任那日本府について教えて

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1名無しさん@1周年
本当にあったのか教えて下さい
2名無しさん@1周年:2000/07/01(土) 19:26
実在したのは間違いない。いまの問題は規模。百済と新羅が属国だった
という説もあるけどね。
3名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 04:18
もうちょっと詳しい解説がほしいage
4名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 10:44
現在の水俣の辺り(隣町の津奈木町大字岩城)に存在しました。
5名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 19:26
age
6名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 00:37
高句麗、百済、新羅のころは大和朝廷に朝貢にきていたんだよね。で、任那のあった
ところを担当していた国は、より多くの朝貢を持ってきていたんだ。

――という話は記紀に書かれている。
7>6:2000/07/04(火) 00:53
韓国人に言わせると任那はないそうだ。日本のデッチあげだってさ。
日本に朝貢してたのが感情的にゆるせないらしい。
あいつらに歴史を語る資格はないね。
8名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 01:09
いるなぁ、そういう奴……。
だけど、記紀の話をしてから「朝鮮になかったという証拠でもあるの?」
と聞くと顔を真っ赤にして怒ります。でもって、秀吉がすべての資料を
持ち去ったとか、焼き去ったとか言うんですよねぇ。なわきゃないだろ。

しかし、日本人と韓国人の間で交わされる会話が不出来な英語という、こ
の状況は寒かった(笑)。
9名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 15:14
しかし大和政権は亡命してきた百済の貴族達を異常な位厚遇したけど何故?

普通ろくな技術も持たない貴族なんて邪魔だから隔離して政権の要職に
付かせるなんてしないよ。
ひさしを貸して母屋を取られる可能性もあるから。
坂の上田村麻呂なんか将軍として軍隊の指揮官になったけど危険この上ない。
10岩城:2000/07/04(火) 15:20
>4 津奈木町って葦北郡だね
葦北のアリシトっていう人は帰化人だったんですよ。
可能性はあります。
11名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 07:37
阿羅日本府もあったらしいが。
多羅にもあったっけ(これは失念)?
12名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 20:38
倭国の中の朝鮮分国なんて寝言です。
13名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 17:05
イ・ジンヒ(漢字忘れた)って人がたしか石碑(またまた名前忘れた)
に日本軍が石膏を流し込んで蟹算した恐れがあるとか言ってたけど
どうなったの???
14名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 17:36
否定された
チョン公の歴史歪曲はうんざりだよ
15オーソン・倭奴♪♪:2000/07/06(木) 18:11
高句麗の第19代王(在位391-412)国岡上広開土境平安好太王。略
して、広開土王または好太王と呼ばれる王様の建てた4〜5世紀の
碑文のお話ね。
でもって、日露戦争前頃に日本の参謀本部の情報将校が、碑文を改
竄したって説をぶち上げたのが、在日の歴史学者の李進煕。

