1 :
ノーコン:
小西行長を島津義弘に変えてたら朝鮮は今ごろ日本国土だった
のになー
2 :
名無しさん:2000/05/22(月) 09:16
加藤清正がだれかしんないけどそんな事言い始めたらなんでもありだね
3 :
名無しさん:2000/05/22(月) 09:27
どんな名将でも明軍の援軍には勝てなかったと思うよ。
物量で。
朝鮮人はたいしたことなかったが、親玉は強かった。
4 :
名無しさん:2000/05/22(月) 09:44
島津義弘3千の兵力で明軍5万を撃破!!!!
5 :
>2:2000/05/22(月) 10:40
加藤清正を知らないのは基礎知識なさすぎ・・・。
6 :
名無しさん:2000/05/22(月) 12:48
2氏の皮肉に気付かないキミの方が問題だ>5
7 :
>4:2000/05/22(月) 14:12
インカ帝国に攻め込むスペイン軍みたいなもんでない?
鉄砲で重装備した3000に棍棒の5万は勝てないよ(笑)
8 :
名無しさん:2000/05/22(月) 14:51
日本は、戦国時代で、かなり技術(鉄砲)、戦術、装備等に
進歩があったからね。
9 :
名無しさん:2000/05/22(月) 17:56
>4
その話なら知ってるけど、長期戦になれば、
明相手に勝ち目はないだろ。
補給路に問題があったんだから。
10 :
9:2000/05/22(月) 18:13
っていうか戦術レベルでしか物事を見られない
軍事ヲタッキーが多すぎる。
戦略レベルで勝てるシナリオは万に一つでもあったかな?
11 :
>10:2000/05/22(月) 18:18
ヌルハチと組め
12 :
>11:2000/05/22(月) 18:40
世界制服したいから、力を貸してくれって頼むの?
ヌルハチほどのやつがほいほい乗ってくるかな。
13 :
>6:2000/05/22(月) 21:56
別に1を支持してるわけではない。
マジで加藤清正を知らないのかと思ったのだ。
ネット上では普段出会えないような天然基地が多いからね。
14 :
>1:2000/05/23(火) 02:28
本来の目標は「明国平定」のために通路(朝鮮半島)
を確保しようとしただけだろ。
南方貿易を支配するのが、狙いだったから
資源もない半島だけ持っていても単なるお荷物。
勉強不足 30点。
15 :
名無しさん:2000/05/23(火) 04:30
>14
いや、秀吉の狙いは領土拡張にあったと思う。
配下の武将に与える領土がほしかった。
国内は飽和状態だったから。
それと、ヌルハチは朝鮮出兵より後に出現した人物だから、
組もうにも組めないわな。
ヌルハチとその後継者も簡単に明を滅ぼしたわけではない。
勝ったり負けたりの戦を30年続けてようやく滅ぼした。
それも内乱に乗じて。
ここがミソで、人口200万そこそこの満州人が民国を滅ぼした事実。
人口1500万人の日本が滅ぼせないわけがない。
この満州人の実績をみると、次のように考えることが出来る。
軍事的には十分可能だった。
明国は当時8@`9000万人ほどの人口があったが、精鋭部隊を
集中する能力や、戦技に問題があった。
秀吉軍は7年間、朝鮮に在陣し、その間、定期的に補給を続けて
いた。
よくいわれているように李舜臣によって制海権を奪われていた
わけではない。
基本的に漸次海軍力を増強すれば補給は安定の度を増しただろう。
硝石の国産かも急速に進んでいた。
長期戦を軍事的な見地からだけ考えれば、勝利の可能性はあった。
ただ、陸続きで漢族との長い交流の歴史をもつ満州人に比べて
日本人は隔絶した海の人だった。
「戦略」的な不備とはそういう面のことだろう。
だが、明を制覇できなくても、上記見地から朝鮮半島の
全域か反域をある期間にわたって、もしくは、近代にいたるまで
確保でき、その後の歴史を変えることが出来たかもしれない。
そうなると、日本人はもっと、「国際人」として今あるかもしれない。
16 :
>15:2000/05/23(火) 09:17
満州族も当初は日本人と似た気質を持った人たちだったんだけど、中国を
支配している間にああなっちゃったんだ。だから、日本人だって満州族の
二の舞で、中国文明の泥沼にどっぷりと漬かって腐ってしまい、辛亥革命
で崩壊することになったと思うよ。
もしそうなったら、日本は毛沢東の中華人民共和国に組み込まれたわけで
そうならなくて良かったと思う。中国は大陸国家で海洋国家の日本とは気
質が異なるので、中共の一元的な統治ではうまくいかないだろう。台湾も
さまざまな歴史的事情があることは承知した上で言えば、台湾が海洋国家
的であることが統一を阻む要素の一つじゃないかな。
17 :
名無しさん:2000/05/23(火) 09:41
領土の広い国家を統治していると、
空間的な広さが恐怖心につながるようだ。
18 :
餓バコ:2000/05/23(火) 11:50
基本的に大明帝国が滅んだのは秀吉の朝鮮出兵が
あって国力が弱まったからですよ。常識です。
19 :
名無しさん:2000/05/23(火) 12:00
旧百済の領土を日本がもらう事で、和睦というのはできなかったの?
