/08(金) 07:18
↑黄 文雄ね。

 *********いま蘇る台湾少年工の想い*********

   第二の故郷を胸に出版記念会

 大東亜戦争末期、B29の本土爆撃は激しさを増し、
なかでも神奈川県高座郡大和村への空襲は熾烈をきわめた。
そこには大規模な航空機生産工場「高座海軍工廠」があったからだ。
零戦に代わる戦闘機・雷電が生産されていた。
工廠は工科学校も兼ね、一万人の少年工が空襲の続くなか、
生産に勉学に勤しみ、数々のドラマが生まれた。

開庁は昭和十九年四月で、当時内地ではすでにほとんどの少年が動員されており、
一万人もの優秀な少年工を新たに動員するのは困難であり、
そこで台湾で「高座海軍工廠で五年間、働きながら勉強すれば
中等学校卒業の資格が与えられる」との条件で募集され、
八千四百人余の十五、六歳の少年が選抜試験を経て集まった。

 彼らは空襲を避けながら、誇りをもって勉学に、生産に励んだ。
だが昭和二十年八月十五日、終戦となって彼らの夢は砕かれた。
だが、短い期間であったが試練に満ちた体験から、高座は彼らにとって忘れ得ない地となった。

五十数名が戦没していた。
彼らの多くは台湾に帰ったが、それからも海軍関係者と高座の住民たちとの交流は続き、
今年七月に当時の思い出を綴った『台湾少年工と第二の故郷』(展転社刊)が出版され、
九月四日に東京・九段の靖国会館で出版記念会が開催され、
台湾から駆けつけた元少年工二十四名をはじめ、関係者二百余名が涙の再開を果たした。

「われわれは日本をこんなに愛している。
日本も勇気をもって台湾を支持して欲しい」
と訴える元少年工の叫びは、参集した日本人の胸に強く迫るものがあった。

  《台北『中央日報』8月30日》
120116 :2000/09/08(金) 20:14
>豚の爪さん、レスありがと。

以前、強制連行の本を何冊か斜め読みしたけど台湾の話は一切出てこなかった。
やっぱり、一方的な被害者をアピールしたい奴らにとって都合が悪いことは書かないんだな。
これだから、このての本は胡散臭いんだ。勉強になったよ。

>「われわれは日本をこんなに愛している。
>日本も勇気をもって台湾を支持して欲しい」
>と訴える元少年工の叫びは、参集した日本人の胸に強く迫るものがあった。

え〜話だね。台湾人は人間ができてるよ。それにひきかえ奴らは、「だめだコリァ」。
121名無しさん@1周年 :2000/09/17(日) 02:15
タコ部屋は恐いですよ〜
122名無しさん@1周年 :2000/09/17(日) 02:28
でも台湾のマスコミは強制連行とか言ってるんでしょ。
123名無しさん@1周年 :2000/09/17(日) 03:56
台湾で和服の展覧会があって現地の子供が浴衣着ている写真が文春かなんかに
出ていたけど・・・あの位の子供を持つ親は、反日教育バリバリのはずなんだけど
すでに、反日なんてものは、台湾では日本のサヨク思想レベルに衰退したのかな
124>122 :2000/09/17(日) 05:27
台湾のマスメディアは外省人に支配されているからね。
人口の90%を占める本省人の本音とは乖離がある。
125>123 :2000/09/17(日) 08:05
公的には反日教育でも、私的(家庭教育)では
親日教育が行われているのでは?
126a :2000/09/18(月) 04:15
ge
127名無しさん@1周年
>>125
公的な反日教育も既に終わってるよ。

日本統治時代の功罪を理性的に分析して教えてるよ。