「好太王碑の謎 日本古代史を書きかえる」李進煕 1973.11

反論の文献例としては、藤田友治、1986.9の「好太王碑論争
の解明 “改ざん”説を否定する」かな。

決定的なのが、「好太王碑と高句麗遺跡」王健群 1988.6
現地(碑の所在地は中国領)で調査研究を継続している中国人の研
究者に全否定されている。

もともと、碑文の現物も見ないで論文でっちあげる方がどうかし
てると思うけどね。
16名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 18:39
ageー
17名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 19:00
倭にとって任那の存在って何だったの。
植民地、それとも領土?
新羅が南下してくると百済に土地の半分を割譲してるし。
18名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 17:31
さあね
19名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 18:06
やっぱり「お荷物」だったんじゃねーの?>17
植民地とか領土だったら簡単には手放さないでしょ。
まっ、当時は土地に対する執着がなかったのかも知れんが。
20名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 18:16
天皇の始祖の地と言う説もあったような・・・・
21名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 18:45
だから、騎馬民族説なんてもう止めにしようよ。
22名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 18:48
問題は百済だよ。
ありゃどう見ても倭国のかいらい王朝だよ。
要は百済さえ存在してれば任那なんてどうでもよかったんだろ<17
23名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 19:28
あげときまひょ
24名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 19:40
369年、百済は、高句麗が南下したため、朝廷に出兵を要請
朝廷は、比自ほ、南加羅、とくの国、あら、たら、から等7国を
平定、ひり以下4邑が帰服、これが、任那と推定される。(日本書紀)
(ごめん、漢字が難しくてカキコできない。)
全羅南北道から忠清南道の一部と考えられる。
朝鮮の、三国史記に同様の記録があるので史実でしょう。
高句麗好太碑(好開土王)に
日本軍が渡海し、百済、新羅を服従させ、400年に任那まで、高句麗軍
が追撃した等のことが、書いてあるらしい。
(俺は見たことがないし、読めないのでらしいとした。)
以上、三つの資料が一致するので、任那は、日本領だと考えて良いでしょう。
25名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 19:59
へ〜国の歴史くつがえっちゃうね
チョン国さん
26名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 21:07
ありませんでした。日本のでっち上げです。
27名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 21:09
高句麗好太碑(好開土王)の碑文は日本軍が朝鮮に侵略した時に日本軍将校らによって
内容が書換えられました。
28名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 21:10
信じてるやつっていまだにいたんだー(感涙
天然記念物もんだね。捕獲して研究対象にしようっと♪
29名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 21:12
>26、27
史学会で否定されてるような馬鹿説を
しんじるなよ。
30名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 21:12
>2
誰がそんなこといってんのおせーて。
31名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 21:16
とりあえず、新羅は倭人の国スレを見よう。
32名無しさん@1周年:2000/07/08(土) 17:08
は?
3324:2000/07/08(土) 18:40
訂正します。
>朝鮮の、三国史記に同様の記録があるので史実でしょう。
は、この時期の、百済王の継承の記事で、100年ぐらいのずれ
はあるが、干支が日本書紀と一致すること。
また、史記では、このあと百済が高句麗におされ、南下し一端滅亡すること
そして、再興する記事があり、だいたい日本書紀と一致します。
任那そのものについては、史記では触れられてないと思います。

高句麗好太碑(好開土王)については、高句麗に都合良く書いてあり、
改竄するより、壊した方が得策でしょう。
なにしろ、日本軍が負けたことが書いてあるのだから。

宋書においては、倭国王が百済王の称号を要求し、宋に断られております。
ただ、この中では、倭国王は、任那、新羅王になっており、百済だけ抜けている。
なんで?
σ(^_^)の漢文の知識では、ここまでしかわからん。
宋書夷蛮伝(19)倭の五王の部分です。だれか教えてくれ。

34どーでもいいけど:2000/07/08(土) 22:23
>>33
あの〜
宋書夷蛮伝の構成を見れば、答えはわかるのではないかと思うのですが。
高句驪國、百濟國、倭國と並んでるんですから、百済も宋に朝貢してる
んですよね。
だったら、いくらなんでも、倭国王に百済に対する潜在主権を認めるわ
けがないでしょ。
とゆーよーなことで、いかがでしょうか。
35名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 00:49
>33、34
たしか、これって、○韓、×韓、・・・新羅・百済六国諸軍事
何とか将軍倭王だった気がします。(○×は記憶忘れ)
普通に考えると新羅や百済などの主権は認めるけど
軍事権は昔の進駐軍みたいに倭が持っていたと素直に解釈できるのでは
ないのですか?
たしか、倭王武から百済の軍事権を認めて5国から6国に変わった記憶が
あるのですが。
こーいった解釈が普通では、
あー誰か宋書の漢文の読める人がいないかな??
36名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 05:14
確か三国史記かなにかに新羅皇龍寺の九重の搭は、一層一層が他国の侵略を
退けることを祈願したもので、その中でも最も強く祈願したのが日本だった
みたいな話がなかったっけ?それに新羅王の古墳で日本ににらみをきかせる
ための位置に作られたと言われてるものもあったような。結局新羅は日本の
軍事力に対して恐れを抱いていたということだよね。実際に侵略された経験
がある証拠じゃないかな?白村江のような勝ち戦以外でもね。
37名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 05:28
>36
そう言えば、新羅の金春秋は日本に人質として
滞在していたんだよね。(てことは、任那分捕っても
まだ日本に頭下げていた期間が結構あったんだね)
(韓国では相変わらず認めてないみたいだね)
第1回目の創氏改名もこの人が始めたことだし。
新羅地方の人の反日の元祖みたいだよね。
それまで日本と百済とは仲良かったのにね。
38名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 10:03
日本書紀の中に、国引きの神話がある。
出雲系なんだが、新羅の余った土地を、出雲の山に綱?を引っかけて
引っ張ってきたんだとさ。
この時代は、九州地方と百済は、同じ国のような感じがするのは、俺だけかな。
済州島には、日本娘が流れ着いて、ご先祖様になってる。
出雲系は、新羅を応援していたとか。もう妄想爆発っつ。
おまけに、日本書紀のなかでは、スサノオノミコトは、新羅に行っている。
朝鮮側の記録が貧弱でどうもならん。文の国ならちゃんと記録を残せよ。
意図的に、半島と日本の関わりの部分を削ったような印象を受ける。
39名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 10:47
日本書紀に書いてある事なんて大体でたらめでしょう。
それを引用してくるなんてどうかしてるんじゃないの?
40名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 10:50
その当時、日本という国はなかったでしょう?
朝鮮半島にはちゃんとした王朝が存在していたけどね。
「日本」とか「日本軍」っていう表現は間違ってるんじゃないの?
41名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 10:54
倭国王という表記もイマイチ判らないな。
任那日本府が存在したといっても、日本の大和政権とは
つながり無かったんじゃないかな。「倭」という政治集団(海賊みたいなもんか?)が存在したんじゃないか。
42名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 11:12
あげ
43名無しさん:2000/07/10(月) 11:21
>39
日本書紀が全部でたらめって…
神代の部分なら解るが…
44名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 11:52
>39
>日本書紀に書いてある事なんて大体でたらめでしょう
断定は、できない。日本書紀・古事記は口伝の集合体だから。
トロイだったか、どっかの遺跡も神話のたぐいでしょ。でも本当にあった。
当時の日本は、豪族の集合体ですよ。だってあっちこっち反乱がおこってる。
九州の神社の神様は、半島系が多いよ。だってあのでっかい宇佐八幡宮は、
応神天皇だけど、新羅王の孫にあたるらしい。
日本書紀には、日本も朝鮮半島もないよ。ぐちゃぐちゃです。
45名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 12:14
日本書記がでたらめなら、壇君神話なんてそれと比較にならないほどデタラメな
話なんじゃないの? だいたい文献に出てくるのは神武天皇よりもずーっと後の
話なんだから。