20 :
>19:2000/05/23(火) 12:15
似たようなことしようとしたけど、出来るわけないじゃん。
あと、くだらん仮定しても、日本が中国征服なんて無理だって。
秀吉が死んだら、支配者が定まらず分裂だろ?
実際そうだったし。
21 :
名無しさん:2000/05/23(火) 12:16
「こんな連中のいる土地はいらねえ」
って思ったんじゃないの?
もう懲り懲り、と。
土地も住民も優れていたなら、
秀吉の死後も朝鮮半島を
狙うやつが出てきても
おかしくはないよ。
22 :
名無しさん:2000/05/23(火) 12:31
土地柄的に魅力が無いのか…
23 :
>22:2000/05/23(火) 13:07
江戸時代の鎖国政策がその反動だという説もある。
2度と外地で嫌な思いをしたくなかったのだろう。
24 :
>15:2000/05/23(火) 13:33
>いや、秀吉の狙いは領土拡張にあったと思う。
>配下の武将に与える領土がほしかった。
どうも彼のプランはその程度では、なかったようだよ。
最終的には北京に天皇を移し、自らはニンポーに
おいて、スペイン人に代わって南方制圧を目論んでいた
らしい。
平定後は、インドの領土を諸侯に取り放題に
させるつらりだったらしい。
当時のアユタヤ、ルソン、フエあたりの日本人の
貿易拠点も視野にいれていた。
じゃないと嫌戦ムードの武将を送り込む大儀が立たない。
>ここがミソで、人口200万そこそこの満州人が民国を滅ぼした事実。
>人口1500万人の日本が滅ぼせないわけがない。
満州人は、大平原での集団戦闘にも慣れているし、
在野のさしたる抵抗もなかっただろ。
百歩譲って補給戦が完璧だとしても、
補給戦が伸びきったところで滅多打ちにされて
全滅だと思う。
フィリピンにも強圧的に入貢を迫っていたから、
スペイン海軍が動く可能性もある。
25 :
名無しさん:2000/05/24(水) 03:17
>24
だから、領土拡張が目的だって15が言ってるじゃん。
秀吉は慶長の役では、すでに明征服は視野の外におき、半島の
半分を求めて兵を出した。
その意味では、韓国の教科書などに出ている(出ていたはず)、
「明征服を口実に韓国を攻めた」
というのは正しい。
この時期になると、秀吉は海外出兵が思うようにいかないことを
自覚しており、名誉ある収束を考えていたようだ。
一方で、飽和状態になった配下武将への領地分配に頭を痛めていた。
そういう不安の中で世継ぎを心配しながら死んだ秀吉は、
たしかにドラマや講談で言われるように、安らかな眠りには
つけなかったのだろう。
国内統一をめぐって関が原がおき、武将の半分がリストラされた。
領地問題はなくなり、徳川は国内統一に専念できたし、
それが、反作用的に徳川の理念(鎖国的)となった。
秀吉は当時の軍事力を活用して見ようとの意欲を実現した。
このこと自体は、日本の国柄を示したこととして、善悪を
越え、日本人は自覚しておくべきである。
鎖国もまた、その「反動」としてとらえるよりも、秀吉の示した
国柄=本朝意識=を基底に、シナ大陸と対峙したものとして、
見るべきだと思う。
26 :
>25:2000/05/27(土) 03:57
当時の軍事力から言えば不可能じゃなかった気がするな。
27 :
名無しさん:2000/05/27(土) 06:28
>鎖国もまた、その「反動」としてとらえるよりも、秀吉の示した
>国柄=本朝意識=を基底に、シナ大陸と対峙したものとして、
>見るべきだと思う。
こりゃ、トンデモだな。ほとんど。
>26 軍事力って、機動力と補給力から言って無理。
