韓国料理は日本料理のように世界的人気になるか?113

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734マンセー名無しさん
>>732
“山東半島→西朝鮮→南部朝鮮” 伝播の軌跡

@ 中国国内における稲作の拡散は、王在徳らが提示したデータ に基づくもので、すでに
 4,000〜5,000年前には、 淮河 (中国の畑作・米作境界ライン) を越えて山東半島まで
 稲作が到達していた。それは、山東半島の揚家園の竜山文化の遺跡から、短粒米が
 出土したことによっても確認されている。
A 山東半島の先端まで稲作が広がっていたことが明らかになると、“山東半島→西朝鮮” という
 伝播が想定されることは自然である。これに応えるように、西朝鮮の初期無文土器時代の
 遺跡・平壌市南京遺跡から、揚家圏と同形の短粒米が出土した。また、柱状片刃石斧や
 扁平片刃石斧は、山東半島から遼東半島へ伝わり、そこで洗練されて南下し、さらに
 朝鮮南部で “抉り” が施されるようになり、それが抉入り柱状片刃石斧として、菜畑や
 曲り田に伝わったことが分かっている。    
B 朝鮮半島の稲作遺跡、南京遺跡を北限として、欣岩里・松菊里・大坪里遺跡などから
 出土するコメは、すべて短粒米で、中国大陸の 淮水 (= 淮河) 以北の古代米が、すべて
 短粒米であることと呼応している。これは、稲作の伝播が、“山東半島→西朝鮮→
 南部朝鮮”というルートであることを強く示唆している。

このようにして到達していた南部朝鮮の稲作が、さらに海を渡って、菜畑や曲り田の
西北九州の地をはじめとして、玄界灘沿岸の早良平野、福岡平野、粕屋平野に
伝播した。このとき、北部九州をはじめ西日本地区は、縄文土器の最終型、
突帯文土器文化の時代であった。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03suidenninasaku_no_jitunenndai.html