そんなこと言ったら卑弥呼も百済も新羅も倭もみーんなデタラメってことになるが?
46名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 12:33
日本書紀の信憑性は30%ほどとのこと。
檀君はどうなんだろうねぇ?
47名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 12:39
天孫降臨の地、高千穂峰の近くの山の名前は韓国岳ばい。
48名無しさん:2000/07/10(月) 14:19
↑あれは韓国が見渡せると言う意味。
49結論だー。:2000/07/10(月) 15:26
任那出現文献
日本書紀、任那の宮家滅す。とある。
広開土王碑に1カ所登場、新羅の救援要請を受けた高句麗軍が、新羅の領内
王都に進入していた倭軍を追い払い、任那加羅まで追撃とある。
真鏡大師宝月凌空塔碑(朝鮮の寺の碑)に、太師はその先祖は、任那の王族で・・とある。
宋書倭国伝に、都督、倭、新羅、任那、加羅・・緒軍事、安東将軍とある。
三国史記に、一カ所、文才のある強首が、新羅の武烈王に問われて、
私は、任那加羅人ですと答えている。
南斉書、加羅国傳に、加羅、任那は昔新羅が滅ぼしたとある。
通典に南斉書と同じ、表現がある。
以上、つかれたー。
学者の間では、任那というと、戦前の植民地?経営と古代史をオーバーラップ
させるので、今は、加耶と言うそうである。
結論、任那は、ありました。
正倉院の加耶琴(新羅琴)が、現存するもので最も古いそうです。あたりまえか。
また、新羅の文書は、知られている限りでは、2点、それも正倉院の中だそうで・・・。
一番の問題点は、広開土王碑に、倭が、辛卯年より以来、海を渡って百済を破り、新羅を・・
臣民としてしまった。が、神功紀の記事の出兵、三韓征伐だったっけ?を裏付けるためです。
私の読んだ本では、倭軍を、倭、百済、加耶連合軍とごまかしてうやむやにしている。・・
いずれにしても、朝鮮南部は、倭国の軍事的関与があったことは間違いない。
50名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 16:47
しかし、なんで『記紀の記述はウソ』なんて簡単に言えるかねぇ。
一書に曰く……って形で、別の記述を認めているくらいの書物だっ
てーのに。