28 :
名無しさん:2000/05/27(土) 16:05
>鎖国もまた、その「反動」としてとらえるよりも、秀吉の示した
>国柄=本朝意識=を基底に、シナ大陸と対峙したものとして、
>見るべきだと思う。
痛い勘違い。実証をあげてくれ。ひとつでもいいから。
>26
あんた近代の感覚で言ってる。
当時の輸送力では、ぜったい無理。
29 :
名無しさん:2000/05/27(土) 20:16
日本 欧州から伝わった鉄砲を自国内で大量生産する能力があった。
チョーセン 鉄砲は無かった。伝わっていたかもしれないが、自国で生産できなかった。
30 :
名無しさん:2000/05/28(日) 02:51
韓国の教科書では明軍10万の援軍の記述が一つもない。
明軍の蛮行の記述も一切ない。
水軍の連戦連勝で朝鮮人自らが日本人を退けたと
言いたいらしい。
日本の教科書に文句つける前にあんたらの教科書をどうにか
しろと言いたい。
31 :
>28:2000/05/28(日) 03:09
では、その「反動」であったという実証を示してくれ。
シナ大陸に対峙したというのは、近代にいたる日本の歴史で
実証されているだろう。
朝貢体系から自立した立場にあったということだよ。
これがどうしてトンデモなんだ。
秀吉の行為をただ、「暴挙」とだけ言っておれば気が済むのか。
32 :
名無しさん:2000/05/28(日) 03:27
「補給」という観念がすでに近代的なんだよ。
だから、近代の感覚で言っているのはあんたのほう。
33 :
>32:2000/05/28(日) 05:48
じゃ、なんで朝鮮すら征服をものに出来なかったんですか?
34 :
>32:2000/05/28(日) 05:49
当時の感覚だと現地調達だよな(笑)
35 :
>32:2000/05/28(日) 06:08
たしか2回目の時は現地調達=略奪を
やりすぎて、現地の抵抗が激しくなってる。
それとも当時の兵は食わずに闘ったの?
どのみち、明平定など無理じゃなかろうか。
36 :
京男:2000/05/28(日) 06:15
>シナ大陸に対峙したというのは、近代にいたる日本の歴史で
>実証されているだろう。
>朝貢体系から自立した立場にあったということだよ。
そんなことを言い出したのは、アヘン戦争あたりから
だと思うよ。
まあ、歴史観なんてコロコロ変わるけどね。
37 :
名無しさん:2000/05/28(日) 06:25
「史記」でも補給の話はいくつか出てくるね。
32はナポレオンより前の軍隊には補給は無かった
とでも言いたいのだらうか。
なんか痛い気がするのは俺だけ?
38 :
名無しさん:2000/05/28(日) 06:39
秀吉の「中国大返し」は補給の勝利だね。
39 :
結論:2000/05/28(日) 17:27
31と32は勉強不足。28点。
40 :
名無しさん:2000/05/28(日) 18:35
ソウルで、大通りの中央分離帯のど真ん中に、李将軍のばかでっかい像がそびえ立っている。
それのそばをタクシーで通るとき、日本人の私は、彼ににらみ下ろされているような気がして、身のすくむ思いがした。
しかしよく考えてみると、私の祖先も、加藤清正に強制連行された朝鮮人の陶磁器職人だったかもしれないではないか。
私の祖先がいたのは、北九州の陶磁器産業のさかんな地域だったのである。
(私の祖先は江戸時代まではさかのぼれるのだが、それ以前はわからないのである)
こんな私を、李将軍は、どんな思いで見下ろしていたであろうか?民族の裏切り者であろうか?
41 :
名無しさん:2000/05/28(日) 19:35
>31
そういう問題じゃないんだよ。(笑)
日本て国が中華大陸に対して対峙した時期って言うのは、
古代の一時期ぐらいのものだ。
あとは、ただ単に「関係が他の周辺諸国に比べて希薄だった」だけ。
あなたの考えは、日本の維新後に意識的に考案されたものです。
(朝鮮人の噴飯ものの作り話ととそういや似てるな。)
秀吉が朝鮮に出兵したのは、あくまで国内的な意識の延長線上にあるのであって、
中国と日本との関係性の中から出てきたものではない。
本朝意識なんて確固たるものができあがるのは、もっと後の話。
戦術・戦略的に暴挙かどうかは知らんが、朝鮮人にとっては
たまらなかったろうな。国土ズタボロ。
ちなみに司馬遼の『韃靼疾風禄』が、この辺のマイナーな歴史に触れてて、
一般人には面白く読める。
42 :
名無しさん:2000/05/28(日) 20:48
>戦術・戦略的に暴挙かどうかは知らんが、朝鮮人にとっては たまらなかったろうな。
そうでもなかったようですよ。加藤清正が京城に入城すると、朝鮮の民衆は
「自分達を長年苦しめたのは、朝鮮王朝だ」と言って、役所にあった書類や図書を
すべて焼き尽くし、日本が京城入りしていたときには、すでに街は火に包まれていた。
無気力な支配者より、むしろ日本の進撃を歓迎していたようで
追いやられた支配者(王族)が明の救援を頼むまでほとんど抵抗らしい抵抗はなく
その後、明が滅び、清に朝鮮は侵略を受け、朝鮮全土は焼き払われた。その被害は
「和乱(秀吉の出兵)の及ぶところにあらず」と朝鮮の記録に書いてあるそうです。
司馬遼氏は、朝鮮に好意的ですね。
43 :
>42:2000/05/28(日) 23:13
そうそう。
族譜とか片っ端から焼き払って、秀吉撤収後に一気に身分制度の
崩壊がおきる。みんな族譜をねつ造して再提出しちゃったから。
社会構造を根底からかえたという点で、秀吉の侵略と日本の植民地
支配は、彼らの歴史にとって、大事件だったわけ。
44 :
31:2000/05/29(月) 02:07
>41
キミの言ってる本は読んだよ。
面白い本とは思えなかった。司馬ファンには悪いけど。
それはともかく、シナ大陸のとの対峙という点では、古代も
秀吉の時代、ないし、元寇の時代も同じことだよ。
明治維新になっての人工的な意識じゃない。
要するにだ。
秀吉のような行為があったことの反映が、明治維新につながって
いるってことさ。
秀吉が中国と日本との関係性が希薄であったということ自体が
重要なのさ。
秀吉も大陸の風土、慣習については情報不足だった。
明とて同じ。
こういうのは「対峙」と呼んでも構わないだろう。
45 :
通りすがり:2000/05/29(月) 04:48
>こういうのは「対峙」と呼んでも構わないだろう。
ハァ?
46 :
名無しさん:2000/05/29(月) 10:40
>42.43
う〜ん、そうでしたか。しかし、李氏朝鮮というのは
情けない王朝だな。驚異的なのは、その情けない王朝が500年間も
続いたってことだね。
おもうに、補給線の確保をまず優先して、現在の韓国の部分を
しっかり管理下においていれば、その後の歴史は大きく変わってたかも
ね。それほど日本に民衆が好意的ならばさ。
戦国の武将たちってのは、民生家の側面もあったわけだし。
>44
そういうのは「対峙」って呼びません。(笑)
ただ、秀吉の朝鮮侵略が、後の日本という国の関して果たした役割は
大きいとは思う。なんせ九州の人々ならともかく、土佐の長曾我部
とか今までかすかにそう言う国も海の向こうにある、っていう程度
の意識しかなかった人たちが、海を越えて実地に大陸を見てきたのだからね。
現在の渡島半島の南部分を支配していた松前慶広も隈本城まではきてたし。
(安東愛季、秋田実季は海を渡ったのかな?)