これも洗脳教育のなせるものか?
51名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 17:04
>39、>40
しかし韓国の学者は記紀はでたらめとかいいながら、それを読みかえることで
自分たちの主張の根拠にしようとするでしょう?
それに朝鮮には王朝があったというなら日本にだって王朝はあったじゃないで
すか?倭国王というのが大和王権とは別物だったとしても、新羅や百済が朝鮮
人の国だというなら日本人の国といってもおかしくないんじゃないですか?
はっきり言って天皇家なんてどうでもいい人のほうが多いんだから。
現在の国家や民族の概念を古代に持ち込むなというなら朝鮮にだって言わない
といけないんじゃないですかね?
52名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 17:36
新羅の金春秋は自分の妹を百済に殺された復讐をする為に高句麗に援軍を
頼みに行って逆に捕らえられてようやく逃げ出すと今度は日本に助けを求めて
日本までやってきた。日本でも断られて今度は唐に援軍を求めて成功。
百済を手始めに高句麗も倒して統一新羅の王となった。武列王と言われる。
日本は百済に援軍を送って唐、新羅の連合軍に手ひどくやられ朝鮮にあった
を橋頭堡を失ってしまった。
53>48:2000/07/10(月) 17:42
韓国が見える訳ないだろ。(藁
54名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 17:47
それが白江村の戦いですな。
55名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 19:10
>53
比喩だよ、比喩。わかる?
56名無しさん@1周年:2000/07/11(火) 00:25
古事記に高千穂に降臨したニニギノミコトが「ここは韓国が見えていい所だ」と
言ったと書いてありますね。これを捉えて「天皇家が韓国系の証拠」と喜んでた
韓国人学者がいるそうです(苦笑)。まあ古代日本と朝鮮半島との交流が活発
だった事の証左にはなるでしょうね。
57名無しさん@1周年:2000/07/11(火) 00:33
>56
金海金氏のいちばん古い大本の族譜は朝鮮総督府によって全部押収されています。
族譜の始祖伝説のところに、金首露王の七人の子が、ある日天に昇ってしまった。
ところが、日本の天孫降臨伝説には七人の神が着いたという話が出ているみたいな
のです。日本神話の聖地である「くじふる」は金海金氏の発祥の地とされる「亀旨峰」
(クジボン)これを韓国語の純韓語でよむと峰は、(ボンは感じの音で)フリで
「くじふり」となるらしいんですよ。
それで、確定してどうだということではなく押収して残ってる族譜の一部は日本に
あるらしいという話みたいです。俺の個人的な単なる感覚的予想では、「新羅と倭人」
とかのスレがガス抜き場になってるからここに書くけど金海金氏は倭人じゃないかと
思う。その時には貴族とか奴婢の区別はあっても近代的な日本人、朝鮮人の区別が
ある訳ないんだから。


58>57:2000/07/11(火) 01:42
なーんか嘘くさぁー。
証拠が無いのをいいことに適当かましてるって感じだなぁ。
特に「くじふり」の語呂合わせのところなんかいつもの、とんでもの
臭いがぷんぷん。朝鮮総督府が出てきて奪われたってのもいつもの
パターン。それだけで信憑性100%ダウン。
そもそも、日本に族譜が残っている可能性があるなら、日本政府に
返還要求を突き付けないのは、彼らの行動パターンからしておかしい。
実際のところどうなのよ。
本当に日本が奪ったの?
日本にまだあるの?
倭人うんぬんより、その辺から始めなくちゃ。
59名無しさん@1周年:2000/07/11(火) 01:50
そもそも、半万年の歴史ある国が歴史書できて1000年もたってなくて
倭の方が半島に書いてある記事の方が客観的に詳しく書いてあるに
(倭から半島に攻めたことあっても逆の記事なし)何言っても無駄だな?
60名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 03:23
あげ
61名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 03:35
朝鮮人も歴史書を作っておけば良かったのに。あーあ。
62名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 05:54
なつやすみも おわちゃった ひさしぶりに こだいしの おべんきょう
63名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 07:17
作ってても、先王朝への感情が先に立っちゃって、燃やしちゃうんだよねぇ。
64名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 09:15
>>57
ホント、嘘くさー。
そもそも、日本には感情に任せて、
前の権力者の物を燃やしたりしちゃうってな風習ないんじゃない?
がっちり頂いて、それを基礎にまた新しい物を作るのを好むような。
第二次大戦の後に、アメリカにやらされたくらいでさ。

何か、朝鮮での日本人の行為とされてる物って、
朝鮮人がその立場にいたらやるに違いないって行動だし、
中国でのそれも、そうなんだよねー。拷問の仕方とかさー。
あんた、それって中国の伝統拷問じゃん?
って感じな事を日本兵がやった事になってて、とっても不思議よ。
人豚なんて拷問、日本のじゃねーよ。バーカ。
65>64 :2000/09/03(日) 11:09
同感。