しかも戦争という形だから、「こっち側」と「あっち側」っていう
認識が兵卒の間にもあったろうし、オランダとの貿易とあわせて
それが江戸時代にも生き続けた日本の国際意識の基礎にもなったのかもしれない。
司馬御大はお好きではないですか。それは残念。
私は彼を小説家、紀行文作家として、結構好きです。
47 :
訂正:2000/05/29(月) 10:43
後の日本という国の関して>後の日本という国の形成に関して
でした。すみません。
48 :
薩摩守:2000/05/29(月) 11:52
当時はスペイン、ポルトガルなどの大航海時代にあったわけで、秀吉の朝鮮出兵を
単なる自己顕示欲だとか明治維新以降の侵略に繋がっていったというのは随分と視
野の狭い歴史のとらえかただと思う。そういう見方は朝日や日教組の人から嫌と言
うほど聞いた。
話を戻すと秀吉は家康と違い商業を重視して政権を成り立たせていたわけだし、当
時の世界情勢からみれば外国に出ていくのは必然だったと思うよ。
ただ若い頃、調略上手だった秀吉が一切それを使わなかったのは疑問。
耄碌していたかおごりがあったのだろう。
49 :
>24:2000/05/29(月) 17:52
> 満州人は、大平原での集団戦闘にも慣れているし、
> 在野のさしたる抵抗もなかっただろ。
満州人の戦った満州平野には人があまりいなかった。
明側の動員も少なかった。
6万ほどの兵隊を集中的に活用できたから勝てた。
>
> 百歩譲って補給戦が完璧だとしても、
> 補給戦が伸びきったところで滅多打ちにされて
> 全滅だと思う。
秀吉(日本人)がそんなバカな作戦立てるわけないだろう。
内地に居座って武将を遠隔操作する能力など、朝鮮人らも秀吉の巧妙さは高く評価している。
実際の役でも全体として作戦は巧妙だった。
状況を把握すると、それへの現実的な対応策を繰り出している。
大過失というのはない。
満州人も長い年月掛けて、少しずつ、北京に接近していった。
かれらには長城の砦が最終的に立ちふさがった。
抜けないでいたが、内乱を利用して明を滅ぼすことが出来た。
30年だ。秀吉の戦争は7年。
軍事的可能性を清との対比で述べたということだよ。
>
> フィリピンにも強圧的に入貢を迫っていたから、
> スペイン海軍が動く可能性もある。
スペインにこの地域での大動員の能力はない。
逆に連合を結ぶ可能性もあった。
ま、以上はかなり主観が入っていることは認めるけど、
愚挙、愚行、現実離れ、とだけでは言い切れないよ、
ということ。
50 :
>49:2000/05/29(月) 21:47
そりゃ「武」の文化がほとんどない朝鮮人に
評価されたのはあたりまえだよ。
別に俺は秀吉嫌いでもなんでも、ないから客観的に
考えて言っただけ。
当時の人種偏見からしてスペインが連合を結ぶ
可能性はありえないわな。
>大過失というのはない。
多くの武将が凍死したのは、過失ではないの?
職人的な戦術レベルでの戦争の巧みさは、
俺も認めるよ。しかし、戦略レベルで考えると
「秀吉が明国平定に成功」なんてシナリオは
思いつかない。
日本人の俺にとっては、痛快なファンタジーに
なりうるけど、どの角度から考えても
成功例は想像つかない。
51 :
>49:2000/05/29(月) 21:55
>大過失というのはない。
そもそも朝鮮出兵そのものが大過失では?
当時の日本国内の大名で朝鮮出兵を望んでいたのは、
ほとんどいなかったらしいが。
52 :
名無しさん@1周年 :2000/09/30(土) 17:37
朝鮮人は加藤清正に敬意を示せ
53 :
小林よしのり(義徳) :2000/09/30(土) 18:08
加藤清正ゆうの「トラ退治」で有名なおっちゃんか?
54 :
名無しさん@1周年 :2000/09/30(土) 18:17
55 :
名無しさん@1周年 :2000/10/01(日) 07:18
あげじゃ〜
56 :
名無しさん@1周年 :2000/10/01(日) 07:35
清正が名将と言われたのは統治能力(肥後)が評価されたからでしょ?
叩かれるのは朝鮮出兵の一武将だったからだけでは・・。
57 :
名無しさん@1周年 :2000/10/01(日) 13:35
ここは真面目すぎて、「秀吉の出兵は元寇に時の復讐のため」なんて話でてこ
ないね。
58 :
名無しさん@1周年 :2000/10/01(日) 15:41
後のアメリカもシナの介入で朝鮮平定をチャラにされた。
だが、秀吉の朝鮮征伐は、アメリカの戦争に例えればナム戦みたいなもんだった。
敵は無尽蔵(に見える)、味方は兵力の逐次投入。
おまけに、秀吉(政府)の都合でコロコロ作戦が変わり、挙句、負けてもいないのに撤退とは。
59 :
名無しさん@1周年 :
秀吉軍って朝鮮人何人ブチ殺したの?
相当やったのか?