基本的に、人間というのは、自分たちがすることは、相手もすると
おもいがち。本を焼く、処分するというのも、自分たちの文化を相
手に投影しているだけにすぎない。

韓国人が日本人に「歴史歪曲」というとき、つまりは自分たちが平
素から歴史歪曲をしているために、相手もそれをするはずだという
思いこみがあって、自分に都合の悪い部分だけ非難する。
すると、日本の学者は割と実証主義に偏ったオタクが多いので、今
度は、「自分たちがオタク的に実証主義やってるから、韓国の学者
もそうに違いない」と勘違いして、「歪曲」と言われると、恐縮し
てしまう。

日本書紀の記述にしても、自分たちに都合の悪い部分は「ねつ造」
というくせに、そうでないところは、全くノーチェックである。
そして、はるか後代に成立した三国史記や三国遺事を脳天気に信じ
込む。
じっさいには、韓国の古墳から出土した記録が日本書紀に一致して、
三国史記とは大きく食い違っていたという例もあるのだ。
66コン・リーのファン :2000/09/03(日) 14:47
>>64 さん に同意する。

何年か前に、赤いコーリャンと言う、中国映画があった。
 良い映画と思ったが、一つだけうなずけない、ところがあった。
 日本軍が、北支の コーリャン 畑で、ゲリラ化した農民の生皮を
その、仲間に剥がさせる。
確かに、日本軍もひどい事をしたと思うが。生皮を剥ぐというのは
日本軍の処刑の仕方にないと思う。

67名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 16:10
うん。やはり、儒学を宗教のかわりに信じたのが間違いの元だな。
しょせん道徳論でしかないものを国の基礎にした。
日本では、武士階級の教養程度?また、解釈の仕方の違いなんだろうか?
よくはわからんが、かわいそうと言えばかいそうでもある。
68名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 16:40
大体、日本側は伝統的に「百済」「新羅」を「くだら」「しらぎ」って
どこをどう押しても出てこない読み方で呼んでるからな。
そこには歴史的背景があるはず。
(日本側で「くだら」「しらぎ」と呼んでいた倭地に漢人か韓人が南下して
きて建てた国が「百済」「新羅」だったと言うことだろうけど)

任那っていう呼び方が半島側の史料に出てこないのは倭語だからじゃない
かな?半島南部の倭地の国の総称が「御真那」だったとかさ。

69名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 08:25
情報求む。
70名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 18:43
朱塗り石室が韓国にも、日本様式初の確認
 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、内
部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、同国
の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。日本(
倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認されたのは初め
て。日本の須恵器も出土していることから、日本の古墳祭祀
(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島から文化を
一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝えていたこと
を示す重要な成果として注目される。

 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。
 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願
望を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発
見されていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」
と紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではない
かと論争になった。
 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初
め〜六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任
那(みまな)」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭
人がかかわったとも考えられる」と話している。
(10月2日15:34)
http://www.yomiuri.co.jp/00/20001002i306.htm
71名無し :2000/10/02(月) 20:51
>沈奉謹・東亜大付属博物館長

チンポウキン ?

72名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 20:55
>>67
宗教って、道徳そのものじゃないの?
73名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 21:17
>>72

その国によって違うよ。宗教=法律のところもあるしね。
74>黒田如水 :2000/10/02(月) 21:36
宗教が道徳ってのはユダヤ的発想なんで普遍的に考えるべきではない。
75名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 21:39
宗教の存在意義って「死」への恐怖を克服して
安定した生活を得るためのものだと思うが
76名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 21:45
チョンの場合、安定した生活もないし、
精神的な安定もないからなー。
民族性ですぐ「ムキー!!!」とカッカして爆発しちゃう。
77名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 22:14
儒教はれっきとした先祖崇拝の宗教だぞ。孔子自身が祭司階級の出だしな。
78名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 22:28
>>77
その崇拝が現在の韓国社会を息苦しいものにしているのね(藁
79小林よしのり(義徳)
よしりんだよ、みんな待ってたかい、よしよし泣きなさい、おっちゃんの懐でなきな〜〜さ〜〜い♪
笑い〜〜な〜〜さ〜〜い♪、よしり〜〜〜〜ん!

誰がいじめたの?よしよしよしりん。